信頼関係
トーレスは退屈そうに本を枕元へと放り投げると、ごろりと体を半回転させた。
「チッ……なんで、俺がこんなところで……」
自分で蒔いた種だ、とはわかっているものの、世の中の理不尽さに悪態をつかずにはいられない。はたから見れば、王族に生まれただけでその生活は保証されているようなものなのだから、贅沢な悩みにも見えるが、当事者ではそうはいかない。
マリアは、営んでいる店の店番をしなければならないとかで、下の階にいる。客はほとんど来ないらしいが、それでも全く、というわけではないようだ。先ほども一人、店に訪れてマリアと長話を楽しんで帰っていった。
誰も来ない、という確証があれば、トーレスだってマリアと店を見ていられる。しゃべり相手がいれば、幾分か暇をつぶすこともできただろう。だが、現実はそうもいかない。とにかく、見つかって大騒ぎになるのだけは避けたかった。
マリアからも、しばらくは休んでいたほうがいい、といまだに念押しされる始末だ。いくらか本を渡され、ベッドの上でそれを読んでいるのが関の山だった。城暮らしも似たようなものではあったが、従者がいたし、一日中歩き回っても見切れないほどの敷地だってあった。それが今や、こんな小さなログハウスとは。まだ雨風がしのげるだけましだ、と自分に言い聞かせても、数分後にはやはり、同じようなことを考えてしまうのだった。
「お昼ご飯にしませんか?」
いつの間にか、眠っていたようだ。扉をノックする音に、トーレスは目をこする。
「もう、そんな時間か」
トーレスはだらだらと体を起こすと、大きく伸びをして扉を開けた。
ふわりと鼻をくすぐる良い香り。パスタだ。トーレスはもはや指定席となったリビングのイスに腰かけると、マリアが持ってきたサラダやスープに目を輝かせた。
庶民の味も、死にそうな思いをした後ではうまいと感じられる。西の国の料理に比べて味付けがしっかりとしていることも、そう思わせる要因かもしれない。目の前にマリアが腰かけると、トーレスは料理に手を伸ばした。
「トマトクリームソースか……うまいな……」
一口、蝶ネクタイ型のパスタ――ファルファッレを咀嚼したトーレスが目を見開く。その所作は相変わらず美しく、マリアはその手つきを見つめた。
「ペッパーがよくきいてる」
的確な味の見極めも、良いものを食べて育ってきた経験がトーレスの体に染みついているからなのであるが、まさかトーレスを王族だとは思っていないマリアには不思議に思うばかりだ。
「あの、トーレスさん……」
マリアは食事の手を止め、トーレスを見つめた。
「ん? なんだ」
トーレスは音もなくフォークを定位置へ戻し、顔を上げる。
「いえ、その……。トーレスさんは、お家を飛び出してきた、とそうおっしゃっていましたけれど……。どうして、お家を飛び出して、ここに?」
マリアとて、他人の過去を詮索するのは好きではない。だが、いつまでもこのまま、というわけにもいかなかった。
トーレスの美しいヘーゼルアイに、ふっと暗い色がにじんだ。マリアは慌てて頭を下げる。
「すみません……。でも、いつまでもこのまま、というわけにもいかないと思うんです」
トーレスの心には、不安が芽生えていた。マリアの言う通り、このまま一生ここにいるわけにはいかない。だが、西の国へは、戻りたくない。マリアにすべてを話して、どうなるというのだろうか。王城を飛び出した王族が他国に侵入している、と国に突き出されるのがオチではないか。そもそも、こんな話を信じてくれるのだろうか。
「私が力になれることは少ないですが……話して楽になれるのなら、お話いただけませんか」
マリアの瞳は、どこか切なげに揺れていた。
「馬鹿げた話だと思うかもしれないが……俺の話を、信じると約束しろ」
子供じみた脅迫だ。裏切られるのが怖くて、保険をかけるようなことを。トーレスはそう思うのだが、目の前に座るマリアの表情は真剣そのものだった。
「お約束します、トーレスさん」
マリアが頷いたのを見つめ、トーレスはやや戸惑いながらも口を開いた。
自分が、西の国の第三王子であること。家族からの扱い。ディアーナ王女との婚約破談のこと……。そして、王城を飛び出し、この国へ来たことも。
