閑話 シアリーズ
今回の更新は二話分になります。
二話ともちょっと長いです。
義母から聞いた話では、僕の生まれはリシュコールなのだという。
その日僕は、生まれ故郷の皇都へと訪れた。
ある飲食店の個室で、僕は依頼主とテーブルを挟んで顔を合わせた。
「シアリーズで間違いないか?」
「はい」
「腕が良いらしいな。期待してるぞ」
「ご用件をうかがっても?」
問いかけると、女性は笑った。
粗暴な話し方をする彼女だったが、隠しきれない気品がその所作からは漏れ出ていた。
恐らく、彼女は貴族だろう。
それに武人でもある。
「話が早いな。殺して欲しい人間がいる。私の妹だ。名前はゼリア。ゼリア・リシュコール」
それが僕とジークリンデ・リシュコールとの出会いであり、ゼリア・リシュコールと出会うきっかけでもあった。
僕が傭兵団の団長に売られたのは、三歳の時だった。
親は農民で、兄弟は多かったそうだ。
どこに住んでいたのか。
どういう事情があったのか。
それは憶えていない。
ただ、僕が家族から切り捨てられた事だけは確かだった。
魔力に乏しい男子は戦いに向いていない。
傭兵団に売られるという事は、その役割は一つだけだ。
雑用や下働きなどもこなすが、一番の用途は傭兵達の慰み者。
それが常識だ。
だから、僕の置かれた状況はとても特殊だった。
僕が与えられたのは、団長の息子という立場。
僕は彼女に養子として買われた。
後々に理由を聞けば義母は自分から養子を求めたわけではないらしく、お金に困った僕の家族から買ってほしいと懇願されたからなのだという。
幼い身で家族から売られた僕を不憫に思い、買い取ったとの事だった。
僕以外にも傭兵団に子供はいたが、僕より幼い者は引き取られた当時にいなかった。
子供達の様子は千差あり、己の境遇を嘆く者もあれば、現実を受け入れてむしろ楽しんでいる者もいた。
僕は彼らと良好な関係を築いていたが、それでも境遇に不満を持つ者からは罵倒される事もあった。
子供達の中でも、一番仲がよかったのがグリアスである。
一際体格が良く、みんなのまとめ役をしていた。
僕が他の子供から強く当たられている所を見ると、よく助けてくれた。
傭兵団は戦いのある場所を巡り、亡くなるなり出て行くなりして傭兵達は減り、減った分だけまた新しい傭兵が増える。
男達も同様で、貯めた金で自分を買って出て行く者や傭兵に身請けしてもらって団を離れる者もあった。
しかし、男性が女性からぞんざいに扱われるという構図が変わる事はなかった。
転機が訪れたのは、僕が十五歳になった頃である。
きっかけはある戦場での事。
敵方に優秀な指揮官がいて、進軍に支障が出た。
指揮官は前線で戦う事はなかったが、彼女の指示で動く部隊は度重なる戦果を上げていた。
その戦果というものは、言い換えれば味方側の犠牲数と等しいものである。
現状を打破するため、僕は敵指揮官の暗殺を提案した。
できるかどうかは懐疑的な目で見られたが、藁にもすがる思いだったのか了承を受ける事ができた。
戦力に数えられるようになれば今の待遇を脱する事ができるという利点を説くと人手は簡単に集まり、作戦は決行された。
結果は成功。
戦地では流れの娼妓は珍しくもなく、難なく潜入した僕は敵の指揮官を見つけて絞め殺した。
その成功があって、僕達は戦力として数えられるようになった。
暗殺、諜報、破壊工作などの任務を主とした部隊として扱われるようになり、いつしかそれは別の団にまで話は広がった。
別の傭兵団からの仕事も引き受けるようになると、最終的に完全な一個の傭兵団として独立する事にもなった。
独立してからは傭兵団のみならず、噂を聞きつけた諸国の貴族や豪商からなどの依頼も入るようになり、最終的に傭兵団というよりも外注の諜報組織じみたものになっていった。
そして、評判を聞きつけたリシュコールの皇族からある依頼を受ける事になった。
「皇族自らとは驚きだな。どんなやつだった?」
「上品な人だった。人の根底は育ちで変わるものだと思ったよ」
リシュコール皇都の宿屋。
仕事のカバー役として付き添ってくれたグリアスに問われ、僕はそう答えた。
「人にも種類があるってか?」
「かもしれないと実感した」
ふぅん、とグリアスは特に興味を示さずに返した。
「それで、内容は?」
「ゼリア・リシュコールの暗殺」
「……実妹じゃねぇか。何で殺そうとしてるんだ?」
「さぁ?」
そこまでの理由は聞いていない。
「気にならないのか?」
「やる事は変わらない」
「お前は相変わらず好奇心が薄いな」
興味がないのだから仕方がない。
「しかし、皇族から依頼が入るなんてすげぇ事になったもんだな。ガキの頃からじゃ考えられねぇ」
グリアスは昔を懐かしむように言った。
「まぁ、全部お前のおかげだがな。あの時のお前の行動があったから、今の俺達がある。戦場での価値を示したからこそ、俺達は一つの戦力……人間として見てもらえるようになった」
