第六十四話 いくら出せばこいつを売ってくれる!?
俺は内心で恐慌状態を迎え、カップを持つ手がガタガタと震える一方で、後輩……パトリックの方も微かに震えていた。
「コイツがスラム落ちした理由は……なんだったか。家が没落寸前で、どこぞの魔法実験の生贄に差し出されたから、研究所から逃げてきたんだったか?」
一人だけ平常運転な親分はソファに座って足を組み、パトリックの方を向きながら暢気に話している。
「は、はい。ボクの家は魔道具の販売を主軸にしていたのですが……その。ええと、レインメーカー子爵が事業を始めてからというもの、業績が急激に悪化しまして」
「おいおいアランが原因かよ……。あー、あのなアラン。当てつけで連れてきたワケじゃないんだ。そのよ、条件にハマる奴がコイツしかいなくてだな」
親分の言葉が全く頭に入ってこない。
俺の頭は容量いっぱいまで、あわわわわわわ。という言葉で埋め尽くされていた。
どうも、魔道具販売で荒稼ぎしている男。アラン・レインメーカー子爵です。
今、頭の思考回路がクラッシュするくらいには困り果てています。
状況としてはまず、人材を雇いに古巣を尋ねたら、俺が原因でスラム落ちした少年が現れた。
これが何の変哲もないモブの少年ならば、「責任を感じるから小間使いに雇うか」くらいの温度感だったのだろうが。彼は乙女ゲームの攻略対象である。
しかも、よりによってメリルが恋人の候補に挙げていたパトリックが現れたのだから、もう焦るしかない。
現状ではハルとクリスしか恋人候補に挙がっておらず、クリスも保留の状態。
まだ見ぬパトリックが「原作」通りなら恋をするのも悪くないかなと、そんな話をメリルから聞いていたので、俺は彼に期待していた。
「……いくらだ」
「あん? いくらってのは?」
だが、残された最後の希望がスラム落ちしていたのだ。これは非常にマズい展開である。
俺の全力を持って、この状況を何とかしなければいけない。
「親分! いくら出せばこいつを売ってくれる!?」
「人身売買はご法度っつってんだろ、このタコ!」
確かに親分はそう言っていたが、今は緊急事態だ。
細かいことは気にしていられない。
「ああ分かった。本人が求人に納得すりゃいいってことか!」
俺はぐるりと首を回してパトリックの方を見て、目線を合わせたまま彼の元に詰め寄る。
目が合った瞬間、彼はビクっと肩を震わせた。怯えているようだが、そんなことは些末なことだ。
「ほら、雇用契約書だ! 給与の欄に好きな金額を書き込めオラァ!」
「え? ええっ!?」
俺は彼に向けて、勢いよく雇用契約書を突き付ける。
「お、おい、急にどうしたアラン! 一回冷静になれ!」
「俺は冷静だ!」
「冷静じゃない奴はみんなそう言うんだよ! いいから、自分のことを客観的に見てみろ!」
言われて、自分の姿勢を確認して、気が付く。
そこには右手でパトリックの胸倉を掴み、左手で雇用契約書を眼前に突き付けるという。
およそヘッドハンティングにおいて、あり得ない行動を取っている男がいた。
……よし。一度、落ち着こう。
確かに俺は冷静ではなかったようだ。
しかし、切り替えの早さは俺の美徳である。
心を静めて、一瞬で執事モードに早変わりだ。ここからは少し紳士的にいこう。
「では改めて、アラン・レインメーカーです。……どうなさったのですか? そんな表情をして」
穏やかな口調で話しかけたのだが、反応は芳しくない。
パトリックは依然として、怯えたままだ。
「いやお前、実家を没落させて、自分が生贄にされる原因を作った男がよ。逃亡先に押し掛けてきた上に恫喝してきたんだから、ビビるのは当たり前じゃねえかな?」
親分は呆れた顔で言うが、言われてみればそうである。
向こうからすれば、一体ボクに何の恨みが? と聞きたいところだろう。
だが、別に恨みつらみは無い。意図的にやったわけではないのだ。
まさかクリスの魔道具を「原作」よりも早く発売した結果、パトリックの家が凋落することになろうとは。こんな展開、誰が予想できたと言うのか。
もしや「原作」でも、クリスルートの裏でパトリックはスラム落ちしていたのだろうか?
