マリアとディアーナ
ディアーナの瞳は一瞬輝いたが、すぐにそれをごまかすように咳払いを一つした。マリアが再び頭を下げると、ディアーナもスカートを持ち上げて、美しくお辞儀する。
「ディアーナ。こちら、今日からディアーナの専属の調香師となるマリアだ」
「そして、こちらがディアーナ。私たちの娘よ」
王様がマリアを、王妃様がディアーナを紹介したところで、二人は再び目を合わせた。すでにお会いしたことがあります、とは口が裂けても言えず、マリアはぎこちなく微笑む。ディアーナも少し気まずそうに目をそらした。
王妃様と王様は、娘であるディアーナに対しても決して甘いわけではないらしい。ディアーナにはしっかり勉強に励むように、と何度も念押しした。そしてマリアにも、甘やかさないように、と言った。マリアも王様と王妃様、二人からそう言われては従うしかない。ディアーナの表情をちらりと窺うと、想像していたよりもずいぶんと好奇心に満ちた瞳でマリアを見つめていた。
(これなら、問題なさそうだけど……)
マリアはディアーナの姿に、ほっと安心するのであった。
王妃様から、どういった教育をしてほしいか、という要望を聞き、マリアが解放されたのは謁見の間に入ってから三十分が過ぎたころだった。緊張のせいか、実際の時間よりもずいぶんと長く感じる。マリアは謁見の間を後にして小さく息を吐いた。
しかし、これで終わったわけではない。マリアは、ディアーナとそのお付きの人に連れられ、ディアーナの部屋へと案内された。
「下がっていいわよ」
ディアーナの言葉に、付き人が部屋から出ていく。広い部屋に二人きり。思わぬ展開に、マリアの表情は再び緊張でこわばったのだった。
ディアーナは机に置かれたポットから紅茶を二人分注いで、マリアの方へ向き直る。
「そんなに緊張しなくてもいいわ。座ってちょうだい」
マリアは、言われるがまま席へ着いた。ディアーナもマリアの前に腰かけ、ティーカップを手に取った。
「あなたも飲んでちょうだい。私、堅苦しいのは苦手なの」
先ほどの王様と同じことを言ったディアーナは、ティーカップにふぅふぅ、と息を吹きかけている。熱いのが苦手なのだろう。ディアーナのかわいらしい仕草にマリアは思わず目を細めた。ディアーナはそんなマリアには気づかず、紅茶を冷まし続けている。マリアもディアーナの言葉に甘えることにした。
「おいしい……!」
小声のつもりだったが、二人きりの部屋。マリアの声はディアーナに聞こえていたようで
「でしょう? ミルクを入れてもおいしいのよ!」
ディアーナはそう言って目を輝かせた。ミルクの入った小さな容器をマリアに差し出してから、ハッと我に返って
「い、いれたければ好きなだけ使いなさい」
とディアーナは視線をそむける。いくら大人っぽく振舞おうと、結局のところまだ子供なのだろう。ディアーナのちぐはぐな態度でさえ、マリアにはどこか魅力的に映る。
ディアーナにすすめられた通りミルクを入れる。マリアのティーカップにはゆっくりと白い波紋が広がり、そしてミルクは煙のように渦巻いて溶ける。マリアがそっとそのカップに口をつけるのを、ディアーナがじっと見つめていた。
「ディアーナ王女のおっしゃる通りですね。これもすごく美味しいです。茶葉の香りとミルクの優しい甘さが絶妙で……」
マリアが目を丸くすると、ディアーナはふふん、と勝ち誇った顔をした。
「茶葉だけじゃなくて、少しキャラメルかバニラのようなものもブレンドされているんでしょうか。どこかスモーキーな甘い香りが……」
マリアはいつもの独り言をつぶやいて、口元を抑えた。王女の前でペラペラと話すのは、あまり喜ばれることではないだろう。
しかし、ディアーナはキラキラと目を輝かせて、身を乗り出した。
「あなた! このブレンドが何かわかるの?!」
マリアが驚いた顔をすると、ディアーナは、こほん、と一つ咳払いをして再び椅子に腰かける。
「取り乱してしまいましたわ。今のことはお忘れになって」
