四十一話 雪の中のお別れ
天候が落ち着いたのは、ボラーを見送って一日経った後だった。
あれほど荒れていた天候も、今はすっかりと見る影がない。
雲間からは太陽が見える。
ほのかだが暖かすら感じられるように思えた。
それを見計らい、私達は視察団と合流した。
「しばらくは天候も崩れないだろう。今の内に帰路へ着いた方がいいかもしれない」
空の様子を見て、パパはそう提案した。
視察団の文官達も、その意見に概ね賛成しているようだった。
けれど……。
「私だけでも、残っちゃダメですか?」
私はそう告げた。
どうしても、ボラー達の安否を知りたいと思ったからだ。
それにパパは考え込む。
少しして答える。
「わかった。じゃあ、僕も残る」
他の視察団を先に帰らせて、私達だけもうしばらく村に残る事にした。
それからイツキの家に、私とパパにクローディアを追加して滞在させてもらった。
ボラー達が帰ってきたのは、それから五日後だった。
なかなか帰ってこない事に少しずつ心配が膨らんできた頃だ。
「ただいま。ご心配、おかけしました」
玄関を開けて姿を見せたイツキは、私達の姿を見つけると頭を下げた。
自分の足で立つ姿を見て、私は安心する。
「元気になったようでよかった」
「はい。お世話になりました」
家の中で改めて話を聞く。
「医者を見つけて診察してもらったのですが、見立て通り病を併発していたようだったので薬を貰って経過観察のために入院させる事にしました」
「気付いたら知らない場所で、知らないベッドに寝かされててびっくりしました」
そう答えるイツキちゃんは、倒れた時と比べて血色が良いように見えた。
「とにかく、無事ならよかったよ」
二人の安否を確認すると、私達は村を出た。
「ありがとう。イツキを助けられたのは、あなたのおかげです」
見送りの時、ボラーから改めてそうお礼を言われた。
「頑張ったのは私じゃないよ」
正直に言えば照れていた。
だからそんな返し方になる。
「また、会えるかな?」
「会いに来るよ。友達になってくれるなら」
イツキの問いに答えると、彼女は顔を赤くして「あはは」と可愛らしく笑った。
そうして村を離れる。
私はクローディアの乗る馬に同乗した。
見送る二人が見えなくなって、街道を行く。
村を行き来する人間は少ないのだろう。
薄くなっているとはいえ、街道は積もる雪で白さを保っていた。
街道が林道へと差し掛かる。
「聖具の力はそれぞれ違うと聞いた事がある」
おもむろに、パパが口を開いた。
「ロッティは、あの聖具の力を知っていたのかな?」
「はい。……本で読んだんです。ヘルメスの力を」
特に隠す意味はないのだけれど、私は誤魔化すように答えていた。
「僕も資料室の本は多く読んでいるんだけどね。見た事がないよ」
パパは何か言いたげだ。
何か疑われているんだろうか?
「君は不思議な子だね」
柔らかな口調だった。
そこに不可思議なものへの警戒や忌避感などはない。
ただただ優しさを含む声色だけがあった。
考えすぎだったかもしれない。
そんな事を思った時だった。
クローディアが私をマントで庇った。
「え?」
私を覆うマントが解かれる。
「助かった」
クローディアが言う。
彼女はパパの方を見ていたので、今の礼はパパに対してのものだろう。
当のパパは、手に見知らぬナイフを持っていた。
「何があったの?」
「これが飛んできた」
そう言って、パパは手にあるナイフを見せた。
どうやら、パパは飛来したナイフを受け止めたらしい。
「どこかからこちらをうかがっている……。だが、どこかわからない」
パパはクローディアに目配せする。
彼女が頷くと、揃って馬を駆けさせた。
その最中、視界にキラリと光る物が見えた。
再び、私はクローディアに庇われる。
馬の嘶きが聞こえ、急停止による衝撃が体を襲う。
恐ろしさから閉じた目を開くと、クローディアの腕にナイフが刺さっていた。
後ろを走っていたパパも馬を停止させる。
「クローディア!」
「大丈夫だ。毒はない」
そうは言うが、腕にナイフが刺さった事には違いない。
それにまだ、誰かに狙われている状況は変わらなかった。
安心できる要素はない。
「前から飛んできた。先回りされているな。こちらよりも速い馬にでも乗っているのか?」
「蹄の音は聞こえない……。身一つで高速移動できる人間の犯行だろう」
パパはナイフを眺めた。
「どちらもロッティを狙っての事だ。しかし、これを起点に襲撃する様子もない。……なら、これは招待状か」
招待状?