僕はどう答えて良いかわからなかった。
僕自身、傭兵団における男性の地位向上などに何の興味もなかったから。
ただ、あの時は傭兵団が困っていたから、打開策を提案しただけだ。
傭兵団には現状に不満を持つ男性も多かったから、地位向上の可能性を餌に人を募っただけに過ぎない。
利用しただけだ。
「ありがとうよ。感謝してるぜ」
「……必要ない。みんながいたからできた事だ」
「つれないねぇ」
僕はジークリンデの侍従として王城で働く事となった。
王城へ出入りする事で、標的に近づきやすくするためだ。
「お前、理由は聞かないんだな」
王城の廊下をジークリンデと歩いていると、彼女はそう声をかけてきた。
「何の理由ですか?」
「私が妹を殺させようとする理由だ」
「訊ねた方がよろしいでしょうか?」
「……いや、話したくないな」
何なんだろうか?
そんな折……。
「お姉ちゃん」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、小柄な少女が立っていた。
「何だ? ゼリア」
声をかけた相手に、ジークリンデは剣呑な表情を返す。
ゼリア。
では、彼女が僕の標的か。
ゼリアは幼さこそあれ、ジークリンデと顔つきが良く似ていた。
体格も歳相応であり、手足もほっそりとしていた。
しかし胸の大きさだけは度を越えている。
すでにジークリンデよりも大きく、戦場でも稀に見る程度の代物だった。
彼女の着るドレスは胸の上部が大きく開いていた。
これは恐らく、彼女に炎熱の適正があるためだろう。
炎熱の適正がある人間は体温が上がりやすく、それは魔力の源である胸に近いほど如実だという。
その関係で、炎熱の適正がある人間は胸部の露出を多くする傾向にあった。
強い……。
これはまともにやりあえる相手ではない。
そんな事を思いながら見ていると、ゼリアと目が合った。
じっくりと強い眼差しで見返された。
彼女の視線からは緊張を感じる。
殺気など出してはいない。
だが、僕に何か不穏なものを感じたのだろうか?
直感というものは全面の信頼を置ける感覚ではないが、侮れない部分もある。
不意を衝くのも難しいかもしれない。
「何の用だ、と訊いているんだ」
「えーと……」
ジークリンデが再度強い口調で問い返すと、ゼリアは口ごもった。
「お姉ちゃんと話がしたくて……」
「こちらにはない」
答えると、ジークリンデはゼリアを置いて歩き出す。
ゼリアはその背に手を伸ばそうとするが、空を切るだけに留まった。
寂しげな表情の彼女を残し、僕はジークリンデに続いた。
城の一室に案内される。
部屋の中には、一人の少年がいた。
小柄で華奢、顔つきも幼い。
「え、公然と浮気?」
「違う」
少年の言葉に、ジークリンデは不機嫌そうに答えた。
「話していたはずだが」
「うん。わかってるよ」
少年は冗談めかした様子で笑い、僕の前まで来た。
「僕はミッチェル。ジークリンデの彼ピ」
「彼ピ……」
少しの戸惑いを覚える。
「そいつは放っておけ。仕事の話をするぞ」
ジークリンデに呼ばれて、僕は部屋の奥へ向かう。
ミッチェルもそれについてきた。
小さな二人掛けのテーブル席に着き、話を聞く。
当然のようにミッチェルが参加しているが、ジークリンデに咎める様子はなかった。
他に聞かれるとまずい話だろうが、ミッチェルに聞かれても構わないようだ。
ぶっきらぼうな態度を取っていたが、彼は余程信頼されているのだろう。
「方法は任せる。私の名前を出せば、だいたいの場所には出入りできるだろう。ただ、お前が殺した事は悟られるな」
僕が殺したと知れれば、僕を引き入れたジークリンデが疑われる事となる。
当然の条件だ。
「これを渡しておく」
ゴトッと、テーブルに短剣が置かれた。
「魔力保存性の高い金属で作られた短剣だ」
言われて、僕は刀身を鞘から抜き放った。
「これは、合金じゃないのか……」
その短剣は、刀身全てが魔力保存性の高い金属で作られてた。
この類の武器が存在している事は知っているが、高価なために他の金属と混ぜて使われる事が一般的だ。
それが全て単一の素材で作られたとなると恐ろしく値段が張る代物だろう。
「これくらい用意しておかなければ、傷すらつけられんからな。それも一定以上の魔力でなければ不可能だ。この城でそれが適うのは私くらいだ。魔力が尽きそうになったら、補充に来い」
そこまでの準備が必要な相手なのか。
「ゼリアは千年に一人の天才だと言われている。魔力量が圧倒的に多く、扱いも巧い。その上、肉体そのものの魔力適応能力に、限界性まで高いときている」
魔力適応能力というのは、魔力の流れやすさや維持しやすさなどを指すものだ。
つまり、この短剣に使われる金属のように魔力との相性が高いという意味である。
限界性は扱える魔力の許容量と言えばいいだろうか?
