幸せの香り
マリアの瞳に映ったアイラの表情は、まさに天啓が降りてきた、と言わんばかりの驚きと喜びに満ちたものだった。
「アイラさん?」
マリアが尋ねると同時に、アイラはマリアの手を握る。
「ねぇ、マリア。ナッツの香りってあるのかしら?!」
「ナッツ?」
アイラは少し興奮した様子である。普段落ち着いているアイラがそんな風に瞳を輝かせているのは珍しい。ハラルドへ贈る香りのイメージがかたまったようだ。
「この、レモンタルトみたいな香りを作りたいの。ハラルドのイメージにもぴったりだわ!」
マリアも、アイラの言葉を聞いて、なるほど、とうなずく。
確かに、ハラルドのあの穏やかな雰囲気にもナッツの香りはあっているし、ハラルドの好きな食べ物の香りなら、喜んでもらえるかもしれない。
だが……。
「アイラさん、ナッツの精油はおいてないんです」
マリアが首を横に振ると、アイラは残念そうに眉をひそめる。
「そう……。色々置いてあるからてっきり……ナッツってオイルがとれるイメージもあったし」
アイラの博識ぶりには驚かされるばかりだが、マリアは、すみません、と頭を下げて補足する。
「確かに、ナッツからオイルを取ることは出来ますが、実は精油とは別の……キャリアオイルと呼ばれるものなんです。精油を希釈するために使うものなんですが、私は普段、アルコールで希釈することが多くて。あまり使わないんです」
どちらかといえば、キャリアオイルは、マッサージ用のものに使用することが多い。だが、あまり需要がなく、マリアもほとんど作ることがないのだ。
「へぇ。精油とはまた違うのね」
「ですが、ナッツのオイルは比較的、手に入りやすいと思います。乾燥しやすい時期なんかは、肌の保湿にもよくて、そのまま使われたりもするはずですから」
マリアは、パーキンなら持っているだろうか、と思案する。
「知り合いの方に、聞いてみます」
マリアの言葉に、アイラはほっと胸をなでおろして、ありがとう、とほほ笑んだ。
それにしても、レモンタルトから香りを発想しただけでなく、ナッツからオイルが採れるという知識や、それを使えないかと考えるアイラの能力は素晴らしい。調香については簡単に教えたが、もともとの博識が手伝って、理解も飲み込みも早い。
アイラのこの能力は、きっと実家の商店を継ぐことになっても役に立つだろう。今は各地から仕入れた珍しいものを売る店だが、それこそアイラのアイデアで新しいオリジナル商品が生まれるかもしれない。
「マッサージオイルか……。そうね。香水を作ろうと思っていたけど、ハラルドにはそれくらいの方がいいかも」
アイラはなるほど、とうなずいた。
「マッサージオイルでも、精油を混ぜれば香りもしばらくは残りますし、ちょうどいいかもしれませんね」
マリアが微笑むと、アイラは満足げにうなずいた。
「さ、レモンタルトの香りを作りましょう!」
二人は、えいえいおー! と声をそろえた。
アイラは早速、レモンの精油瓶を取り上げる。それからマリアの方へ視線を送ると、
「調香師さん、アドバイス、よろしくね」
とパチン、とウィンクをして見せた。マリアがにっこりとうなずけば、アイラは色々と試してきたレシピへ視線を戻す。いつもの優しい表情は、仕事に向けているときの真剣なものに変わった。
空のガラス瓶に、アイラがゆっくりとレモンの精油を滴下していく。ポタリ、ポタリと雫が落ちるたび、ふわりと爽やかなレモンの香りが広がる。
「レモンは香りが弱いので、少し多めに入れてちょうどいいかもしれません」
マリアが補足すると、アイラもうなずいて精油をさらに入れていく。
「これくらい?」
アイラが持ち上げた瓶の中で揺れる液体。マリアはうなずく。
「一度、これでやってみましょう。レモンの香りが弱いと思ったら、後から追加してバランスを整えればいいですから」
「次は……」
アイラがうぅん、と並んだ精油瓶をひとしきり見つめて、ジュニパーベリーの精油瓶を持ち上げる。
「これはどう?」
「良いですね。苦みと甘みが感じられる香りなので、レモンの香りをより爽やかに引き立ててくれると思います」
マリアのオーケーサインに、アイラは満足そうだ。
レモンとのバランスを見ながら、アイラはゆっくりと神経を集中させて調香を行う。見ているマリアが思わず息を止めて見守ってしまうほどに、アイラの集中力はすさまじい。ハラルドを思う気持ちがアイラのその表情から見て取れる。
「ふぅ……こんなものかしら」
レモンと混ざって、爽やかな苦みが鼻を抜ける。
「すごく良いですね。これなら、香水の苦手な男性にもぴったりです!」
レモンやジュニパーベリーは、皮膚を浄化する作用もある上、集中力を高めるにもぴったりな香りである。これで好きな人から、マッサージを受けれるなんて、なんて贅沢なのだろう。ハラルドは、世界一の幸せ者かもしれない。
「こんなに思ってもらえて、ハラルドさんもきっと大喜びですね」
マリアが思わずこぼせば、アイラは穏やかに微笑む。
「気が早いわ。まだ、もう一つ香りを混ぜるんでしょう?」
「最後は、トンカビーンズを使いましょう」
アイラに提案した残りの一種類。マリアが精油瓶を取り出せば、アイラは
「うちで買ってくれたものね。ちゃんと商品を見たことがなかったけど……」
と興味深そうに精油瓶を眺める。アイラ自身、父親が妙に気に入っていたのは知っているが、その実、商品をきちんと手にしたことはなかった。
精油瓶のフタをあければ、ふわりと甘く、キャラメルのような、優しい砂糖菓子のような甘さが広がる。
「こんなに良い香りだったのね」
アイラが思わず口元を抑えて目を見張ると、マリアは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふ、幸せの香りですよね。この香りには、助けられました」
王女様の調香依頼を完成させた、陰の立役者。優しく、甘く、心をほっこりと温めてくれれるその柔らかな香り。幸せに香りがあるとするならば、まさにトンカビーンズのような香りだろう、とマリアは思う。
アイラはそれを丁寧に、丁寧に瓶の中へ加えると、香りを確認して、ゆっくりと息を吐いた。
「……できた……」
ほっと安堵したような、幸せそうな表情が、マリアの心をじんわりと温める。
「あとは、ナッツのオイルを混ぜれば完成ですね」
「ふふ、よろしくね。調香師さん」
マリアは責任重大だ、とアイラから完成したばかりのレモンタルトの香りを受け取って、しっかりとうなずいた。
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今回は、レモンタルトの香りに、アイラが挑戦!
無事にハラルドへプレゼントする香りを完成させることが出来ました~!
次はハラルドが頑張る番、ですかね? お楽しみに♪
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