新しい夜
マリアがシャルルを呼び出したのは、星祀りまであと十日、という頃だった。
ケイへの思いを自覚してから、一週間と少し。悩みに悩んだ末、シャルルへの告白をずっと保留にしていることが、やはりマリアには耐えられなかったのだ。
人を好きになる、ということがどれほどのことなのかが分かってしまった以上、シャルルの気持ちを推し量るのは難しいことではない。気が気でなく、とにかく落ち着かなかった。
ドギマギと変な汗をかいているマリアに対して、シャルルはいつも通りの爽やかな笑みを浮かべた。まるで、先日の告白が嘘みたいに、今までと変わりない態度だ。
「珍しいね、マリアちゃんから誘ってくれるなんて」
前言撤回。
「初めて、かな?」
そういったシャルルの顔が、いつもよりも心なしか嬉しそうに見える。
「えっと、その……」
マリアは、どこから話を切り出そうか、とつい視線をさまよわせる。ぎゅっと胸が押しつぶされてしまいそうな感覚に、マリアはゆっくりと深呼吸を繰り返した。
(ここで、逃げちゃだめよ。マリア)
自分自身に言い聞かせて、シャルルの方へ顔を上げる。
「どうかした?」
わかっているはずであろうシャルルは、相変わらず穏やかな瞳でマリアを見つめた。
薔薇姫と同じくらい、麗しの殿方である。若くして、国を守る騎士団の団長であり、物腰は柔らかく、頭も良くて、武にも長けている。過去には、マリアの命を救った恩人でもあり、何かと困ったときには助けてくれる。
本当に、相手に不足なし、とはこのことなのだろう。
だが、マリアの思う相手は、シャルルではないのだ。それがどうしてなのかは、マリアにも分からないけれど。
「先日の、お返事をしなくちゃ、と思いまして」
マリアが改まって言えば、シャルルは手に持っていたグラスを置いた。店内に流れている静かなクラシックが、やけによく聞こえる。
「答えは、決まってるみたいだね」
シャルルの淡いブルーの瞳が、ほのかに揺れた。
まるで、マリアが言わんとすることを、知っているみたいに。
「シャルルさんのお気持ちは、すごく……すごく嬉しかったです。本当に、シャルルさんは素敵な方ですし、いつも助けていただいてますから」
マリアがポツリ、ポツリと言葉をこぼしていく様子を、シャルルはただ静かに見守った。マリアの言葉、仕草、視線、表情……それら全てを決して見逃してしまわないように、瞬き一つにさえ注意を払って。
マリアの声は、小さく震えている。だが、マリアは話すことをやめなかった。
「ですが、シャルルさんのお気持ちに、答えることは出来ません。本当に、ごめんなさい」
マリアは頭を下げた。それは、深く、長い謝罪だった。
やがて、二人の間に流れるピアノの音が止まる。カチャカチャと、他のテーブルから食器のぶつかる音だけが聞こえ、緩やかな時間は、さらにその速度を下げた。
ゆっくりとマリアが顔を上げると同時に、ストリングスの低音が店内を包んだ。
シャルルは、グラスを持ち上げて、中に入っていた水を飲み干す。ライムが漬けられているのか、少しの酸味と苦みがのど元に残った。
「なんとなく、マリアちゃんならそういうんじゃないか、と思ってたよ」
シャルルは、自分が自然と笑えていることにほっとしてしまう。自らも傷ついているはずだが、それよりも、マリアを傷つけてしまうことがシャルルにとっては辛いことなのだ。
「ふふ。女性に振られたのは初めてだ」
シャルルが冗談めかして言えば、マリアは眉を下げた。
「シャルルさんのことは、とても尊敬していますし、シャルルさんさえよければ、これからも仲良くしていただきたいんですが……」
マリアの申し出に、シャルルは、もちろん、とうなずいた。
告白がうまくいかなかったからといって、マリアのことを嫌いになどなれるわけがない。むしろ、今まで通りの関係を、マリアが望んでくれていることが嬉しかった。
(これだから、マリアちゃんは……)
そう思わなくもないが。
見計らったように、二人の前にはメインディッシュが置かれる。マリアも、シャルルも、その料理を丁寧にナイフで切り分けた。
「ねぇ、マリアちゃん」
「何でしょう」
フォークを口に運ぼうとしていたマリアは、その手を止めて首をかしげる。
「これからは、友人として、僕に接してくれると嬉しいんだけど。どうかな」
シャルルは正方形に切りそろえたそれを口に運んだ。心の上に居座っていた、マリアへの恋愛感情を切り分けて、咀嚼するように。
「友人として、ですか……!?」
マリアは思いがけないシャルルからの言葉に目をぱちくりとさせた。
「ダメ、かな?」
いつもの大人びたシャルルはどこへやら。愛らしく整った顔をコテン、と傾けて、懇願するようにマリアを見つめる。たとえそれが計算だとしても、断れる女性がいるのだろうか。
「……そういうのは、ずるいです」
マリアがム、とシャルルを見つめると、シャルルはクツクツとのどを鳴らした。
ごめんごめん、とシャルルは軽い口調で笑う。
「でも、本当に、マリアちゃんと友人になりたいんだ。店主と客って他人行儀な感じでもないし、騎士団長っていう肩書きをずっと背負っているっていうのもね」
シャルルはいつもの大人びた笑みを浮かべて、料理をひょいと口へ放り込む。マリアも少し考えてから、えい、と料理を口に運んだ。
「シャルルさんには、かないませんね」
マリアが苦笑すると、シャルルは楽しそうに微笑んだ。
店内に流れるクラシックが、ジャズ音楽に変わったころ、マリアとシャルルはそれぞれのデザートに舌鼓をうっていた。緊張も、気まずさもすでに和らいでいる。
シャルルを友人と呼ぶには、まだまだマリアには壁が高いが、せっかく築いた関係が壊れてしまわなくてよかった、とマリアは安堵していた。そして、それはシャルルも同じ。マリアに告白したのは自分であり、そのせいでマリアと気まずくなってしまうのは嫌だった。わがままかもしれないが、それだけマリアのことを思っているのだ。
「マリアちゃんを、好きになってよかったよ」
シャルルのこぼした言葉に、マリアが顔を上げる。シャルルも無意識だったのか、驚いたように口元に手を当てていた。少しして、シャルルは取り繕えない、と分かったのか少し照れくさそうにはにかんだ。
「叶わなくても、素直に、嬉しかった。こうして、マリアちゃんと食事が出来たことも、これからも仲良くしてくれることもね」
優しいシャルルの言葉が、マリアにはくすぐったい。
ミュシャの時とはまた違う、新しい距離感。恋が終わって、友情が始まった夜。
どちらともなく二人は笑いあう。
「もしも、マリアちゃんの気が変わったら、いつでも言ってね。僕は待ってるよ」
シャルルがウィンクを一つすれば、マリアはクスクスと笑った。
「本当にシャルルさんって優しいですね」
家路についたシャルルは、一人ため息を吐いた。マリアの前ではいつも通りをふるまったが、これでも傷心しているのである。
「本当に、マリアちゃんのああいうところがずるいんだけどな」
マリアにはもう届かない思い。それと引き換えに手にした、マリアとの新しい関係性。これからはそれを、大切にしていこう。
シャルルはそっと心の奥にしまい込んで、家の扉を開けた。
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今回は、ついに、マリアがシャルルへのお返事をしまして、こういう結果に落ち着いたのですが……いかがでしたでしょうか。
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