Order:81
アオイの詠唱開始と共に俺はライフルを構えて走り出した。
ジーク先生がアオイに向けてさっと手をかざし、半獣のエーレクライトが俺の方へと飛びかかって来た。
アオイの詠唱が完成する。
アオイ本人とその周囲に展開した青球から放たれた青の光が、ジーク先生に向けて殺到する。
眩い閃光に、調整貯水路の暗闇が薙払われ、同時にコンクリートで覆われた床や壁面、天井までもが青い光によって焼かれてゆく。
吹き飛ぶコンクリート。吹き上がる爆炎。
さらに眩く炸裂するのは、魔素と魔素が激突する光だ。
ジーク先生か半獣のエーレクライトか、展開された防御場とアオイの光線がぶつかり合っているのだ。
アオイの援護射撃を行う俺のマズルフラッシュは、容易くその強烈な光にかき消されてしまう。
アオイ本人と青の球体から次々と撃ちだされる光線。
そんな苛烈な攻撃でも、目標を捉える事が出来ない。
鷲のエーレクライトが駆ける。
ジーク先生は赤マントをひるがえしながら滑らかな動きでアオイの攻撃を回避。そして僅かな隙を突いて、すかさず反撃を仕掛けてくる。
煌めく氷の粒子が、まるで散弾の様に広がった。
アオイが防御を展開する。
俺は咄嗟に自爆術式陣が浮き上がるコンクリートの床を転がり、回避。
僅かに避け損ねたのか、氷の掠った制服のスカートが一部裂けてしまった。
俺はすぐさま体を起こして膝建ちになると、ジーク先生のエーレクライトを狙い撃った。
しかしその射線に、半獣のエーレクライトが割り込み、防御場を展開する。
銃弾が弾かれる。
くっ……!
「Λ1からCP! 聞こえますか、ミルバーグ隊長!」
俺は司令部に無線通信を試みながらも、素早く狙いを半獣のエーレクライトに切り替え、射撃を続けた。
下半身が獣の異形の鎧は、巨体に似合わずすばしっこいっ!
「Λ1からΩリーダー、応答願います! Ω分隊、聞こえますか!」
応答はない。
現在の状況を、外部にも伝えておきたかったのだがっ!
俺は跳躍した半獣の巨体を追う様に銃口を振り上げ、銃撃を加えた。
薬莢が自爆術式陣の描かれた床に散らばる。
俺は司令部への呼び掛けを一旦中断し、腰からフラググレネードを取り出した。
安全ピンを抜き去り、跳躍した半獣のエーレクライトの、その着地のポイントへ向かってグレネード投げつける。そして、すかさず銃撃を加えた。
エーレクライトの着地と同時にグレネードが炸裂した。
爆音が響き渡り、爆風がこちらにも押し寄せる。俺の髪がはらりと揺れた。
俺は手を休める事なくさらに銃撃を続ける。
射撃を続けながら、俺は半獣のエーレクライトの側面に向かって移動する。
残弾ゼロ。
空になった弾倉を落とし、素早く新しいものに交換する。
残りの弾倉は、あと2本。
キッと顔を上げた俺のすぐ近くで、アオイとジーク先生の魔術が激突した。その衝撃波で、再び俺の髪は激しく乱されてしまう。
「ジークハルト様!」
半獣のエーレクライトが、一瞬ジーク先生の方に気を取られた。
その隙を俺は逃さない。
俺は移動射撃を止めてライフルをぎゅっと構えると、すっと目を細めた。
呼吸を整え、照準を定める。
そして、素早く2連射。
慌ててこちらを向くエーレクライト。
初弾が、その防御場の結節点を貫いた。
防御場の一部が砕け散る。
「なっ!」
驚愕の声を上げる半獣の鎧。
そしてその穿たれた防御場の穴へ、次弾が飛び込む。
5.56ミリ弾が目標を捉えた甲高い音が響き渡り、巨大なエーレクライトの鎧に火花が散った。
すかさず腰を落とした俺は、半獣のエーレクライトの側面に対しフルオート射撃を加えた。
「ぐ、があああああっ!」
半獣のエーレクライトは、金属の装甲から火花を散らせながらよろめく様に後退する。
「こ、このっ、小娘がぁぁぁっ!」
女の声で絶叫しながら、しかし異形の鎧はその場でガクリと体勢をを崩した。
全段撃ち尽くした俺は、素早く弾倉を交換した。
半獣のエーレクライトの、その獣の体の左半身は、無残にも穴だらけになっていた。
半獣のエーレクライトは擱座。
身動きが取れない様だ。
ならば、まずはこちらから仕留める!
