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調香師は時を売る  作者: 安井優
収穫祭編

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収穫祭の恩恵

 五日間に及ぶ収穫祭が終わり、マリアは店に戻っていた。久しぶりに穏やかな一日だ。相変わらず客は来ないので、マリアは存分に植物の手入れにいそしんでいる。雑草を抜き、森に生えている植物の状態を確かめ、屋上の花壇を植え替える。

「リコリスと、ネリネは裏庭に植えたし、サフランは屋上。カンパニュラは鉢植えにして、店先かしら。スノーフレークとスノードロップは屋上に植えるとして……。あとは……」

 マリアはメモを見返しながら、植えた草花を一つずつ確認していく。昨年植えたチョコレートコスモスの様子も後で見に行かなくては、とメモに加える。


「お届けものでーす」

 マリアはその声にパッと瞳を輝かせた。収穫祭の時に買った苗と鉢植えが届いたのだ。慌てて声のする店先へとかけていく。見覚えのある紙袋を片手に持った郵便屋の青年は、マリアの姿を見つけると、器用に片手をあげた。

「収穫祭は楽しんだかい?」

「はい。おかげさまで。これも、収穫祭で買ったものなんです」

「どうせそんなことだろうと思ったよ。この鉢植えなんか、見たことない植物だったから、どう扱おうかって悩んだぜ」

「すみません。ありがとうございました」

 青年は、いいってことよ、と軽く笑みを浮かべると、マリアに紙袋を渡して去っていった。


 マリアはそのまま店先で、紙袋から鉢植えと苗を取り出す。

「はわぁぁ……かわいい……」

 まるで小さなランプのような、真っ赤な実。小さな袋状のそれは、まんまると、しかし先端がすぼまっていてどうにも愛らしい形をしていた。緑の葉とのコントラストも美しい。

「この間のチェリーブロッサムといい、ホオズキといい、東の方には本当に素敵な植物があるのね」

 マリアはうっとりとその鉢植えを眺める。今朝からの作業で土にまみれた手を頬に()えても、まったく気にならないくらいに夢中だ。


「先に、苗を植えなくちゃね」

 マリアは思い出したように、紙袋に入っていたもう一つのお土産を取り出す。ビデンスの苗だ。ビデンスは、繁殖力が高いので、裏庭ではなく森のほうへ植える。植え替えや水やりも必要がないので、ちょうどよい。マリアの祖母であるリラと、マリアによって森はずいぶんと様々な草花が育つようになった。ビデンスも今年から仲間入りだ。


「冬の間も花を咲かせるっていうし、今から楽しみだわ」

 冬はどうしても、咲く花の種類も決まってしまう。森も冬眠に入るのだ。そんなわけで、冬は少しばかり寂しい、というのがマリアの本音だった。

(でも、今年の冬は、いつもより少し華やかになりそう)

 マリアは期待に胸を膨らませた。


 ビデンスを植え、ようやくホオズキの鉢をもって、マリアは店に戻る。今朝、街の広場から戻ってきてからほとんど飲まず食わずの体力仕事で、マリアの体力は底をつきかけている。調香のことと、植物のことになるとつい夢中になりすぎてしまうのだ。まだ暑さも残る時期。気を付けなければ、とは思っているものの、楽しい作業はそう簡単にはやめられない。

(それに……)

 こうして手を動かしていなければ、ついついミュシャのことを考えて寂しくなってしまうのだ。マリアはブンブンと首を振って、最後の一仕事を片付けようと足を踏み出した。


 向かった先は、カントスの絵を飾っている場所。観葉植物がいくつか並んだその棚に、ホオズキも今日から仲間入りだ。

「うぅん……赤がよく映えるから、端っこにそのまま置くのも、なんだか味気ないよね」

 マリアはどこに置こうか、と遠くから眺めては、こっちだろうか、いや、あっちだろうか、と鉢植えを並び替える。可愛らしい鉢植えは、そこにあるだけで、店全体がどこか幻想的で、華やぐような雰囲気にさせた。


「はぁ……。やっと、終わった……」

 マリアは店に置いていたミントウォーターを飲み干すと、ようやく一息ついた。秋を迎える準備もこれでばっちりだ。ホオズキを飾ったことで、店にも秋らしい雰囲気が漂う。どこか落ち着いた風合いの、夕焼けを思い出すような柔らかな赤は、まさに秋の到来にふさわしい。マリアは、何時間でも眺めていられる、とイスに腰かけて鉢植えを眺めた。