魔力量が多くてもそれを最大限肉体に反映できるわけではない。
許容量を超えれば肉体は耐えられずに自壊する事となる。
最高の魔力を持ち、それを最大限に発揮できる肉体を持った人間か。
困難な相手のようだ。
「極めつけにあいつは武芸にも秀でている。まともな武芸者では攻撃を当てる事すら適わない」
盛りすぎだよ。
「だがそれでもやってもらう。そうでなければ……」
ジークリンデは険しい表情になる。
それは相手への憎しみというよりも、追い詰められた人間がするような表情に思えた。
「お任せください」
答えると、ジークリンデは満足そうに笑った。
「期待しているぞ」
手始めに僕は、ゼリアの行動を把握する事に努めた。
努めようとした。
しかし……。
「お姉ちゃんの所の侍従だよね?」
どういうわけか、近づくと僕よりも先にゼリアから補足された。
それは今回だけでなく、毎回の事だった。
それとなく視界外から行動を観察し、できるなら会話も聞ければいい。
そう思っていたが、目標を捕捉してさりげなく近づこうとするといつの間にか姿を消しており、気付けば後ろから声をかけられる。
今回もサロンで友人と話している所を見つけて近づいたが、背後から声をかけられた。
やっぱり、警戒されている結果なのだろうか?
「え、えへへ、ま、迷ったの? 一緒にいてあげようか?」
そして、毎回そう提案される。
接触するのはまずいと思い、今までは断っていたが……。
ここまで困難だとむしろ堂々と話しかけた方がいい気がしてきた。
「はい。まだ城内には不慣れで困っています。お願いしてもよろしいですか?」
「ふへへ、うん。いいよ。……お庭でも行く?」
「ご友人の所に戻らないのですか?」
「う、うん。今は散歩したい気分」
気まぐれな性分なのだろうか?
これは暗殺に生かせるかもしれない。
ゼリアに庭へ案内される。
よく手入れされた庭園には、人の気配が少なかった。
衛兵が立つ姿を幾度か見かけるが、あまり厳重とは言えなかった。
彼女は僕に背を向けて花を見ていた。
しゃがみ込んだ体勢のその背は、あまりにも無防備だった。
「花って何がいいんだろうね? みんな綺麗だって言うけど、私にはよくわからないや。友達が花好きなんだけど、香り嗅いだらちょっと気持ち悪くなっちゃってあんまり良いイメージないんだよね。最近、お城でも見かけないし。元気にしてるかな……?」
背中を見せながら、彼女は喋り続ける。
……今なら殺す事ができるかもしれない。
いや、これは罠なのではないだろうか?
彼女がここへ僕を案内したのは、僕の行動を見るためかもしれない。
二人きりになった時に僕を試したいのだ。
そんな事をして命を奪われる事になれば本末転倒だが、もしそうなっても打破するだけの自信があるのだろう。
それを実行できるだけの実力が彼女にはあった。
ふと、背中を向けたまま、首をめぐらせてこちらを盗み見る彼女の目と目が合う。
やはり……。
油断がならない。
「僕も花の綺麗さがわかりません」
「え、本当? えへへ、気が合うね」
彼女の作る嬉しそうな笑顔も、どこまでが本心かわからない。
本当に、気が合うのかもしれない。
僕も本心を見せない事は得意だ。
いや、そもそも自分自身の意思で何かをしたいと思った事がなかった。
欲求が薄く、不満もあまりない。
感情に類するものは全て希薄で、煙のように流されながら生きてきたように思える。
理性は弱く、本能が強く、ただ生きる事に有利な選択を自動的に選び続ける。
そんな生き方をしてきた。
そもそも僕には、本心なんてものがないのかもしれない。
「いつまで遊んでるつもりだ?」
王城に来て一ヶ月ほどが経ち、僕はジークリンデの部屋で叱責を受けた。
「隙がないのです」
「お前の前では常に隙だらけじゃねぇか!」
ジークリンデはテーブルを叩いて怒鳴る。
なんで怒るの?
