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閑話 死の影響

 ディナール領主ロッティ・リシュコールの死。

 その報は、布を侵す水のように速やかな広がりを見せた。

 そこには作為的な物を感じられるほどである。


 たとえそれが意図されたものであるとして、意図した者が何者であるとして、確かな事はそれがバルドザードの戦地にまで波及したという事だ。


「ロッティが……」


 軍議の最中、天幕にいた中で震える声を発したのはゼルダである。


「ウソ……」


 同じく、グレイスは手に持っていた器を取り落とす。

 高い音を立てて地面を叩いた器から、水が弾け散る。


「王都を目指す反乱軍によって、討ち取られたとの事です」


 反乱軍……リューに?


 強い衝撃に呆然としていたゼルダは、そこに考えが至り、視線を動かした。

 向けられたのは、天幕の奥に座る母ゼリアに対してである。

 ゼリアの顔からは感情が読み取れなかった。


 あまりにも普段どおりである。


 視線を向けたのは、ゼルダだけではなかった。

 天幕に集う数多の将が、その様子を伺っていた。


「……戻るぞ」


 注目の最中、ゼリアは一言告げた。


 ゼルダはそれに同行する心積もりであったが、ふと戦況について考えが過ぎる。


「陛下……。しかし、ここで陛下に撤退されてはバルドザードを押し留められません」


 将の一人が、ゼリアに諫言する。

 彼女が戻るという事は、ゼルダとグレイスも戻るという事である。

 ゼリアと四天王の戦力がない状態では、攻め上がるどころか押し留める事も難しかった。


 ゼルダもまた、それを懸念していた。


「構わない。あとで取り返す。だから、今は何も言うな」


 強い眼差しで言われると、その将は口を噤む。


「私は残ります」


 ゼルダがそう口にする。

 正直に言えばすぐにでも戻って経緯と真相を確かめたい。

 だが、切羽詰った戦場を放置する事も気が引けた。


「お前を放っては行けない」


 ゼリアが難色を示す。

 ゼルダは息を吐き、説得の言葉を選ぶ。


「陛下が――」

「ママと呼べ」

「……ママが思い遣ってくださる事はありがたく思います」

「ロッティの事が気になるのもわかります。ですが、国を失っては元も子もありません。だから、お選びください」

「何を?」

「私をここへ残していくか、ママがここに残って私達姉妹をリシュコールに戻すか」


 ゼリアは難しい顔になる。


「ママがバルドザードで戦えば、戦況は安定していくでしょう。ですが、それまでの間、反乱軍を放置する事もできない」


 ゼルダはそういうが、客観的に見て一領主が死んだだけに過ぎないのだ。

 これに対して、反乱軍を重視するという考えはあまりにも大げさすぎた。

 しばらくバルドザードに留まり、戦況を安定させてから国内の事へ取り組む事がこの場では正解である。

 国と反抗組織を相手取るならば、間違いなく脅威は前者の方なのだから。


 ただ、それに対してゼルダは気付きながらも指摘しなかった。

 何故なら、感情的な部分が反乱軍の放置を厭ったからである。


 どうしてもすぐに戻り、リューを問質(といただ)したかった。


姉妹(私達)を自分の手が届く所へ置いておきたいというのもわかります。ですが、今回はそうも言っていられません。効率よく動くならば、どちらか選ばなければなりません」


 黙りこむゼリア。

 ゼルダは固唾を呑んでその様子を伺った。

 グレイスもまた、母親の決断を待つ。


「……いいだろう。戦況を放置するわけにはいかないが、ロッティの死についても気になる。本来ならば、私自身が出向きたい所だが……。バルドザードと反乱軍ならば、後者の方が容易い相手であろう。よって、ゼルダ、グレイス、リシュコールに戻り、反乱軍を鎮圧せよ。頭目の生死はお前達で見極め、決を下せ」

