二十九話 山犬を見に行こう
領地に帰ってきてから数ヶ月が経った。
仕事をこなしながら過ごしていると時間は瞬く間に過ぎていき、気付けば季節は夏に移っていた。
「空気が違うな……」
その日、ターセム村の近くまで来た時、クローディアは一言呟いた。
「今日は私から離れない方がいい」
「わかりました」
彼女が何を思ってそう言ったのかわからないが、私は素直に従う事にした。
「いくつか効果が見られるようですね」
村長が持ってきた資料に対して、私はそう答えた。
連作障害の対策として、季節毎に植える物を変えるよう農家には指示を出していた。
その結果を記した資料だ。
最初の頃は一つ二つ、収穫の増えた畑があった程度だったが。
今回は四分の一程度の畑で、効果が見られた。
それは輪作における植え替えパターンが増えた事を意味する。
一年分のサンプルができれば、次の年にはもっと増える事だろう。
少しずつ、手探りだからすぐには目に見える結果は出ない。
けれど、前進には違いない。
「次に来る時までに計画書を用意しておきます」
「わかりました」
「それで、米の方はどうなっていますか?」
ヨシカに頼んで苗を贈ってもらったのだ。
水の確保や単純な量の問題もあって、まだ木箱を使っての実験段階である。
だが、いずれ大規模な水田を作って稲穂の絨毯を見るつもりだ。
「目に見える変化はまだありませんよ」
村長は微笑ましい物を見る目で笑って答える。
そんなに期待のこもった顔をしていただろうか?
村長との話し合いを終えて、私は背伸びをして凝り固まった体を解す。
「少し散歩に出てきます」
「はい。……あ、村の外には出ないようにしてください」
「何故ですか?」
「近頃、山犬が村の近くまで下りてきているようなので」
「山犬、ですか」
狼の事だっけ?
「そこまで遠くには行きませんよ」
と思っていたのだが……。
「山まで遊びに行こうぜ」
屋敷を出てすぐ、リュー達に出会った。
「仕事があるから」
「外に出てきたって事は終わったんじゃねぇの? いつもは終わるまで部屋から出ないじゃん」
私の普段の行動をよく見てやがるな。
「息抜きだよ」
「じゃあ、息抜きに山行こうぜ」
うーん、ぐいぐいくる。
「なぁいいだろう?」
そう提案するリューの目はキラキラと期待に輝いており、伴って作られた屈託のない無邪気な笑顔はなんとも魅力的だ。
少しずつではあるが、日々成長する彼女は格好良くなってきた。
流石は主要キャラクターを軒並み攻略できる主人公である。
中身はまだまだ子供だが、見た目だけは本当に良い。
いずれはおっぱいのついたイケメンとして猛威を振るう事だろう。
「今日は諦めろ」
クローディアが会話に割って入る。
「なんでだよ、クロ姉」
「今日は何か危ない」
「何かって何だよ」
「わからない」
「わからないならいいじゃん」
「よくはない」
「何かあってもクロ姉ならなんとかできるだろ」
「自信はある。だが、依頼主を危険に晒す可能性があるなら、そんな自信は邪魔なだけだ」
クローディアの答えからは、プロの意識の高さがうかがえる。
それはいいとして、もう少し私の方にも気を配って欲しい。
今の私はジーナに口を塞がれ、こっそりとケイに抱え運ばれていた。
「大丈夫だって。俺達もいるんだから」
「あ……」
リューが言いながら駆け出し、クローディアはようやく私がさらわれた事に気付いた様子だった。
リュー達とも交流する内に仲良くなったためか、クローディアは私がさらわれても最初の頃のように暴力で鎮圧する事はしなかった。
悩んではいたようだが、小さく溜息を吐いてリュー達に同行する事を決めた。
そうして私は、そのまま山まで連れて行かれる事になった。
村から外れ、山の方へ向かうと森林がある。
山へ入るにはその森林を通らねばならなかった。
「やっぱ、こっちの方は涼しいなぁ」
伸びた枝から生える無数の葉は、陽光を遮って地面に影と光のまだら模様を描いていた。
木立を吹き抜ける風は冷たく肌を撫で、火照りを拭い去っていく。
日が当たらないだけで、本当に過ごしやすい気候だ。
「それで、何しに来たの?」
「山犬を見に来たんだよ」
リューに問いかけると、あっさり答えた。
「みんな見たって言ってるのに、俺は見てないからな。滅多に見ないもんだし見たいだろ」
「あたいは見たッスよ。子供の山犬。ふわふわしてたッス」
「ジーナも見たらしいんだぜ。そんな可愛らしいの、俺だけ見てないのずるいだろ」
リューは意外と可愛いもの好きなのかもしれない。
「三人とも、結構山に入るでしょ? 山犬なんてしょっちゅう見かけているんじゃないの?」
「この辺りに山犬はいねぇよ。だから珍しいんだ。いるとしたら熊ぐらいだ」
熊はいるんだ。
「昔、リューが仔熊を連れ帰ろうとして親熊に襲われたッス。死ぬかと思ったッス」
「そうそう、親熊にぶん殴られてさ。頭から血がとまらねぇの」
リューは笑いながら当時の事を話す。
笑い事じゃないよ。
「ジーナが婆ちゃんを呼んで来てくれなかったら、死んでたかもな」
「そうなんだ。生きててよかったよ」
それにしても、この世界の人間に怪我をさせられるという事は獣も魔力を持っているんだろうか?