俺は動きを止めた半獣の鎧に向かってさらに銃撃を加えようとした。
その瞬間。
「ウィル!」
背後からアオイの叫び声が聞こえた。
はっとする。
ぞくりとする気配を感じて、俺は思わず後ろに跳んだ。
その一瞬前まで俺がいた空間を、煌めく白刃が切り裂いた。
目の前に突如結像するジーク先生の鎧。
短距離の空間転移っ!
俺は目を見開く。
そのジーク先生の両手には、鋭い氷の刃があった。
俺は思わず発砲するが、ジーク先生は飛び退る俺を追撃しながら、さらに懐に飛び込んで来る。
「うくっ!」
思わず声が漏れた。
横薙に振られる氷の刃を、かろうじてライフルの銃身で防ぐ。
金属と氷が激しく激突し、甲高い音を上げた。
ジーク先生の斬撃は、強化された身体能力がなければ反応出来ない速さだった。
くっ……!
突き出される刃。
俺は首を捻ってかわす。
ふわりと舞った俺の髪を、その氷の刃が貫いた。
刃に掠った白のリボンが切り裂かれてしまう。
ほどけたストロベリーブロンドの髪が背中に広がった。
俺は髪をひるがえし、連続して後ろに跳びながら何とかジーク先生の間合いから逃れようとする。
はっ、はっ、はっ!
尚も追撃して来るジーク先生。
「ウィルっ!」
しかしそこに、アオイの声が響いた。
同時に、空中から無数の光弾が降り注いだ。
それは俺とジーク先生の間に割り込む様に散らばると、一瞬の間の後、炸裂した。
まるでスタングレネードの様な眩い光が周囲に広がる。
強烈な閃光に片目を瞑りながらも、ジーク先生から離れるべく俺はさらに後退する。
その俺と入れ替わる様に、アオイの青い光球がジーク先生に向かって飛んだ。
光が収まると同時に、再びアオイの魔術がジーク先生を狙った。ジーク先生もすぐさまアオイに対して反撃する。
再び2人の魔術師が、激しい攻防を展開し始めた。
地下空間という事もあり、2人とも広域破壊を引き起こす様な大規模術式は使用していない。しかしそれでも、乱射されるその魔術の1つ1つが、目眩がしそうな程複雑な術式で編まれ、膨大な魔素が込められたものであることは俺にもわかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
俺は何とか息を整えようと試みながら、アオイの援護に入れるタイミングを見計らう。
司令部やΩ分隊と連絡が取れない今、現状ジーク先生を押さえられるのは俺とアオイだけだ。
俺は足元を一瞥した。
さらには、この地下調整貯水路全域に張り巡らされていると思われるこの巨大な自爆式陣の起動も防がなくてはならないのだ。
しかし、自爆術式陣そのものの破壊は難しそうだ。
先程までの攻防で、いくらか床も損傷していた。グレネードが炸裂した箇所やアオイやジーク先生の魔術が直撃した箇所は、コンクリートの床が砕かれ、術式陣の紋様が消滅していた。
しかしそれは、広大な地下空間全てに広がるであろうこの術式陣のほんの一部にしか過ぎないのだ。
この程度で術式陣の機能を無効化出来たとは思うのは、楽観的過ぎると思う。
それに、ジーク先生や半獣のエーレクライトも、床面の破壊を気に掛けていない。一部でも陣が崩れるのが問題なら、俺をここに強制転移させたりはしないだろう。
陣の近くで戦闘が起こるリスクは、減らしたいだろうから。
俺はタイミングを計り、ジーク先生を狙い狙い撃った。
ともかく今は、あのジーク先生の動きを止めなければならない。
