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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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芸術家と調香師

 マリアは店に時折訪れる客の対応をしながら、客の来ない時間は裁縫(さいほう)をしていた。先日カントスと作った藍色の紐を編み込み、その紐の中に星形のスパンコールや、透明なガラス玉を通していく。ミュシャが郵送してくれたものだ。さすがデザイナーをしているだけのことはある。マリアは丁寧にそれらを白いレースに縫い付けていく。


 カントスはここ数日、調香の部屋か、自分の部屋にこもっていた。かと思えば、時折早朝にふらりとどこかへ出かけていたりもする。つかみどころが無いのは相変わらずだ。食事の時間だけはきっちりとかかさず、マリアのもとへとやってくる。

「ミス・マリア! さぁ、ランチにしよう!」

 マリアは針を動かす手を止めて、階段から顔を覗かせたカントスを見つめた。


 カントスと食事をとるのにも、その間のおしゃべりにもマリアはすっかり慣れてしまった、と思う。

「ところで、カントスさん」

 マリアは、カントスのおしゃべりを(さえぎ)った。人の話を(さえぎ)るのは良くないことだ、とカントスに出会うまでマリアはそう思っていたが、カントスは気にしていない。マリアも、時には必要だと、カントスとの出会いで知った。

「しばらくお部屋にこもりきりですけど、大丈夫ですか?」

 マリアの気づかいに、カントスはパスタを頬張りながらうなずく。


「あぁ、もう少しで完成するのでね! 心配は無用!」

 カントスはパスタを飲み込むと、どこか満足そうに目を細める。どうやらカントスとの別れも近いらしい。

「そうなんですね。それで、最近はずっとお部屋に」

「新作の香りも、マリアさんの調香部屋のおかげでずいぶんとはかどったのだよ! 北の町では珍しいものも置いてあるし、本当に素晴らしい!」

「それは良かったです。カントスさんが作る香りも、絵も、すごく楽しみです」

 マリアは少しの寂しさをごまかすように微笑んだ。


 店を閉めた後は、調香の部屋はマリアが使う時間だ。マリアの夜の香りもいよいよ大詰めだった。ナイトクイーンの香りが完成するまでの間に、それ以外の調香を完璧に仕上げておこう、とマリアは少しずつ分量や香りの違うものを試作品として作っている。


 トップノートには、レモンと洋ナシの香りを使う。星の輝きをイメージした、弾けるような鼻を抜ける香り。あえて、夜の香りのイメージを裏切る香りで印象付けたかった。そして、そこにナイトクイーンの甘美な香りが追いかけてくればどうだろうか。夢にいざなわれるような、不思議な心地になるだろう。最後には静かで穏やかなベースノート。フランキンセンスを混ぜ、余韻はすっきりと。


 この香りを眠る前につかってもらいたい、とマリアは考えていた。そのため、出来るだけ後に残らない香りに仕上げる。朝目覚めた時には、穏やかですっきりとしたベースノートがほんのりあたりに立ち込めているだろう。マリアはナイトクイーンに合わせるミドルノートを調整しながら、一人微笑むのであった。

(後はナイトクイーンを混ぜてみてのお楽しみね)


 部屋にこもりきっていたカントスが、大きな音を立てて扉を開けたのは、それから数日が経ってからだった。マリアはその音に慌てて階段を駆け上がる。

「ミス・マリア! ついに完成したよ!」

 カントスは顔や手、服のあちこちに絵の具をつけたまま、マリアの方へ駆け寄った。何事かと思ったが、どうやら絵が完成したらしい。


 カントスは顔や手を入念に洗い、服を着替えてから、マリアを部屋に呼んだ。まだ絵の具が乾いていない部分もあるため、うかつに触らないようマリアも注意する。

「わぁっ……」

 マリアは思わず声を上げた。


 部屋の四分の一ほどを埋め尽くすサイズの板に描かれた絵。絵の具は、板の素地が見えなくなるまで丁寧に、隅の方まできれいに塗りつぶされている。屋上に放置され、雨にさらされていた、あの板と同じだとは思えない。美しい緑が何層にも重ねられ、その上に描かれた赤やオレンジ、白等……様々な花がよく映えている。木漏れ日や温かな空気感までもが再現されているようで、マリアの良く知る森が切り取られているようだった。


