閑話 バルドザード開戦 後編
ジークリンデがリジィと対峙していた頃、時を同じくして隊の最前列。
子供の頃から馬に怯えられてしまうゼリアは、ゼウスに乗って移動していた。
その後ろを双子の乗った馬がついていく。
そんなゼリアの視界に、バルドザードの軍団が現れた。
「ようやくか」
これまでバルドザード国内で行われた戦闘は拠点の攻略だけであり、野戦の類は起こっていなかった。
王都までは半ばの距離であり、侵攻に対する迎撃としては対応が鈍重と言えた。
「あら、楽しそう」
「パーティの始まりね」
敵影を確認した双子がはしゃいだ声を出す。
「お前達なら大丈夫だろうが、無理せず追って来い」
そんな双子に声をかけ、ゼリアは全速力で敵へ向かった。
接近によって次第に鮮明となる敵の形。
愛する人を殺した人間が、あの中にはいるかもしれない。
過ぎる考えに、彼女の胸は熱を帯びた。
炎の熱だ。
自らすら焦がす炎の……。
その炎が、彼女の口の両端から吐き出された。
「「よせ、心を鎮めろ。ゼリア」」
ゼウスの声が聞こえる。
しかし、ゼリアには届かなかった。
次の瞬間、ゼウスの形状が変わる。
滑らかな刃を擁するそれから、曲線の刃が無数に生えた。
まるでノコギリのような形状である。
そんなゼウスを手に取ると、ゼリアは渾身の力で敵軍へと投げ放つ。
回転し、飛来するゼウスに敵の兵士達は抗する事ができなかった。
受けた兵士の体は分断され、それでもなお勢いは止まらず、敵陣の後列にまで達した。
血飛沫に彩られた一直線の道が生まれ、そこへ至るまでには数百の命が失われていた。
その間にもゼリアは敵軍へと迫り、目についた兵士を叩く。
彼女の手が触れた瞬間の兵士の体が消し飛んだ。
そう、消し飛んだ。
炎熱変換によって高温に達した手。
それを振るう豪腕によって、肩口より袈裟に叩かれた兵士の体は驚くほど簡単に壊された。
蒸発を免れた部位も力によって崩れ、あまりの圧力を受けた血液が逆流し形を保っていた部位が破裂した。
蒸気とわずかに残った肉片が攻撃の衝撃を伴い、その背後にいる敵兵士へ叩きつけられる。
質量を伴ったそれは熱波となり、敵兵士を打ち据えた。
受けた兵士達が吹き飛ばされ、倒れこむ。
手のつけられない猛威として敵陣を蹂躙するゼリア。
バルドザードの兵士達は慄きつつも、覚悟の表情でそれに向かっていった。
しかしそれは、ただただ犠牲が増えるばかりの結果となる。
「道開けろ。お前達じゃ相手にならねぇ」
そんな中、声が響く。
声に反応し、開かれた敵陣。
その道を通り、一人の少女が悠々とゼリアへ歩み寄る。
艶のない灰色のベリーショートヘア。
ブラウンの瞳。
筋肉質で張りのある肉体。
神秘的な輝きを放つ鎧。
身の丈を超える大剣。
彼女自身は決して大柄ではない。
しかしそう思わせない威圧感を彼女は有していた。
強者特有の雰囲気である。
「俺の名はギオール。あんた、強いんだってな。どんなもんか見に来てやった――」
ギオールが言い終わる前に、ゼリアが動いた。
全身の体重を乗せ、叩きつけるような右ストレート。
頭を殴られたギオールが地面を転がった。
「?」
殴りつけた拳をゼリアは不思議そうに見た。
そして、倒れたままのギオールへ目を向ける。
手応えが、思っていたものと違っていた。
頭を吹き飛ばすつもりで殴ったが、思った以上に堅かった。
「格好つけておいて格好つかないが、相手にならないのは俺も同じだったわ」
よいしょ、とギオールは立ち上がる。
その顔は血塗れで形が少し変わっており……その形の変わった部位が瞬く間に治っていく。
数秒後には完全に傷が癒え、現れた時と同じ表情でゼリアに笑いかけていた。
それがギオールの持つ呪具、ツクヨミの効果である。
聖具であるイザナギと同種の効果だった。
