独り立ち
「僕、独り立ちしようと思うんだ」
ミュシャの声が、静かなリビングに響く。マリアはまるで時が止まったかのような心地だった。ようやく振り絞った声も、自分が予想していた以上に震えてしまった。
「……それって、この店から出ていくってこと……?」
「うん。そういうことになる、かな」
「どうして……?」
自分のせいだろうか。マリアは思わず顔をゆがめた。
ミュシャは、ぽつり、ぽつり、と話し始めた。実家で一人靴職人を営む父がもう良い年齢であること。ある程度、自分の服が作れるようになり、いろんな人に認めてもらえるようになってきたこと。いつかは、独り立ちをすべきだと決めていたこと。
「この間の、告白がうまくいかなかったからじゃないよ」
ミュシャは苦笑する。
「マリアと気まずくなったから、とか、そんなことじゃないんだ。むしろ、そろそろ独り立ちをしないとって思ってたから、マリアには告白したんだし」
会えなくなる前に、思いだけでも伝えたかったんだ。ミュシャは大人びた表情でそう言った。
「それじゃぁ……」
どんなことでも、ミュシャの決めたことは応援する。そう決めていたはずなのに、マリアは素直にミュシャの独り立ちを受け入れられなかった。突然の別れ。それをミュシャから突き付けられるなんて、思ってもみなかったのだ。今考えれば、ミュシャの好意に、マリアは無自覚に甘えていたのだろう。
「もう、今までみたいには、会えなくなるの?」
マリアの声は小さく、弱々しいものだった。
「そうだね。でも、会えないわけじゃないよ。鉄道もあるし、馬車だって」
「だけど」
マリアが他人の言葉を遮るのは珍しかった。ことさら、ミュシャの言葉を遮るなんて。驚いたミュシャが視線をあげた先には、泣きそうな顔をしたマリアがいた。
「こうしてゆっくりお話をしたり、一緒にお出かけをしたり、買い物へ行ったり……」
できなくなっちゃうのね。マリアは悔しそうに口を結んでうつむいた。ミュシャのことを応援したいのに、行かないでほしい、という思いが邪魔をする。
「うん。ごめん、マリア」
ミュシャは、優しい瞳をしていた。そっと手を伸ばして、マリアの柔らかな髪をなでる。普段とはまるで逆だ。てっきり、素直に応援されるものだと思っていた。それが、マリアという人物だからだ。自分のことよりも、相手のことばかりで。こんなことをマリアに言うと怒られてしまうが、少しばかり、嬉しい、という気持ちがミュシャの中には芽生えている。マリアはそんなミュシャの気持ちは知らず、首を横に振った。
「ううん……。ミュシャは、悪くないの。困らせて、ごめんね」
眉をハの字にしながら、マリアは無理やりに作ったような笑みを浮かべた。
しばらくして、ようやく気持ちが落ち着いたのか、マリアはゆっくりと口を開く。
「ミュシャのこと、応援したい……」
泣きそうな瞳で、静かに笑みを向けた。ミュシャは、そのマリアの表情にほっと安心する。
「マリアなら、そう言ってくれると思ってたよ」
「ごめんね、困らせるようなこと言って」
「ううん。僕も、びっくりさせてごめん」
互いに謝罪すると、ようやく緊張の糸がほどけたのか、二人は微笑んだ。
「マリアのことだから、正直、頑張ってねって言われて終わりだと思ってたよ」
「私だって……ミュシャの決めたことは素直に応援しようって思ってたんだよ。でも……」
寂しいものは、寂しいのだ。ミュシャは、家族のような、大切な友人なのだから。
「ちょっとだけ、嬉しかったんだ。マリアが、引き留めてくれてるみたいで。だって、ずっと一緒にいたのに、笑顔で送り出されてもちょっと寂しいから」
ミュシャはクスクスと笑う。
「だから、そんな顔をしないでよ。マリア」
マリアのかわいい顔が台無し。ミュシャはそう言って、マリアの頭を再びなでた。
「ミュシャ、ちょっと変わったね」
「そう、かな。マリアに振られて、ちょっとスッキリしたのかも」
ミュシャのいたずらっ子のような笑みに、マリアは、もう、と頬を膨らませる。
「なんだか、大人っぽくなった」
「そんなすぐには、大人にはなれないよ」
もともとクールで、落ち着いた雰囲気があったが、そういう部分だけではない。心に余裕ができたような、そういう雰囲気がある。
(かわいい弟みたいに思っていたのに……)
ミュシャの成長に、マリアはほんの少し、寂しさを覚えるのだった。
そうだった、とミュシャは声を上げる。
「悲しいことばかりじゃないよ。僕が店を持てば、マリアの香りを、僕の店でも売れるんだから」
「私の香りを、ミュシャの店で?」
「うん。僕の店は、ここと東都のちょうど真ん中くらいだし、そうしたら東都のお客さんにもマリアの香りを楽しんでもらえる」
ミュシャは瞳を輝かせる。
「僕は、マリアの作る香りの大ファンだから」
「そういえば、この話のことは、パパやママには伝えたの?」
「うん。収穫祭の前にね」
ミュシャがテラスを使ったのはその時だ。マリアの父親に、二人で話をするにはここが一番だ、とテラスに招かれたのだから。
「それじゃぁ、パパもママも、知っていて私には一言も……」
「僕が、自分で話すって言ったからね。秘密にしてもらってたんだ」
ずるいわ、とマリアは今日何度目かの拗ねたような表情を見せる。ミュシャはそんなマリアを、優しい瞳で見つめた。
それから、二人の話はミュシャの新しい店のことで盛り上がった。もともと父親が経営している靴工房の隣に空き店舗があるらしい。そこに親子二人で店を構えるのだそうだ。工事は冬が始まる前から。ミュシャが実際にその店へ移り住むのは、店ができる来年の春ごろからなのだそうだ。
「内装はもう決まっているの?」
「まだ。でも、落ち着いた風合いにしたくて。あとは、僕の服が映えるように、できるだけシンプルな内装にしようと思ってる」
「それは楽しみね。できたら、一番にお祝いに行きたいな」
「もちろん。最初のお客様は、マリアって、もう決めてるんだ」
マリアの言葉に、ミュシャはにっこりと微笑んだ。オリーブ色の瞳が、美しい三日月を描く。
「良いの?!」
「うん。僕が、そうしたいんだ」
「ありがとう、ミュシャ」
たくさんお金を用意しておかなくちゃね。そういうマリアも、美しく微笑んだ。
「あと半年、よろしくね」
「うん。こちらこそ、ミュシャ」
二人は優しく笑いあう。寂しさが消えるわけではない。だが、前を向いて、進むべき道を進んでいかなければならないのだ。マリアも、ミュシャも。
二人の様子を、そっと見守るマリアの両親。互いに目を見合わせ、それからそっと微笑む。最愛の娘と、息子のように過ごした青年のこれからの幸せを祈って。
いつもお読みいただき、本当にありがとうございます!
新たにブクマをつけていただいて、毎日本当に嬉しい限りです。ありがとうございます♪
ミュシャが独立を告げ、ついに収穫祭もおしまいです。
次回で収穫祭編も終わりですが、お話はまだまだ続きますので、これからもよろしくお願いします。
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