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二十五話 間の悪い夫人

 盛大に赤いものを吐き出したマルクを見て、私は思わず部屋へ踏み入った。

「マルクくん!」

「ロッティ……様?」


 けほけほと咳き込みつつ、マルクはこちらを見た。

 意識がはっきりしており、咳き込んではいるが元気そうだ。


 そんなマルクの背を夫人は優しく撫でさすり、水を渡していた。


「夫人、これは?」

「薬を吐き出してしまったのです」


 薬……。

 ベッドの枕元には、白い包み紙があった。

 包み紙には、円の中に十字を刻んだ印が捺されている。


 あ、これは……。

 パパがよく飲んでる漢方みたいな薬だ。

 パパ曰く、元気になる薬らしい。


 ……あぶねぇ言い方だな。


「血を吐いたのかと思いました」

「この薬は水に溶けると赤くなるのですよ」

「そうなんですか」


 マルクが落ち着くと、夫人は薬をもう一包取り出して渡す。

 マルクはしょんぼりとした顔になる。


「また飲むのですか?」

「吐き出してしまいましたから」

「すごく苦いから、あんまり飲みたくないです」

「飲まないと、元気になれませんよ」

「それでも嫌です」


 マルクは難しい顔になる。


「ほら、そう言わず……。これを飲んだら、甘いお菓子を用意していますからね」

「うーん……。じゃあ、我慢して飲みます」


 マルクはわがままを言って、夫人もそれに優しく応じている。

 信頼関係がなければこのようなやりとりにはならないだろう。


 やっぱり、夫人はマルクを思い遣っているんじゃないか。

 彼女を疑ってしまった事が申し訳ない。


「うえぇ」


 本当に苦いのだろう。

 薬を飲んだマルクがこれ以上ないほどに顔を歪めた。


「よく飲みましたね。えらいですよ」


 夫人はそう言って、マルクの頭を撫でる。

 マルクは嬉しそうにそれを受け入れた。


「飲み物とお菓子を用意してきますね」


 夫人は部屋から出て行く。


「マルクくんは、お母さんの事好き?」

「大好きです」


 マルクは躊躇いなく答えた。

 ミラとは正反対の反応だ。


「本当のお母さんが死んだと聞いて、僕はすごく悲しくてずっと泣いていたんです」


 実母の事、知っていたのか。


「お母さんはそんな僕の事を慰め続けてくれたんです。最初の頃はどうしていいのか困った様子で、でもどうにかしてあげたいって気持ちが伝わってきて……。本気で心配しているのがわかったから、僕はお母さんが好きになったし、悲しさにも少しずつ慣れる事ができたんです」

「そうなんだ」


 夫人を嫌うミラ。

 夫人を慕うマルク。


 この違いはどこにあるのか?

 夫人が実母を殺したからだと言うけれど、確証のない話だと思う。

 それとも、ミラは確証を持っているのだろうか?