 そうこうしているうちに、閉店時間がやってくる。客が来ないので、開店していようが、閉店していようが関係はないのだが。日が暮れると店内は暗くなってしまうので、その前に店じまいをしなければならない。夕暮れの穏やかな光に照らされたホオズキは一層輝いて見え、マリアは視界にホオズキが入るたび、閉店準備をする手を止めてうっとりとそれを見つめるのだった。


 収穫祭で両親が安く買ってきた野菜やキノコ、そして魚や加工肉を持たされたので、しばらく夕食には困りそうもない。マリアはその豊富な食材にふんふん、と思わず鼻歌をこぼす。今日の夕食は、野菜をたっぷりとのせた魚の包み焼きと、ベーコンのスープ、それからサラダだ。一人で食べるには少し多いくらいにも思える量だが、魚はあまり日持ちしないので、早めに食べてしまうに限る。マリアは、手慣れた手つきで魚のうろこをとり、頭や内臓をおとして、三枚におろしていった。


 魚のさばき方を教えてくれたのは、意外にも祖母だった。母親もうまかったが、祖母にはかなわなかった。ちなみに、マリアの父親は料理が恐ろしく下手で、あの料理上手な祖母の血を受け継いだとは到底思えなかった。

「おばあちゃんは、昔、自分で魚を取っていたっていうけど……本当かしら」

 マリアは魚をさばく手を止めて、そういえば、と思わず呟く。確かに森には南北に向かって伸びた小川があり、魚も泳いでいたように思うが、祖母が釣りをしている姿は想像できなかった。


 そんなことを考えながら、マリアは綺麗にさばいた魚を塩コショウで味付けし、()き詰めたローレルの上へ並べていく。さらにその上から、野菜をのせ、香草をのせ、完全にフタをする。あとはオーブンで蒸し焼きにすれば完成だ。

 その間に、ベーコンを切り、玉ねぎをきり、さっと炒めていく。飴色(あめいろ)になったところへ水とスパイスをいくつか放りこむ。このまま煮込んでいればスープも完成。マリアは手早く夕食を作っていく。


 オーブンからふわりと良い香りが漂い、マリアはそっとフタを開けて中から、先ほどの魚を取り出した。野菜はくったりとしていて、魚にも十分に火が通っているようだ。

「いい香り……」

 蒸された香草からは、独特の香りが立ち込め、マリアの空腹を刺激した。

「スープも良さそうね」

 マリアはお玉で一掬いして、味を確かめる。塩コショウを加えて味を調え、料理の出来に満足した。


 サラダは切った野菜とドレッシングを和えるだけなので簡単だ。パンとバターを並べ、スープをよそい、メインディッシュである魚を皿に盛りつける。なんとも豪華な夕食である。秋の実りを祝う収穫祭の恩恵に、さっそくあやかった形で、マリアはキラキラと目を輝かせ、手を合わせた。

「いただきます!」

 朝から一生懸命に体を動かしていたのだ。空腹に決まっている。スープの優しい味がそんな疲れた体にしみわたり、マリアは

「んん~~~~!」

 と目を細めた。


 そんな良い香りに誘われたのか、それともはたまた偶然か。森をさまよっていた一人の青年は顔を上げる。ふらふらとした足取りで、しかし一歩ずつ確実に進んでいく。

「こんなところで死んでたまるか……」

 強い意志のこもった瞳には、ゴウゴウと炎が燃えていた。


 マリアは、おいしい夕食に舌鼓(したつづみ)を打っていた。

 この後、国を揺るがす大事件に巻き込まれるなどと知る(よし)もなく。

いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!

本日は、新たにブクマをいただきまして、本当にありがとうございます!

4,300ユニークもいつの間にか達成しており、感謝感激です。


さて、今回で収穫祭編はおしまいです。

残暑の残る、秋のお祭りの雰囲気、最後までお楽しみいただけましたでしょうか。

次回から新章。またしても不穏な予感ですが……新章もよろしくお願いします!


少しでも気に入っていただけましたら、評価(下の☆をぽちっと押してください)・ブクマ・感想等々いただけますと、大変励みになります!

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