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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い カントス編

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ティエンダ商店

 町が目覚める頃。路面電車は北の町の入り口に滑り込んだ。通勤の人や、旅人、北の国へ帰るであろう人々が駅を行きかう。大きな時計塔が見え、マリアとミュシャは思わず立ち止まる。ゴーン、と重厚な鐘の音が響き、朝の九時を知らせた。


 先ほどまで眠たい目をこすっていたミュシャは、目を輝かせていた。昨晩は、違うベッドとはいえ、マリアと同じ部屋で夜を過ごしたのだ。ドキドキして眠れないのは当たり前。路面電車の中でウトウトとうたた寝をしていたのもすっかり忘れて、ミュシャは目の前を行きかう人々の服装をじっと見つめる。色とりどりの生地を()い合わせたスカートや、花柄の刺繍(ししゅう)がふんだんに(ほどこ)されたワンピース。鮮やかな色彩も夏らしい。


 マリアも、そんなミュシャの隣で、町中に飾られた花々に目を輝かせていた。街灯にはリースが飾られ、店の軒先には観葉植物が置かれていたり、天井から植木鉢がつるされていたりとそこかしこに植物があふれている。通路の端の花壇も手入れが行き届いていた。中には、北の国から持ち込まれるのであろう珍しい花も植えられており、町全体がどこか爽やかな香りに包まれている。針葉樹林が多く目立つのも、特徴的だ。


 二人はほとんど同時に、その町の景色に、ほぉっとため息をついた。

「素敵なところね」

「うん。こんなにも違うなんて思わなかったよ」

 マリアの言葉に、ミュシャもうなずく。

「でも、まずは朝ごはんだね。さすがに僕もおなかがすいたな」

 ミュシャがそう言うと、今度はマリアがうなずいた。


 二人は通りにあったパン屋に入る。珍しい形のパンや、タルト、ワッフルが並んでおり、おいしそう、と二人は声をそろえた。

「ストレートティーと……この、ホイップクリームを挟んでいるものにしようかしら」

「僕は、グレープフルーツジュース。それに、ラズベリータルトと、ストロベリーワッフルを一つずつにするよ」

 注文をして、二人は空いていた席に座る。北の国の伝統的なパンが並んでいるだけあって、店の中も北の国の人が多いように見える。言語は同じだが、ところどころイントネーションの違う言葉が聞こえて、少し面白い。


 二人は運ばれてきたパンをさっそく口に入れると、目を細めた。

「おいしい! アーモンドペーストが入ってるのね。それにこのパン……カルダモンかしら。スパイシーな香りがほんのりしてすごく爽やか」

「こっちもすごく美味しいよ。食感がほろほろで……ラズベリーの酸味が最高……」

 二人は一口ずつ交換しあって、再び目を細める。口いっぱいに幸福感が広がった。


「最後に、もう一度寄って帰らない?」

「そうだね。マリアのお父さんたちに買って帰って、お土産にするよ」

 マリアの提案にミュシャがうなずくと、マリアは嬉しそうに微笑んだ。よっぽどこのパン屋が気に入ったらしい。


 朝食を食べ終わった頃、開店準備を終えた店や、露店で町は活気にあふれていた。通りに面した店からは客を呼ぶ声が聞こえる。細い路地にも多くの露店が立ち並び、買い物をする客とのやり取りが聞こえる。マリアの向かうティエンダ商店は、三つ目の角を左に曲がって、少し行ったところにあるようだ。


「本当に、ついていかなくていいんだね?」

 ミュシャは、三つ目の曲がり角で立ち止まったマリアを見つめた。

「大丈夫よ。そんなに長居するつもりもないし……ミュシャもせっかく来たんだから、お洋服屋さんを見に行って来て」

「……わかった。それじゃぁ、お昼前には路面電車の駅でね」

「うん。ミュシャも気を付けて」

 マリアについていく、といったミュシャの言葉をマリアがやんわりと断ったのが気に入らなかったらしい。ミュシャは少しだけ不服そうな表情をしてから、渋々、といった様子で中央の通り沿いを歩いて行った。


