第九話
「信じられないでしょ!?」
戸塚奈々子はジョッキに注がれたビールをグイッと飲みながら、友人の天樹に居酒屋で愚痴っていた。
ところが普段は黙って相槌を打ってくれる友人は顔をしかめる。
「奈々子のお兄さんって、《あの》マンションに住んでたんだ」
「あのって……有名なの?」
友人のトーンに奈々子はぎょっとなった。
「ええ。私みたいなオカルト好きには。あとオカルト業界でも、ね」
と答えながら天樹は梅酒ロックに口をつける。
奈々子の大学時代の友人、天樹はオカルト好きだ。
就活ではオカルト雑誌「ファントム」を発行している出版社・幻霞社を受け、無事に就職したほどには。
「聞いてる感じ、その管理人とウツロギって呼ばれた男性は、嘘をついているわけじゃないと思う」
「そ、そうかな?」
天樹の発言を聞いて、奈々子はちょっとトーンダウンする。
この友人の冷静な意見はいつでも頼りになったからだ。
近根木やウツロギに言われても絶対に認めないだろうが、天樹が言うなら、という心境になる。
「でもまだ納得できないわ」
奈々子は焼き鳥にかじりつきながら言った。
「奈々子はオカルト否定派だものね」
と天樹は苦笑する。
「否定派というわけでもないけど」
奈々子は言ったが、これは信じている友人に対する遠慮だった。
すくなくともオカルトが原因で死人が出るなんて、奈々子は信じていない。
天樹はそんな奈々子を見て優しく微笑む。
内面を見透かされたようで奈々子は恥ずかしくなり、ビールを飲んだ。
「奈々子はどうしたいの? お兄さんの死をついて納得したい?」
と天樹に訊かれる。
「そうね。納得したいわ」
奈々子は迷わずに答えた。
「兄さんはドジだけど、いつもわたしには優しかった。お金を貯めやすい方法を見つけたとうれしそうに話していたわ」
話しているうちに泣きそうになる。
おやつはいつも多めにくれたし、ケンカになってもすぐに奈々子に譲ってくれた。
兄に対して素直になれないこと、兄のような優しさを持てないことを恥じ入ったものだ。
「それが《あの》マンションなのね」
天樹の言葉に奈々子は思い出から現実に引き戻される。
「納得したいなら、私の仕事を手伝ってみる?」
と天樹が提案してきた。
「瑪瑙の?」
不意のことに奈々子は面食らい、枝豆に伸ばした手を止めて、天樹瑪瑙の顔を見る。
「ええ。去年から掲載枠を持たせてもらえるようになったから、自分なりにオカルト情報を調査しなきゃなんだけど、ね」
友人が何を言おうとしているのか、奈々子はすこしずつ察してきた。
「……あなたに同行していれば、オカルトに対する意識が変わるかもしれないって?」
「それに奈々子はいまフリーライターでしょう? わたしのパートナーとして申請すれば、取材費を出しやすいのよ」
と天樹は脈ありと判断したか、説明をおこなう。
「それはありがたいわね」
フリーライターの諸経費は、原則として全額自腹だ。
予算が潤沢なクライアントなら、あるいは支給してくれるかもしれないが、奈々子にはそんな経験がない。
瑪瑙のことだから助手を兼ねたライターが欲しいのも嘘ではないのだろう、と奈々子は推測する。
「乗ったわ」
奈々子の決断は早かった。
社会保障がないフリーのライターはまずは稼がないといけない。
でないと兄のために怒ることも、真相を探ることもできないのだ。
「どんなのを調べてるの?」
と奈々子は問う。
「数年前にあった、修学旅行での女子生徒集団昏睡事件って覚えてる?」
天樹に問いを返されて奈々子はうなずき、首をかしげる。
「あれって施設の不注意だったという話だけど?」
「警察が無理やり結論を出しただけで、実は原因は不明なのよ」
天樹は真剣な表情になって言った。