すんごいボインボインの野生動物が出てきたらどうしよう。
笑っちゃうかもしれない。
「あ、山犬ッス!」
ケイが声を上げ、私はそちらを見た。
木のそばに、まだ毛がふわふわと柔らかい小型の山犬がいた。
きっと今年生まれたばかりの仔山犬だ。
かわいい。
「お、かわいいな」
リューが無造作に近づいていくと、山犬は警戒態勢を取った。
尻尾を後ろ足の間に丸めて、ひゃんひゃんと鳴く。
「うるるるっ」
唸り声までかわいい。
「ぐるるるるっ」
と思っていたら、唸り声が野太くなった。
嫌な予感を覚える。
と、木の陰からのそりと大きな山犬が姿を現した。
山犬の体高はリューと同じくらい。
つまり、かなり大きい。
大型肉食獣というべき威容だ。
よ、よかった。
ボインボインじゃない。
じゃなくて、これは危機なのでは?
思いがけない事態に、みんな硬直する。
「みんな、視線を合わせたまま少しずつこっちに」
そんな中、私達の後ろに控えていたクローディアが声を発する。
かすかに弓を組み立てる音がした。
何かあっても、対処する準備はできているのだろう。
「わかりました」
クローディアの指示に従って一歩、後退する――。
不意に、轟音が鳴った。
金属を無理やりひん曲げるような、悲鳴にも似た音だ。
思わず振り返る。
すると、クローディアが木に寄りかかっていた。
その口元には、血の赤が見えた。
「クローディアさん!」
声をかけるのと同時に、再び轟音が鳴った。
同時に、クローディアの寄りかかった木が二つに折れ、彼女の体は地面に縫い付けられるように叩きつけられた。
次いで連続して轟音が響き、その都度クローディアの体が地面にめり込んだ。
「うっ……! ぐっ……! うはっ……!」
何が起こっているのかよくわからない。
でも、クローディアは間違いなく攻撃を受けている。
それに、攻撃が当たる前にかすかな銃声を聞いた気がした。
これは……シロ。
シロの呪具、アルテミスとウルは合体させる事で様々形の銃器に姿を変える。
これは長距離ライフルによる攻撃だろう。
執拗なまでの攻撃が続き、クローディアはうな垂れたまま完全に動かなくなった。
でも、どうしてシロがクローディアを……。
……もしかして、狙いは私?
戦争が望みなら、私を狙う事もありえるか。
子供の誰かが死ぬような事があれば、ママは間違いなく怒り狂うだろう。
それこそパパにだって止められない。
そして一人王城の外へ出ている私は、狙うにはうってつけだった。
狙われてもおかしくない。
護衛を排した今、次に銃撃されるのは私だ。
私は緊張に息を呑みつつ、体を強張らせた。
しかし、それ以上銃撃はなかった。
何故……?
私の勘違い?
「うわ、囲まれてるッス!」
そう思っていると、ケイの叫び声が聞こえた。
その言葉に周囲を見ると、十数匹の狼が私達を円く囲んでいた。
しかもそれだけでなく……。
「ぐおおおおぉ」
一匹の大きな熊の姿が狼の群れの中にあった。
種族の違う猛獣が争うでもなく足並みを揃える光景は、あまりにも歪だった。
獲物を求めての行動ではないように思える。
……そういう事か。
バルドザード幹部の中には、獣を率いる者がいる。
リジィ。
彼女もまたこの場にいるのだ。
今日の更新はここまで。
明日も更新する予定です。