「追おう」
そう言って、クローディアは馬を降りようとする。
「いや、僕が行く」
が、パパはそれを制した。
「僕は守りながら戦えるほど強くない。それに、相手は僕かロッティのどちらかを所望だ。だからこれが、最善だ」
言いながらパパは馬を降りた。
私かパパが狙い?
どうしてそう思うのだろうか?
それにその話が本当ならば、パパは囮になろうとしているという事じゃないだろうか?
「パパ……」
「大丈夫だから安心して」
パパは笑みを浮かべて答えた。
気負いなどはない。
そうして林の中へと入っていく。
クローディアと二人で残された私は、不安を覚えながらパパを待った。
馬から降りようとも思ったけれど、もしもの時にはすぐ逃げられるよう降りるなとクローディアから注意された。
パパの消えた林へ目を向ける。
あまりにも静かだった。
風の音と馬の動く音だけが耳に入ってくる。
戦いが行われているのかすらわからない。
それからどれほど経っただろう?
林の奥からこちらに向かってくる人影に気付いた。
その姿を見て、私の不安は晴れた。
パパは抜き身のナイフを持っていた。
愛用の物だ。
そのナイフには、血液が付着している。
「なんとかなったの?」
「……うん。逃がしてしまったけど」
答えて笑うパパ。
そこで、私は気付いた。
パパの衣服が裂かれており、その付近が血で滲んでいる。
「怪我したの?」
「大丈夫だよ。さ、帰ろう」
パパは答え、クローディアに向く。
「ロッティと話がしたいから、代わってくれる?」
クローディアは短く息を吸いこんだ。
その音が妙に大きく聞こえた。
「……わかった」
クローディアはパパの提案を受け、馬から降りた。
パパが私の乗った馬に同乗する。
そうして馬を走らせた。
「相手はどんな人だったの?」
「顔を隠していたから、女性だという事しかわからない。でも、それはいいんだ。もう追ってこないだろうから。それより、話しておきたい事がある」
「何?」
「この襲撃に関して、ママはバルドザードの襲撃を疑うだろう。でも、それはしっかりと否定しなくちゃならない」
「うん。そうだね」
でなければ、戦争になってしまう。
「それでももし戦争になった時は、ロッティに食料の生産量を管理して欲しい」
「え?」
「これまで、僕はリシュコールの食料自給率を抑えてきたんだ」
「どうして?」
「それはリシュコールがこの大陸で最も武力に秀でた国だからだ。国内生産量を抑える事で動員できる兵士の規模を縮小し、輸入に頼る事で他国との関係を強化してきた。そうする事で他国のリシュコールに対する警戒を弱めているんだ」
つまり、敵を作らないようにしてきたという事だ。
もし、リシュコールが他国に頼らず自立できていたなら、いつか攻められるかもしれないという不安から危険視される可能性もあった。
バルドザードとの戦争になった時、その味方に回る国も出てくるだろう。
「だからバルドザードと戦いになるなら兵糧を増やさなければならないし、戦争を回避できたならば他国との関係を維持するために食料の生産量は抑えなければならない。管理が大事になってくる」
「でも、どうしてそれを私に?」
「君の領の経営状況は把握している。この二年で、君の領の生産量は飛躍的に向上した。つまり、生産に関するノウハウを持っているという事だ。そういう人間に管理してもらった方がいい。それに……」
パパは私の頭を少し強めに撫でた。
「君は僕にとって、信頼できる人間だ。任せても大丈夫。そう思える、人間だ」
「パパ?」
「あとは、任せたよ」
頭を撫でる手が離れる。
首を巡らせ振り返ると、同時にパパの体が傾いていた。
落ちないように手を伸ばす……。
が、伸ばした手はパパに届かない。
握った指が空を切り、パパの体は馬から落ちた。
「パパ!」
クローディアがすぐにかけつけ、馬から降りてパパを介抱する。
「パパは大丈夫?」
その問いに、クローディアはすぐ答えなかった。
普段の寡黙さからではない。
重苦しさを覚える。
やがて、彼女の口が開かれる。
「もう、死んでいる」