ジーク先生は真紅のマントをひるがえし、空間を凍結させて簡単に俺の銃弾を防いだ。同時にアオイに向かって氷柱を撃ち放ち、牽制している。
火力ではアオイが勝っている様だ。しかし、手数はジーク先生に分がある。
ジーク先生は大威力魔術を行使するだけでなく、確実にこちらの隙を突いてくる。まさに、戦い慣れているといった感じだった。
さらに、ジーク先生には術式詠唱を行っている様子がなかった。
あれがジーク先生のエーレクライトの能力なのか、それとも何らかの技術なのかはわからなかったが……。
もちろん、全ての魔術が無詠唱という訳ではない様だ。
「ファーレンクロイツ! 貴様はここでっ!」
ジーク先生の凍結魔術を無効化しながら、アオイが声を上げた。
「異国の魔女め! お前さえいなければっ!」
ジーク先生がアオイの光線を捌きながら叫んだ。
「アオイ! ジーク先生!」
思わず俺も声を上げると、唇を噛み締め、アオイに向かって降り注ぐ氷柱を撃墜した。
交錯する光。
弾ける銃弾。
膨大な魔素が破壊のエネルギーとなって吹き荒れる。
アオイとジーク先生の魔術戦は激しさを増してゆく。
この地下空間全体を揺るがす様に。
俺はジーク先生を狙い撃ちながら、ちらりとアオイの様子を窺った。
先程から強力な攻撃術式を連射しているアオイの表情は厳しかった。
一見していつもの冷静なアオイに見えるが、微かに呼吸が乱れ、眉間に皺が寄っているのが俺にはわかった。
……それも当然の事だろう。
アオイは今日一日ずっと、俺と一緒に自爆術式陣対策でオーリウェル中を駆け回って来たのだ。
それに加え、首都での戦いの疲れも残っているのかもしれない。無理をした俺への魔素補給もあったし……。
対する俺も、残弾が心許ない。
ジーク先生に対するには厳しい状況だ。
……でも。
俺は退かない。
そして、アオイも決して退かないだろう。
俺たちは退かない。
いや、退いてはいけないのだ。
ジーク先生との決着は、今日この場でつける。
もうこれ以上、魔術テロで悲しむ人を出さないために。
もうこれ以上、家族が無残に引き裂かれることが無いように!
そして、10年前から続く因縁を断ち切る。
俺とアオイを捕らえ続ける過去を、断ち切るのだ。
俺はギリッと奥歯を噛み締めた。
アオイもジーク先生を睨みながら、新たな術式詠唱を始めた。
一瞬だけ、俺とアオイの視線が交錯する。
アオイも、思いは俺と同じ。
言葉は交わさなくても、それがわかった。
アオイの術式詠唱のタイミングを狙って、ジーク先生が仕掛けて来た。俺はその攻撃術式を即座に撃ち落とす。
アオイが攻撃するチャンスは、俺が作る!
「ウィル・アーレン!」
ジーク先生が忌々しげに声を上げた。
俺は汗で額に張り付い髪をさっと掻き上げると、ジーク先生を睨んだ。
そして、ニヤリと笑ってやる。
もちろん今の俺に笑う余裕などはない。
微笑みは挑発だ。
ジーク先生の意識をこちらに向けるための。
そしてジーク先生がこちらに気を取られたその一瞬。
アオイの魔素が膨れ上がった。
「すべからく、宵の月、海底の静寂、曇天破る曙光、八帝由来の号砲を放て!」
アオイの詠唱の完成と共に、中空に現れた雷球がジーク先生の鎧に襲い掛かった。同時に別方向から出現した帯状の火炎がジーク先生のエーレクライトに巻き付き、床から盛り上がった土くれが、その鎧の手足を拘束する様に固まってゆく。
それらはいずれも、ジーク先生を囲む様に展開していたアオイの青の球から放たれたものだった。
異なる現象を引き起こす魔術の同時展開!
