閑話 不安の世界のシロ
ヘルガさんに命じられて、シロはリシュコールへ向かいました。
これで何度目になるでしょう?
警備兵の目を盗んで国境を越える事はもう慣れっこです。
ただ、いつもは一人で行くのですが、今回は一人じゃありません。
リジィさんと一緒です。
リジィさんは運動が苦手らしいので、国境越えでは少しひやひやしました。
どうにか国境を越えて一ヶ月ほど、私達は目的の人物であるロッティ・リシュコールをマークしていました。
とはいえ、リシュコールの王城を直接探る事はできません。
だって、リシュコールの諜報対策はかなり強めですから。
王城へ近づけば近づくほど警戒網は密になります。
シロも隠れる事は得意ですが、これをかいくぐれるほどじゃありません。
なので、ロッティの領地を張る事にしました。
彼女が領地を運営していて、かかりきりになっている事は調べがついています。
今は王城に居ますが、雪が溶ける頃にはきっと戻ってくるとシロは予想していました。
そしてシロの予想通り、ロッティは領地へ戻ってきました。
それからシロとリジィさんはずっとロッティの様子を偵察しています。
「そろそろ仕掛けるべきじゃないか?」
せっかちなリジィさんは、狼の背を撫でながらそう提案します。
「何を言っているんですか! まだ全然調べが足りませんよ!」
「がるるるるる!」
私が怒鳴るとリジィさんに撫でられていた狼が私に唸り声を上げました。
「ひぃ!」
「もうすぐ半月だ」
狼を嗜めるでもなく、怯える私を気にせず言葉を続けます。
「まだそれくらいしか経っていないじゃないですか」
「十分だと思うが」
「ダメです。リシュコールの諜報部隊は怖いんですよ! 今だってシロ達に気付いて罠を張っているかもしれないじゃないですか!」
「クェェェェェ!」
声を荒らげると、木の枝に止まっていた大鳥が鳴きます。
明らかにこちらを威嚇しています。
怖い!
「そんな気配はないが」
「そう思わせて、襲撃させたところを罠に嵌める気かもしれないじゃないですか」
絶対に安全だと思えるまで、動くべきじゃありません。
けれどそんなシロの考えがわからないのか、リジィさんはため息を吐きました。
「付き合ってられないな……」
「どこ行くんですか!」
「シャーーーーーッ!」
背を向けたリジィさんに手を伸ばすと、首に巻きついていた大蛇が威嚇してきます。
私は思わず、手を引っ込めてしまいました。
「観光でもしてくる」
「ええ! そんな勝手な!」
「行動を起こす時に呼んでくれ」
そう答えると、どこからか現れた白馬にリジィさんは乗りました。
よく見ると白馬には角が生えています。
ユニコーンは珍しい種族だと聞きます。
そんなのまでリジィさんは飼ってるんですか。
「どうやって連絡すればいいんですか!?」
「君は結構うるさいな。私の家族が怯えるから声は抑えろ。彼に言えば連絡を取ってくれる」
そう言ってリジィさんが指した場所に、一羽の小鳥が降り立ちました。
「わ、わかりましたよ。でも、見つからないでくださいよ!」
リジィさんは答えず、彼女が家族と呼ぶ動物達と共にその場を去って行きました。
勝手な事して捕まってもシロは助けませんからね!
