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調香師は時を売る  作者: 安井優
はじまり編

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再会

「それじゃあ、気を付けて帰るのよ」

 結局、マリアが店を出たのは日の傾いた夕刻であった。


 街にはまだまだ活気があるが、道路わきの街灯に火をくべる人の姿が見える。マリアが家に着くころにはもう真っ暗になっているだろう。途中の集落までは馬車があるが、そこから先は特に街灯もなく、手に持つランタンの明かりだけが頼りだ。


 マリアは日が暮れる前に家へ帰らなければ、と急ぎ足で街を抜けていく。本来であれば、街で買い物をして帰りたかったのだが、久しぶりの帰省にずいぶんと長居してしまった。ミュシャの近況や、街の状況、マリアの店でのことなど、話題は尽きることがない。


 お土産に持って帰ったジンジャーカモミールティーも好評だった。茶葉を詰めた小瓶であれば店においてもいい、と両親からの承諾も得ることができ、マリアにとってはそれだけで十分収穫のある帰省であった。


 いくら王妃様のお墨付きとはいえ、あんな辺鄙(へんぴ)な場所だけで営業を続けることは難しい。国の中心部にある街の洋裁店で扱ってもらえれば、少しずつではあるがマリアの店も認知され、客足が増えてくれるであろう。


 決して商売のために帰省したわけではない。手土産を渡した結果として、商売につながったのだ。マリアは

(本当に、パパとママには頭が上がらないや)

 と心の中で両親に感謝を述べつつ、煌々(こうこう)と輝く街を背にするのだった。


 ケイは街のはずれで起きた小さな厄介事を片付けて、家路についていた。

 国の騎士団とはいうものの、その仕事のほとんどが住民同士のいざこざの仲介役だ。いわば自警団とでも言うべきか。国に仕えて、国民の平和を守る、と言えば聞こえは良いが、普段から早々大きな命が出るわけではない。実際のところ、泥棒が出たら逮捕するくらいが関の山だ。


 かくいうケイも、今日は街のはずれを巡回する担当になっており、隣の住民の木がこちら側の庭にまで伸びてきて邪魔だの、馬車を貸したら馬が持ち主よりも貸した者になついてしまったために困っているだのといったことを解決するのに奔走(ほんそう)していた。


 夢にまで見ていた騎士団だったが、そういった仕事をこなせばこなすほど、自らの憧れとのギャップについため息が出てしまう。もちろん、小さな仕事の積み重ねで国の安全が保たれているのだから大切な仕事に変わりはない。それこそ、国の命であろうとも、無実の罪人を裁くことのほうが、ケイにとってはつらい仕事に他ならなかった。


 しかし、連日連夜、こうして他人の他愛もないことに振り回され、帰宅が遅くなっては、疲れも出るに決まっている。ケイは歩みを止めて、高台から遠目に光る街の輝きを眺めた。そして、大きく息を吸い込む。


 ケイは、不意に先日訪れた店での出来事を思い出した。

「……カモミールか」

 足元に咲いていた白い花の名を、マリアはそう呼んだ。


 どうやら、カモミールの香りを吸い込んだために、先日のことを思い出したらしい。

「あのお茶はうまかったな」

 ケイはその味を思い出して、独り言ちた。


 店の香りも、心が自然と安らぐような良い香りだった。店までは遠いものの、足を運ぶ価値はある、とケイは思う。どうせ休みの日には鍛錬をするだけだ。であれば、トレーニングを兼ねてあの場所まで移動したって変わらない。この間のお礼に、何か持っていくべきだろうか。マリアは何が好きだろうか。


 気づけばケイは、マリアとその店のことばかり考えていた。

(そろそろ行かないと、日が暮れるな)

 ケイは夕日に染まる街を見て、ゆっくりと立ち上がった。そして、

(おや)

 眼下に馬車が止まっていることに気づく。馬車から降りた人はどこか身に覚えのある背丈で、ケイは目を見張った。


 これは何の偶然だろうか。

「マリア!」

 気づけばケイはその名を呼んでいた。


 驚いたのはマリアだ。もう日が暮れるというのに、こんなところで自らの名前を呼ぶ人がいる。この先には小さな村が一つと、マリアの住む森しかなく、滅多に人とすれ違うことはない。日が暮れ始めているのではなおさらだ。


 マリアはその声のする方に顔をあげた。薄暮(はくぼ)にかすんで、顔こそよく見えないが、騎士団の服を着ていることは遠目にも分かった。

(もしかして)

 マリアは駆け足で高台の道を登る。


「やっぱり!」

 どちらの声が早かったかわからない。けれど二人は互いにそう声を上げていた。

「先日はありがとうございました」

 マリアは男に声をかける。

「今日はどうしてこちらに?」

「巡回でこの先にある村に行っていた。君は、今から帰るのか?」

「はい」

 店に着くころには日も落ちてしまっているだろう、とケイは考える。いくらよく知った場所とはいえ、一人で森の中を歩くのは少々危険すぎるのではないだろうか。


「その、大丈夫なのか。一人で」

「慣れてますから」

 マリアの返答に、ケイは店まで送っていく、と素直に言えばよかった、と後悔した。しかし、いくら国の騎士団とはいえ、よく知らない相手と森に二人きり、というのも良い選択ではないだろう。


 ケイは何と声をかけるべきか迷いながらも、

「それじゃぁ、気を付けて」

 という、なんとも安直な返事をするしかなかった。ここで気の利いたセリフの一つや二つでも言えようものなら、ケイの人生ももう少し華やかであっただろうが、本人にその気がないのだから仕方がない。

「ありがとうございます」

 マリアはニコリと微笑んで、それから、そちらも気を付けて、といった。


 あまり引き留めては余計に帰りが遅くなってしまう、とケイもマリアを見送った。互いにしばらく歩いて、それから何かに後ろ髪をひかれたようにゆっくりと振り返る。

 二人の視線は、驚くほど自然に絡まった。


「「あの!」」

 声が重なり、夕日に赤く染まっていく互いの顔を見つめる。マリアもケイも、パっと視線を外した。


「あ! すみません、そちらから、どうぞ」

「いや、君から話してくれ」

 再び声が重なれば、二人は自然と笑ってしまう。

「それじゃぁ、あの……お客様のお名前をお伺いしても」

 マリアがそう切り出すと、ケイは柔らかな笑みをたたえる。

「ケイだ」

 マリアは、小さくその名を何度か反芻して

「ケイさん、疲れた時はぜひまたお店にいらしてくださいね」

 と微笑んだ。ケイは大きくうなずいて

「あぁ。今度は手土産を持っていくよ」

 そう答えた。


 そして互いに、今度は振り返ることなく反対方向の道を歩いて行った。


 帰り道、ケイは、マリアの好きなものを聞き忘れたことに気が付いた。しかし、そんなことは大したことではないように思える。次に会う約束を取り付けることが出来たことになぜか満足していた。マリアの微笑みを思い出して、思わず頬が緩む。


 ケイが自らの頬が緩んでいることに気づいたのは、街に戻って、団長に指摘されてからだったという。

20/6/6 改行、段落を修正しました。ルビを追加しました。

20/6/21 段落を修正しました。

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