二十四話 ミラの家庭事情
マルクは元々体が弱く、よく体調を崩すようだった。
領城へ訪れてから三日経った。
マルクとは何度か交流する機会があって仲良くなったが、ベッドで過ごす時間の方が多かった。
朝食の時間で同じになったと思えば、昼食の時間には寝込んでいるという具合だ。
体調を崩せば夫人も姿を見なくなるので、かかりきりになっているのだろう。
そんな日々が続き、領主とミラが帰ってきた。
「領主様が帰ってくるそうです。報せが来ました」
使用人から聞いて、出迎えるために私は玄関へ向かった。
玄関に行くと既に夫人がいた。
挨拶を交わしてしばらくすると、眼鏡をかけた長身の男性とミラが外から玄関へ入ってきた。
二人ともがっちりと鎧で全身を固めていて、王城では見ない完全武装の姿に物珍しさを覚えた。
本当はビキニアーマーみたいな鎧が主流の方がおかしいんだけどね……。
二人とも、身を守れるほど魔力が強くないのだろう。
そんな二人から、使用人達が鎧を脱がせていく。
「おかえりなさいませ。リシャール様」
「ああ」
夫人に言われ、男性は答えた。
リシャールは領主の名前だったはず。
パパがそう呼んでいた。
「お疲れ様です。お怪我はありませんか?」
「大丈夫だ」
「ミラは?」
問われたミラは視線だけ向けたが、答える気配がなかった。
ん? と思っていたのも束の間、彼女の視線が私に向けられる。
「ロッティ殿下。どうしてここに?」
「皇女殿下?」
ミラが口にすると、領主も驚いた様子で私を見た。
「このような姿で申し訳ありません」
「いえ、構いません」
「視察に参られたのですか?」
「私に権限はありませんが、先にこちらで滞在するよう父に言われております」
「……そうですか」
何やら考え込む様子を見せている間に、二人の鎧が完全に脱がされた。
「見苦しくないよう、身嗜みを整えます。後ほど、話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい。わかりました」
そうして一度時間を置き、身嗜みを整えた領主と応接室で改めて話をした。
とはいえ私に視察としての権限はないし、担っていたのはせいぜい補佐としての役割である。
具体的に仕事をするわけでもないので、父が訪れるまで滞在するという以外に説明する事はなかった。
説明が終わって与えられた部屋で過ごしていると、部屋のドアがノックされた。
「ミラです」
「どうぞ」
外からの声に返事をすると、ミラが部屋に入ってくる。
「どうしたの?」
「ご挨拶に参りました。当家への滞在中、快適に過ごせるよう計らいますのでなんなりとお申し付けください」
皇族《私》に気に入られたいという目的があるんだろうな、とひねた考えが浮かぶ。
私自身、彼女と仲良くなっておいて損はない。
むしろありがたいくらいなので、その打算に乗っておこうと思った。
「ありがとう」
「不便はございませんか?」
「夫人に良くしてもらっていたからね」
答えると、一瞬だけミラの表情が強張った。
でも本当に一瞬だったので、気のせいかもしれない。
「……そうですか」
「弟君とも一緒にお茶会をしていたし、退屈もしなかったよ」
「それは、三人でという事ですか?」
「そうだけど」
私の答えを聞くや否や、ミラは部屋の外へ駆け出していった。
何事かと驚き、少し迷ってから私もその後を追う。
呼び止めようとしたが追いつけない。
廊下を疾走するミラの足は速く、私は見失わないのがやっとだった。
そうして彼女が、ある部屋のドアを勢い良く開け放つ。
「弟に近づくな!」
ようやく追いついて部屋の中を見る。
中には、領主と夫人がいた。
恐らくここは領主の書斎だろう。
ミラは夫人を睨みつけていた。
さっきの台詞は夫人に対して放ったものだろう。
そして、そんなミラの頬を領主が張った。
パンと小気味のいい音が響く。
「部屋から出て行け」
そう領主が冷たく言い放つと、ミラは彼を睨み付けてから踵を返した。
ドアの前にいた私の隣を通って、ミラはまた駆けていく。
状況の把握が追いつかない。
どういう感情を抱いていいのかすらわからない。
「お恥ずかしい所をお見せしました」
「いえ……」
「家族の事です。お気になさらず」
気になるよ……。
とはいえ、人の家庭の話となれば介入されたくもないだろう。
「はい」
私は答えて、その場を離れる事にした。
駆けていったミラを探して、城の中を歩く。
私は前世も含めて親に殴られた事がない。
フィクションならともかく、そういう光景を現実で目撃した事もない。
だからだろう。
領主がミラを殴った光景に戸惑いを覚えていたし、ショックも受けていた。
今、ミラを探しているのもきっとあの場所に居たくなかったからかもしれない。