 そんなものはない気がする。


 ミラは、実母を失った悲しみを今も乗り越えられていないのかもしれない。

 夫人に向ける憎しみでその悲しさを遠ざけていたから、悲しみを忘れるために強い感情を持たなければなかったから、その憎しみを消し去る事ができないんじゃないだろうか。


 確証なんてないけれど、そう思う事にしよう。

 間違っていたとしても、その間違いがわかった時に考えを修正すればいい。


 二人の違いは、夫人の実像を知っているかどうか。

 それだけのような気がする。


 私は夫人を信じよう。

 そう心に決めた。




 数日して、領主とミラが帰ってきた。


 それに伴って、私は領主の書斎に呼び出された。

 書斎には、夫人の姿もあった。


「領内で把握している盗賊の拠点は討伐が完了しました」


 領主は私にそう告げた。


「お疲れ様です」

「それで、シアリーズ様はいつ頃訪問なさるのでしょうか?」

「わかりません」

「盗賊団の動きについて、ご報告申し上げたい事があるのですが」


 少しだけ迷い、私は答える。


「恐らく、その報告については父上も把握していると思います。今別行動を取っているのも、盗賊団についての事ですから」


 他領の関わりについての部分だけを伝えずにそう答える。


「そうでしたか。シアリーズ様は、動いてくださっているのですね」


 夫婦揃ってあまり感情を顔に出さない人だが、領主はどことなく安心した様子で返した。


「お仕事が一段落したのなら、もう別荘へ行っても良いのではないですか?」


 私達の話が終わったのを見て取り、夫人はそう問いかけた。


「できれば、安全だとわかるまで少し猶予を持ちたいが……」

「それはそうなのですが……。最近、この辺りも暑くなり始めましたから。マルクが寝苦しそうで……」


 確かに最近は寝苦しい夜が続いていた。

 まだ春も半ばだが、この辺りは気温が高めなのかもしれない。


「別荘、ですか?」


 私は二人の会話に割って入る。


「はい。森林の中に建てた館がありまして。近くには綺麗な湖があって、この季節には葉の茂った木々が太陽を遮ってくれるので涼しく過ごせる場所なのです」

「そうなんですか。そういう場所で軽くでも運動させた方が、虚弱体質も改善しそうですものね」

「あら、そうなんですか? 良い事を聞きましたね、リシャール様」


 両手の平を合わせながら、夫人は領主へかすかな笑みを向けた。


「君は子供の事になると冷静さを欠くな。……まぁ、そういう所が愛おしく思うのだが」

「え? 何か言いましたか?」

「っ……なんでもない」


 あ、恋愛ものでよく見る都合の良い(悪い?)難聴だ。


 ……でもあなた、浮気して愛人に子供まで作らせましたよね?


