閑話 深く深く 前編
リシュコールの始祖は現王都の地を始めとして、当時の周辺国を瞬く間に制圧し、領土を拡大したという。
それらの土地は今、リシュコールの一部として存在している。
始祖の力は強く、それに匹敵する多くの家臣を従えた強国は、瞬く間に大陸の覇者となった。
力は、驕りを生み……。
そして、大半の力を失った今も驕りだけが残っている。
私の国、リーディアはかつての侵略より逃れた国の一つである。
しかし、国の一部とならなかった事が良い事だったのかは疑問が残る。
他国だからこそ、別個の物として見下す事もできようから。
「ベルデ大使。呼び立てたのは他でもない。翌月より、食料品の献上を倍にしてもらいたい」
リシュコールのリーディア外交担当は城のオフィスへ呼びつけ、挨拶もなくそう告げた。
「倍……ですか? リーディアにそれほどの余力はございません。今も重い税収に喘ぎながら献上を行っているのです」
答えると、外交担当は資料から顔を上げ、私の顔をじっとりとした目で見やる。
「言い方が悪かったようだ。これは要求ではなく、決定事項だ。拒否権などない」
恥も臆面もなく、気負いも無く、ただ当然の事と放たれる言葉。
それが成せるのも、長く続いたこの国の澱があってこそか。
「しかし……」
「お前達は我が国の傘下にあらねば、早晩にも滅ぶような小国。我らに歯向かったとして、貴様らに何ができる?」
ゼリアという獣の威を狩る小物がよくも言えるものだ。
その言葉を噛み殺し、内心を悟られぬよう気落ちした表情を作る。
「……承知、いたしました」
声を震わせて答え、私は退室する。
直後、私の顔から表情が抜け落ちた。
馬鹿馬鹿しい。
我々に何ができるか、だと?
見たければ見せてやろう。
労苦の果て、力尽きて人が死ぬというのは我が国において日常茶飯事である。
リーディアの人間は過酷な労働を強いられ、そうして結実する糧は自らの物とならない。
全て、リシュコールの元へと渡る事となる。
苦しみを課されているのは、何も生産に携わる者ばかりではない。
程度の差はあれ、支配階級の者も例外ではない。
国全体が、リシュコールの搾取によって苦しんでいた。
歴史を紐解けば、リシュコールの各領地も我が国も立場に違いはない。
直接的に支配されているか、間接的に支配されているかの違いしかない。
だというのに、何故我々はこのように苦しまねばならないのだろう。
私は自らの力によって、農民から今の立場へと登る事ができた。
国に残した父母、弟妹はそれによって今も命を繋げていると言っていい。
しかしそれも今後はどうなるかわからない。
このままでは、私の立場においても家族を守れなくなるかもしれない。
それでは何のためにこの地位についたのかわからない。
だからこそ、私は国を説き伏せた。
今こそが、リシュコールに一矢報いる時だ、と。
家族を守るためならば、私はどのような手段も取ろう。
本国へ一時帰還した私は、国への報告の後にある場所を目指した。
キョウカ領。
そこはリーディアから隣接したバルドザードの領地である。
国境の指定された場所に向かうと、既に案内人が待っていた。
案内人のかぶるフードからちらちらと見えるのは、白い髪。
「え、えっと、行きましょう」
おどおどとしたその声からは相手が女性だとわかる。
先導する彼女について、森の中を歩く。
私は素直に従う。
警戒心はない。
もう、何度目になるかわからない事だからだ。
森を抜け、平地を馬でかけ、水平線に町が見え始めた。
キョウカ領の領主町である。
そのまま領主の館まで向かう。
「で、では、シ、私は外で待っています。帰る時にお声がけしますね」
館の中に入ると、黒いドレスを纏う細身の女性が出迎えてくれる。
「ようこそ。ベルデ殿」
「この度は、場を用意いただきありがとうございます。領主様」
彼女はキョウカ領の領主。
バルドザードの貴族である。
「先方は応接室に見えています」
「わかりました」
領主はいずこかへ姿を消し、私は使用人に案内される。
もはや案内は必要ないが、それに従い辿り着いた応接室。
中では痩せた中年男性が待っていた。
「お招きに応じていただき、ありがとうございます。アジン大使」
アジンはリーディアと同じく、リシュコールの同盟国である。
そしてリシュコールからの扱いもまた、我が国と同じであろう。
「応じねばならぬほど、我が国も困窮しているという事だ」
笑みも無く、アジンの大使はそう答え返した。
「このような場所に呼び出して、何を話すつもりだ? まぁだいたい想像はつくがな」
