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調香師は時を売る  作者: 安井優
王城編

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30/232

王妃様からの手紙

 ケイが帰った翌日、マリアの体調はすっかり回復していた。ケイのおかげだろう、とマリアは改めて心の中でケイに礼を言う。

(ケイさんにも、お礼をしなきゃね)

 シャルルにも礼をしたいと考えていたマリアは、一人うなずいた。


 大事を取って今日も店を閉め、良い機会だ、とマリアは二人分のお礼を考えることにした。

 女性であれば、自らの調香の腕も役に立つのだが、男性ではどうだろう。ケイもシャルルもカモミールティーは気に入ってくれているようだし、紅茶や食べ物のほうが良いかもしれない。

(そういえば、二人とも甘いものは好きだったはず……)

 マリアは、それなら街のケーキ屋が良いかもしれない、と思案を巡らせた。


 キッチンに立ったマリアは、リビングに置かれたままのトランクケースを見つける。

「そういえば、あの後すぐに眠ってしまったから……」

 王妃様の謝礼が何なのか、確認していなかったことに気づく。もちろん、普段の買い物も代金をいただいているので、依頼に対しての報酬、という意味ではいつもとかわりない。だが、トランクケースで謝礼を受け取るなど、聞いたことがなかった。

「よっぽど中に何か詰めているのかしら」

 あまり重くはないようだが、念のため、とマリアは慎重にそのトランクケースを開けた。


 中には、報奨金……というべきか、十分すぎるだけの金額と、手のひらサイズの小箱、そして、美しい刺繍のあしらわれたワンピースが一着入っていた。

「こんなに……」

 頂けない、と今更突き返すのも失礼にあたるだろうか。マリアはひとしきり考えて、頂いたものは素直に受け取るのが一番よね、とため息をつく。

(その分、これからもたくさん働いて王妃様にはお返ししなくては)

 それだけがマリアに出来ることである。マリアは報奨金とワンピースをそれぞれの場所にしまいこんで、トランクケースに残った小箱を取り上げた。


「あら?」

 小箱を持ち上げると、その下から封筒が出てきた。シーリングワックスには王家の紋章が入っており、美しいブルーのインクで王妃様の名前が書かれている。

(王妃様直々のお手紙……)

 マリアは、小箱を置いて、封筒に手をのばした。まさか、こんなことがあろうとは。マリアはドキドキと高鳴る胸の鼓動をなんとかしずめて、ゆっくりとその封を開けた。


『パルフ・メリエの調香師、マリアへ』

 美しい文字で書かれた手紙を、マリアはゆっくりと読み上げた。


『先日は、チェリーブロッサムの香りを作り出していただいたこと、感謝します。あの香りは、今度誕生日を迎える娘、ディアーナへのプレゼントにする予定です。もっとも、なぜかあの子はこの香りをすでに知っているようでしたけれど。気に入っているようだったから、嬉しいわ。


 さて、私からもう一つ、あなたにお願いがあります。

 小箱の中に入っている、瓶はもう開けたかしら』


 マリアは王妃様の手紙に書かれた文章をそこまで読み上げ、小箱に目をやった。

「瓶?」

 小箱を開けると、中には良く見知った小瓶が三つほど入っている。精油を入れるための瓶だ。それぞれには名前の書かれたタグがついており、瓶の中で透明な液体が揺れている。

「精油?」

 マリアはゆっくりとそれらの瓶を取り出し、そして目の前に並べた。

「開けても、いいのよね……」

 マリアは一つ瓶のフタを開け、それから鼻を瓶へ近づける。


「……これは」

 チェリーブロッサム。いや、正しくは、それに近いが、ただ無機質に近い香りを調香しただけのものだ。当然、香りとしては悪くはないが、工夫、というべきであろうか、作り手のこだわりのようなものが感じられない。あくまでも作業的に作られたのだろう。


 二つ目、三つ目と同じようにフタを開けたが、どちらにもマリアはピンとこなかった。まったく香りの違うものと、努力はしたものの一歩及ばず、といったものだ。どれも良い香りだ。だが、チェリーブロッサムの香りを再現しようとしているのが分かるだけに、どうにも違和感がある。

「どれも、チェリーブロッサムを作ろうとしたもの……?」

 マリアは瓶のフタを閉め、首をかしげた。一体なぜ、こんなものが。マリアは、手紙を再び取り出す。


『実は、このチェリーブロッサムの香りを依頼したのは、あなたにだけではありません。他にも三名の者に声をかけ、作らせました。』

(……どういうことなの?)


