ボート・ビジュー
マリアは、柔らかな木彫りの植物に囲まれた看板を見つめ、その美しさに、ほぅっとため息を一つついた。少女のような可愛らしさもありながら、落ち着いた大人の雰囲気も感じられる絶妙なバランスは、まるでおとぎ話に出てくる魔法のお店のよう。
ショーウィンドウに飾られたミュシャお手製の洋服や、ミュシャの父親の靴がまた一層、お話の世界に迷い込んだような、そんな素敵な空間を演出している。
女性が思わず足を止め、中に入ってしまう。そんなお店だ。
マリアが軒先でお店をしげしげと眺めていると、チリン、と透き通った音色とともに扉が開く。
「いらっしゃい」
ミュシャのオリーブの瞳が優しくマリアに微笑みかけた。
「ミュシャ! オープンおめでとう」
「ありがとう。まだ少し早いけどね」
マリアが笑みをこぼせば、ミュシャは小さく口角を上げた。
――そう、今日はミュシャの店『ボート・ビジュー』がオープンするのだ。
マリアはお祝いのお菓子と小さな花束、両親から預かってきた手紙と、プレゼントをミュシャに渡す。
「ありがとう、大切にするよ」
ミュシャはそれらを大事そうに抱きしめて、にっこりとほほ笑んだ。
「さ、店の中も見てよ」
ミュシャはそれらのプレゼントを落とさないように気をつけながら、店の扉を開けた。
ミュシャに案内され、マリアも、お邪魔します、と一歩店の中へ足を踏み入れる。
「わぁっ!」
マリアは目に飛び込んできた素晴らしいミュシャの洋服やアクセサリー、ミュシャの父親の靴に思わず歓声を上げる。
「すっごく素敵なお店……!」
床に敷かれた白いフローリングが清潔感を醸し出し、店を明るく、そして、より広く見せる。そんな広々とした空間に、それぞれの商品がレイアウトされているのはもちろんだが、所々に置かれた観葉植物や小さなランプがまた愛らしさを際立てていた。
「マリアのコーナーはあそこね」
ミュシャが指さした先、レジの左隣に置かれたテーブル。可愛らしいドライフラワーと一緒に、マリアの作った香水やルームフレグランス、バスオイルといった商品が並べられている。窓のそばだが、うまく日の光が当たらないように考慮されていて、これなら商品の劣化も心配なさそうだ。
「ありがとう、ミュシャ!」
マリアがキラキラと目を輝かせると、ミュシャは照れくさそうにプイと顔を背けた。
マリアとミュシャが商品を眺めていると、チリン、と店先から音がする。
「ただいま~……ってマリアちゃんじゃないか、いらっしゃい」
ミュシャの父親だ。手に大きな花を持っているところを見ると、どうやら開店に向けて、店先を飾り付けよう、ということらしい。
「お邪魔してます」
「いやいや、朝早くからありがとうね」
マリアが頭を下げると、ミュシャの父親は嬉しそうに微笑んだ。どうやら、ミュシャの父親も、この日を楽しみにしていたようだ。
「それ、外に飾るんでしょ? 僕がやるよ」
ミュシャは父親の方へ駆け寄り、大きな花束を受け取る。
「おお、悪いな。ありがとう」
ミュシャの父親が、店の外へと駆けていくミュシャの姿を穏やかな瞳で見送る。マリアがそんな二人を見つめると
「もう僕も良い年だからねぇ。ミュシャなりに気にしてくれてるみたいだ」
とミュシャの父親は笑う。助かるね、と照れくさそうに小さく呟く声は、ミュシャの声に少し似ていて、さすがは親子だな、とマリアも笑った。
マリアがトランクケースを持っていることに気づいたのか、
「そういえば、マリアちゃんも今日から旅に出るんだってね」
ミュシャの父親は、トランクケースに目を向ける。そこには、昨日母親からもらった花のコサージュが咲き誇っている。
「素敵なお守りだね」
お守り、とは一度も言っていないのに、母親と同じことを言うミュシャの父親に、マリアは目を丸くする。そんなマリアの様子に、ミュシャの父親はクスリとほほ笑んだ。
「ま、僕も親だからね」
ミュシャが店の扉を開け、自らの父親を呼ぶ。
「ねぇ、一度確認してよ」
「あぁ、わかった」
マリアちゃんもどうかな、と誘われ、マリアもうなずく。二人で店の外に出れば、美しく飾られた花々に彩られ、店の外観はより一層華やかになっていた。
「素敵!」
マリアの声に、ミュシャの父親がうなずくと、ミュシャもどこか晴れやかな表情で、店を見上げた。
「さ、そろそろオープンにするか」
ミュシャの父親が腕時計を見つめて呟く。ミュシャも、そうだね、とうなずいて、店の扉、両側を大きく開け放った。マリアも、トランクケースは作業場に置かせてもらい、ミュシャと一緒に店の前へ並んだ。
華やかな店先に気づいた、通りすがりの人々や、ミュシャ達の知り合いも続々と増え始め、店の前がにぎやかになっていく。
ゴーン、と町のどこかから鐘が鳴り響くと、ミュシャとミュシャの父親が声を上げる。
「さぁ、皆様! いらっしゃいませ!」
「ボート・ビジューの開店です!」
二人の声に、集まった人々からわっと歓声が上がる。マリアもまた、目の前で輝く二人に拍手を送った。
初日ということもあってか、多くの人々で店内は賑わっていた。おかげさまで、マリアのルームフレグランスに興味を示してくれる人もいて、マリアの商品も売れ行き好調である。結局、マリアも接客に駆り出され、大忙しだ。
そんな中、マリアは見知った顔を見つけて、あ、と声を上げた。
「マリアちゃん! ミュシャ! おめでとう!」
騒がしい店内でも耳に入ってくるような快活な声。ミュシャもマリアと同じく、その声の方向に目を向ける。
「リンネちゃん!」
「リンネ」
二人の声が重なり、リンネは嬉しそうにはにかんだ。手にはたくさんの花を抱えていて、どうやらお祝いに駆けつけてくれたらしい。
「ふふ、マリアちゃんも旅に出るって聞いて。今日は会えて良かった」
リンネはマリアを抱きしめ、それから、ミュシャに視線を向けた。
「それから……ミュシャ、独立おめでとう」
リンネが差し出した花束はミモザにチューリップ、ポピー、スイートピーなど、ざっと見ただけでも数種類の花が入っていて、さすがはガーデン・パレス、とマリアも見惚れてしまう。
ミュシャも、驚いたようにその花の数々を眺めながらも、そっとリンネの手からそれを受け取って、柔らかに微笑んだ。
「ありがとう、リンネ。大切にするよ」
マリア以外の人にはあまり見せることのないミュシャの心からの笑み。リンネはそんなミュシャの表情に、胸が高鳴る。
(あら……? もしかして……)
もうすっかり春だわ、とそんな二人を見つめてクスリとマリアが微笑んだことに気づいたのは、ミュシャの父親だけだったという。
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さて、ミュシャの独立、そのお店がオープンしましたが、お楽しみいただけましたか?
マリアの旅もスタートです。ぜひ、次回もお楽しみに*
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