20.殿下と親睦を、深めました
2015年5月修正済み
ネグリジェシーツ事件も一段落し、今私と殿下は二人窓辺に並んで座っていた。 人一人分の間しか空いていないが私に厄介なフェロモンがきかないと実感してくれたからだろうか、この遠すぎず近すぎない距離感に、殿下が拒否感を示すこともない。
しかし、依然として殿下の表情は固い。何も話すことなく無言を貫いている。
何か気に障ることでもしてしまったのかな、私。だけど何も言ってくれないのでどう対処すればいいのか不明。
殿下にならってしばらく私も何もすることなく口をつぐんでいたけど。
「………」
「………」
さ、さすがに空気が重たくて耐えきれない…!
なんとかこの空気を変えられないものか。そう思って辺りを見渡すと、目の前に紅茶のポットとカップが。
わざわざ給仕の為に、メリダを呼ぶ必要もない。家でだって自分で淹れてたし。
茶葉の缶を開けて匂いを嗅げば、芳しい香りが鼻まで上がってくる。
この香りで少しはこの雰囲気も緩和されるかもと思った私は、手早く準備をして紅茶を作り、殿下の前へと置いた。
「よろしければどうぞ」
「ああ」
受け取ってはくれたものの、その後の言葉が続かない。
……これはもう、思い切って本人に聞いた方が早いかもしれない。理由も分からず隣でむっつりされているのは気分がいいものじゃないから。なので私は口を開き、息を吸い込んで、
「でん」
「シャナ」
殿下の「か」を発声する前に、レイン殿下の方が先に私の名を呼んだ。言葉を飲み込み隣へと目を向ければ、真面目な顔つきで私を見つめている殿下。
ピンと張りつめた緊張感に、自然私の顔も固くなる。真摯な表情で次の言葉を待っているとポツリポツリと彼は話始めた。
「……先日の舞踏会の夜は助かった。もしもあの時お前がいてくれなかったら俺はアムネシから逃げ切れなかっただろうし、看病がなかったら最悪命を落としていた。それなのに俺はずいぶん無礼な対応をした。だから遅くなったが、こうして面と向き合ってきちんと謝罪と礼が言いたかったんだ。すまなかった。そして、ありがとう」
「殿下……」
普通地位が高い人間というのは、誰かに何かをしてもらうのが当たり前、自分より下の人間に気を遣うなんてあり得ないっといった勘違い人種が非常に多い。
あのザイモン家の方々なんてその典型だろう。
しかし、殿下は違う。
あの時の自分の行動に対して謝罪や感謝の言葉を求めていた訳ではないんだけど、言ってもらえて悪い気はしない。
なので私はにっこりと殿下に向けて微笑みを作った。
「殿下が無事で何よりでした。あの夜のことは私は対して気にしていませんから」
「………」
って、言ったのに。何でだろうなぁこのお方は。
唇を噛み締め、ますますますます罪悪感に満ちた表情を見せつけてくるじゃないか。結果、先程よりも更に暗雲立ち込めるおもたぁい空気。
しかし今度は私も躊躇しないぞ。何がそんなに彼の気を病ませているのか聞こうと口を開き、
「で」
「お前はなんでそんなに笑っていられる。あの夜、俺を助けたせいでお前は巻き込まれ、望みもしないこの国の第一王子の花嫁になったんだぞ?晩餐会でもあの男に嘲笑されて。彼にそこまで言われる筋合いは、お前にはないにも関わらずだ。普通ならもっと恨んだりそれこそ怒り狂ってもおかしくない。なのに…何でお前は……」
今度は殿下の「で」を発声した瞬間私の言葉は殿下の台詞で遮られる。
王子のその瞳に宿す感情は、私に対する罪悪感と、先のお言葉通り、純粋に私の腹の内が分からないことから来る不信感。
ふむ、なぜか、ねえ?
