閑話 クラド攻略戦 後編
クラド領兵指揮官、イクスは領主の娘である。
彼女は父母が好きである。
とりわけ、母が好きである。
今まで、母トゥーラの言う事には概ね従い生きてきた。
あまりにも素直すぎるので、母から「もう少し自分で考える事を覚えなさい」と度々注意されるくらいだ。
とはいえ、イクスはそれがいけない事だとは思っていない。
彼女は単純な考えの下に生きている。
好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。
良いものは良く、悪いものは悪い。
基本的に母は何も間違わない。
それだけでなく、母の考えはイクスとしても納得の行く事ばかりだ。
判断の基準がわからない時でも、母にわかりやすく説かれれば納得できた。
母の言う事を聞いていれば、イクスは自分を曲げる事もなく生きていけた。
しかし、納得できない事が皆無とも言えない。
父と共に他領との交流に出かけた時の事。
その頃はすでに、バルドザードとの戦いが始まっていた。
そこに住む民が自領とは様相が違う事に気付いた。
自領と比べ、そこに住まう民はあまりにも細いのだ。
四肢の肉は薄く、気力も感じられず、動きも緩慢である。
それでも、畑に鍬を入れ続けていた。
かつて、まだバルドザードとの戦いが始まっていなかった時は、このような事はなかったと記憶している。
その事を父に告げた。
「それは、時勢が悪いとしか言い様がない」
「ですが、うちの領は今も変わらないではないですか」
「それはトゥーラが強いからだ」
父の話によれば、クラド領は武力を国に納めているからこそ維持できているのだという。
クラド領の収穫は安定こそすれ量が多いわけではない。
それでもトゥーラが領主を任されているのは、バルドザードとの戦いで大きな活躍を見せているからだという。
他の領はそれが適わず、徴収の量で成果を出すしかないのだ。
そのためには、農民を酷使する必要がある。
トゥーラは各農村の長とも密に交流しているため、イクスは農民が人である事を知っている。
そう見做す考え方を幼少より培っていた。
過剰な労役を課す事は、イクスにとって受け入れがたい考えだった。
しかし、それが仕方ない事だという事も父の話から理解できた。
殊更、この地の領主が悪人というわけでもない。
ただそれが正しいとも思えなかった。
リューはミラから、ヨシカの部隊が突出しているという旨の通達を受け取った。
「後先考えてなさそうな動きだな。驚くほど聞いていた通りだ」
「何の話?」
通達を聞き、呟いたスノウにリューが聞き返す。
「ホウコウの事だ。あいつ、ヨシカだろ?」
「な、な、な、何の事?」
とぼけるリューを無視して、スノウはホウコウがヨシカだという前提で続ける。
「ウィンがよく話してた。流石に盛っていると思ってたが」
「……それ、マコトには言わないでおいてくれねぇかな?」
「どうして?」
「詳しくは言えねぇ」
「いつか聞かせろよ?」
「おう」
スノウは深く追求せずに会話を切り上げた。
リューの部隊はその後、ミラの指示通りに行軍を早めた。
しかしヨシカとの距離が近づく中、思いがけない事が起こった。
部隊が丘陵地帯へ踏み入った時である。
リュー達の前に、イクスの率いる領兵部隊が現れたのだ。
それにまず気付いたのはスノウである。
「リュー、敵だ!」
短く伝えると、リューはすぐに声を上げて部隊に戦闘体勢を取らせた。
領兵の騎馬隊が、丘陵の坂を一気に駆け下りてくる。リューの部隊へと突撃した。
「うおおおおおおっ!」
それに対し、リューも騎馬隊へ向かって突進する。
戦斧を大きく振るうと、大炎が一閃をなぞるように地へ走った。
壁のように吹き上がった炎の壁が、騎馬隊の行く手を阻む。
馬が怯み、騎手がそれを抑える。
それでも、騎馬隊の勢いは殺がれた。
対してリューは、そんな相手に猛然と突っ込んでいく。
一方、スノウは冷静に指揮官の所在を突き止めようとしていた。
そうして丘陵の頂に立ち、こちらを睥睨する一人の人物を見つける。
彼女こそがイクスだった。
恐らく指揮官。
そう判断し、弓をつがえる。
狙い澄ました一射が敵指揮官へまっすぐ飛ぶ。
が、その矢は途中で何かに弾かれた。
何に弾かれたのかはわからない。
あまりにも距離があり、それは判別できなかった。
イクスの視線がスノウに向けられた。
しかし、それも一瞬。
イクスはふわりと身体を浮かせると、騎馬隊を相手に奮戦しているリューの方へ向かった。
一直線に騎馬隊の陣を割り、そして陣を抜けた先。
そこで、飛来するイクスの剣を受け止めた。
金属のぶつかる轟音、弾ける火花。
リューが押しのけると、イクスはふわりと距離を取ってから緩やかに着地した。
「お前は?」
「イクス。名乗ったんだ。礼を尽くせよ」
「リューだ!」
「よし!」
イクスは満足そうに笑んだ。
イクスは銀髪長身の少女だった。
歳の頃はリューと変わらないだろう。
肘と膝、喉から胸元を覆う装甲を服の上から纏っていた。
それだけならば珍しくもない戦装束だが、身体のそこかしこにベルトが巻かれ、そのベルトにはいくつもの小剣が納められていた。
突撃するリュー。
力を込めた一撃をイクスは両手で握った剣で受け止める。
が、押し留める事は敵わず、半ばいなす形で戦斧の刃を弾いた。
石突による殴打か、体当たりで距離を開けさせるか。
リューは取る手段を考えるが、わき腹に走った痛みで思わず後退した。
視線をイクスに合わせたまま手でわき腹を探ると、そこには小剣が突き刺さっていた。
いつの間に?
