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調香師は時を売る  作者: 安井優
調香師との出会い パーキン編

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アイラの告白

 いつもは(おごそ)かな王立図書館も、さすがに今日ばかりはどこか落ち着かない雰囲気に包まれていた。しかし、いつもなら人であふれかえっている図書館に利用者はおらず、職員と招待された一部の人間だけが、図書館に集まっていた。


 今日は、王立図書館が唯一休館になる日、建立記念日だ。記念式典が開かれ、図書館に勤める職員と関係者だけが立ち入りを許されている。式典、と言っても派手なものではない。教会の聖職者による儀式的な祈祷(きとう)があり、図書館長が図書館の役割とこれからについて語り、教育や文化に携わる大臣から文化的発展を願うありがたいお言葉を(たまわ)る。ただ、それだけだ。


 それでも、どことなく落ち着かないのは、先ほどから小さな声ではあるが、会話の盛り上がる司書の女性陣のせいだろう。アイラを含め、その多くのまなざしが、聖職者の隣に美しく立っている騎士団長ことシャルルに向いていた。毎年、必ずこの日は、聖職者の護衛のために騎士団長自らが図書館へ訪れるのだ。


 聖職者と楽し気に話しているシャルルを、周囲の女性同様、アイラもうっとりとした瞳で見つめていた。

(一体どんなお話をされているのかしら……)

 アイラがほぉっとその姿を眺めていると、不意にシャルルが視線を投げかけた。アイラの心臓がうるさく跳ねる。


 数秒。たった、数秒のことだ。シャルルはアイラの方を見て、パチンとウィンクをして見せた後、口元に人差し指を当てて、静かに、と制したのだ。それはほんの一瞬で、パチパチとアイラが瞬きをしたころには、シャルルの視線は再び聖職者に向いていた。

(ゆ、夢……?)

 アイラは今起こったことを確認するように、自らの頬を強く引っ張る。痛い。夢じゃない。アイラは全身が燃えるように熱くなるのを感じて、慌ててお手洗いへと駆け込むのだった。


 洗面所の鏡で自らの顔を見る。今日は美しい黒髪をハーフアップにし、上品なブルーの髪留めを付けた。化粧もばっちり。いつも通りの司書の制服も、しわ一つないようシャツには丁寧にアイロンをかけた。勇気を振り絞って第一ボタンもはずしてはみたものの、

(はしたないと思われないかしら……)

 とアイラは眉を下げた。


 マリアから届いた香水をポケットから取り出して、アイラはおずおずとフタを開けた。

「良い香り……」

 思わず言葉が漏れるほどの、素晴らしい香りだ。香水など女性らしいものは苦手だったが、それは良くない考えだった、とアイラは自らを恥じた。


 おずおずとその香りを首筋と手首に軽く塗り広げる。爽やかで軽やかな甘い香りに包まれ、アイラはまるで自分がどこかのお姫様にでもなったかのような気分だった。

(香りって……すごいのね……)

 アイラは改めて、マリアの腕に感心する。これは何が何でも、きちんと思いを伝えなくては。アイラは覚悟を決めて、お手洗いを後にした。


 慌ててエントランスへと戻ろうとしていたからだろうか。アイラは角で、ドン、と誰かにぶつかりよろめいた。

「キャッ」

 反射的に目をつぶった瞬間、アイラの腰に温かな体温を感じる。


「ごめんね。大丈夫だったかい?」

 アイラがそっと目を開けると、優しく微笑むシャルルの顔が目の前にある。アイラはあまりの出来事に口をパクパクとさせたが、言葉は一つも出てこない。

「ケガはないようだね」

 シャルルはそう言って微笑むと、アイラから手を離した。


 離れた体温が名残惜しい。アイラがそんなことを思っていると、

「そろそろ式典が始まるみたいだ。行こう」

 そう言ってシャルルがくるりとマントを翻した。アイラがしばらくその後ろ姿を見つめていると、シャルルは不思議そうに振り返る。

「やっぱりどこかケガをしたのかな」

「い、いえ!」

 ようやく現実に戻ってきたアイラは慌ててシャルルの後を追った。


 式典が終わるのは、午後を過ぎたころだ。普段は飲食禁止である図書館も、この日だけは解禁され、みんなでバイキング形式の立食パーティーを楽しむ。それが終われば式典も閉会となる。女性に大人気のシャルルが一人になった隙を見て、アイラもそそくさとシャルルに近づいた。


「おや、先ほどの」

 アイラに気づいたシャルルが、話していた別の女性に断りを入れ、アイラの方へ向き直る。

「先ほどは、申し訳ありませんでした。それに助けていただいて、ありがとうございます」

 アイラがそう言ってぺこりと頭を下げると、シャルルはこちらこそ、と微笑んだ。


「君は……アイラさんと言うのか。素敵な名前だね」

「あ、ありがとうございます!」

 シャルルは、アイラの胸元につけられていたバッジを見て、ふむ、とうなずく。まさか自分の名前を呼んでもらえるとは思わず、アイラは天にも昇るような気持だった。


 しかし、これで終わってはいけない。アイラは覚悟を決めて、シャルルを見つめる。

「あの、もしよろしければ、少しだけお時間をいただけませんか」

 シャルルはアイラの言葉に何かを察したのか、

「もちろん。あっちへ行こうか」

 そう言って、軽やかにシャルルはパーティー会場を後にした。


 アイラはバクバクと音を立てる心臓を静めるため、何度も深呼吸を繰り返した。息を吸うたび、先ほどつけた香りがふわりと漂って、アイラの心を落ち着けた。華やかな女性らしい香りに、ほんのりとスパイシーな香りが混ざっている気がする。しかし、主張が激しくないのは、マリアの腕前ということだろうか。


「アイラさんは、香水が好きなんだね」

「え?」

 突然シャルルからそう問われて、アイラは目をパチパチさせた。

「いや、さっき会った時も、今も、なんだか良い香りがするな、と思ってさ」

 シャルルのこういうところがずるい。アイラはそう思う。

「実は、香水をつけるのは初めてで……。今日は、お守りみたいなもので」

 アイラがそう答えると、

「なるほど。初めてにしては、素敵な香りを選んだね。僕もこの香りは好きだな」

 シャルルは柔らかな笑みを浮かべてそう言った。マリア様様だ。


「あの、それで……」

「あぁ、ごめん。アイラさんのお話を伺おう」

「あの……」

(ちゃんと伝えるのよ、アイラ……)


 アイラはドキドキと高鳴る鼓動を必死に抑えようと、一つ深呼吸する。シャルルはその間も、嫌な顔一つせず、柔らかなまなざしでアイラを見つめていた。アイラはゆっくりと顔を上げ、シャルルを見つめる。

「私……」

 恥ずかしさのあまり、顔に熱が集まっていくのが分かる。けれど、一度こぼれた思いは止まらない。


「シャルルさんのことが、好きです」

 二人を包む数秒の沈黙。それは、アイラにとって人生で一番長い時間のように感じられた。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

20/7/10 ジャンル別日間ランキング 36位、週間ランキング 68位、月間ランキング 66位をいただきました!

応援、本当にありがとうございます!


ついに、アイラさんの告白を描くことが出来ました。

この瞬間の、胸が張り裂けそうなくらいのドキドキ感を皆様に少しでも感じていただけましたら幸いです。


少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと大変励みにます。

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