「わかりました」


 ゼルダとグレイスは揃って返事をする。

 天幕から出ようとする背中に。


「必ず帰ってきてくれ」


 ゼリアはその言葉を投げた。




 一方、ジークリンデの率いる別部隊。


「ロッティが?」


 同じく、ジークリンデはロッティの訃報を受け取っていた。


「あらあら、とんでもない事になったわね」

「ええ、思いがけない事だわ」


 同じくそれを聞いていたカルヴィナとスーリアが、楽しげに笑う。

 ジークリンデは怪訝な顔で二人を見る。


「姉妹が死んで何も思わんのか?」


 その問いかけに、二人はきょとんと呆気に取られるような表情を作った。


「お姉様が死んだ?」

「ありえないわ」


 二人は断言する。


「何故そう思う? 根拠があるのか?」

「ないけれど、きっとそう」

「お姉様は生きているわ」


 ジークリンデは二人の本心を判断しかねた。

 確信があるのか、現実逃避なのかわからない。


「お姉様も酷いわ」

「こんな楽しそうな事を私達抜きで始めるなんて」


 二人は唐突に、ずいっとジークリンデに迫った。


「確かめに行ってもいいかしら?」

「答え合わせに行ってもいいかしら?」

「「ねぇ、伯母様」」


 戦力的には厳しいが……。

 気持ちはわからないでもない。

 正直に言えば、ジークリンデも駆けつけたいと思っていた。


 双子がこうして(かぶ)いた様子を見せるのも、結局は心配の裏返しかもしれない。

 なら、ここは行かせた方がいいのかもしれないな。


 二人がいなくてもゼリアと他の姉妹が居れば戦線も押し返せるだろう。


「わかった。しかし、私の一存では決められない事だ。一度陛下にうかがいをたてて来い」

「わかったわ! ありがとう伯母様」

「愛してるわ! 伯母様」


 言うが早いか、二人は走り去っていった。


 後日、伝令からゼルダとグレイスも帰国した事を知り、ジークリンデは自分の先見の無さを呪った。




 バルドザード。

 ゼリアが参戦した事もあり、戦地へ出ていたヘルガの下にもロッティ・リシュコールの訃報が届いた。


 確かに、リシュコールの動きも普段より鈍いと感じていた。

 これがロッティの死に起因しているとするならば、リシュコール王家にとって皇女ロッティという存在は大きなものだったのだろう。


 討ったのは反乱軍との事だが……。

 それについて情報収集しているシロからの連絡が無い。


 リシュコールからも情報を引き出せるシロが、農民出身の反抗組織を相手に手間取っているという状況もおかしなものだ。


 思っていたよりも強固な組織なのか?

 評価していたギオールの目も確かという事だ。


 そのような事を考えていた時に、リシュコールの陣営から四天王が離脱したという報が入った。

 ヘルガは頭を悩ませる事になる。


 現状、バルドザードの方がリシュコールよりも優勢である。

 最強戦力であるゼリアが残っているなら、油断する事もできないが……。

 しかし、個人ではできる事に限界がある。


 実際、ヘルガにとって今までの状況と比べて、幾分楽だと思えるくらいだ。

 守るプランも攻めるプランも高い精度で実行できる。

 やろうと思えば、このままリシュコールまで攻め入れるのではないかとすらヘルガは判断していた。


 それでは目的を果たせないのでやらないが。


 邪神の糧となる負の感情。

 苦痛、恩讐、死に際の恐怖、それらほど強い感情はなく、戦場ほどその感情を搾り出せる状況はない。


 農民達を苛烈な環境で虐め、それで生まれる負の感情とは量が圧倒的に違うのだ。


「少し攻め手を緩めた方がよいですね。丁度いいかもしれません。皆さん、疲労も溜まっているでしょうし。ローテーションを組んで順次休暇に入ってもらいましょうか」


 自分もまた休む余裕ができる。

 そう思うと、自然に「ふふっ」と弾んだ声がでた。




 こうして、ロッティ・リシュコールという一人の人間の死は、さまざまな場所で思惑を生み、行動を狂わせる事となった。

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