こんな魔術、初めて見た。
「くっ!」
ジーク先生が低く呻いた。
アオイの魔術をことごとく防いでいるジーク先生。
しかしそれでも、同時多方向からの攻撃はその足を止めるのに十分だった。
俺は、アオイの術式に耐えるのが手一杯のジーク先生の防御場を狙い撃った。
結節点を撃ち抜かれ、砕ける防御場。
「これで、終わりだ!」
そこに、アオイがさっと手をかざした。
ジーク先生に向けて。
収束する青の光。
複雑な術式でまとめられた魔素が青の光に転換される。
そしてその膨大な魔素は、力の奔流となって放たれた。
青の光線が床を砕き、周辺の空気をプラズマ化させながらジーク先生に迫る。
響き渡る破壊音。
地下空間全体が揺さぶられている。
「ぐうううううっ!」
ジーク先生の姿もその呻きも、青の光の中へと消えて行く。
「ぐうっ!」
猛烈な衝撃波が俺にも押し寄せて来た。
俺は思わず跪き、アオイが放った渾身の一撃の余波に必死に耐えた。
ジーク先生を飲み込んだアオイの光線は、そのまま地下調整貯水路の柱を幾本も巻き込んで壁面へと突き刺さった。
「はあっ、はあっ、はあっ……」
青の光が消えた後には、もうもうと巻き上がる土煙が広がっていた。視界は閉ざされ、ジーク先生がどうなったかはわからなかった。
柱や壁面がなおも崩れる音の中に、アオイの荒い息遣いが微かに聞こえた。
やった、のか……?
俺は銃口を下げ、ジーク先生が立っていた場所をじっと凝視した。
「こ、小娘どもがっ! ジークハルトさまにな、何という事を!」
半獣のエーレクライトが、悲鳴の様な声を上げた。
俺に撃ち抜かれた鎧が軋みをあげていた。やはり上手く動けない様だ。
俺はそちらを警戒しながらも、とととっとアオイの方へと駆け寄った。
「アオイ、大丈夫か」
俺はきゅっと眉をひそめた。
「……ああ、問題ない」
アオイの表情は厳しいままだった。
……やはりそう簡単にはいかないか。
俺はアオイの隣に並びながら、ライフルを構え直した。
アオイが警戒を解いていないという事は、今の強烈な一撃でもジーク先生を倒す事は出来なかったという事なのだろう。
アオイが俺を一瞥した。
「髪に足も……大丈夫か、ウィル」
俺はこくりと頷いた。
「うん、大丈夫」
髪はリボンが切られてほどけただけだし、スカートは少し裂けただけだ。スカートの切れ目から覗く太ももに傷はない。
む。
少し下着が見えそうだったので、スカートを引っ張って隠そうと試みる。
よし、大丈夫だ。
まだいける。
まだ……。
俺はライフルのグリップを握る手にそっと力を込めた。
「……やってくれる」
そこに、低い声が響いた。
わかっていても、やはりドキリとしてしまう。そして、少し落胆してしまう。
やはりジーク先生を仕留めることは出来なかった。
しかし、ダメージはあった様だ。
ガシャリと鎧が鳴り、土煙の向こうから鷲のエーレクライトが姿を現した。
芸術品の様に磨き上げられていたその鎧は、無残にも焼け焦げてしまっていた。あちこちが熱で歪み、一部部品が脱落しているところもあった。鮮やかな赤色だったマントは殆どが焼け落ち、なくなっていた。
ゆっくりとした動作で再び俺たちの前に立ちはだかったジーク先生の動きには、ややおかしなところがあった。
左肩が動かず、右足を引きずっている様だ。
鎧の中の生身の体にも、ダメージがあるのだろう。
「ジークハルトさま! ご無事でしょうか!」
半獣のエーレクライトが、先ほどの憎悪に満ちた声とは対照的に歓声を上げた。
アオイが微かに身構える。
アオイに残された魔素を考えれば、これ以上戦闘が長引くのは望ましくない。
……もう一度俺が、チャンスを作らなければ。
唇を引き結び、俺が一歩踏み出したその瞬間。
不意にガチャリと鎧が鳴った。
ジーク先生ではない。
半獣のエーレクライトだ。
異形のエーレクライトは、機能を失った左半身を引きずる様に右足を動かし、何とか体を起こそうとしていた。
「よくもジークハルトさまを……! これ以上はさせない!」
異形の鎧が吠える。
片側の獣の足を大きく開いてバランスを取ると、細い人間の腕を左右にかざした。
こいつ……!