「アジン国に対しても、リシュコールから要求があったはずです」
アジン大使は答えずに私の目をじっと見据える。
「横暴極まりないこの要求、国の命脈を絶つに至るものであると思えます。これに対し、抗するべきではないかと我が国は考えております」
「反乱でも起こすつもりか?」
「反乱は既に起きております。リシュコールの横暴は外だけでなく内にも達し、立ち上がった者が一軍を率いてついには領の一つを占領したとか」
「ではそれに乗じ、貴国はリシュコールに抗するという事だな」
「いいえ、それは違います」
否定の言葉にアジン大使は意外そうな表情を作る。
「内乱がなくとも我々は動くつもりでした。乗じるのではなく、好機が寄り添ってきたのです。これは天命と言うに他ならぬ事でしょう」
大使は黙り込み、髭を撫でる。
こちらの話を精査するように、その頭の中では考えを巡らせているのだろう。
「我々は既に多くの国と密約を結び、各リシュコール領の領主町を同時に襲撃する計画を立てております。もちろん全て露見せぬようバルドザードの領地を使い、話は詰めております」
暗にそれは、バルドザードがこの計画を支援しているという事でもある。
会談の場を設けた時点で、バルドザードの後ろ盾があるという事を示す行動であった。
「戦いのきっかけを作ったバルドザードに大義があるとは思えぬがな」
「しかし、現状のリシュコールに大義があるとも思えません」
しばしあり、アジン大使は口を開く。
「乗るにしろ、乗らぬにしろ……。どちらにしろリスクはある。逆らって速やかに滅びるか、恭順して緩やかに滅びるか……。私個人の見解では後者が良い。苛烈な生など求めていないのでな」
「リシュコールの奴隷として死ぬと?」
「残念ながら、私は国の一員として生きている。国の求める事へ従うのが仕事だ。我が国の首脳は、あなたの提案に魅力を感じているようだ。だから私はここにいる」
断られるかと心配したが、少しだけ緊張が和らぐ。
「この度の話、持ち帰らせてもらう。後日、可否は伝えさせていただく」
「了解しました。では、また後日」
それからリーディア本国に戻り、滞在している間にアジンからの返事はあった。
無論、計画に参加するという話であった。
戦地におけるゼリアの脅威は音に聞こえ、主戦場より遠いリーディア本国にまで轟いている。
恐れぬ事などできない。
拮抗する国同士の戦いで、一個人の武名だけが一方的に伝わるというのは尋常ではない。
それを相手に凌いでいるバルドザードは実に上手く戦っているのだろう。
ヘルガ王は直接ゼリアと当たらぬよう、なおかつ一進一退の攻防を成立させている。
余程の軍略家なのだろう。
私としては、そちらの方が賛美に値する。
並大抵の事ではない。
その上、リシュコールと違い周辺諸国との関係も疎かにはしていない。
これが今回の我々の動きを見越しての事であるならば、さらに頭の下がる思いだ。
武力ではリシュコールに軍配は上がるが、長期的な戦いで見れば最終的にはバルドザードが戦略的な勝利を得るように思えてならなかった。
だからこそ私は、国へこの計画を進言したのだ。
リーディアと同じ境遇の国には全て声をかけた。
そして、アジンを最後に全てが我々に賛同した。
計画の実行は目前である。
各領地への襲撃が成功し、物資の供給を断てばリシュコールにとって大打撃となる。
バルドザードと戦う事などできなくなるだろう。
その動きに対して、リシュコールは何の反応も見えない。
諜報部の目が光っていた時は、このような事ができる余裕もなかった。
さらに言えば、このような行動に出る必要すらなかった。
シアリーズ様は、情の人だった。
平時であった事を加味しても、献上品の要求は易しかった。
だが今は違う。
あの方を失ったこの国には、もはや何の義理も感慨もない。
諜報部の威光もない。
後を継いだあの方の娘は多少優秀でこそあれ、父親に遠く及ばない。
あの恐るべき、諜報部を活用できずにいるのだから。
リシュコールに戻った私は、大使館へ足を踏み入れる。
その瞬間に、館が静か過ぎる事に気付いた。
人の動く音が無い。
今は夜。
とはいえ、人が寝静まる時間ではない。
使用人達もまだ働いている時間だった。
不審に思いながらも、私は執務室へ向かう。
室内の仕事机。
席に着く人物に、私は目を奪われる。
「こんばんは。ベルデ殿。お邪魔させてもらっているよ」
そう笑いかけたのは、ロッティ・リシュコールだった。
「バルドザードへの小旅行は楽しかったかな?」
今回の更新はここまでです。
次はまた月末に。