「すごく……素敵です……」

 マリアは何とか思いを口にして、その絵を見つめる。木の板に咲き誇る美しい花々。描かれている草も風が吹けば揺れ動きそうだ。どこか優しい木の香りも相まって、森の中にいるような気分になる。王国で名の知れた芸術家。それは(まぎ)れもない真実だった。


「気に入っただろう?」

 マリアがうなずくことを分かっているその問いは、カントスらしい。自信満々にそう言って、カントスはマリアに笑みを投げかける。

「はい。とっても。こんな素敵な絵を見ることが出来て、本当に良かったです」

「これからずっと、見続けてもらってかまわないが」

 カントスの言葉に、マリアは首をかしげる。


「この絵は、私からのプレゼントだよ。ミス・マリア。ささやかだがね。色々と世話になったお礼だと思って、受け取ってくれたまえ」

「え?」

 マリアは信じられない、という風にカントスを見つめた。しかし、カントスは本気だった。大真面目な顔をして、マリアを見つめる。

「これくらいじゃ足りないかい?」

「い、いえ! むしろ、十分すぎるくらいで……こんな素敵な絵をいただいていいのか」

 マリアがブンブンと首を横に振ると、カントスはほっとしたように笑った。


「では、もらいすぎだ、と言うのであればこうしよう。私は、マリアさんの作る『夜の香り』を一つ頂戴したい」

「そんな……。それでは、つり合いません」

「そんなことはないさ。マリアさんの香りの価値は、私にとってはこの絵以上の価値がある」

 カントスは小さく首を横に振って、それ以上は話を取り合わない、とでも言うかのように身を翻して部屋を出る。

「さぁ、ランチにしよう!」


 今回も、カントスのペースに良いように振り回されたマリアは、結局、『夜の香り』と交換に絵をもらうことになった。もともと押しの強いカントスに、押しに弱いマリアが勝てるはずもないのだが。さすがにこれでは釣り合わないから、とマリアも出来る限りご飯を豪華なものにしよう、と腕によりをかけるのであった。


「後は香りを作り終われば、マリアさんとの共同生活も終わりというわけだね」

 しみじみとカントスはそう言って、名残惜しそうにパンをかじる。

「寂しい、という感情など、とうに忘れたと思っていたが……実に興味深い! 私にも、まだそういう気持ちはあったようだ」

 カントスはパンを口に放り込みながら、器用にしゃべっている。


 マリアとしても、寂しい気持ちは同じだった。はじめこそ、少し苦手だと思っていた相手だが、今では尊敬する調香師の一人。友人のような、仲間のような。そういう存在になっていた。名残惜しいが、いつまでもこうしているわけにもいかないのが現実だ。カントスにはカントスの生活があり、マリアにもマリアの生活がある。

「しかし、別れがあるからこその出会いもある」

 カントスも何か思うところがあるのか、どこか遠くを見つめて呟く。


「もしも、興味があれば……そうだな、私に学生時代、調香や染料なんかのことを教えてくれた教授に会ってみると良い。そうだ! そうしよう! 私がここを()つときにでも、彼女に会えるよう手紙でも書いてみよう」

 カントスはひらめいた、と言わんばかりに手を打って、残りのパンを口に放り込んだ。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/07/25 ジャンル別月間ランキング 81位をいただきました。

いつもたくさんの方の応援、本当にありがとうございます!


カントスとのお別れも少しずつ近づいてきました。

皆さまにも、カントスとのお別れを寂しく思ってくださっていると嬉しいなぁ、と思います。


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