「ローゼリン……!」
ジーク先生が声を上げ、半獣の鎧を見る。
「大丈夫です、ジークハルトさま。術式陣への回線とこの場の守りは維持しております。それよりもお下がりください!」
回線……?
俺は眉をひそめながらも、さっと半獣のエーレクライトに銃口を向けた。
「lilvil fr……!」
半獣の鎧が唱えたのは、一般的な火球の術式だった。
その術式が効果を発する前に、俺は素早くトリガーを引いた。
「……何だ?」
しかし、着弾しない。まるで銃弾が、半獣の鎧の直前で消失してしまったかの様だった。
防御場ではない。
ジーク先生の様に、銃弾を停止させた訳でもない。
文字通り消えてしまった?
俺が眉をひそめる間に、火球の術式が完成した。
半獣の鎧が2発の火球を放った。
俺やアオイに向けてではなく、腕を向けた何もない左右の空間に向かって。
「……ウィル、あれは!」
訝しむ俺とは対照的に、アオイが鋭い声を上げた。
その瞬間。
火球が消える。
突然、空中で。
まるで、先ほどの銃弾と同じ様に。
そして次の瞬間、2発の火球は、俺とアオイを挟み込む様に俺たちの直ぐ傍に現れた。
唐突に。
何もない空間から。
「ぐうっ!」
それでも姿勢を落とし、さっとライフルを構えられたのは、今までの訓練と戦闘の経験があったおかげだと思う。
目の前に迫る火球。
トリガーを引く。
迎撃。
結節点を撃ち抜く。
目の前で弾けた火球の残滓が、俺に降りかかって来た。
もう一発の方は、背後でアオイが防御した様だ。
半獣のエーレクライトがさらに詠唱を繰り返す。
俺とアオイはぴたっと背中を合わせると、それぞれの方向を警戒する。
「アオイ、あれは……」
俺は前方を警戒したままアオイに声を掛けた。
俺にはまるで、火球が空間転移したように見えた。
「……あのエーレクライト、空間そのものを操っている様だ」
背後から厳しいアオイの声がした。
空間制御……。
それがあのエーレクライトの能力ということか。
「あの術式には見覚えがある。それに、この魔素の感覚。恐らくは……」
アオイはそこで一拍の間を置いた。
「あれは、自爆術式陣の遠隔起動を制御しているのと同等の術式だ。あるいは、あのエーレクライト自体が遠隔制御術式の要なのかもしれない」
俺は目を見開いて半獣のエーレクライトを見た。
奴が、オーリウェル各地に仕掛けられた自爆術式陣を操っているのか。奴が、罪もない人々を巻き込んで、無差別爆発を起こしているのか……!
新たに放たれる火球。
再び虚空で消えた火球が、俺のすぐ脇に現れた。
また魔術が転移した。
奴が遠隔起爆の要ならば、俺たちが制圧すべき主目標でもある。
……ならばっ!
