幻想
翌日、マリアは郵便屋が持って来た新聞広告に目を止めた。
「クレプス・コーロ……」
美しいイラストに書かれた文字を読み上げる。
「今話題の、旅の一座がついに到着……」
マリアは「あ」と思わず声を上げる。イラストに描かれている美しい女性こそ、昨日のお客様、グィファンではないか。
「グィファンさんって、クレプス・コーロの方だったの?!」
マリアは独り言とは思えないほどの大きな声をあげた。
クレプス・コーロ。それは、数年前に突如として、世界中に旋風を巻き起こした旅の一座だ。旗揚げ公演と同時にその名は世界に響き、以来各地を巡行しているという噂だった。途中から加わった薔薇姫と呼ばれる女性がさらにその人気に拍車をかけ、公演チケットは連日販売と同時に売り切れてしまうという。
グィファンと思わしき女性のイラストの下には、薔薇姫、と銘打たれている。
「しかも、薔薇姫って……グィファンさんのことだったのね」
マリアとはまるで住む世界の違う人間だ。ほぉっと深いため息が出てしまう。マリアも話くらいには聞いている。ほんの一声、聞いただけで魅了されてしまうほどの美しい歌声と、目を離すことの出来ない、流れるような踊り。真っ赤なドレスを翻す彼女こそ、薔薇の名を冠するにふさわしい女性。
だとしたら、やはりグィファンへの香りはローズを使うべきだろうか。マリアはそんなことを考えながら、新聞の続きに目を走らせる。初日の公演は、ちょうど一か月後らしい。星祀りの間、毎日城下町に見世物小屋を開くのだそうだ。
「会場の大きさによっては、香りが強すぎないほうがいいかも」
マリアはぼんやりと口にする。グィファンの演技を引き立てるような香りがいい。薄すぎては意味がないし、かといってあまりに濃いものは邪魔をしてしまう。
「グィファンさんの演技を、心に焼き付けるような……」
マリアは、グィファンはスパイシーな香りが好きだと言っていたな、と思い出す。ジンジャーなんかは、グィファンの雰囲気にもあっているような気がする。何より、グィファンの演技を見た人達が、星祀りを過ぎた後でもジンジャーの香りに、グィファンを思い出すことが出来るかもしれない。
「ジンジャーなら、ローズとの相性も良いし……」
マリアは新聞を読む手を止めて、サラサラとメモにペンを走らせる。クローブやコリアンダーも良さそうだ。
「オリエンタル系も合いそうだわ」
イランイランや、サンダルウッドを合わせて……。マリアはふんふんと鼻歌をこぼす。あの薔薇姫が自らの香りを身に纏うのだ。そう考えれば、興奮を覚えてしまうのも無理はない。
マリアは早速調香部屋で試作を始める。
まずは、トップノートのコリアンダー。温かなスパイシーさが心のうちに秘める情熱を呼び覚まし、夢を見る力を与えてくれるという。ミドルノートにジンジャーを加えると、よりすっきりとした気持ちの良い香りが漂った。情熱は闘志として燃え上がり、活力が増す。
「ここに、ローズを……」
マリアはゆっくりと精油瓶から数滴、ローズの香りを加える。
ローズのフレッシュな花の芳香が、ジンジャーと相まって、マリアの目の前を華やかに彩った。刺激的だった香りが穏やかになり、香り全体の奥行を広げる。
「これくらいかしら」
うっすらとローズを感じられる程度に調整し、マリアは続いてクローブを手に取った。気持ちを高揚させ、前向きにさせる力のあるクローブは、刺激的な香りと独特な甘みを持つ。香りが強いクローブは一滴でも十分だった。
軽く瓶を振って、全体をなじませる。ベースノートもまだだというのに、すでにスパイスの香りが立ち込めて、マリアの気持ちは自然と前向きになった。体を温める効果もあるので、星祀りのころにはぴったりだ。
「グィファンさんの許可がもらえるなら、普通のお客様にもお売りしたいくらいだわ」
スパイスの香りは好みが分かれるが、きっと多くの人に気に入ってもらえるような予感がする。
香りを確認して、調香再開。マリアはイランイランとサンダルウッドの精油瓶に手を伸ばす。オリエンタル系の香りは、エキゾチックな雰囲気のグィファンにはぴったりだろう。
まずは、とイランイランの精油瓶のフタを開ければ、イランイランの甘く官能的な芳香がマリアを包みこんだ。
マリアはうっとりと目を閉じる。幻想的、とはまさにこのこと。南国のビーチに横たわり、黄金に染まる海を見つめながら、柔らかなシルクに包まれる……そんなひと時をついつい夢見てしまう。喜びや幸せがあふれ、気持ちをリラックスさせる強力な香り。
「入れすぎ注意」
マリアは自戒を込めて、少しだけ滴下させ、すぐにその精油瓶のフタを閉めた。
最後にサンダルウッドを加える。深みのあるウッディな香りが、今までの鮮やかな香りを一気にまとめあげる。少し多めに入れれば、クローブやイランイランの甘みをうまく引き立てた。神聖さのある、落ち着いた香りが、それらの余韻すら味わわせてくれる。
「うん。なかなかいい出来」
マリアは一人満足げにうなずくと、試作した香りにしっかりとフタをする。これで満足してはいけない。いくつか他にも香りを考えてみなければ。
「よし! 次!」
シャツをひじまでまくり上げ、マリアは意気揚々と机に向かい、ペンを走らせた。
マリアが作った香水をもって、グィファンが練習しているという城下町の町役場を訪れたのは、グィファンが店を訪れてから六日後のことだった。カバンには、最初に作った香りと、それ以外のものが三つほど入っている。結局、色々と試作してはみたものの、しっくりくるものは少ししか出来上がらなかったのだ。
マリアは緊張をほぐすように小さく深呼吸をすると、町役場の入り口をくぐった。
「お姉ちゃん、何かご用事?」
町役場の二階、大会議室、と書かれた扉をノックしようとしたマリアを、やんわりと止める声がした。マリアが振り返ると、背後には小さな女の子が立っていた。まだ、五歳か、六歳か、そんな年齢に見える。羽織っている紫色のローブは、サイズが合っておらず、裾を引きずっている。
「こんにちは。私、パルフ・メリエの調香師、マリアと言います」
マリアはかがんで、少女に目線を合わせる。少女の瞳は淡いパープルに輝いていて、魅惑的な光がチラチラと映りこんでいた。
(綺麗な瞳……)
その珍しい虹彩に、マリアは思わず少女を見つめる。少女はコテンと首をかしげた。
「どうしたの?」
「あっ! ごめんね。とっても素敵な目をしてるのね」
マリアが微笑むと、少女はとびきり愛らしい天使の笑みを浮かべた。
「ふふん、そうでしょぉ! ヴァイオレットちゃんはぁ、特別なの」
ヴァイオレット、というのが少女の名前なのだろうか。瞳の色と相まって、まさに彼女にはピッタリな名前である。
「この目はねぇ、未来も見えちゃうんだよぉ」
今度は、マリアが首をかしげる番だった。ヴァイオレットと名乗った少女は、自慢げにマリアを見つめ、ふんす、と大きく鼻息を鳴らすと、胸を張った。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
34,000PV&7,100ユニーク達成しまして、本当にほんとうに、毎日嬉しい限りです♪
本当にありがとうございます!
今回は、マリアが早速グィファンの香りづくりに挑戦しました。
そして、再び新キャラ登場です♪ 彼女の正体は一体?! ぜひ次回をお楽しみに。
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