「あと、なんか言えよ。俺だけ喋ってばかりで馬鹿みたいじゃないか」
ゼリアは答えず、ギオールとの距離を詰めていく。
「しかし、俺の中であんたとの格付けは済んだ。俺じゃ、あんたにはどう足掻いても勝てねぇわ。そんな相手と戦ってもつまんねぇ。もうやりあいたくねぇ」
「命乞いは聞かない。バルドザードは皆殺す……!」
ゼリアが初めて、ギオールに口を開いた。
それに対して、ギオールは嬉しそうに笑った。
「逃げないから安心しろよ。頼まれ事はきっちりと果たす主義だ。ここであんたを止めておけと言われているんだ。ま、頼まれ事の半分はこなしたけどな」
言いながら、ギオールは自分の首を指差した。
ゼリアは意図を察し、自分の首の同じ場所に触れた。
ぬるりと液状のものの感触が返ってきた。
痛みは感じなかったが、傷が出来ている。
最初の接触で、ギオールは殴りつけられながらも反撃していた。
呪具による一撃、それがゼリアの肌を裂いていた。
本当にかすかで、ダメージとも言えない傷。
しかし、彼女に血を流させる者は希少である。
そして、二度目の攻撃がその傷をさらに穿った。
彼女の傷口に、円形の穴が開いた。
それまでを比べ物にならない出血が、傷口から迸る。
ゼリアとギオールの対峙する場所より遥か遠く。
雪の積もる森林の中、シロはスコープごしに狙撃の成功を確認した。
「よかった……。当たった……」
彼女は自分の役割を果たせた事に胸を撫で下ろした。
今の一撃はシロが自分に出せる魔力を全て込めた物だ。
もう、体を強化するだけの魔力すら残っていない。
その全身全霊の魔力を費やし、貫通力を高めた弾丸。
それでも恐らく、ギオールのつけた傷がなければ傷つけられなかっただろう。
ほんのわずかな狙い目に、寸分たがわず打ち込まなければ皮膚で弾かれていたはずだ。
そしてその困難な仕事をシロはやり遂げた。
シロの心は珍しく高揚していた。
それだけ達成感が強かった。
しかし……。
スコープ越しに、ゼリアと目が合った。
高揚に膨らむ心が、急激に萎む。
冷や水をかけられたかのように、心胆が凍えあがった。
「ひっ……」
恐ろしさで、シロは悲鳴を上げる。
ゼリアは出血する首を押さえながらも、しっかりと立っていた。
闘争の意思を失っていない事もその鋭い視線から伺い知れる。
そしてその目が、強い光を灯す。
あれは攻撃の予兆だ。
シロはそれを察知して慄く。
今、攻撃されたら助からない。
恐怖で、シロの体が竦み上がった。
「余所見するんじゃねぇよ!」
ギオールは自らの持つ大剣の呪具、スサノオでゼリアを斬りつける。
ゼリアはそれを咄嗟に腕で防ぐ。
火花を散らしながら肌を撫でる刃。
しかし、それが通り過ぎた場所には、出血すら伴わないかすかな傷が走る程度だった。
反撃とばかりに、ゼリアは瞳に溜め込んでいた光を光線として射出する。
光線によってギオールの首が半円状に吹き飛ばされ、背後にいた百以上の兵士達を巻き込んだ。
「ぐああっ! 痛ぇ!」
悲鳴を上げるギオールの首が、瞬く間に再生する。
再び、ギオールはゼリアに斬りかかった。
ゼリアはそれを腕で防ぎ、火花が散る。
魔力を十全に込めた腕は、刃を通す事がなかった。
「オラアァァァァ!」
しかし、ギオールが気合を乗せた雄叫びを上げるとスサノオの刃が赤く光り、ゼリアの腕の肉に食い込んでいく。
皮を裂き、肉を斬って出血を促した。
それを見て取ったゼリアは腕を振って刃を弾き返す。
「どおだぁ!」
「なめるな!」
「げふぅ!」
腹を殴られたギオールが汚い悲鳴を上げる。
殴られた鎧こそ無傷だが、衝撃は確かなダメージを内臓へ与えていた。
その痛みに耐えながら、一撃を返すがゼリアはそれを難なく避けた。
それどころかさらに一撃を加える。
そこから泥臭い二人の攻防が続く。
