18.包容力
ポロッと落ちたのが自分の涙だと気がついたのは、頬を伝う水が熱かったから。
よっちゃんがいなくなって、一人になって、そして、私は泣いていた。
どうして泣いているのか自分でもわからない。
失ってしまったような気がした。
何か大切なものを。
誰かと一緒にいると自分を偽ってしまう。
無理をして合わせてしまう。
それが嫌だったのに。
孤独であるということを、自分に嘘をつかないってことでもあったのに。
私は、自分を見捨ててしまったのだ。
「安藤さん?」
意識を裂くような声。
猫山君だった。
「ここにいたんだ。探したんだよ」
「う、うん。ごめん。すぐ行くから」
ズズズ、と鼻をすする音がしてしまう。
見逃して欲しい。
猫山君は頭がいい人だ。
そして察してくれる。
私は今誰からも相手にされたくないってことを。
誰とも話したくないってことを。
見えないけれど、泣いているってことを。
できれば、応援団になんか行きたくない。
今日は休みたい。
明日、猫山君に会って、ああ、ごめんごめん、昨日は行けなくて。
ちょっと体調が悪くて。
とか、白々しい言い訳をして、それに、え、何かあったのかよ、とか虎鉄君が空気も読めずに突っ込んできても、猫山君が、風邪だったんだよね、とかフォローしてくれる。
そんな未来が私には見えた。
だから、大丈夫だ。
なのに――
「え?」
フワッ、と学ランを着せられる。
お世辞にも丁寧に着せられたものではない。
着せると言うよりも、ただ乗せただけ。
「ちょっとこっちきて」
「あっ」
腕をつかまれてどこかへ連れ去られる。
人の視線が痛い。
ひと気がなかったとはいえ、廊下を歩いていたらそりゃあ一人や二人は出会う。
ああ、そうか。
連れられながら気がつく。
学ランを上から乗せられたのは、このためだったのかと。
私が泣いているところを誰にも見せないようにするための配慮だったんだ。
「ここなら誰も来ないと思う。鍵もかけたしね」
連れてこられたのは部室。
応援団が使っている部室でちょっと埃っぽいが、確かにここならば誰にも私の無様な顔は見られない。
「何かあった?」
「ううん。ただなんか涙が出て。あのっ、そのっ」
ひっく、とこみあげてくる。
何を言っても、無駄かもしれない。
私だって涙を流すとは思ってなかった。
自分でもなんで泣いているか。
理由が分からないのだ。
これで重大なことで悩んでいると勘違いされたらどうしよう。
なんでもないことなのに。
ちょっと友達と口論しただけだ。
私がよっちゃんにとって、どうでもいい存在だって思われてるかもしれないって思っただけだ。
そんなことないよ。
だって、付き合い長いから。
よっちゃんには友達がたくさんいる。
でも、私と一緒にいる時間が一番長いんだ。
よっちゃんが私のことを裏切るはずがない。
裏切りとか言う言葉が出る時点で、私が悪いんだ。
だって、よっちゃんは志望校を、私がいるからっていう理由で決めたんだ。
自分の将来を、好きでもない相手のために決めるはずがない。
こんなものは全部杞憂。
よっちゃんは私のことを大事に思っている。
だから、なんともない。
そのはずなのに。
「胸ぐらい貸すよ。ボクも泣きたい時あるからさ」
「うっ――」
抱きしめられる。
優しさは時に、暴力より破壊的なんだ。
私はこの時初めて知った。
「うあああああああああああああ」
部室は防音ではない。
音が漏れて他の生徒に聞かれるかもしれない。
だけど、こらえきれなかった。
涙がとめどなく流れていく。
溢れてくる気持ちも止められない。
「私、好きな人がいて……」
「うん」
「好きな人がこの高校に来たから入学したのに……。私、何も話せなくて……。それなのに、ずっと恋愛相談していた、私にとっての唯一の友達が仲良くなってて……。何の相談もなくいつの間にかそうなってて……」
猫山君みたいには真っ直ぐになれなかった。
私だって正しい道を歩みたかった。
犬塚先輩のためにここまでやってきた。
勉強ができない私が進学校の北高校に入学した。
運動ができない私が応援団に入団した。
全ては好きな人の近くにいたい――ただそれだけのことだったのに。
もしもこの世界が物語の世界だったら、絶対に結ばれるはずだ。
だって、努力するヒロインの苦労を、いつだって目ざといヒーローが駆けつけてくれるはずだから。
近くにいる美女には目もくれず、冴えないヒロインに都合よく惚れて、性格だけを見てくれる、そんな物語の中に登場する王子様みたいな人だったらよかった。
でも、これは現実だ。
そもそも。
私は性格なんてよくないのに。
努力なんてきっと人並みにはしていないのに。
もっと簡単に犬塚先輩に近づける何かをすればよかった。
傷つくのが怖くて。
失敗するのが嫌で。
振られるのを拒絶していた。
悪いのは分かっている。
でも、その次は?
どうすればいいのか。
誰か教えて欲しい。
「私、どうしたらっ――」
今なら誰でもすがる。
恋はタイミングなんていうけれど、きっと、ここにいたのが誰であっても私は縋っていた。
すぐに答えを出してくれるなら、それを盲目的に信じたであろう。
でも、そうはしなかった。
「ごめん、すぐには答えだせないよ。今はただ泣こう。どうするべきかは後で考えよう」
「――うん」
そんな簡単に答えが出せるのなら、出しているよね。
こじつけでもいいから出したり、適当に流したりしない。
ちゃんと受け止めてくれる。
そう思ったら私は、泣いた。
誰にも甘えないでいた私は、思いっきり甘えた。
硬くて男らしい胸板に顔を押し付けて、泣きながら叫んだ。
あまりにもうざすぎる。
いきなりすぎて、私だったら離れてしまいそうだ。
そのぐらい私は冷徹だった。
でも、猫山君は違った。
猫山君は何も言わずに、落ち着くまでずっと傍にいてくれた。




