親愛なる調香師たちへ
カントスは、大きな荷物を受け取ると、その差出人の名前に目を丸くした。
「教授……」
教会に荷物が届くというだけでも珍しいのに、加えて、差出人に死者の名前が書かれているのだ。いたずらにしては質が悪い。カントスは受け取った荷物をさっそく開いた。
中には、十枚ほどの封筒と、いくつかの瓶。それから、見覚えのある万年筆が入っていた。カントスははやる気持ちをおさえて、一番上にあった封筒を開く。
『親愛なる教え子 カントス
元気にしているかしら。あなたが学校を卒業して、もう一年が経ったのね。早いものだわ。あなたが育った教会へ戻ると聞いたときは、本当は心配だったの。あなた、生活力ってものが本当にないんだもの。体調は崩していないかしら。困ったことがあったら、いつでも学校へ戻ってきていいのよ。待っているわ』
カントスは、慌てて次の封筒を開ける。次々と中に入っていた手紙を読み漁った。それは期間を開けて、何度も、カントス宛へクリスティが書いたものだった。懐かしいクリスティの文字が、白い紙の上に並ぶ。
『親愛なる画家 カントス
王城に、あなたの絵が飾られたんですって? 町で、その噂を聞いて驚きました。あなたは芸術の才能にあふれた、素晴らしい人だと思っていたけど……私も鼻が高いわ。いつか、あなたの絵を見てみたい。でも、王城に飾られるくらいだもの。きっと値段が張るのでしょうね。今から貯金をしておかなくちゃ。あなたの絵をいつか、買えるようになるまで』
カントスの瞳には、うっすらと涙が滲んでいた。どうしてか、出されることのなかった手紙。大事にとっていたのだろうか。なぜ、クリスティがこの手紙をカントスへ届けなかったのか。今となっては分からないが、彼女にも色々と思うところがあったのかもしれない。クリスティとカントスは、あくまでも教授と生徒。それだけの関係だったのだ。
『親愛なる彫刻家 カントスへ
あなた、彫刻もやってるんですってね。最近、城下町の方はあなたの噂で持ち切りよ。私がなぜ城下町にいるかって? 私も歳だから、学校はやめたのよ。今は、城下町から南にいったところの、レンガ造りの町にいるわ。静かで落ち着いたところよ。いつか、あなたの住んでいる北の町にも行ってみたいわね』
カントスは、最後の一枚を開いた。もはや、視界は滲んでいて、手紙にもこぼれる涙でシミがついている。カントスは手の甲で涙を拭うと、最後の一枚に目を通した。
『親愛なる調香師 カントス
この手紙をあなたが読んでいる時、私はまだ、生きているのかしら。
あなたに会いたい、と手紙を出してしまったこと。いまだに後悔しているのよ。だって、私とあなたはただの先生と生徒。でも、不思議ね。私は、あなたに出会った日から、あなたのことを、本当の息子のように思っていたのよ。
芸術家として才をなしたあなたと、調香師として、王女様の試験を一緒に受けるなんて、誰が想像したでしょうね。とても嬉しかった。いえ。そのことだけじゃないわね、今までのことがすべて、良い思い出よ。
あなたと出会ってからのことは、いつも、ふとした瞬間の香りで思い出すの。これも、調香師としての運命みたいなものかしら。この手紙も、久しぶりに調香をしたせいかしらね。あなたのことを思い出して、また性懲りもなく手紙を書いてしまったわ。
もう、私はあまり先が長くないみたいだけど、最後にあなたに会えることを祈ってるわ。
そして、あなたのこれから先の長い人生に、祝福が訪れることも、祈っています』
クリスティの声が聞こえた気がした。瓶には、精油や薬のもとが入っていて、見覚えのある万年筆は、クリスティが教授の時から愛用していたものだった。カントスはそれらをすべて抱きしめる。素晴らしいサプライズだ。カントスは、涙を拭い、荷物の底に入った小さなメモ用紙を手に取る。
『クリスティの遺品を整理してきたら、たくさんの手紙が出てきたから送ったの。それから、クリスティは、あなたにいくつかの物も送りたかったみたい。これを渡すように、と書かれたメモが残ってた。余計なお世話だったらごめんなさいね』
