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調香師は時を売る  作者: 安井優
ミュシャの独立編

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新たな仕事

 パルフ・メリエの客足は少しずつではあるが、増えてきていると思う。ディアーナ王女の専属の調香師として、ある程度名が売れ、その後、パーキンとともに売り出した女性のための香水も好調である。シャルルの家の庭先を借りて出張店舗を出したことも、新規開拓となったのかもしれなかった。


 以前なら、一人も客が来ないのは当たり前。庭の手入れや調香だって好きなだけ出来た。だが、最近は違う。一日で少なくとも数人は訪れるし、休日の客数は多い時で二桁に上る。そうなれば、当然、庭の手入れはもちろん、調香の時間も必然的に減ってしまうわけで、なかなか新商品の開発にまで手が回らない。

 そうでなくても、冬は花の種類にも限りがあって、精油自体も減りつつあるのだ。

「こんなことなら、お休みの間にもう少し作っておけばよかったわ」

 マリアは調香する手を止めて、はぁ、と一つため息を吐いた。


 ミュシャからの調香依頼を受けてから三日。

 普段であれば、すでにいくつかの試作品を完成させているところである。しかし、今、マリアが完成させた試作品はゼロ。店の在庫を補充(ほじゅう)する作業や、接客に追われ、十分な時間が取れないのである。調香の最中にお客様が来てしまえば、当然そこで作業を中断せざるをえないし、かといってまた徹夜で仕上げて、体を(くず)してしまっては元も子もない。


「そろそろ、もう一人くらい(やと)おうかしら」

 マリアはうぅん、とこめかみを押さえる。頭の痛い話だ。商売っ気のないマリアにとって、こういった計算は苦手なものの一つ。新商品の開発などはまだ楽しいものだが、とにかくお金のこととなるとマリアは途端に力を発揮(はっき)しなくなるのだ。

 しかし、今後のことを考えれば、()けては通れない課題になりそうだった。


「ミュシャはどうするのかしら」

 確か、父親の靴工房と一緒に服屋をオープンさせる、と言っていたので、一人で店を切り盛りするわけではないだろう。しかし、二人ともマリアと同じく物を作る側の人間である。接客ばかりしているわけにもいかない。

「誰か(やと)うのかしら」

 詳しいことは何も聞かされていないし、マリアも首を突っ込む話ではない、と(たず)ねることはしなかった。だが、何か参考になるかもしれない。いい機会だ、とマリアは一人うなずいた。


(とにかく今は、香りづくりに集中しなくちゃ)

 よし、とマリアが深呼吸をして、ぐっと手を握りしめた時、下の階で来店を告げる鐘の音が鳴った。

「今行きます!」

 再びこうして、調香を一時中断することになったマリアは、慌てて下の階へと駆け降りる。

(やっぱり、もう一人くらい、(やと)った方がいいわよね)