 マリアはそんなミュシャの背中を見送って、自らも足を進める。青い看板が目印だ、と手紙には書かれていた。マリアはそれを探しながら、路地を歩く。駅から国境の門まで続いているという、中央のまっすぐな一本道を基準に、格子状(こうしじょう)の道が走っている。景色が変わらないせいか、慣れないうちは迷ってしまいそうだ。マリアはそんなことを考えながら、町並みを楽しんだ。


 予想に反して、ティエンダ商店はすぐに見つかった。大きな青色の看板に、普通の家が数軒は入ろうかという大きな敷地。商店、というよりもマーケットに近い。マリアはその建物に思わず目を見張った。王女様の婚約者候補に選ばれるくらいなのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、商店、と言われて思い浮かべる規模ではない。

(本当にこんなところに、入っていいのかしら……)

 マリアはそんなことを考えながら、ゆっくりとその門をくぐった。


「いらっしゃい!」

 快活な声に迎えられ、マリアは小さく会釈した。見覚えのある顔が、マリアの姿にほころぶ。

(以前お会いした時は、もっとおとなしそうな雰囲気だったけれど……)

 まるで別人のようだ。メックは明るい笑みを浮かべて、マリアに手を振った。


「お久しぶりです、メックさん」

 マリアがそう言ってペコリと頭を下げると、メックも頭を下げる。

「わざわざこんなところまでお越しいただいて、ありがとうございます! 以前のお礼も満足にできていないのに……」

 メックはそう言って、申し訳なさそうに眉を下げる。マリアは首を横に振って、

「こちらこそ、急に押しかけてしまって。お父様の具合はいかがですか?」

「もう親父も年なもんで……腰をやったらしくて。でも、もう二、三週間もすれば良くなると医者からは言われていますから」

 メックの言葉にマリアはほっと胸をなでおろした。


「郵便を頼んでも良かったんですが、花の扱いが難しくて……。うちは、何でも屋みたいなもんで、いろんな商品を扱っていますが、俺は花に詳しくなくて」

 メックはそう言って恥ずかしそうに頭をかき、マリアに()びる。

「いえ、私が郵便屋さんを待っていられなくて」

 マリアがそう言うと、メックは安心したように微笑んで、そう言ってもらえると助かります、と頭を下げた。


「それじゃぁ、花をとってくるんで少し待っててください。店は自由に見ててもらっていいんで」

 メックはそう言うと、店の奥の方へと消えていった。その間、マリアは言われた通り店内を見回す。見たことのない北の国の品々がそろっていて面白い。木でできた小さな動物の置物や、カラフルな糸で編まれたブレスレットなど、かわいらしい物も多い。


「これは、精油かしら……?」

 マリアは、ふと目についた美しい瓶を持ちあげた。瓶には美しい青や金の細工が施されており、とても豪華な造りになっている。中に入っている液体にはわずかながらグリーンの着色がされているようだ。さらには、乾燥した花が入っているのか、液体を揺らすと、まるでスノードームのように花びらが舞う。


「綺麗……」

「そうでしょう!」

 いつの間に立っていたのだろう。マリアの隣には背の高い、スラリとした男性が立っており、マリアの反応に嬉しそうな顔をした。驚いたマリアが思わず声を上げるのもお構いなしに、長身の男は胸に手を当てて、この精油がいかに素晴らしいものかを解説し始める。


「マリアさん、お待たせ……って……」

 ようやく戻ってきたメックは、長身の男につかまっているマリアを見つけ、口をつぐんだ。それから、

(厄介な人につかまったな)

 と頭をかいた。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。

20/7/15 ジャンル別週間ランキング 82位、月間ランキング 68位をいただきました!

本当にいつもありがとうございます。


北の町の雰囲気を楽しんでただけましたでしょうか?

作中に登場したパンについては、活動報告に小話を記載しておりますので、ご興味ある方はぜひそちらもよろしくお願いします。

最後に少しだけ登場しましたが、次回は新キャラ登場です。お楽しみに!


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