私がこのような状況におかれ、根本の原因である人物が目の前にいるにも関わらず、ヘラヘラ平気なナリで笑っていられるのはどうしてなのか。
「私は」
やはり口許には笑みを絶やさず、私はその問いに対する回答を口にする。
「確かに私が望みもしない殿下の花嫁になったそもそもの元凶はレイン殿下ですが。それは殿下にもどうすることもできない不可抗力というものでしょう?しかもご自身でさえどうしたらいいか分からずその体質によって命の危険に晒されてる…。そんな殿下に対してどうして怒ることができますか」
「だがディー…ディーゼルのしたことはどうなる。俺も詳しくは教えてもらえなかったが、俺との結婚を嫌がったお前を随分強引に説得したらしいじゃないか」
「そうですね、正直かなりの傲慢ぶりでしたね。ですがその時に感じた怒りは既に発散済みなので大丈夫です」
そう、その代償はあの日、ディーゼル卿の体できっちり払ってもらったし。あれであの一件はおしまいってことになってるのだ、私の中では。
「……しかし俺の知らなかった話とはいえ、あいつは俺の部下だ。責任は上に立つ俺にもある。今回の事は申し訳ない気持ちでいっぱいだが、謝ったところで何も解決しない。せいぜい俺の罪悪感が紛れるだけだ。だから俺はお前のどんな怒りも悲しみも、せめて正面から受け止めようと思っていたのに。……俺にはお前がよくわからん。正直言って…」
「拍子抜けしましたか?」
そう問えば、戸惑った表情のまま縦に頷く王子。
言われてみればそうかもしれない。
私はいわば、悲劇のヒロインだ。ヒロインよろしくヒステリックな声を挙げながら自分の不幸を嘆いてもよし。王子やディーゼル様に対して泣いて訴えてもよし。または不幸な境遇に一人こっそりと涙を流してもよし。
けれどそれをしないのは、そんなことをしたって現状は変わらないっていうのがある。
泣いて何かが変わるの?誰かを責めて何が変わるの?そういう、やっても無駄だと思えるようなことはしたくない。
それに、彼の内面・人柄については、今日一日一緒にいただけで十分に伝わった。
真面目で実直、責任感があって、ディーゼル様の、花嫁は褒めるべきだという言葉を受け取って実践しようとする純粋さや素直さもある。
彼はきっと良い王様になる。
そしてそんなレイン殿下だからこそ、ディーゼル卿は彼の憂いを取り去るため必死になるのだ。
ディーゼル様に脅されるまま、この場にいる羽目になった私だけど、レイン様のためならこの身を盾にしても良い。
そう思わせる何かを、このお方はお持ちなのだ。
まあ面倒臭いけどね。実際に命を狙われることだって十分ありうるし、寝込みを襲われないとも限らない。その辺を自己防衛本能でかわしつつ、女性陣の私への悪口や悪評、嫌がらせ攻撃に耐えねばならないのだ。
高位の貴族の中にも、私の存在を疎ましく感じる輩は多いはず。その辺も上手に交さねばならない。
だけど、やってやろうじゃないの。
なにも私の一生を賭けて殿下を守るつもりでもないし。
私としては、殿下のフェロモンがなぜ効かないのか調べてそれを解明して、最終的には私以外の本当に心から愛せる女性を見つけてあげようと思ってる。
その時は私は今の地位を辞退し、自分に夢を追いかけようと考えている。そんなの無理とか思えるかもしれないけど、世の中に絶対に無理……なんて事柄はあまり存在しない。何事も死ぬ気で取り組めば解決策が浮かんだりするのだ。
「おい、さっきからどうした、突然黙りこんで」
ふと我に返ると、隣で王子が首を傾げながら私の方を心配げに見つめていた。
おっと、ちょっと思考の渦に呑まれてしまってたらしい。
「ああ、申し訳ありません。少し考えごとをしておりまして。…とりあえずこのような状況は確かに私の望んでいなかったものですが、殿下に対して怒っても仕方がないというのは私のありのままの本心です。怒り狂ったところで、何も解決しないでしょう?せいぜい私のストレスが発散されるだけで。ならば、起こってしまったことはどうしようもないので、それを前向きに受け止めて最善の手を尽くす方がよっぽど有意義じゃないですか」
「有意義か」
「はい」
私の言葉に、理解はできるのだろうけどいまいち腑に落ちない様子のレイン王子。
「お前のその答えは分かるが…物分かりが良すぎはしないか?強制的に結婚させられたにも関わらず恨み事一つ言わず前向きに、というのは俺からしたらお前は聖人君子に思えるがな」
「そんなにいいものではありませんよ。……本音を言うと、今日お会いしてもしも殿下が私の思う方ではなければ、コキニロ家の財を使ってでもこのお話、なかったことにしてもらおうと思っておりました。でも、レイン様の人となりを実際にこの目で確かめて、考えが変わりました。是非ともレイン様が舵取りをするこの国の行く末を確かめたくなったのです。だからフェロモン体質などいう厄介な代物に振りまわされて命を落とされないためにも、私が殿下をお守り致します。あなた様が己の体質に打ち勝つ、その時まで」
にっこり微笑めば、心中複雑だと言わんばかりの表情になるレイン殿下。
「そうだな、情けない話だが、今はお前に守ってもらうしかないんだな」
「今は、ですよ。大丈夫です、殿下ならきっと、自分の力で今の状況を乗り越えることができます。だから今は安心して、どーんと私に寄りかかっていただけたらいいのです!」
そう言って力強く自身の胸をどんと叩いて見せた。
ちょっと力の加減を間違えちゃってものすごくいい音がしたけど、殿下の顔色がようやく良くなったんだから良しとしようじゃないか。
「シャナ」
低い声で、殿下が私の名を呼んだ。
なんでしょうかとこちらも姿勢をただし向き合えば、
「どんな状況だったとはいえ、お前にはいくら謝っても足りないくらいひどいことをした。本当に済まない。……俺は他人にはない、厄介な体質を持ってる。その上立場は王子だ。これからお前には色々と迷惑をかけることになるだろうが、守られるだけではやはり駄目だからな。俺もできる範囲で、できるだけお前に火の粉がかからないよう最善を尽くす。これからよろしく頼む」
「いえ、こちらこそ。よろしくお願い致します」
お互いにそう言うと、私たちは手にしたカップをかちりと合わせたのだった。




