決断
マリアが街に戻ったのは、午後の三時を過ぎたころだった。鉄道の中で軽食をとったが、ケーキの一つくらい食べても良いだろう。マリアは、鉄道の駅に漂う甘い香りに、そんなことを思う。確か、この辺りにカフェがあったはずだ。マリアはキョロキョロと周囲を見回して、カフェの文字が書かれた看板を見つけた。
カフェの入り口には新作メニューのイラストが描かれたボードが立てられており、マリアは、どれにしようか、とそれを眺める。食用の花——エディブルフラワーがクリームの上にあしらわれたケーキもおいしそうだが、紅茶のシフォンケーキも捨てがたい。イチゴのタルトもおいしそうだ。マリアがしばらくそこで悩んでいると、後ろから声をかけられた。
「マリア?」
名前を呼ばれ、マリアが振り返ると、そこにはワイシャツにジーンズというなんともラフな格好のアイラが立っていた。黒髪を頭の後ろで一つにまとめており、化粧っけがないのはいつも通りだ。
「アイラさん!」
今日は本当に珍しい日だ。立て続けに知り合いに出会うとは。マリアは素直に驚いて、アイラにペコリとおじぎをする。
「こんなところで会うなんて珍しいわね」
「今日は祖母の墓参りに」
マリアがそう言うと、アイラはなるほど、とうなずいた。
「せっかくだから、お茶しない? 私も今日はお休みなのよ」
アイラはにこりと微笑んで、マリアの返事も聞かずにカフェの扉を開ける。マリアも、先日のお礼を言いそびれていたため、ちょうど良かった、とアイラの後ろをついていった。
「先日はありがとうございました。ずっとお礼に伺えなくって」
「いいのよ。忙しかったんでしょ? それに、うちの店にきて、トンカビーンズを買って行ってくれたって聞いたわ。マリアなら欲しがるだろうと思ってたけど、結構高かったんじゃない?」
「ええ、少し。でも、おかげですごく良い香りが作れましたから」
「そう。それなら良かった」
アイラとそんな会話をしていると、互いに頼んだ紅茶とコーヒーがテーブルまで運ばれてくる。マリアが紅茶で、アイラはコーヒーだ。
「ガーデン・パレスにいたって聞いたけど、どうしてまたあそこに?」
アイラは両親から話を聞いた。ガーデン・パレスは王立図書館の隣だし、挨拶くらい行こうか、とも思ったのがアイラも暇ではない。マリアも忙しいだろうと思って、アイラは結局、挨拶には行かなかった。
「調香の依頼を受けたんです。普段ならお店でやるんですけど、別の香りを作ってる最中だったので。その話をシャルルさんにしたら、ガーデン・パレスの宿舎を用意してくださって」
マリアがそう答えると、アイラは目を輝かせた。
「シャルルさん……。いいわよねぇ」
アイラはコーヒーを一口飲むと、そう言って、ほぅっとため息をついた。アイラには珍しく、完全に乙女の顔である。マリアは紅茶に口をつけて、そんなアイラを見つめた。
「あの若さで騎士団長。それなのに、全然偉そうじゃないし、誰にでも優しいし、笑顔が素敵で……。武術の才だけじゃなくて、学もあって……」
アイラはうっとりとした。シャルルを思い浮かべているのだろう。
しばらくマリアは、アイラのそんなシャルルへの思いを聞いていた。その話が終わるころには注文したケーキが二つテーブルには並べられていた。結局、アイラがイチゴのタルトを頼む、というので、マリアは迷ったあげく、エディブルフラワーのケーキを選んだ。クリームの上に散りばめられた花が美しい。マリアはそれをひとかけ口へ運ぶと、
「ん~~~」
と頬を緩めた。アイラも同じように、ケーキをおいしそうに食べている。二人は一口ずつケーキを交換し、しばらくの間、黙々とフォークを口へ運んだ。
「そういえば、どうして今の時期におばあさまのお墓参りに? 確か、亡くなられたのは秋ごろだったわよね」
アイラはケーキを食べ終わって、思い出したようにそう言った。アイラとは、祖母の代から家族ぐるみの付き合いだ。アイラも当然マリアの祖母は知っているし、葬式にも参列した。アイラは親しい付き合いではなかったので墓参りには行っていないが、毎年マリアの家族が秋になると墓参りに行っていることは知っている。
マリアは、最後の一口をゆっくりと堪能した後、アイラの質問に答えた。
