6-8
……俺は、手にケガをしていることも忘れ、思いっきり拳を握った。
ぶるぶる、と震えるその拳からは、痛みは感じない……いや、実際は感じていないわけがない。せっかく巻いてもらった包帯にまた血が滲みだしていたのがその証拠。……痛いのだ。
だけど、痛くない。――その理由はきっと、俺の中の〝怒り〟が、〝悲しみ〟が、その痛みを遥かに凌駕してしまっていたからだろう。
……俺は、これからどうしたらいい? ――一度失敗して、こんなにも俺たち〝家族〟を悲しませた結は、二度と自殺などという行動には出ないだろう。だけど、その代わりに結は、自分自身を追い込む……それも、もう〝後戻りもできないほど〟に、だ……そんな結を、俺はどうやって支えたらいい? 下手をすれば、もう会話すらできなくなるかもしれない。そうなってしまっては、もはや生きる屍も同然……命以外の何もかもを、全てを、失ってしまうのだ。
それだけはさせてはダメだ!! ――そう強く思いはするものの、この現状を打破できるような都合のいい考えが、そう簡単に思い浮かぶはずもない。
俺はただ歯噛みをし、何もすることもできずに、ただ、俯いて身体を震わせていることしかできなかった。
――だが、その時だった。
「あ~あ、みっともない」
突然、母さんがそう言葉を漏らしたのだ。
「え?」と、ふいのその言葉に力が抜け、俺は恐る恐る母さんの方を向くと……母さんはなぜか、微笑んでいた。
……わけが分からなかった。なぜ、母さんは微笑んで――えっ!? まさか、母さんは思いついたのか!? この状況を打破し、覆すことができるような、そんな都合のいい方法を!!?
「……あら? 何? そのすがるような目は? べつに母さんは、亮ちゃんが考えているようなことを思いついたわけじゃないわよ? ただ、男の子のくせに、そんなとこで、ダラダラダラダラ、考え込んでいるのが〝みっともない〟って、そう思っただけよ?」
なっ!
再び、ぐっ! と身体に力が入った……が、何も……言い返せなかった。
そうだ。俺はみっともない……一番大切にさえ思っている女の子一人さえも救ってやれない、惨めで哀れなクソヤロウだ。
だけど……
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ?」
今度は、俺から母さんに聞いた。
「まさか、一か八か結と話し合いでもしてこいって言うのか? そんな無謀なこと、俺にできるわけが――」
「――できるわよ」
「……え?」
思わず固まってしまった俺を見て、母さんはまた、ふふ、と笑って続けた。
「一か八か……無謀結構じゃない。行ってきなさい。……と、まだ結ちゃん寝てたっけ? じゃあ、起きたら話してみなさいな。何ならその辺を散歩でもしながら――」
「母さん!!!」
俺は、耐え切れなくなって大声を上げた。
「ふざけてるの? こんな時に! そんなことをしたら結は一生、心を閉ざしてしまうかもしれないんだぞ!?」
「分かってるわよ、そんなこと」……そう、平気そうな顔で母さんは答えた、
「分かってるって……分かってないよ! だって……!」
「……だって、何?」
「……っ!」
……俺は、それ以上何も言うことができなかった。なぜなら、それ以上先の言葉は、この俺自身が〝分からなかった〟のだから……。
ふぅ……母さんはそんな俺を見て、ため息をついた。
そして、次の瞬間。
「やれやれね。……亮ちゃんは、最初で最後かもしれないこの〝チャンス〟を、何もしないまま終わらせるつもりなのね?」
その言葉が、俺を貫いた。
「……〝チャンス〟?」
あら? 気づいてなかったの? と母さんは情けなさそうに両手を広げた。
「だって、〝チャンス〟じゃない。――今後結ちゃんがどうなるか分からない今、ちゃんと面と向かって会話できる機会は、〝今〟しかないかもしれないのよ? それが〝チャンス〟じゃないって言ったら、いったい何なのよ?」
「……!!」
た……確かにそのとおりだ。現状では今後、結とはちゃんとした会話すら成り立つのかも分からない。だけど、〝今〟なら……現に結は、母さんに抱きしめられた時に〝泣いて〟いた。つまりはまだ、完全には〝心を閉ざしてはいない〟状態にあるのだ。それは即ち、母さんの言ったとおり、最初にして最後の〝チャンス〟! ――危うく俺はその機会を何もせずに終わらせるところだったのだ!
「……やっぱり、母さんには敵わないな」
ふふふ、と笑顔も増して母さんは言いきった。
「当然でしょ♪ ……だけど、〝分かってる〟わね?」
「……ああ。〝分かってる〟さ」
――そう、これに失敗したら、本当にもう後がない。結は確実に心を閉ざしてしまうだろう。
だけど、俺はやらなければならないのだ。失敗を恐れずに、しかし絶対に成功させなければならないこの、〝最後の会話〟を……否! これから先、一生続いて行く、
〝最初の会話〟を!!
「……ぶっちゃけ、ぶっつけ本番でどうにかなるものなのかな、これって?」
「……さぁね? それはもう、亮ちゃん次第なんじゃない? ……母さんが代わりに行ってあげたい気もするけれど……きっと、母さんじゃ必ず、〝失敗〟する。――だって、母さんじゃ、結ちゃんの中にある〝モノ〟が、決定的に一つだけ〝足りない〟んだもの……」
「……〝足りない〟?」
何が? 聞こうとした俺を、母さんは、ふふふ、とさらに笑った。
「――そんなの、全部終わってから自分で考えなさい!」
「……???」
……よく、意味は分からなかったが、それはきっと、必ず成功させなさい! と、遠回りに俺に活を入れたのだと、俺は勝手に解釈した。




