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僕が何か言う前に、右隣に座る真紀さんが言う。
「『わたしの高尾』とは、どういう意味なの、千沙?」
千沙が嫌そうな眼差しを、真紀さんに向けた。
『自分の姉だけで手いっぱいなのだから、今は黙っていてほしい』
という千沙の考えが分かる。
「真紀。言葉の意味通りだけど」
「高尾くんの気持ちも考えず、よくそんなことが言えるね」
「真紀は関係ないでしょ。実際のところ、水沢くんの告白を断っているんだから。動物園だって、一緒にパンダ見に行っただけでしょ。パンダ見たからってデートじゃないからね」
いやパンダはいなかったけども。
そして、そんなことは実にどうでもいい。
真紀さんは何か言い返そうとしたが、言葉が出てこなかった。
僕の告白を断ったことを思い出したらしい。
僕も真紀さんの告白を断っちゃったけどね。
そもそもあれが全ての始まりだったのだ。
と、懐かしんでいる場合じゃない。
千沙は改めて強調してきた。
「レイトショー一緒に行ったら、それはもうデートだけど」
千沙の論法は意味不明。
しかし狙いは分かる。
こうなったらもう、僕と付き合っていることで押し通すつもりらしい。
その先には、結婚があるのを知っているのかな。
おそらく今の千沙は、今日だけ乗り越えればそれで良し、という思考。
僕はそれで良くない。
この状況を乗り越えるには、何か妙案が必要だ。
妙案がないなら苦し紛れでいいか。
千沙と付き合っていないことを証明し、陽菜さんを納得させる。
その上で、レイトショーを千沙と行ったことは謝罪する。(巻き込まれたとはいえ、同行した責任はあるし)。
あとは千沙をどう黙らせるか。
すでに傍観者を決め込んでいる里穂が呟いた。
「この修羅場は伝説になるわね」
「……里穂、君という奴は──あ」
苦し紛れの策なら思いついた。
しかし、これは里穂をも犠牲にする道。
僕としては、それは避けたい──
里穂がワクワクした様子で、
「中学の夏休みに見ていた昼ドラを思い出すわぁ」
よし、やはり犠牲になってもらおう。
僕は里穂に小声で言う。
「里穂。僕たちは親友だよね?」
里穂はキョトンとした顔をしてから、力強くうなずいた。
「もちろんよ、高尾」
「親友なら、崖から飛び降りるときも一緒だよね?」
罠にかかった、という顔。
「ど、どうかしら。親友だからこそ、片方は崖の上に残って、助けを呼びに行くべでは? レスキュー隊とかに」
「いや、親友ならば」
「親友ならば?」
僕は里穂の瞳を強い眼差しで覗き込んだ。
「共に落ちるべし」
里穂がぽかんとして、
「なぜかしら、そんな気がしてきたわ」
渋井里穂、押しに弱し。
「よし言質とった」
「あ、まって。いまの嘘──」
正気に戻った里穂が慌てて言うが、すでに遅い。
僕は立ち上がり、自然、全員の注目を集めた。
「陽菜さん、真紀さん、千沙、あとついでに小夜さん」
千沙が警戒の眼差しを向けてきた。
真紀さんは怪訝そうで、陽菜さんは──何を考えているか読めない。
ついでの小夜は、お淑やかにほほ笑んだ。今や傍観者を決め込めるのは、小夜だけになる。
「まだ発表していないことがあったんだけど」
こほんと咳払いを入れてから、
何だか、ドツボにハマろうとしているような、という気分を拭いつつ。
「僕はいま、里穂と付き合っているんだよ。つまり、カップル。しかも、えーと、結婚を前提に」
陽菜さんの表情はいまだ読めず、千沙の視線は鋭くなり。
里穂は死人の顔。
そして真紀さんがびっくりした様子で聞いてきた。
「いつ、から?」
僕は真紀さんを見返し、ついで里穂を見た。
「えーと、今朝、から。ね、里穂?」
『崖の底に突き落とされた』里穂は、いまだ死んでいる。
復活はまだ先のようだ。
ふと小夜と視線があった。
小夜はくちびるだけ動かした。僕は読唇術の心得などないが。
なぜか何を言った分かった。
「今のは悪手でしたね、水沢さん」