シロは一人になっても、ロッティの監視を続けました。
むしろ一人になって集中できるようになったかもしれません。
シロはいつも一人でしたから、一人の方が性分にあってます。
でも、本当はちょっと寂しいです。
リジィさんがついてきてくれて、実は嬉しかったんです。
多分、今回は万全を期すも意味もあったけれど、いつも一人で寂しいと漏らした事をヘルガさんが覚えていて配慮してくれたんだと思います。
でもシロは、そんな配慮も無駄にしてしまったのかもしれません。
……解っているんです。
シロは度を越しているんだって。
でも、不安なんです。
一見して何もないように見えても、一歩進んだ先には落とし穴があるんじゃないかって。
だからシロは、それを確かめずにはいられません。
絶対に安全だとわかるまで、動けないんです。
シロにとって人生はびっくり箱です。
いつもどこかに怖い事が隠れている気がするんです。
進んだ先に何もなくても「そんなはずはない。ここに何もないなら次にはもっと怖い事がある」と思ってしまうんです。
考えすぎだとわかっているのに、その不安を拭えない。
みんなはそんな事なくて、考えすぎだとシロもわかっているから他の人に言えないんです。
ロッティの周囲は見るからに平穏でした。
彼女は毎日、村の畑を見たり、牧畜の様子を見たりして、村人といつも何か話し込んでいました。
時折、村の子供にちょっかいをかけられて辟易しているようですが、上手くあしらっています。
たまに怒ってなんか痛そうな技を仕掛けています。
そんな様子を見ていると、リジィさんが正しいような気がしてきます……。
いいえ、それは甘い考えです。
そんな考えでは痛い目を見てしまいます。
やっぱり慎重さは大事です。
そんな迷いが生まれるくらいに平穏でした。
でも、一つだけ気をつけなければならない事があります。
それはロッティの護衛をしている女性。
クローディアという傭兵です。
邪魔だなぁ。
どうやって始末しようか……。
そんな事を考えた時、ほんのりと殺気が漏れていたのかもしれません。
遠眼鏡越しに、目が合いました。
明らかにこちらを把握していました。
遠く離れているはずなのに、殺気がひしひしと伝わってきます。
初めてそれに当てられた時、あまりにも怖くて気を失っちゃいました。
でもそれのおかげで見つからなかったからよかったのかもしれません。
それからは気をつけるようになったのですが、それでも時折察しているような行動を見せます。
そんな察しのいい人なのですが、敏感なのは殺気にだけみたいです。
ロッティにちょっかいをかける子供達に気付かず、よく出し抜かれています。
何日か偵察を続けて、そろそろ襲撃をかけるかシロは迷い始めていました。
何度確かめても、やっぱり罠の気配はありません。
納得するまで確かめました。
クローディアの存在だけが気がかりですが、リジィさんは強いので押し付けちゃえば大丈夫でしょう。
ロッティだけならシロだけでも簡単に殺せます。
なので、リジィさんに連絡しようと思い始めた頃でした。
シアリーズが村に訪問しました。
しかもロッティを連れていくつもりのようです。
今までの苦労が無駄になりました。
シロはどうすればいいんですか!
追いかけはしますけど、追いかけた先でリジィさんに連絡をとってもちゃんと場所がわかるんですか!?
この小鳥ちゃんはそれも伝えてくれるんですか!?
混乱の極致にありながらも、私はロッティを追いました。
それが大変な事この上ありません。
クローディアに加え、シアリーズの勘の鋭いこと。
しかも隠れて同行している部隊もあるし、立ち寄る村の住民も何人か素人らしからぬ人がいますし……。
ますます手が出せない状況になりました。
むしろ、こっちが命の危険を感じるほどです。
もう暗殺なんてできません。
絶対に無理です。
ただ、見つからないようについていくだけでこっちは手一杯です。
そんなこんなでいくつかの領を跨いでロッティを追いかけていると、ある領主町でシアリーズがロッティから離れました。
その行動にシロは強く不安を掻き立てられました。
もしかしてシロの居場所が察知されたんじゃ……。
ロッティを囮にして、シロを釘付けにした状態で背後に回るとか……。
ここに居たら危ないんじゃ……。
あわわ、どうしましょう!
今すぐ逃げるべき?
でも、逃げたらロッティを見失っちゃう……。
と、ぐるぐる考えてロッティから少し目を放し、再びロッティのいる部屋をうかがいました。
なんか居なくなってるんですけどぉ!
どうしましょう!
どうしましょう!?
でも見失ったらもうここにいる意味もない。
こうなったら逃げ一択ですよ!
シロは潜伏していた建物の屋上から飛び降りました。
町の外を目指して走ります。
けれど、途中の曲がり角から小さな影が前に飛び出してきました。
影は私にぶつかります。
どん、と体に衝撃が走ります。
え?
もしかして刺客?
刺された?
影から離れ、わたわたと体を確かめますが、どこにも傷はありません。
痛みもなかったので、ホッとします。
そうして飛び出してきた相手を見ると、なんとロッティでした。
彼女は自分よりも幼い女の子の手を引いています。
こ、こんな所で?
罠でしょうか?
でも今なら殺せる……!
……いえ、もしかしたらこのロッティは影武者で、私の行動を炙り出すための囮なのかもしれません。
だって、あまりにもシロに都合が良すぎます。
旨すぎる話はだいたい罠なんですよ。
現にいつも張り付いているクローディアもいません。
と、とりあえず様子見……。
意味のない殺しはしたくありませんし。
どうしよう! どうしよう!
誰かシロにどうすればいいか教えてください!
「え、え、えと、どうしたの? お嬢ちゃん?」
「追われてるんです! 助けてください!」
問いかけると、ロッティは助けを求めてきました。