とはいえ、殆ど一方的にゼリアが殴り続けているだけだった。
ギオールも攻撃しているが、ゼリアはそれを全て避けている。
しかし、どれだけ全力の攻撃を加えようと、ギオールは再生能力によって持ちこたえていた。
彼女はその呪具の性能だけに頼っているわけでなく、急所だけはきっちりとかわしている。
本来なら身動きも取れぬほどの激痛を受けているにも関わらず、動きからはそれを感じさせなかった。
思うようにいかず、ゼリアはイラつきを覚え始めていた。
「さっさと死ね」
怒りを込めた渾身の拳が放たれる。
ギオールはそれをスサノオの腹で受けて防御する。
踏ん張った足が大地を削りながら滑った。
膝が折れそうになり、スサノオを杖代わりに大地へ突き刺した。
「大層怒ってるな。旦那さんを殺されたんだっけ? やったのは俺じゃねぇんだけどな」
「……じゃあ誰だ?」
「知らねぇよ。全部知ってるのは、ヘルガだけさ」
「あいつか……」
ゼリアは、かつてパーティで対峙したヘルガを思い出す。
「そんな事より、俺に構ってていいのか?」
「?」
「お前、前線に娘連れてきてんだろ? そいつら今、どこにいるよ?」
ゼリアは息を呑んだ。
カルヴィナ。
スーリア。
二人には、自分へついてくるよう言った。
しかし、今も姿を見ていない。
ゼリアは周囲を見回した。
周囲では戦う兵士達の姿があり、その中に二人の姿は見えなかった。
「二人に何かしたのか!」
ゼリアはギオールに向けて吠える。
そんな時、ギオールの肩に緑色の小鳥が留まった。
小鳥の足には書簡がついており、彼女はそこから小さな紙を取り出した。
「ずいぶんと好戦的な娘らしいな。今も人狩りに夢中で、どんどんここから離れていってるらしいぜ?」
書簡を読みながら、ギオールは言う。
「貴様……」
「で、どうするんだ? ほっといたら、また失う事になるかもなぁ?」
ゼリアは憎しみに顔を歪めた。
しかし、すぐにギオールへ背を向ける。
手放したままだったゼウスを呼び寄せると、それに乗って後退した。
大将の後退に同じ場所で戦っていた兵士は不安を覚えたが、後退の指示もないためにその場で戦う事を選んだ。
そんな兵士達を見やり、ギオールは笑う。
「さて、じゃあこれから反撃だ。自分達の国の存亡がかかってるんだ。お前ら、死に物狂いで敵を殺せよ!」
ギオールの号令に、彼女へ付き従っていた兵士達が声を張り上げた。
ゼリアがギオールと戦っていた頃。
カルヴィナとスーリアは一人の女性と対峙していた。
「あの時は、言葉を交わす事もありませんでしたね」
双子は敵兵士との戦いを楽しんでいた。
初めて体験する人を殺すという感覚。
それは聖具を振るう二人にとって、あまりにも容易く希薄なものである。
命を裁断する刃は軽やかに肉を裂き、実感を伴う事すら困難だった。
しかしその実感の希薄さこそが諧謔を生む。
軽々と行われるからこそ感じられる、尊厳の蹂躙。
その背徳的な感覚が、二人を酔わせていた。
流れた血が雪を溶かし、水分を多く染み込んだ土は赤い泥濘を作る。
まばらな白、赤、黒に彩られたその沼地に横たわる人々。
いや、人だったもの達。
肉塊に過ぎないそれらが積みあがり、山となる光景。
地獄のような光景。
それを自分達が作っているのだと思うと、楽しくて仕方がなかった。
そんな二人の前に、ヘルガは姿を現した。
本来はゼリアと双子をヘルガ、ギオール、シロの三人でどうにか止める算段だった。
その間にリジィが輜重隊を襲い、撤退に持ち込ませる。
双子がゼリアの下を離れる事は予定外であったが、ヘルガとしては好都合である。
ヘルガは、皇帝陛下と対峙したくないと思っていた。
「誰だったかしら?」
「ほら、隣の国の王様よ」
「ああ、お父様の仇ね」
「殺していい人よ」
「あら、殺してはいけない人なんているの?」