もしかすると、クリスの事業が軌道に乗るまでの間にウィンチェスター家が商売へ見切りをつけて。魔道具以外の事業で成功して持ち直すという展開だったのかもしれないが、そんなものは全てたらればである。
舞台裏は色々と予想できるが。真相はただ一つだ。
俺が起こした行動のせいで、パトリックが貧民街に身を窶すことになった。現実、真実はただそれだけである。
これは意地でも軌道を修正しなくてはいけない案件だろう。正規のルート通りに入学してくれば、メリルに選ばれる可能性だって十分にあるのだから。
彼だけは絶対に確保。保護したい。
それに、ここで彼を逃がしたら、この後どうなるか。
雨に濡れた子犬のような雰囲気を持つ、可愛らしい顔の少年が一人で、貧民街をウロウロしていたら。
そんなもの、ほぼ確実に攫われる。
こんなオイシイ獲物を狙わないような人間は、スラム街にはいない。
今ここで無事に立っていることが奇跡なのだ。
かどわかしに遭い、ショタコン趣味の変態貴族にでも売られたら目も当てられない。
何としても、どんな手を使ってでも、彼を保護しなければならない。
そう思った俺は勧誘のセリフを探したのだが。
自然と、ある言葉が口をついて出た。
「なあ、パトリック。お前……俺のものになれよ」
「ひぇっ!?」
いけない。これは確実に別な意味に取られた。俺はパトリックの顔色から、一瞬でそう判断した。
これでは俺がショタコン趣味の変態貴族である。
「違う。今のは、何としてでも秘書に欲しい逸材だ。他に渡したくないという意味だ」
「だったら勧誘文句を考えろよ……。おいパトリック、お前はどうだ。コイツの元で働きたいか?」
聞かれたパトリックはと言えば、全力で首を横に振っている。
そこまで拒絶しなくてもいいのに。
……しかし困ったことになった。
彼とは初対面であるし、予期せぬ遭遇戦のため、事前準備は何もしていない。
交渉カードを切ろうにも、相手の情報など皆無である。
入学してくるのが来年なのだから、対策は後回しでいいかと考えていたツケが回ってきたのだ。
今持っている情報は、実家から売り飛ばされたことと、違法な実験施設を脱走したことの二つのみ。
まずは分かっている部分から攻めていくしかない。
そう決めた俺は、居住まいを正して言う。
「なあパトリック。復讐……したくはないのか?」
「いえ! レインメーカー子爵に復讐など全く、これっぽっちも考えていません!」
また別な意味に取られたようだ。
俺にやられっぱなしで悔しくないのか。という意味ではなく、彼を売った家族や、研究所とやらの人間を恨んではいないか? という意味である。
意図が捻じ曲がって伝わるのは困ったものだ。
しかしここまできたら、凝り固まった固定観念を崩すのは容易ではない。
彼の目から見た俺は「強欲で残忍な上にショタコンの変態貴族」という、最低最悪の人物に映っていることだろう。
どうやったらこれ以上印象を悪化させられるのかと問いたいくらいだ。初対面の俺とエミリーなど比ではないくらいに、好感度は地の底を這っている。
「……どうも、今日はいつにも増して調子が悪いな」
こんな時こそ人に頼るべきだ。
そう思い、俺は親分の方を向いて右手を上げた。
「俺、ちょっと表に出てます」
「え? おい、パトリックはもういいのか?」
「親分から、どんな条件なら俺に雇われてもいいか聞いておいてください。ついでに雇われたくなるような説得をお願いします」
顔は前科が百犯くらいありそうな親分だが、意外とお人よしなのだ。
俺の頼みを断るという選択肢が最初から抜け落ちているし。こちらとしても、それを分かった上で言っている。
「この状況で、本人を前にして滅茶苦茶言うな! ……ああもう、乗りかかった船だから話はつけてやるけどな。これは貸しだぞ、アラン!」
「ははは、構いませんよ。貸しの一個や二個」
頼られたら嫌とは言えない親分の性格を利用しているのだから、むしろ俺の方が、悪人が板に着いてきたのではないだろうか。
親分への借り程度でパトリックを手中に収められるならば安いものだ。
「頼むぞ、親分。どんな手を使ってもいいから、イエスと言わせてくれ」
今こそ、本場の世紀末式交渉術を見せてくれ。
そう思い、俺は応接室とは名ばかりの、掘っ立て小屋の外に出て天に祈った。
果たしてパトリックは、アランの秘書になってくれるのか。
次回、親分が見せる、本場の世紀末式交渉術――は、大体カットされる予定です。南無。