そんな無茶な、と思うが、王女様にそう言われてはマリアもうなずくしかない。
「……それで? あなたはこのブレンドが何なのかもわかるのかしら」
改めてディアーナにそう尋ねられ、マリアはティーカップを置く。
「香りからして、アールグレイにキャラメルが混ぜられているのでしょうか。香ばしい甘さがするので。私が感じ取れるのはそれくらいですが……」
マリアがそう言うと、今度はディアーナが目を丸くする番だった。
ディアーナのために作られたというこの紅茶は、昔、ディアーナが風邪を引いた際に母親である王妃様が作ってくれたものらしい。それ以来この味を気に入って、ずっとメイドに作ってもらっているのだそうだ。確かに、疲れた時や体調のすぐれない時には、このコクのある甘さが体を優しく癒してくれそうだ。冬の寒い時期なんかにももってこいだろう。マリアはディアーナの話を聞きながら、そんなことを考える。
「マリアは、甘いものは好きなの?」
「そうですね。ディアーナ王女もよく召し上がられるんですか?」
「えぇ、そうね。マリアがどうしてもって言うなら、来週からお茶菓子を用意させておいても良くってよ」
本当はディアーナが食べたいと思っているのがバレバレなのだが、マリアは
「それでは、ぜひお言葉に甘えさせていただきます」
そう言ってうなずいた。
ディアーナは存外、人好きする性格のようだ。あの王様と王妃様の娘なので、当然といえば当然だが。時折つっけんどんな態度を見せるが、それは本人が大人の振舞いをしようと何とか試行錯誤した結果なのだろう。小さいころからいろんなことを言われてきたに違いない。彼女はそのプライドと優しさで、両親に迷惑をかけまいと、何とか自らを律しているようだ。まだまだ子供っぽさを隠しきれていないのだが、それは年の近いマリアに対して、どこか親しみのような感情を持っているからかもしれない。学校には通っていないと聞いていたし、同年代の友達もあまりいないのでは、寂しいだろうな、とマリアはディアーナを見つめた。
「来週から、どんなことをするの?」
ディアーナはお茶菓子をパクリと飲み込んで、そう尋ねた。マリアはしばらく考える。王妃様から説明を受けたとはいえ、調香師の勉強をさせるわけではない。いずれ、王妃様になるにふさわしい、そういう女性になるために必要な香りの知識をつけてもらうだけだ。マリアは、まずは、と口を開く。
「基本的な香りについてのお勉強ですかね……。とはいっても、ディアーナ王女は調香師になるわけではありませんから、どういった香りの種類があって、それぞれがどういった特徴を持つか、ということをお教えしようかと」
「それから?」
「それから? えぇっと……そうですね、いくつか香りを作ってきますから、ディアーナ王女に似合いそうな香りを試してみましょう」
マリアが苦し紛れにそう提案すると、ディアーナの瞳がパッと輝く。
「本当?!」
「えぇ。ディアーナ王女がよろしければ、ですけど」
「もちろんよ!」
ディアーナが嬉しそうにうなずくので、マリアも微笑んだ。どうやら、気に入ってもらえたらしい。
「婚礼準備なんてしたくないと思っていたけど、案外良いものかもしれないわね」
ディアーナが小さくつぶやいた声は、教材を考えるマリアには届かなかった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。
なんと!「調香師は時を売る」が、昨日の
日間ランキング ヒューマンドラマ部門にて76位をいただきました!
連載を始めた頃には考えもしておりませんでしたが、これもひとえに、皆様のおかげです。
本当にありがとうございます。
これからもぜひ、マリア達と一緒に、香りを楽しんでいただければ幸いです。
そして、くどいようですが……
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20/6/21 段落を修正しました。