ミラは領城の中庭にある、庭園の片隅にいた。
何をするでもなく、気難しい顔で花々を見下ろしていた。
「ミラ」
声をかけると、こちらを見る。
表情を取り繕おうとしているが、うまくいかなくて複雑そうな顔をする。
「……どうして、夫人にあんな事を?」
どう声をかけようか迷い、私はそう訊ねた。
一番強く疑問に思っていたのがそれだったからだ。
「あの女は、私達を殺そうとしているのです」
あまりにも物騒な言葉だ。
その発言に私は違和感を覚えた。
私の知る夫人と結びつかない言葉だったからだ。
けれど、指摘せずにミラの言い分を聞く。
「何故、そう思うの?」
「……私達は、あの女の実子じゃないからです。自分には子供ができなくて、妾だった私の実母と私達を恨んでいる」
「そうは思えないけど」
私が所見を述べるとミラは私を睨みつけた。
普段なら、立場のある相手にこのような事はしないだろう。
その見境を無くすほど、今の彼女は頭に血が上っているようだ。
「あの女は母を殺したんです。なら、私達も殺そうとするでしょう」
「母親を殺した?」
「私達が引き取られてすぐに亡くなったんです。作為的な意図があった事は間違いないでしょう」
偶然、というには確かにタイミングが良すぎる。
でも、だからと言ってあの夫人がそんな事をするとも思えない。
「誤解があるんじゃないかな?」
「あなたもあの女に丸め込まれてしまったようですね!」
ミラは私の言葉に、不機嫌さを隠そうともせず怒鳴り返した。
その場から去っていく。
私は呼び止める事もできず、その背を見送った。
領主とミラが加わった晩餐の席。
今日は体調が良いのか、マルクもいる。
ミラは一悶着あったとは思えないほどに機嫌が良さそうだった。
時折、マルクと楽しそうに話をしている。
「今まで、どちらに行かれていたのですか?」
そんな中、私は領主にそう訊ねた。
「お恥ずかしい事ですか、近頃この領内では盗賊が活動しておりまして。その対処に追われています」
盗賊団か。
パパからも聞いていた話だ。
その盗賊団の裏にラース領の関わりが見えるという話は、ここで言っていいのだろうか?
……わからないから黙っていよう。
「殿下には申し訳ありませんが、一日滞在してまた出る予定になっています」
「お構いなく」
私はパパのおまけみたいなものだ。
仕事の話を進められるわけでもないので、それで予定を変更させるのも申し訳ない。
「また、行ってしまうのですか?」
マルクが不安そうな表情で問いかけた。
「大事な仕事だ」
「そうですか……」
領主に言われて、マルクはしゅんとなってしまう。
「父上。私は次の討伐に向かわず、残ろうと思うのですが」
ミラは提案する。
「ダメだ。お前は次期領主となる身。それを示すためにも領主の仕事に参加させているんだ」
「それはわかっています。ですが――」
「反論は認めない」
「……」
二人は睨み合うように視線を交わす。
「あ、あの、お姉様、僕は大丈夫です。寂しくなんてありません」
取り繕うようにマルクは言う。
「……ごちそうさま。マルク、後で話をしよう。部屋で待ってる」
「はい。お姉様」
ミラが食堂から去り、誰も口を開かなくなった。
なんか、息苦しいな。
なんとなくクローディアを見る。
黙々と食事していた。
他の視察団の人が居心地悪そうにしている中、特に気にしてなさそうだ。
「不出来な娘で申し訳ありません」
領主はそう謝る。
「ミラは聡明ですよ」
「たしかに利口な子ではあります。しかし、感情を制御できない未熟者です」
帰ってきてからの言動を見れば、確かにそんな気もする。
「僕は、お姉様もお母様と仲良くしてほしいです」
そんな折、マルクは呟くように言った。
一日領城で過ごすと、宣言どおりに領主とミラはまた討伐に出かけていった。
私はマルクの部屋へ赴く途中、ミラの主張を思い出していた。
夫人が姉弟を疎んでいるという事だ。
確かに、疎む理由はある。
けれど、私が接してきたあの夫人がそのような事をするとは思えない。
人生経験の少ない小娘の直感など、なんの頼りにもならないかもしれないが。
私には夫人が心からマルクを慈しんでいるようにしか見えなかった。
でなければ、一晩中看病をするなんて事もできないはずだ。
マルクの部屋へ辿り着き、中をうかがう。
部屋にはマルクと夫人がいた。
マルクは何かの粉薬を飲んでいる最中だった。
「げほっ! ごほっ!」
マルクが盛大にむせていた。
そうして吐き出されたものは、真っ赤な色をしていて……。
血?
そう思うと、途端にミラの言葉が過ぎった。
――あの女は私達を殺そうとしているのです。
今日の更新はここまでとなります。
また明日更新させていただきます。




