写真の風景
シャルルは東へと向かう鉄道で、隣に座るマリアへ視線を向けた。窓の外を眺めているマリアは、その視線には当然気づいておらず、二人はゴトゴトと揺れる鉄道の音を聞いていた。
シャルルは、マリアの作った香りが……父の香水が、母の記憶を少しでも取り戻したことに喜びを感じてはいたが、満足はしていなかった。シャルルが母に与えたかったのは、喪失感でも、あいまいな一瞬の過去でもなく、父と過ごした幸せな思い出だったからだ。
だからこそ、写真乾板の場所をすべて調べた。二人とともに写っている風景やものから、情報を洗い出して、ピックアップしたのだ。
その中でも、今まさに向かっている場所こそ、母の記憶を取り戻すための、最も大切な場所――マリアが最初に見つけた、何の変哲もない田園風景が広がる場所なのである。
「シャルルさんは、どうしてこの場所が分かったんですか?」
マリアがふいに視線をシャルルに向ける。
「場所を特定する方法には、色々なやり方があるんだ」
騎士団としてのキャリアと団長にまでのし上がった頭の良さをもつシャルルは、今までの経験や知識を総動員したのだった。
「例えば、この写真。植物をよく見ると、小麦だってわかるでしょ?」
シャルルはマリアの持つ写真乾板にトンと指を置く。写真では、同じ植物が束になって揺れているようにしか見えない。確かに、言われてみれば小麦のような形状に見えなくもないが、はっきり言ってマリアにはシャルルのような確証は持てない。
「そこからまず、小麦の産地だと仮定する。とはいっても、いろんなところで栽培されているからね、ある程度大規模な小麦畑のある地域かな」
シャルルはどこかイキイキとしていた。楽しそうに謎解きをするシャルルは、さながら名探偵だ。
「それから、この写真だけが、何の変哲もない場所で撮られたってことが気になって」
それはマリアも気になっていた。どうして、この写真だけがこんな場所で、と思ったものである。
「だから、僕は見方を少し変えたんだ。僕らには何の変哲もない場所だけど、父さんと母さんにとっては特別な場所なんじゃないかって」
マリアは、あ、と声を上げる。確かに、それなら写真を撮っていてもおかしくはない。
「例えば……お二人が出会った場所、とか?」
マリアの言葉に、シャルルは「正解」とほほ笑んだ。
「父さんと母さんの出自を辿ってみたんだ。二人とも昔のことってあんまり話さないから、少し職権を使ったけど」
シャルルは口元に人差し指を当てて、子供が内緒話をするときのようにいたずらな笑みを浮かべる。
「そうしたら、母さんの実家が小麦畑のある地域にあって、父さんがそこへ建築家として訪れていたことが分かった」
「それじゃぁ!」
絵本の続きをせがむように目を輝かせるマリアも、シャルルと同じく子供っぽい表情である。
「そう。父さんが、母さんの実家がある村に、穀物用倉庫を建てていたらしい。二人は、そこで出会ったんだと思う」
シャルルの素晴らしい推理に、マリアは思わず拍手を送る。
「すごいです、シャルルさん!!」
「ふふ。ありがとう。でも、場所が分かっただけじゃだめだね。母さんに、何か思い出してもらうきっかけを見つけなくちゃ」
シャルルがパチンとウィンクをする。そこには、マリアの力も必要だ、とはっきりとした意思が込められていた。
鉄道は、のどかな緑一面の真ん中で停車する。なだらかに続いている丘が見え、マリアとシャルルは鉄道を降りた。
ここまで何もない駅舎も珍しい。
「のどかなところですね」
マリアはぐっと背伸びをして、深呼吸をする。秋の爽やかな風の香り、草木の匂い。気持ち良い緑の香りがマリアの鼻をくすぐる。
シャルルも穏やかに目を細めた。
なだらかな丘は、秋めいて黄金色に染まっている。周囲の山々も鮮やかな色彩が見事だ。
「不思議な光景……」
だが、マリアには地層のように丘を横断する何百、何千という緑の細いラインが目に焼き付いた。
「夏の前にくれば、写真と同じ光景だったんだけど。さすがに、時間は巻き戻せないから仕方ないね」
シャルルはクスリとほほ笑み、村の方へと歩いて行った。
「これが小麦になるんですね」
さすがのマリアも、小麦を育てたことはない。最も身近な植物ではあるが、調香に使わないので、生育についても知らないことだらけだ。
「マリアちゃんでも、さすがに小麦は詳しくないの?」
「こうして、芽を見たのも初めてです」
丘に近づくと、盛り上がった土の部分には等間隔に小さな芽が出ていた。それが平行にいくつも続いている。先ほどの地層のような線の正体だ。小麦は秋にまいて、夏に収穫すると聞いたことがあるから、随分と早い発芽である。
春になるころには、このあたり一帯は、二人が並んで写真を撮った風景になるのだろう。広大な敷地一面に風が吹き、小麦の穂が揺れる様を想像するだけでも、マリアにとっては息を飲むような思いだ。
「きっと、綺麗なんでしょうね」
マリアの独り言を、隣を歩くシャルルがすくいあげる。
「そうだね。父さんと母さんが、写真を撮る気持ちが分かる気がする」
ザァッと風が吹き、マリアの髪を風がさらう。髪の隙間から、マリアの穏やかな瞳が覗く。
シャルルはその美しい光景を、心の奥底にしまう。両親のように、写真を撮ろうか。そういえば、マリアはどんな顔をするのだろう。そんなことを考えて、軽く頭を振る。
「さ。せっかくだから、もう少し村の方も見て回ろうか」
シャルルが声をかければ、マリアの美しい瞳がシャルルを映す。
「はい」
シャルルには、それだけで十分だった。
村の中心部……といっても生きていくうえで必要最低限の店がいくつかと、民家がポツポツと並んでいる広場を二人は見て回る。若い二人が珍しいのか、村人たちは気さくに話をしてくれた。
「よく来たねぇ」
そう声をかけて、マリア達に先ほど買ったばかりのパンを手渡してくれるおばあさんまで。
「やっぱり、小麦の産地だから、パンも美味しいんですね」
マリアはそれをありがたくいただきながら、食料品店で購入したリンゴジュースに口をつけた。
「そういえば! ソティさんの思い出、といっても、どう探せばいいんでしょう」
太陽が頭上を通りすぎ、マリアはようやく本来の目的を思い出した、と言わんばかりに声を上げた。何かヒントが、と意気込んで来たものの、村は村である。とりわけ、何かめぼしいものがあるわけでもない。
「そうだね。そろそろ、母さんの思い出を探しに行こうか」
バケットの最後の一口を放り込んで、シャルルは立ち上がった。
「父さんの作った倉庫を見に行ってみよう」
シャルルが指をさしたのは丘の先に見える、小さな塔。積まれた赤レンガが、日差しを受けてきらめいていた。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
今回は、ソティの記憶をあきらめきれない二人の謎解き旅行になりました。
果たしてソティの生まれ故郷で何か手掛かりを見つけられるのか、続きもお楽しみに!
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