手は剣を握って塞がっていたはず。
その疑問の答えはすぐに出た。
イクスが小剣を三本片手で抜き放ち、軽くリューへ投げる。
リューは戦斧でそれを防ぎ、弾かれた小剣が四方へ飛ぶ。
その弾かれた小剣が空中で向きを変え、全てリューへ向けて加速した。
「何だ!?」
イクスは生まれつき、浮遊の魔力変換を持っていた。
それを駆使した戦法である。
イクスはさらに小剣を追加で投げる。
「うわっ! このっ!」
リューはどうにか避けるが、イクスに近づく余裕はなかった。
その間にイクスは部隊の様子を見る。
騎馬隊の突撃があまり良い結果になっていない。
反乱軍の錬度の高さ、指揮に徹したスノウ、リューの突撃で勢いを殺がれたため。
それらの要因があっての結果だった。
「全軍、撤退!」
その様子を見て、イクスは騎馬隊へ号令をかける。
正面からとはいえ、奇襲を前提とした作戦だ。
一当てして、様子を見るつもりでの攻撃だった。
この場での決着を望んではいない。
「逃げんのかぁっ!?」
「どう見ても私の勝ちだろ!」
リューの叫びに言葉を返し、イクスは攻撃的に笑う。
そして、部隊と共に速やかな撤退を見せた。
リューはミラと合流した。
「領兵がこちらに来たという事ですか?」
「ああ」
すでに通達はしていたが、合流するやいなやミラはリューに詳しい状況説明を求めた。
状況を確認すると考え込む。
突出したヨシカの部隊ではなく、何故リューの部隊を狙ったのだろうか?
ヨシカの部隊を把握できていないとは考えにくい。
それでも無視できるのは、本拠の守りに自信があるからだろうか?
そこまで考えた時、伝令が駆け込んでくる。
「補給線を担う拠点の一つが落とされました!」
「どこだ? 北か?」
「はい! その通りです!」
ヨシカの部隊に直接関わる補給線だ。
道理だな。
どれだけ強い部隊も飯が無ければ動けない。
まして、余力もなく全力で突き進んだ部隊だ。
ヨシカの部隊はもう動けない。
リューに一当てしたのはついでか。
引き際から見ても、本格的な戦闘を行うつもりはなかったようだ。
ここから相手はどう動くのか?
補給線を狙う点から見ても、相手の目的は侵攻の遅延を目的としたものだろう。
その点から領兵部隊に、こちらの全ての部隊と戦う戦力はないと見て良い。
少なくとも、向こうはそう判断したようだ。
リューとの戦いはその試金石でもあったか……。
「リュー、このまま領城へ向かいます」
「ホウコウは?」
「大丈夫でしょう」
イクスはリューと戦い、反乱軍の戦力を把握した。
その結果、まともに戦うと勝てないという判断を下した。
その中でももっとも攻めあがっているヨシカの部隊を最大戦力と定め、だからこそ部隊の遅延行為に務めた。
という所だろう、とミラは推測する。
実際以上にこちらを見積もってくれたのはありがたい。
それも一重に、リューの奮戦があったればこそだ。
「恐らく、その道中で領兵部隊からの襲撃があるでしょう」
「おう」
「次は本気でかかってくると思われます」
領の統治、これまでの行動から見て、イクスが戦火の拡大を望んでいない事はわかる。
バルドザードとの戦いで戦力を取られているから仕方がないが、今のクラド領には反乱軍に苦戦する程度の兵力しか残されていない。
その上で勝ちの目を拾おうとしている。
ともすれば、どこかで決死の戦いを望んでくる可能性は高い。
ヨシカの部隊を足止めしたという事は、そちらの実力を高く見積もっているという事だ。
なら、その戦いの相手はリューの部隊という事になるだろう。
「この戦いが、ここでの最後の戦いになるでしょう」
「じゃあ、気合入れないとな!」
リューは左手の平に右拳をパンとぶつけて答えた。
結果として、ミラの推測は当たる事になる。
領城を目指しての行軍途中、丘陵の上にイクスの部隊が姿を現した。
「敵発見! 戦闘準備!」
号令がミラの口から放たれる。
地形の把握を済ませていたミラは、初戦の情報からここでの襲撃がある事を見越していた。
素早い対応に、反乱軍の人員は混乱もなく戦闘準備を整える。
しかし、初戦と違い、真っ先に突撃してきたのは騎馬兵ではなかった。
宙に浮いた指揮官が、急降下しながらリューへ迫った。
スノウが瞬時に矢を射掛けるが、イクスの周囲に配置された小剣の一つがそれを防ぐ。