マリアはその間、何度か驚いた表情を見せたが、最後まで決して嘘だとは言わなかった。
「……店は、いいのか」
話し終えて気まずくなったのか、トーレスはマリアから視線を外す。マリアはいたずらがばれた時のような、子供っぽい笑みを浮かべて眉を下げた。
「実は、お昼ご飯の前に、営業中の看板を下げちゃいました」
トーレスさんと話がしたくて、というマリアは優しく微笑んだ。
「それにしても、まさかトーレスさんが王子だなんて……。あっ! えっと、トーレス王子、とお呼びしたほうがよろしいでしょうか……」
「今更だ。トーレスでいい」
かしこまったようなマリアの口調に、トーレスは首を振った。トーレスとて、今までは王族としてふるまってきたが、王子になど、なりたくてなったわけじゃない。庶民として生きるにはいささか王城暮らしが板についてしまったが、せめてマリアの前でくらいは、普通の人間でありたい、と思う。
「堅苦しいのもなしだ。俺は、家も、国も捨てた……」
トーレスは言いながら、視線を落とす。どんよりとした雰囲気に、マリアは慌ててパンと手を打つと、出来るだけ明るい声を上げる。
「そ、それじゃぁ! トーレスさんのことは今まで通り、ということで、ね?」
可愛らしく小首をかしげて微笑むマリアに、トーレスはそっと顔を上げる。
(マリアには、かなわないな)
トーレスは初めて、心を許せる相手が出来たような気がした。
「とにかく! そういうわけで俺は、家族と縁を切ってでも、もう、あそこには戻りたくないんだ」
トーレスがきっぱりと言い切ると、マリアは少し苦い顔をする。
「トーレスさんのお気持ちは、よくわかりました。ご家族とのことは、他人の私が口を挟むべきではないと思いますが……」
マリアはうぅん、と口元に手を当てる。縁切りなど、本来は簡単に出来るものではない。ましてや王族だ。西の国の法律には詳しくないが、確かこの国では、しかるべき手続きを踏まなければならなかったはず……。
「あの……トーレスさんがいなくなったことを、ご家族の方は?」
「そんなものは知らん。だが、あいつらのことだ……。どうせ、その辺のネズミが逃げだしたくらいにしか思ってないだろうな」
自嘲気味にトーレスは言い放つ。とにかく、家族の話はごめんだ、というようにそのまま顔をそむけた。マリアは考える。トーレスの生い立ちを聞いてしまった以上、完全に否定することはできないが、果たして本当にそんなに簡単に割り切れるものだろうか。少なくとも、血のつながった家族ならば……まして、王族ならば……。言い方は悪いが、体裁的にも、捜索依頼くらい、出すのではないのだろうか。
「トーレスさん、差し出がましいことを言うかもしれませんが……」
「なんだ。言ってみろ」
マリアの言葉に、トーレスはちらりと視線を向ける。一応、聞いてはくれるらしい。
「私のお知り合いの方に、こういうことに詳しい方がいらっしゃいます。とても良い方で、お力になっていただけると思うんです。その方に相談してみるのは、いかがでしょう」
マリアは、あえて、こういうこと、とぼかす。そこには、家族との話し合いも含まれているのだが、それを言えば、トーレスは頑として首を縦には振らないだろう。
「……ふん。まぁ、いい。お前が言うなら、やってみるか……」
ずいぶんとこの短期間で信頼されたようである。トーレスの許しを得たマリアは、さっそく便箋を一枚取り出すのであった。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
本日は、ユニーク4,700達成&新たにブクマをいただきまして、本当に感謝感激です。
夢の100件まであと少し、これからも何卒よろしくお願い致します。
いよいよ、マリアも物語の核心へ触れることとなりました。
そして、次回、マリアのお手紙によって物語はさらに動き出すことに……?!
ぜひ、次回もお楽しみにいただけますと幸いです♪
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