「別荘については考えておこう」




 結局、数日後には別荘へ向かう事になった。

 当然、私もそれについていく。


 夫人とマルクの乗る馬車一台と騎乗する領主とミラ、クローディアの馬に相乗りする私。

 加えて、数人の兵士による一団での行動だ。

 プライベートではあるが、兵士の数が多いのは盗賊への警戒があるからだろう。


 領主もミラも完全武装しており、旅程を行くにしても物々しい。


 ミラが帰ってきてから夫人はマルクに会えなくて落ち込んでいたが、久しぶりに話ができて嬉しそうだった。

 出発の間際までミラは、夫人とマルクを同じ馬車へ乗せる事に強い難色を示していたが。

 領主の一喝でしぶしぶながら了承した。


 今も憮然とした様子で馬を歩ませているが。


「見苦しい姿で申し訳ありません。平時であるならば、このような備えも必要ないのですが」


 領主が私の隣まで馬を歩ませ、謝罪してくれる。


「この領は普段、それほど平和なのですね」

「この領、というよりこの国全体が平和だったという方が正しいかもしれません。盗賊の被害など、ここ十数年ありませんでしたから」

「そうなんですか?」


 そういえば、視察団も護衛こそいるが比較的軽装だ。

 盗賊などに襲われる事は想定していなかったように思える。


「これも陛下の威光あっての事でしょう」

「マ……母上の?」

「ゼウスを継承なされた陛下は手始めに、その力で各地を巡り盗賊などの武装勢力を軒並み殲滅されたんです」


 ゼウスの能力は飛行。

 ゲームではしょぼい能力だと思っていたけれど、広い国土を巡る上でその機動性は強い武器なるんだ。


 俯瞰すればどこに何がいるかも見つけやすいし、盗賊狩りは捗っただろう。

 どこからともなくラスボスが降ってきて、襲撃されるのは恐怖以外の何物でもない。


「ゼウスを駆る陛下は、目からは光の帯を放ち、口から暴風を吐き出し、炎の雨を降らして回ったそうです」


 こっわ……。


「流石に誇張はあるでしょうが。そうしていつしか、盗賊から襲われるという事がなくなりました。盗賊の出ないもっとも安全な国、と行商人などからは評判が良いのですよ」

「知りませんでした」

「ご成婚なされる前の話ですので、致し方ない事でしょう。殊更、語られる方でもありませんし」


 政務は殆どパパに丸投げしている印象が強いけれど、そうやって国のために頑張っていた次期があったんだな。


 会話が途切れると、領主は馬車の方を見た。

 それにぴったりと張り付くように、ミラが併走している。

 事前に決められていた隊列からは、大きくそれた場所だ。


 本来彼女の担当する場所は、もっと後ろだ。

 きっと、馬車の中の二人が気になっているのだろう。


「ミラ。下がれ」

「ですが……」

「ただでさえ人員は最低限なんだ。一人が欠けると警戒が疎かになる」


 言い募ろうとしたミラに領主は告げる。

 納得したのか、渋々ながらもミラは位置を下げていった。


 兵士の数は多いと思ったが、これでも最低限らしい。

 私に軍隊の知識はあまりない。

 その知識の有無が感覚の差異となっているのだろう。


「……あの、ヴィブランシュ卿」

「何でしょう?」

「ミラの本当の母親についてなのですが」


 私は思い切って聞いてみた。

 領主はさりげなく溜息を吐いた。


「ミラはそのような事まで話したのですか?」

「差し出がましいかもしれませんが、少し気になったので」

「ミラからはどのように伝えられました?」

「実母は殺された、と言っていました」


 領主は眉根を寄せ、眉間に深い皺を寄せた。


「ミラとマルクの実母が亡くなったのは本当です。ですが、彼女は病死。もう長くない命だからこそ、引き取ってほしいと連絡がきたのです」


 引き取られてすぐに亡くなったと言っていたが、元々死期を悟っての事ならばそれも当たり前だ。


「ミラは、実母が夫人に殺されたと思い込んでいるようですね」


 領主はまた小さな溜息を吐いた。

 彼にとって二人の関係は心労の種らしい。


「それに関しては、アリアにも少し責任があります。彼女自身が意図して何かしているわけではないのですが……。アリアはとにかく間が悪く、誤解されやすいのです」

「どういう事ですか?」

「初めて子供達が屋敷へ訪れた日……」


 領城には、夫人が世話をする温室がある。

 夫人は二人の子供達をそこへ案内して持てなしたそうだ。

 その時、夫人はミラへ自分が好きな花を一輪プレゼントしたと言う。


「その花がトリカブトだったのです」

「トリカブト! あの毒草の?」


 領主は頷く。


「もちろん、悪意があったわけではありません。純粋に好きな花がトリカブトで、むしろ完全に善意だけで贈られたものです。しかし、ミラはトリカブトが毒草である事を知っていた。しかも、その症状が実母の患っていた病の症状と似ていたのです」


 そりゃ疑われるわ。


「他にも、マルクのために用意した薬は水に溶けると赤くなるものなのですが」

「もしかして、マルクが吐き出した所を吐血と勘違いした、とか?」

「そうなのです」


 あれを見られていたのか。

 私にも見られたし、本当に間が悪い……。


「どうにかできないでしょうか……。私は夫人が悪く思われている事が不憫でなりません。あんなに、愛情を注いでくれる方なのに」


 私が言うと、領主は表情を綻ばせた。


「あなたが理解してくれた事。それだけでも、十分だと思います。ありがとうございます。彼女の事を思いやってくれて……」


 領主もちゃんと気にかけているんだろうと、その表情から察せられる。

 そして、彼が夫人を愛しているのだろうという事も。




 会話も途切れ、黙々と行軍している時だった。

 異常事態が起こった。


 街道は森林を横切る事になり、片方の側面には急な傾斜があった。

 俯瞰しつつ隠れる事が可能な地形であり、だからこそ領主は警戒を怠っていなかった。


「ミラ、警戒しろ」


 領主はミラへ言い置くと、護衛に二人連れて偵察を買って出る。

 部隊から離れ、前へ出た。


 そんなタイミングである。

 木々に隠れていた武装集団が現れたのだ。


 あれは、例の盗賊団?


 それにいち早く気付いたのはクローディアだった。

 武装集団から距離を取る。

 そうしてマントから右手を出す。


 右手には篭手と一体化したクロスボウがあった。

 折りたたまれた弓とハンドルを展開し、小さな木箱を上に装着する。


「敵襲!」


 味方の一人が気付き、声を上げた。

 同時に、賊が攻め寄せてくる。


 兵士と賊の戦いが始まった。

 どこからともなく現れる薬売りデンシチ・ゴオウ。

 始祖デンイチから一子相伝にて伝えられる薬は材料から制作方法までを秘伝とされており、高価ながら抜群の効能を発揮する。

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