俺はさっとスカートを広げ、しゃがみ込む。そしてライフルを振り上げると、新たに転移して来た火球を迎撃した。
「あれを倒せば、オーリウェル中の自爆術式陣は起爆できない?」
俺はちらりとアオイを窺った。
「恐らくは」
やはり転移してくる火球を防ぐアオイの返事が返ってくる。
今も多くの軍警隊員が対処に当たっている筈のオーリウェル市内の自爆術式陣が全て無効化できれば、警戒すべきはこの地下空間にある巨大な術式陣のみになる。そして何よりも、軍警の仲間たちや一般の人々の犠牲を確実に減らせる。
俺は傷付いた鷲のエーレクライトを一瞥した。
ジーク先生と決着をつけるのは俺とアオイの義務だ。そして、ジーク先生に対するには俺たちが力を合わせなければならないのだと思う。
しかし。
「……アオイ。しばらくジーク先生の相手を頼めるか?」
俺は声を落としてアオイにそう問い掛けた。
「俺は先に、あの半獣のエーレクライトを倒す」
「承知した。ふふ、ウィル、あの男など、私が次の一撃で仕留めてみせるさ」
俺の提案に不敵に微笑むアオイ。
ジーク先生の力。
アオイの状態。
いくらアオイでも、疲弊した今の状態でジーク先生と対するのは、厳しい筈だ。そしてもちろんそれは、アオイも承知しているのだ。
「心配などいらないぞ、ウィル。姉さんを信じるのだ」
それでも努めて明るく言うアオイ。
俺は胸が締め付けられるような気がして、そっと眉をひそめた。
もし。
もしもアオイが、傷付いたら……。
そう思うと、胸の間がきゅんとして顔から血の気が引いていく気がした。
……でも。
俺は短く息を吐いた。
アオイが負ける筈がない、か。
俺はライフルのストックに頬をつけながらふっと微笑んだ。意識して、微笑んでみる。
何といっても、アオイは俺の姉なのだ。
強くて綺麗な、俺の姉さんなのだから。
「アオイ、頼む」
俺は呟く様にそう告げながら、転移し、死角から迫って来る火球を迎撃した。
「ふっ、そこはアオイ姉さんと呼んで欲しかったな。そうすれば、術式の展開率が3割増で早くなる」
少し茶化すように微笑むアオイ。
む。
こんな時に何を……。
「ウィル。さぁ?」
あちらも火球を迎撃しながら、アオイはさらに姉さんを迫って来る。
むむ……。
思わず俺は、脱力してしまいそうになる。目の前に強敵がいるこんな状況にも関わらず。
アオイは、いつものアオイだった。
こんな厳しい状況にあっても、少しも気負ったところがない。
以前の様にジーク先生を前にして、人が変わった様に激昂することもない。
いつもの俺の姉さんだ。
俺を抱きしめてくれる、優しい姉さん……。
……俺も、冷静にならなければ。そして、アオイを信じなければならないと思う。
「……気をつけて、姉さん」
俺はそっと小さく呟いた。
改めて言うと照れくさくて、少しぶっきらぼうな口調になっていたかもしれない。
「ウィルも、無理はしない様にな」
そう返事をしてくれたアオイの声は、戦闘中とは思えないほど優しかった。
それだけで胸の奥がポッと温かくなった。傍らにこんな優しい家族がいてくれる事が心強かった。
俺は髪をふってコクリと頷く。
アオイも頷くのが気配でわかった。
転移火球の攻撃が止んだ一瞬の隙に、アオイが腕を振って青い球体を展開させた。
俺は腰を落として身構える。
そしてアオイが、青の球から光線の一斉砲撃を始めた。
「はっ!」
そのタイミングでふっと息を吐いた俺は、スカートをひるがえして突撃する。
オーリウェルのみんなを守るのはもちろんだが、俺には他にも守らなければならない家族がいるのだ。
この体になって新たに得る事が出来た姉さんが。
半獣のエーレクライトを制圧し、一刻も早くアオイの援護に戻らなければならない。