「ふふ、いないわね」
そんな様子の二人に、ヘルガは手のかかる子供を相手にするような表情を作る。
苦笑の中に慈しみを含んだ……そんな表情だった。
「皇帝陛下の教育はどうなっているのでしょうね? 人様の家庭に口出しするのも差し出がましい事ですけれど……」
そう口にするヘルガへ、二人は斬りかかった。
左右からの斬撃をヘルガは両手に持つ槍と盾で弾き返す。
彼女が手に持つのは、銀色の槍と鏡のように情景を反射する盾。
それらはどちらも呪具。
アスラとヤマである。
「「お話をしにきたわけではないのでしょう?」」
「その通り」
「「私達が作る地獄の一部にして差し上げるわ。お・う・さ・ま」」
双子は連携を駆使してヘルガを攻める。
二人の攻撃はまさに縦横無尽。
上下左右、どのような角度からも放たれ、それらはどれもほぼ同時にヘルガへ襲い掛かった。
しかし、それらの攻撃をヘルガは難なくいなした。
その表情には、焦りの一片もない。
得物で防ぎ、避け、反撃で機先を潰す。
「あなた達の地獄はその程度ですか?」
「「安い挑発ね! 乗ってあげるわ!」」
双子は前後からヘルガを挟む形で迫り、背後からカルヴィナが頭を狙い、前からスーリアが足を狙って攻撃を仕掛けた。
が、ヘルガは盾と槍の石突きで、二人の腹部を殴って迎撃した。
二人は腹を押さえて倒れこむ。
ヘルガの攻撃は深く二人に刺さり、あまりの苦痛にのたうち回った。
「二人共たいしたものですよ。子供にしては」
まさしくそれは、子ども扱いと言うほかになかった。
その声色には一切の危機感がなく、幼子に諭し聞かせるような響きすらあった。
「さて、どうしましょうかね」
痛みに耐えてどうにか立ち上がろうとするカルヴィナを眺めながら、ヘルガは呟く。
ここで双子を始末する事は簡単である。
この未熟な聖具使い達が相手なら、負ける事の方が難しい。
しかし、それをするとゼリアは今以上に怒り狂う事となる。
できれば、ゼリアには今回の事で侵攻に躊躇いを持ってもらいたい。
子供達を危険にさらしたくない。
しかし自分ひとりで攻める事は困難である。
そう判断してもらう事が理想的だ。
その方が、戦は長引くはずだから。
じわじわと熟成されていくような、長く続く怨嗟の温床。
そんな戦争がヘルガの望みなのだ。
さて、このまま双子を逃がしてしまうべきか……。
でも、ここで一人くらい減らしておくのもいいかもしれない。
その方が危機感を持ってくれるか……。
「……む、流石は皇帝陛下。お早い登場で」
思案を中断し、ヘルガは呟いた。
次の瞬間、飛来したゼリアの右拳がヘルガを打ち抜いた。
殴った部分からヘルガの体全体にひびが入り、パリンと鏡が砕けるように肖像が消える。
そしてゼリアは、何もない空間にミドルキックを放った。
再びパリンと音が鳴り、空間が砕ける。
すると、盾でキックを防ぐヘルガの姿が現れた。
ただの蹴りで、呪具である盾を傷つける事はできない。
しかし、それを扱うヘルガの体には確かなダメージが入っていた。
ゼリアの蹴りは、最大限のインパクトを生む位置でヘルガに命中した。
これはゼリアが、姿の見えないヘルガの場所を看破していた事に他ならない。
そのカラクリが解らないヘルガは混乱を覚える。
実の所、ゼリアはヘルガの居場所などわかっていなかった。
ただ、そこいるんじゃないかと思って蹴りを放っていた。
ただの直感である。
そしてその直感が、確信へ及んでいた。
それだけの話だった。
ヘルガはダメージを受けながらも、槍による反撃を試みる。
その呪具には、どのような防御も打ち砕くという概念的な効果があった。
当たればどのような守りも無意味と成り下がる、必殺の一撃である。
対し、ゼリアは左拳で応じた。
槍の穂先と拳がぶつかり……槍が弾き返された。