 お待たせしました、とマリアが顔を上げると、そこにはパーキンが立っていた。

「あけましておめでとう、マリア」

 今年もよろしく、と新年のあいさつをスマートに終えたパーキンが帽子とコートを脱ぐ。

「あけましておめでとうございます、パーキンさん」

 こちらこそよろしくお願いします、とマリアが頭を下げれば、パーキンもふっと笑みを浮かべた。


「どうしてここに?」

「また、新しい香りの企画を頼もうかと思ってな。じきに、開花祭(かいかさい)があるだろう」

 パーキンの言葉に、マリアは大きな声をあげた。

「開花祭! そうですね、すっかり忘れてました……!」

 どうしてこうも秋から冬にかけてはイベントごとが多くなるのだろうか。マリアは、少しげんなりとした気持ちを隠して、パーキンを見る。

「やっぱり、開花祭には新しい香りが必要ですよね」

「まぁな。毎年、香水の売り上げもその時期はダントツに伸びるからな」

 パーキンはカバンから分厚い紙の束を取り出すと、マリアへとそれを差し出した。


 話が長くなりそうだ、とマリアはパーキンをお茶に(さそ)う。

「開花祭は、てっきり君にとっても大切なイベントの一つだと思っていたが」

 マリアの入れたコーヒーに口をつけながら、パーキンは(くも)ったメガネをマリアに向ける。

「確かに売り上げは少し伸びますが……。私には、あいにくと無縁(むえん)でして」

 パーキンはメガネを外し、レンズを拭きながら、意外そうにマリアを見つめた。

「無縁? 君が、か?」

「えぇ。残念ながら」

 マリアが苦笑すれば、パーキンは、ふむ、と口元に手を当てた。


 開花祭(かいかさい)は、春の訪れ……つまり、花が開く季節に合わせて、男女が恋人や親しい人に贈り物をする日である。実際のところ、この親しい人、というのも、気になる異性のことをさしていることが多く、その日にプレゼントを贈るということはすなわち、あなたのことが好きです、と告白しているようなものである。

 今までミュシャによって守られてきたうえ、マリア自身も恋について知ったのはつい最近のことで、とにかく最も無縁(むえん)なイベントであることは間違いなかった。


「ここを見てくれ。前年度のわが社の売り上げだ。この開花祭(かいかさい)の時だけ、異様(いよう)に男性物が売れているんだ。普段は自分のために商品を購入している女性客が、この時期はこぞって男性に贈り物として商品を選ぶわけだな」

 パーキンは紙の束をパラパラとめくって、グラフをマリアに見せる。

「面白いのが、この時期が終わった後、男性客が増えるという現象がみられる」

「何か、つながりが?」

 マリアがキョトンと首をかしげると、パーキンは目をキラキラとさせて持論(じろん)を展開した。


「もちろん! ここで最も考えられるのは、商品をもらった男性客が、リピーターとして訪れている可能性が高いということだ。普段、香りなんて興味もない、身に(まと)わない、という男性が、異性からもらったプレゼントで初めて興味を持つ。使っていくうちに、自分でも購入してみようか、となるのだろう」

「なるほど」

 確かに、パーキンの言うことは筋が通っているような気がする。もらった方としても、プレゼントを無下(むげ)にするわけにもいかないのだろう。


「それじゃぁ、今回は男性用の香水を?」

「いや、実は、一つ問題があるんだ。男性用の香りを選ぶのが、女性だという問題がね。女性と男性では好みが分かれる傾向にあるからな」

 パーキンが見せた別の資料には、客からのアンケートをまとめたものが()せられており、確かに微妙にその傾向が違うことが分かる。

「だから、女性目線の意見が欲しい。男性客をリピーターとしてより多くわが社に引き込むために、君の力を借りたい。マリア、引き受けてはくれないか?」


 マリアは、うぅん、と思案する。ただでさえ、今はミュシャからの調香依頼もある。引き受けたいのは山々だが、これ以上、仕事を増やすことは無茶なようにも思える。

「その……具体的に、私は何をすればよいのでしょう?」

「我々が開発した男性向けの商品を試してもらって、アドバイスをくれればいい。ま、ちょっとしたテスターだな」

「香りを作ったりする必要はないんですか?」

「あぁ。もちろん、作ってもらえればありがたいが……君も、最近は忙しいだろう?」


 パーキンの返事に、マリアはほっと胸をなでおろした。確かにそれなら、なんとか引き受けられそうである。しかも、男性向けの商品は、ミュシャのための香りづくりにも参考になりそうだ。

「うぅん……分かりました。正直、自信はありませんが……」

 マリアが曖昧に微笑むと、パーキンは嬉しそうにうなずいた。


「ありがとう。それじゃぁ、早速商品を君のところに送ろう。何かあればすぐに連絡してくれ」

 パーキンから差し出された手を握り、マリアもうなずいた。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!


久しぶりにパーキンの登場となりましたが、お楽しみいただけましたでしょうか?

今回は珍しくマリアに調香以外のお仕事が舞い込んできました。

マリアのお仕事が一体どうなるのか、お楽しみに*


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