俺はライフルのグリップを握る手に力を込めて、全力で駆ける。
前後左右から突然転移して襲い掛かって来る火球をギリギリで回避し、または迎撃しながら、俺は走る。
走りながら時々半獣のエーレクライト本体にも牽制射撃を加えるが、それはやはり不可視の壁に防がれてしまった。恐らくあれも、空間を操るという特性を利用した防御なのだろう。
その俺の脇をアオイの球体が飛び抜け、ジーク先生へと殺到した。
それとは別にアオイ自身から放たれた魔術とジーク先生から放たれた大魔術が飛び交い、地下空間に激しい閃光を撒き散らしていた。
地下空間を支える太い柱が容易く吹き飛ばされ、コンクリートの破壊音が響き渡る。
吹き飛んだその破片が、走る俺にも降りかかって来た。
「小娘が、スカートの女学生風情が、何で当たらないっ!」
人型の上半身を仰け反らせながら、半獣のエーレクライトが叫んだ。獣の半身を撃ち抜かれているせいか、移動は出来ない様だ。
しかし、俺にその問いに答えている余裕はない。
術式の気配と強化された感覚、そして勘を頼りに、突然姿を現す火球を回避するので手一杯だったのだ。
一瞬の判断ミスが命取りになる。
「ふっ……はっ!」
スカートを振り上げ、解けてしまったストロベリーブロンドの髪を振り乱して、俺は限界まで体を酷使する。
歯を食いしばる。
辛い。
体が痛い。
極度の緊張で胸は張り裂けそうだし、視界はチカチカする。
「きゃっ」
迎撃を失敗して至近に着弾した火球の衝撃に吹き飛ばされ、短い悲鳴を上げてしまう。
俺はゴロゴロとコンクリートの床を転がり、しかし直ぐに体を起こした。
汗で張り付いた髪をさっと払いながら、俺はまた全力で走り出す。
その一瞬前まで俺の転がっていた場所に、雷の槍が突き刺さった。
「アオイ!」
視界の隅で、柱に追い詰められたアオイがジーク先生の猛攻に耐えているのが見えた。
しかし……。
アオイを信じる。
今は、姉さんを信じる!
走る。
火球を迎撃する。
弾切れ。
リロード。
これが最後の弾倉だ!
もう無駄弾は撃てないっ!
「我々の計画が、ジークハルト様の理想が、こんなただの小娘にぃぃっ!」
アオイとジーク先生の戦いの爆音を引き裂き、半獣のエーレクライトの絶叫が響き渡った。
俺はタンっと床を蹴って最後の距離を詰める。
目の前に迫る半壊したエーレクライトの巨体。
その無機質な鎧が、驚愕しているのがわかった。
一気に懐に入り込み、人型部分の鎧の胸にライフルの銃口を向けたその時。
「ローゼリン!」
ジーク先生の声が響き渡る。
そして次の瞬間、俺と半獣のエーレクライトの間に細長い氷の槍が突き刺さった。
外れた……?
俺を狙った攻撃ではないのか。
そう思った瞬間。
不意に、氷の槍が爆裂した。
周囲に無数の氷の破片が振りまかれる。
俺は咄嗟にライフルと腕で防御する。
氷の破片は半獣のエーレクライトにも襲い掛かり、鎧に氷が当たる金属音が響いた。
しかしあちらは鎧。
こちらはタクティカルベストと肘膝のプロテクター以外は、聖フィーナの制服なのだ。防御力など無いに等しい。
盾にしたライフルに無数の氷が撃ちつけられる。かざした腕は、氷の破片に切り裂かれ鋭い痛みが走った。大きな破片がぶつかった肩や太ももには、鈍痛が走る。
「くっ、んあああっ!」
氷の散弾に耐えきれなくなり、俺は吹き飛ばされてしまった。
「ウィル!」
「くっ、大丈夫っ!」
アオイの声に、俺は辛うじてそれだけを叫び返した。
敵が、エーレクライトが来る……!
俺は歯を食いしばり、何とか身を起こした。
腕と足に刻まれた無数の傷から血が溢れ、制服を赤に染めていた。
激痛に顔が歪む。
しかし……。
まだだ……!