「実は、祖母に相談したいことがあって」
「仕事の悩み?」
マリアがうなずくと、アイラは珍しそうにマリアを見つめた。
「私で良ければ聞くわよ」
時折、マリアを妹のように思うアイラは、そう言って胸を張った。
マリアとしても、ありがたい申し出だった。引き受けようか、と思っている自分がいる反面、自分にそのような大役が務まるのか、という不安がぬぐい切れずにいたのだ。生半可な気持ちで受けるべき仕事ではないこともよくわかっているつもりだ。マリアは、王女様の専属の調香師にならないか、という王妃様の手紙についてアイラに話した。
アイラは話を聞き終わると、難しい顔をした。
「そうねぇ……。チャンスだと思っているなら、挑戦すべき、かしら」
そう言ってから、でも、とアイラは続ける。
「マリアの気持ちもわかるわ。王女様に専属で何かを教えるってことは、それだけ責任もあるでしょうし。もし、私だったら、怖くて引き受けられないかも」
苦笑を浮かべたアイラはそう言ってコーヒーに口をつける。長い時間話していたせいか、コーヒーも紅茶も、もう冷めきっていた。
結局、答えは出ないまま、アイラとマリアは店を出た。家は反対方向だ。マリアがお礼を言えば、アイラは、何の役にも立てなかったけど、と曖昧に微笑んだ。それじゃあ、とマリアが背を向けようとしたとき、アイラが呼び止めた。
「ねぇ。一つだけ、マリアに伝えておきたいことがあるの」
「なんでしょう」
マリアが振り返ると、アイラは真剣なまなざしでマリアを見つめていた。
「マリア。人生は一度きりしかない。泣いても笑っても、たった一度よ。そして、あなたの人生は、あなただけのもの。他人のためだけじゃなく、時には自分にとって大切なものを選んだって、誰も文句は言わないわ」
夕日を背負って立つアイラは輝いて見えた。マリアは、何かにトン、と背中を押されたような気分になる。マリアが大きくうなずくと、アイラはにこやかに微笑んだ。
(人生はたった一度きり。自分の人生は、自分だけのもの)
マリアは家路につく馬車の中で、アイラに言われたことを反芻していた。
(時には自分にとって、大切なものを選んでもいい……)
マリアは、他人のために尽くし、他人の幸せのために働いているといっても過言ではない。アイラが言ったような考え方を、いつからか忘れていたような気がする。
「自分のために……」
マリアは小さくつぶやいた。
家に帰ったマリアは、はぁ、と大きく息を吐いた。
(今日は、本当に不思議な一日だったわ……)
まるで、何かに導かれていたような、そんな気分だ。返事のない相談をするだけだったはずが、シュトローマーに出会って祖母の過去の話を聞き、アイラに出会って話を聞いてもらった。マリアはあまりの偶然の重なりに驚く。
(こんなことってあるのね……)
改めて一日を振り返り、マリアはもう一度、その事実に驚いた。
調香師としての誇り。チャンスをつかんだ祖母。そして、自分のために生きるということ。
ベッドに横たわり、マリアは天井を見つめながら考える。
(調香師として、私自身として、私はどうすべきなのかしら……)
祖母のような立派な調香師になりたい。そう思ってやってきた。少しは近づけているのだろうか。
(私は、どうしたいのかしら)
マリアは、ゆっくりと目を閉じる。その日、マリアは祖母が生きていた頃の夢を見た。
夢の中で、まだ幼いマリアに祖母は言う。
「マリア。調香師っていうのはね、香りで人を幸せにするものさ。どんなに大変なことでも、諦めないこと。なんてったって私たちは、その人の記憶……時を売っているんだから」
「時を?」
「えぇ。香りは人の記憶と密接につながっている。だから、昔を思い出すお手伝いをしたり、今この瞬間の幸せな時間を作り出したり、未来に向かって背中を押してあげたりすることが出来るんだよ」
祖母は優しく微笑んだ。
マリアは、泣いていた。
翌朝、目が覚めたマリアは、自らの頬に伝う涙を拭って、便せんにペンを走らせた。
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20/6/21 段落を修正しました。