「あんな呆れるほど頭ゆるゆるのゼリアは見た事がないぞ!」
そんなはずはない。
彼女と一緒にいると常に視線を感じる。
まるで僕の一挙手一投足までを全て監視してやるといわんばかりだ。
気配を消して近づいても気付かれる。
それは警戒しているからだろう。
不意打ちなど不可能だ。
「見ていてもどかしい! 人気のない場所にでも誘ってさっさと殺れ!」
「僕は警戒されています。誘ってもついてくるかどうか……」
「絶対来るわアホ!」
ジークリンデは冷静さを欠いているのかもしれない。
成功率は恐ろしく低いだろうが、依頼人からの要望だ。
無碍にはできない。
勝率は驚くほど低い。
しかし、皆無ではないだろう。
ジークリンデから預かったナイフが効くならば一番だが、そうでない場合でもやれないことはない。
信じられない事だが、魔力を込めていない女性の体は男よりも柔らかい傾向にある。
魔力を込めた場合の肉体の反応は、筋肉そのものの反応とは別だ。
魔力の効能は硬質化が最大の特徴であるが、筋肉に力を込めた時のように膨張などを起こす事はない。
魔力によって怪力を得るが、重要なのはその怪力が筋肉の強化によってもたらされるものではないという点だ。
これらを踏まえた場合、男性が女性に素手で勝つための最適解は首を絞めて落とす事となる。
どういう事かと言うと、力を抜いていた状態で腕を相手の首に食い込ませた場合、魔力による作用ではこれを退ける事ができないからだ。
金属製の腕巻きなどがあればさらに成功率が上がる。
力を込める事で筋肉の膨張が起こるが、純粋な腕力では男性の方に分がある。
魔力による硬質化では気道の確保もできない。
属性変換に適正を持つ相手だと体から炎や雷を出される事もあるが、完全に極まってしまえば堕ちるまでにそう時間はかからない。
そのわずかな時間を耐えられるか、もしくは相手がその方法に気付かないか、ある程度賭けの要素こそあるがリターンは大きい。
困難ではある。
しかし無謀ではない。
僕は暗殺を実行へ移す事にした。
城の外にある森へ、僕はゼリアを誘った。
簡単に乗るまいとは思ったが、ゼリアはあっさりと誘いに乗った。
「ふ、二人っきりだね。うへへ」
妙に緊張していて、作る笑顔はぎこちない。
ここで仕掛けられるという予感があるからなのかもしれない。
警戒された状態である以上、奇襲などできない。
正面からの勝負を強いられる事となるだろう。
才覚に溢れた女性を相手に、非力な男性が挑み勝つなど夢物語も良い所だ。
しかし、それでも勝つ。
「花の満ちる場所よりも、こういう場所の方が好きだな」
前を歩くゼリアがそう口にする。
好きかどうか、僕にはわからない。
どこに居ようと、僕は感動を覚えた事がない。
僕は音が出ないようにナイフを抜いた。
背後からゼリアに近づき、首を狙う。
「ねぇ……」
ゼリアが振り返る。
咄嗟の事に、突きたてようとしていたナイフを一閃させる。
刃がゼリアの首を撫で、赤い筋が走る。
浅すぎる。
「え?」
彼女の顔には戸惑いと驚きがある。
この事態を予想していなかったかのような表情だ。
しかし、それでも的確に体が動く。
僕の放った二撃目を難なくかわした。
距離を詰め、何度もナイフを振るうが全て避けられる。
反撃はないが、当てられる気がしなかった。
彼女の視線は縦横無尽に走る刃先を捉え続けているようだった。
完全に見切られている。
ならば……。
僕はナイフを斜めに斬り下ろす。
当然避けられるが、そこから振り上げ様にナイフを投擲する。
避けられた。
しかし、彼女の視線はナイフを追った。
視線は僕から外れ、その隙を衝く。
距離を詰め、首に右腕を回す。
その腕で服の襟を掴み締め上げつつ、左肘で喉を圧し上げる。
極まれば、勝ちだ。
「……すごい。極まってたら、私負けてたね」
腕を回し密着した体。
触れるような距離で、ゼリアの呟く声が聞こえた。
回された腕と首の間には、彼女の手が挟みこまれていた。
防がれていた。
これでは、締め上げる事ができない。
僕は賭けに負けていた。
「でも、私の勝ちだね」
どこか、悲しそうな声色でゼリアは宣言した。
足を横から蹴られ、投げ倒される。
仰向けに倒され、仰ぐ天をゼリアの顔が遮る。
「……聞いてもいい? 私、何かあなたに悪い事した?」
僕の顔を覗き込み、彼女はそう問いかけた。
「……何もしていない」
「じゃあ、どうして?」
少しの躊躇いを覚えつつ、僕は答える。
「頼まれたんだ。君を殺して欲しいって」
「……お姉ちゃん?」
僕は答えない。
けれど、彼女はそれを肯定と受け取ったようだ。
「私は、ただの女の子じゃいられないんだね」
呟くと、彼女は僕から離れた。
僕を見逃すと言うのだろうか?