ゼリアの拳にも深い傷が刻まれたが、明らかに打ち勝ったのは彼女である。
アスラは防御を打ち砕く。
それにゼリアは防御ではなく攻撃で立ち向かったのだ。
能力が発揮できなかったのは、致し方がない事だった。
しかしそれでも、呪具は並みの武器とは違う。
拳で相殺できるようななま《・》く《・》ら《・》ではない。
この人の強さは異常だ。
短い攻防で、ヘルガはそれを悟った。
自分に勝ち目など無い。
タメを作った全力の拳が、ヘルガへ向けられる。
盾を掲げ、放たれた拳を受ける。
あまりにも重い衝撃が加わった。
思わず槍を握ったままの右拳をそえ、両手で支えなければ防げぬほどだった。
ヘルガは逃げるように後方へ跳び、距離をとった。
正直にいえば双子を殺さずに済みそうなのはいい。
それはそれとしてゼリアの相手をする事は嬉しくなかった。
戦力的にも心情的にも嬉しくない。
追撃は来ない。
ゼリアは双子を背に庇うようにして立っていた。
「あ、ら、ママ。これから楽しい所だった、のに……」
「ちょっと、来るのが、早すぎるんじゃ、ない?」
無理やりに笑みを作り、双子達は嘯く。
しかし、どう見ても彼女達に余裕はない。
そんな二人を見やり、一瞬だけ表情を歪めたゼリアはヘルガへと向き直る。
「お前は、ここで殺してやる」
「……!」
殺意を込めた言葉を受け、ヘルガは怯んだ様子を見せる。
その表情には、双子を相手にしていた時のような余裕がない。
武器を持つ手はかすかに震えていて、それを隠す事に彼女は務めた。
ヘルガはゼリアに勝てると思えなかった。
だとしても、退くにはまだ早い。
そんな時だった。
青い小鳥がヘルガの肩に留まった。
その足には、書簡が括りつけられている。
ヘルガはそれを取り、内容を確かめる。
笑みを作った。
「……それは、また別の機会にお願いします」
ヘルガは答え、周囲の兵士へ後退するよう号令をかけた。
「逃げるのか!」
「はい。逃げます」
「させるか!」
声を上げるのと同時に、後ろからゼリアを呼ぶ声が聞こえた。
「陛下!」
叫びながら、伝令が駆け込んでくる。
「どうした?」
ヘルガを睨みつけたまま返事をする。
「輜重隊に被害が出ました。それによってゼルダ殿下が負傷。ジークリンデ様から撤退しろとの言葉を預かっています」
「ゼルダが?」
ゼリアは思わず伝令に視線を移す。
報告を受けた彼女は、強い動揺を見せた。
「お互い、潮時だと思いますよ」
笑みを浮かべながら、ヘルガは声をかける。
事実、退き時であろう。
しかし、ゼリアは素直に引き下がる気になれなかった。
愛する人間を失った、元凶が目の前にいるのだ。
簡単には……。
「早く行かないと、また一人失うかもしれませんよ」
「貴様……」
ヘルガは背を向ける。
それを見送る事に口惜しさを覚えつつ、ゼリアも背を向けた。
「では、またいつか会いましょう。力だけの王が、どこまでやれるのか見守らせてもらいますよ」
ゼリアとヘルガ、その両名が去り、少しして両陣営が互いに退く形で戦いは終わった。
被害の数だけを見れば痛み分けである。
しかし、その被害者の中に将となる人員が多い点を見れば、リシュコールの被害の方が甚大とも言えた。
手傷を負って後退する王の姿は、兵士達へ不安を与えた。
強き王の敗北は、リシュコールの精神的支柱を折るのに十分な事件であった。
この侵攻においてリシュコールはバルドザードの領地をいくつか占領下に置く事となったが、それ以降大規模な攻勢を見せる事はなかった。
それはゼリアの敗北が大きく、今までのように賛同する声が少なくなった事が大きな一因である。
そうして両国は、ヘルガの望んだ緩やかな戦争状態へと続いていく。
ゼリアの憎しみを燻らせつつ……。
ティンベーとローチンは最強なのです。