 マリアは改めて瓶につけられたタグを見る。この国に調香師は多くない。最近、破格の値で街に大量の香水を売っていると噂のある者の名前、芸術家肌で気難しいと噂の調香師、そして、古くからこの国で調香をしている女性の名。マリアはどれも聞いたことのある名前に、ますます首をかしげた。


『なぜこんなことをしたのか、とあなたは不思議に思うかもしれませんね。申し訳ありません。実は、試験をしたかったのです。誰が、ディアーナの調香師にふさわしいか……』

 マリアはそこまで読んで、思わず手紙を置いた。


 王妃様の言っていることはわかる。現在、王の継承者はただ一人。一人娘である王女ディアーナの夫となるものだ。ディアーナは数多といる男の中から、国王にふさわしい男を選ぶ必要があり、また、そのような男が現れた時にディアーナを選んでもらう必要があるのだ。

 ——つまり、ディアーナ自身も、様々な勉学に励み、鍛錬し、王国一魅力的な女性でなければならない、というわけである。いくら王が賢帝であろうと、その妃が落ちぶれていては国の繁栄は望めない、ということだろう。


(香りを操ることも、魅力的な女性としての(たしな)み、ということね)

 確かに、香りというのは人の印象を大きく左右する。良い香りをまとう人を嫌う人は少ないだろう。自分の好きな香りの人を好いてしまう、というのも良くあることだし、何より、ある特定の香りは相手に恋愛感情を高めさせ、いわゆる、そういった気分にさせる……というものもあると聞く。ディアーナも、そろそろそういった年齢だということなのだろうか。


『それを見極めるために、私と王は今、国で名のある調香師に依頼をしたのです。そして、この報酬を受け取ったあなた……マリアがふさわしいと、私たちは考えました。

 マリア、あなたさえよければ、ぜひとも引き受けていただきたいのです。』


 マリアは絶句した。

(まさか、こんなことになるなんて……)

 もちろん、マリアにも調香師のプライドというものはある。先ほどの三人の香りに、自らの香りは決して負けてはいない、と。けれど、こんな大役を引き受けても良いものか。


 基本的に、王家の依頼を一庶民が断るなどというのはあり得ない。だが、今回は別だ。下手をすれば、これからの王家、ひいては国家の一存にも大きくかかわるのではないか。

 マリアの手はうっすらと汗でにじんだ。


『返事は急ぎません。

 けれど、これだけは覚えていてちょうだい。私と王、そしてディアーナ。三人の心をとりこにしたのはあなたの香りだけだったわ。調香師として、誇りを持って頂戴ね。あなたの祖母、リラがそうであったように』


 王妃様の手紙はそう締めくくられていた。マリアはそっと手紙を閉じる。

(困ったわ……)

 十分すぎる報酬には、そういう意味もあったのかもしれない。マリアは、昨日の風邪がぶり返したのか、それともあまりのプレッシャーからか、頭痛を覚えてため息をついた。


いつもお読みいただき、本当にありがとうございます。


本話から、第三章 王城編が始まります。

これから王城でマリアにどんな出会いがあるのか、お楽しみにいただけますと幸いです。


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20/6/21 段落を修正しました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 異世界を舞台にした作品はよく魔法だったり、戦闘だったりがすぐに出てきますが、この作品はそれがない。そこが独創的で好きです。香りを追求するという、テーマに沿って物語を動かしていく。素晴らしい…
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