起き上がって振り返る。
離れていく彼女の背が、不意に止まる。
振り返って僕を見た彼女の表情からは、少女らしさが消えていた。
「明日の昼頃、城の入り口で待っていろ」
高圧的な声でそう言い放つ。
「僕を捕らえないのか?」
「私はこれから、この国の王様だ。誰も逆らう事はできない」
それだけ言い置くと、彼女は去っていった。
「酷い状態だろ? お前のせいだよ」
翌朝、僕はジークリンデの部屋へ向かうと、行くと酷い状態の彼女がいた。
ついでにいうと部屋の壁に穴が空いており、部屋そのものが酷い状態だ。
彼女は全身の殆どに包帯を巻き、右腕と右足には添え木までしている。
包帯は頭にも巻かれており、左目が完全に覆われていた。
本来ならベッドで横たわるべき大怪我に見えるが、彼女は椅子に座って待っていた。
そんな彼女をミッチェルが甲斐甲斐しく世話している。
「答えてはいませんよ」
「詭弁なんていらないよ」
ミッチェルが低い声で返す。
その声を聞くだけで不機嫌なのが見て取れた。
「あの馬鹿がノーヒントで私を疑うか。……まぁ、失敗した時点で繋がりのある私を疑う頭はあるか」
ジークリンデは苦笑する。
対してジークリンデはそこまで怒っているようではなさそうだ。
しかし、覇気も感じられない。
「ともかく契約は終了だ」
「わかりました」
外へ出ようとして、ジークリンデに「待て」と呼び止められる。
「おまえ、これからどうするんだ? あいつの気持ちには気付いているんだろ?」
「?」
「……命を狙われて気持ちの変わらないあいつもおかしいが、お前もおかしいから似合いなのかもしれないな」
「失礼します」
「じゃあな」
そのやりとりを最後に僕は部屋を出た。
待ち合わせの時間までには大分早いが、かといって何もやる事がない。
現地で待とうと城の入り口まで向かった。
しかし、予想に反してゼリアはすでに待っていた。
ゼリアは、桃色の生地のフリフリと可愛らしいドレスに身を包んでいる。
僕が来た事に気付くと、彼女は嬉しそうに笑った。
「デートに行くぞ。断るなよ」
そう告げると、強引に僕の腕を取った。
僕は雪の積もる林の中を歩いていた。
ナイフに手をかけたまま、気配を探りながら慎重に歩む。
何者かによって、ロッティが狙われた。
しかしそれが失敗に終わっても、襲撃者の気配はない。
それどころか、再度の襲撃があった。
これは追われる事を前提とした動きだ。
襲撃者は、戦力となりえる僕かクローディアをつり出したいのだ。
二度ロッティを狙う事で、応じなければロッティを積極的に狙うぞという意思表示を伝えている。
その脅しが効くのは僕の方だから、狙いの本命は多分僕。
だからこれは、僕に対する招待状だろう。
防備を固めて強引に振り切ってもいいだろうが、標的は分散した方が安全だ。
ご丁寧に標的を選ばせてくれるのだから、ロッティが危険に晒される事だけは避けたかった。
……避けたかった、か。
僕の人生は、しなければならない事、すべき事を消化するだけのものだったように思える。
けれどこれは義務じゃなくて、僕のやりたい事だ。
僕はリシュコールにとって必要な存在だろう。
ロッティも優秀だが、まだ国を取り仕切る事はできない。
何より、有事の際にゼリアを抑えられないのは大きい。
それでも僕は、ロッティが危険な目にあってほしくなかった。
国にとって有用か、ではなくて僕にとってロッティが尊いからだ。
これは僕個人の気持ちだ。
やがて、視界に人影が入る。
彼女は堂々と僕を待ち受けていた。
「恨みはありません。ですが、世界のためです。あなたには、その礎となっていただきます」
あっさり書きたかったのに長くなりました。




