洋裁店
赤や黄色や、青。色とりどりのテントを張った露店が立ち並び、旗や花々で飾られた街を多くの人が行きかう。街に住む人々をはじめ、商人や異国から来たであろう旅人がマリアの横を通りすぎてゆく。様々な音や香りにあふれ、マリアは自然と目を輝かせた。普段、森の奥で一人過ごしているマリアにとって、この街はいつ訪れても新鮮そのものだ。
「マリアちゃん! 久しぶりね」
「おう! 調香師の嬢ちゃん、寄ってくかい?」
「今日は珍しいのが入ってるよ!」
マリアを知っている人々が次々と声をかけてくる。マリアはそれに一つ一つ答えながらも、両親の待つ店へと向かっていた。先日売り出したばかりのジンジャーカモミールティーを両親に届けるためだ。
マリアの両親は、街の広場から一本脇道に入った通りで洋裁店を営んでいる。マリアはその一人娘だが、祖母の店『パルフ・メリエ』を継いだ。両親は元来のんびりとした性格で、「洋裁店は継がない」というマリアの選択に反対を示すことはなかった。優秀なデザイナーをマリアが紹介していたことも影響しているかもしれない。とはいえ、たった一人の大切な娘が森の奥で一人きりの生活を送っていることに心配はしているようで、洋裁店の前で娘の帰りをまだか、まだか、と待っていた。
「マリア!」
娘の姿に、両親は大きく手を上げて、駆けてくるマリアをぎゅっと強く抱きしめた。
「パパ、ママ、久しぶり! 元気だった?」
「ええ。また大きくなったんじゃない?」
「ママったら。残念ながら、もうそんな年じゃないわ」
「マリア、お帰りなさい」
マリアの髪を優しく父が撫で、母がマリアの手を引いた。
マリアも一人暮らしにはずいぶん慣れたと思っているが、こうして両親と会えば、懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。洋裁店の扉を押す。瞬間、店内に響いていたミシンの音が止まった。カウンターの奥に座っていた人物がこちらを見て、それからゆっくりと立ち上がる。
「マリア」
「ミュシャ!」
懐かしい声に、マリアはパッと顔をほころばせる。
マリアが両親に紹介した優秀なデザイナー、ミュシャである。白い肌、さらりと揺れるグレーがかった髪、神秘的なオリーブの瞳に、きっちりとアイロンのかけられたワイシャツ。相変わらず、あまりの線の細さに女性と見間違えてしまうほどだ。彼はマリアの学友であり、街で噂の若き天才デザイナーである。近頃、若い女性達の間で、ミュシャの作った洋服はもちろんのこと、その雰囲気からミュシャ自身もかなり注目されている。
「お帰り」
「ただいま!」
ミュシャはマリアの微笑みにパっと顔をそむけた。耳まで赤くなっているのが微笑ましい。ミュシャの気持ちは嫌というほど全身から漏れでていて、マリアの両親をはじめ、周囲の人間はすでに気づいているのだが、矛先となっている当本人、マリアは全く気付いていないようだった。
「ねぇ、今日はお土産ないの?」
ミュシャの言葉に、マリアは待ってましたとカバンを下ろす。
「じゃーん!」
カバンからジンジャーカモミールティーの茶葉を入れた缶を取り出して、両親とミュシャに見せた。缶の蓋を開ければ、皆、顔を寄せてその香りをかぐ。
「カモミールかしら。いい匂いね」
真っ先に正解を言い当てたのは母親だった。マリアはうなずく。
「ジンジャーと調合してみたの」
「それはおいしそうだ」
「せっかくだから、そのお茶を入れて休憩にしましょうよ。ね、ミュシャ君も」
「はい、ぜひ」
「そうだ、母さんの作ったアップルパイを持ってこよう」
母親の提案に、全員が賛成だった。ミュシャは入り口に『休憩中』の看板をかけ、両親はお茶の準備を始める。手持無沙汰になったマリアは、久しぶりの店内を見て回ることにした。
見慣れない服はミュシャが作ったものだろう。繊細なレースが襟口にあしらわれたワンピースや、洗練されたデザインのシャツ、セーラーのような形状の洋服など、マリアはその一つ一つに目を輝かせる。
「気に入ったやつがあったら、マリアにあげるよ」
いつの間にか服を眺めるマリアの隣に立ったミュシャはそう言った。どのデザインも、マリアになら似合うはずだ、とミュシャは考える。
「えっ!いいよ、そんな。悪いもの」
「いいんだよ。マリア、いつもお土産持ってきてくれるし」
ミュシャが、俺からのお土産だと思ってよ、と言えば、マリアも折れたのか、
「それじゃぁ……」
と遠慮がちではあるが、服を手に取っていく。実際は、マリアが手に取るより先に、これもあれも、とミュシャが選んでいくのだが、いつの間にか、ミュシャがマリアに着てもらいたい服になっていたことは、それを遠目に見ていたマリアの両親にしか分からない。
「ミュシャ君。気持ちはわかるけど、あまりたくさんお土産にされては、お客様に売る品物がなくなってしまうよ」
マリアが洋服に埋もれてしまうのでは、という状況になったところで、ようやく父親が声をかけた。
ミュシャはハッとして、次の瞬間には顔を真っ赤に染める。マリアは父親の助け舟に大きくうなずいて、ミュシャの選んだ服のうちから気に入った一着を取り出す。淡いミントグリーンのストライプに、小さなマーガレット形のボタンがついたワンピースだった。
「これにするね。ありがとう、ミュシャ」
マリアがミュシャにそう言って微笑むと、ミュシャはすでに赤い頬をさらに赤く染める。こくりとうなずいて、それからその服を丁寧にたたみ、紙袋にしまった。
他の服も素晴らしく、大変名残惜しいのだが、父親の言う通り。これ以上はタダではもらえない、とマリアも広げた服をしまっていく。ミュシャはミュシャで、唐突に湧き出た無数のアイデアをしまいこむのにしばらく時間がかかっていた。
「さぁ、奥で休憩にしよう。マリアも長旅で疲れただろう」
マリアとミュシャはそうして、カモミールとアップルパイの良い香りがする方へと引き寄せられていった。
20/6/6 改行、段落を修正しました。ルビを追加しました。
20/6/21 段落を修正しました。