クリスティの妹からだ。カントスは、ありがとう、と手紙に向かって呟く。裏にはクリスティの墓がある場所が記されていた。カントスはすべてを大切に箱へしまうと、祈りを捧げるようにそっと目を閉じて、両手を合わせた。
「教授……私も、あなたに出会えて、本当に良かった」
ありがとう、ともう一度呟くと、カントスは自然と小さく笑みを浮かべた。
パルフ・メリエにも、荷物が届いていた。郵便屋の青年からマリアはそれを受け取り、やはり差出人の名前を見て驚いた。
「クリスティさん……」
マリアは届いた荷物をそっと開き、中に入っていた手紙とたくさんの瓶を取り出した。一番下に入っていたメモ用紙を取り出して、目を通す。クリスティの妹からの贈り物だったことが分かり、マリアは、なるほど、と再び目の前の荷物に視線を戻した。
ラベルが張られたいくつもの瓶。その中にはイニュラの香りもある。クリスティが、マリアに渡してほしい、と生前書き残していたようだ。クリスティの妹は、ラベルを見ながら、それらを送ってくれたのだった。マリアはぐっと涙をこらえて、手紙を開く。
『親愛なる調香師 マリアちゃん
この手紙を読むころ、きっと私はこの世にはいないでしょうね。手紙って、なんだか少し照れ臭くて落ち着かないのよ。伝えたいことは書けるのに、書いたものを届ける勇気が出ないだなんて、いい年をして変な話よね。
だから、この手紙があなたに届いているのだとしたら、きっと妹が気をきかせてくれたに違いないわ』
クリスティが茶目っ気たっぷりにウィンクをする様がまざまざと脳裏に浮かんで、マリアはクスリと微笑む。あれからクリスティを失った悲しみが完全に癒えたわけではないが、クリスティから教わったことを無駄にしないように、クリスティのような素晴らしい調香師として、生きていきたいとマリアは強く前を向いていた。
『あなたに出会えて、私はどれほどのことを伝えられたのでしょう。薬師と調香師という、私の知識は、あなたの役に立ったかしら。これから、たくさんの人と出会って、たくさんの人を香りで救うあなたの力に少しでもなれていたのなら嬉しいわ。
調香師として憧れていた人の孫娘に、まさかこの歳で出会えるとは思っていなかったわ。素敵な巡り合わせよね。あなたのことも、おばあ様と同じように、とても尊敬していたわ。これから先もずっと、尊敬している。調香師としての実力だけじゃなくて、マリアちゃんの人柄を含めて。
それと同時に……こんなことを言うとおこがましいかもしれないけれど、私にとって、マリアちゃんは、本当に孫のような存在だったの。一緒に過ごせて、楽しかったわ。
私と出会ってくれて、ありがとう。
これから先、長いマリアちゃんの人生に、たくさんの祝福がありますように』
クリスティの手紙は、そうして締めくくられていた。マリアの心はじんわりと温かく、優しい気持ちで満たされていく。クリスティの柔らかな微笑みや、穏やかな声が、鮮明によみがえる。マリアの泣き顔を見て、クリスティがどんな反応をするのかも、容易に想像できた。
「マリアちゃん、顔を上げて頂戴。かわいらしい顔が台無しよ」
きっとそう言って、ウィンクして見せるのだ。美しいエメラルドグリーンの瞳を、優しく輝かせて。
親愛なる調香師たちへ送られたクリスティの手紙は、それぞれの場所で永遠に、大切な宝物として扱われることになる。そして、しばらく先の未来で、この手紙は、調香師たちの歴史を綴る物語の一ページを彩ることになるのだが、それはまだ誰も知らないお話。
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さて、次回でクリスティ編も終わりになります。
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