剣と戦斧がぶつかり合い、火花が散る。
「名乗りはいらねぇな!」
「おうとも!」
二人がぶつかってから、騎馬隊が突撃を開始する。
前の時はリューの突撃で勢いを殺がれたが、今回は先にイクスが突撃する事でそれを防ぐ事にしたのだ。
実際、万全の状態で突撃してくる騎馬兵の脅威に、反乱軍の部隊は浮き足立っていた。
少し遅れ、ボラーがイクスへ斬りかかる。
が、その寸前で飛来する小剣がボラーを襲った。
ボラーは攻撃を中断し、小剣を避ける。
「……っ!」
この状況をミラは想定していた。
戦場に混乱を呼び込む事は解っていた。
だからミラはスノウに指揮を任せ、現状の把握に努める。
この戦いでは錬度の差が浮き彫りになるだろう。
全てを把握し、的確な指示を出さなければ勝てない。
兵士の混乱は想定内。
しかし、イクスの実力が想定外だ。
イクスはリューと剣で渡り合いながら、小剣でボラーをけん制している。
リューに対しては力負けする事を把握しているからか、なるだけ打ち合わずに戦っていた。
それで優位に戦えるだけの実力がイクスにはあった。
ボラーはあまり防御力に優れているわけでないため、小剣の一撃が致命的になりかねない。
回避に必死でリューの援護へ加われないでいる。
突撃を受けた反乱軍の人員は分断され、混乱の極致だ。
スノウがそれを治めようとしているが、敵の騎馬隊は二度目の突撃を行おうと準備中。
どうするのが理想であるか、ミラの胸中にはすでに答えが出ている。
しかし、それを伝え実行する時間がない。
何を優先するか、という悩みが彼女を停滞に導く。
どう動こうと、どちらかの指示が一手遅れる。
焦りが募っていった。
『ならば、一度に全て伝えればよい』
声が響く。
兜の声だ。
その意図を理解した時、ミラの中で何かが繋がった。
そして、反乱軍に属する全ての人間に、ミラの指示が伝わる。
兜の権能。その一つである、意思伝達の効果であった。
反乱軍の混乱が収まり、ボラーはイクスから離れた。
ボラーはそのまま敵騎馬隊へ向けて単身で突撃、同時に浮遊してリューの元へ向かうミラと空中で交差した。
スノウはボラーの突撃を援護するように騎馬隊へ矢を放ち、反乱軍の部隊はボラーへ続くように突撃を開始する。
リューは防御を捨ててイクスへ突撃する。
イクスは小剣でその勢いを殺ごうとするが、肝心の小剣が地面に落ちる。
ミラの浮遊能力による干渉で封じられたためだ。
それら一連の出来事が、まるで一個の生命体のように動き、戦場の趨勢は決まった。
「おおおおおおおおぉっ!」
裂帛の気合と共に放たれた一撃が、イクスの剣を叩き折った。
次の瞬間、剣を捨てたイクスの拳がリューの頬に刺さる。
「お前は! 自分が正しいと思っているのか! 国一丸となって戦わねばならない時に! 無用に混乱を生み出して!」
イクスの一撃に、リューは倒れずに踏み止まる。
そして、跳び膝蹴りをイクスの腹に突き刺した。
「ぐほっ!」
「正しさなんて知った事か!」
悲鳴を上げるイクスに、リューは叫ぶ。
「嫌なもんは嫌だろうが!」
「なん、だとぉ!」
お互い、頭突きをぶつけ合う。
拮抗する二人の力。
しかしその時、リューの額が光り輝いた。
「はああああああっ!」
おびただしい熱の奔流。
炎熱の光線がリューの額から発せられる。
それをまともに受けたイクスは、その場で倒れこむ。
リューは光線で点いた前髪の火を払い、イクスを見下ろす。
「俺はやりてぇ事やってるだけだ。苦しんでる人間がいるから助けてやりてぇ。そう思うから、今ここにいるんだ。正しくなかろうが、気持ちは止められんねぇだろ」
イクスは、リューに対して理解を覚えた。
彼女は自分に少し似ているんだろう。
考え方には共感がある。
片や自分の思うまま、片やわだかまりを抱えたまま。
戦い合えば、気持ちで負けるのも当然だ。
イクスは大きく息を吐く。
「私の負けだ。投降する」
彼女の言葉が本当ならば、民に無体な真似はしないだろう。
まぁ、彼女にウソがあるとは思えないのだが。
イクスを下した反乱軍は領城に至り、代官である領主の夫に降伏を促した。
イクスが捕縛された事を知ると、領主の夫は娘の身を案じてすぐに降伏を受け入れた。
こうして、反乱軍のクラド攻略戦は終わった。
今回の更新はここまでです。
次は30日くらいに更新させていただきます。