俺にトドメを刺そうと直接こちらに手をかざす半獣のエーレクライト。
俺は片手で保持したライフルを半獣の鎧に向けると、トリガーを引いた。
当たらなくてもいい。
牽制だ。
しかし唐突に射撃が止まってしまった。トリガーが、弾けなくなってしまった。
ジャム……?
こんな時に詰まったか!
俺は痛みを無視して半獣の側面に回り込む様に走りながら、アサルトカービンのコッキングレバーを引いた。
何度かレバーを引いて詰まった弾を排除しようと試みるが、出てこない。
くっ!
よく見ればライフルは傷だらけだった。先ほどジーク先生の魔術を防御した際、どこかが歪んでしまったのかもしれない。
もうライフルはダメだ。
やむを得ない。
俺は、スリングを外してデッドウェイトになるライフルを投げ捨てた。そして、腰の後ろからハンドガンを引き抜く。
ハンドガンのグリップを両手で包み込む様に握り締め、俺はスカートを跳ね上げて半獣のエーレクライトの左後方から突撃した。
身を捻ってこちらに火炎弾を放つ半獣。
どうやら奴は、空間を操る特性以外は特異な魔術師ではない様だ。
出来る限り姿勢を低くし、走る軌道をジグザグに変えながら俺は半壊したエーレクライトに迫る。
身体能力強化の術式で限界まで酷使している体が悲鳴を上げる。
傷を負った手足は、痛みを通り越してぼうっと熱いだけになっていた。
「貴様、小娘、お前が何でっ!」
半獣のエーレクライトの絶叫。
俺はその獣下半身に飛び乗った。
ここまで肉迫すれば、防御場も空間制御の防壁も使えないだろうっ!
「これでっ……!」
俺は鎧の継ぎ目と思われる場所に銃口を突き込む。
そして、連続してトリガーを引いた。
「がはっ、があああああっ!」
半獣の甲高い絶叫が響く。
さらに俺は、足元の獣の鎧を蹴り付けて跳躍。
のたうつエーレクライトを下に見ながら、空中で体を捻って一回転。
そして、エーレクライトの肩にタンっと降り立つと、左手でその兜を掴み、右手でハンドガンの銃口を突きつける。
面防の隙間、半獣のエーレクライトの眉間へと。
「平民如きに、ただの小娘にぃぃぃぃぃっ!」
エーレクライトが身を捩って叫んだ。
「生憎と中身はただの小娘じゃないんだ」
それに俺は、アオイの妹だしな。
むん。
俺は小さく胸を張り、そしてハンドガンのトリガーを引いた。
『CPよりΛ1、聞こえるか! 繰り返す、Λ1、ウィル・アーレン、応答しろ!』
『ΩリーダーよりΛ1、そちらの位置を送れ! ウィルちゃん、聞こえているかっ!』
『こちらΕ隊、Λ1の痕跡はまだ発見出来ない。それと調整貯水路への突入もできない状況だ。くそっ、エーレクライトが立ちはだかってやがる!』
半獣のエーレクライトが倒れた瞬間、ヘッドセットからミルバーグ隊長や軍警のみんなの通信が溢れて来た。突然の音量に、俺は一瞬顔をしかめてしまった。
半獣のエーレクライトが倒れ、調整貯水路を包んでいた奴の術式が無効化されたのだろう。どうやら半獣の鎧は、アオイの転移を阻害していただけでなく無線通信も妨害していた様だ。
「こちらΛ1、こちらは無事です」
俺はハンドガンの弾倉を交換してから、ヘッドセットを押さえて報告する。
『ウィルちゃん!』
『大丈夫なのか、ウィルちゃん!』
『どこにいるんだ、今すぐ助けに行くから!』
一瞬の間の後、ヘッドセットから響いて来たスピーカーの割れる程の大音量に、俺はむうっと眉をひそめた。みんなが同時に話すので、何を言っているのか分からない。
『ウィル・アーレン。状況は?』
その中で、ミルバーグ隊長だけが冷静に問い掛けて来た。
俺は息を整えるために小さく深呼吸する。
「こちらは現在地下調整貯水路内にいます。自爆術式陣を遠隔制御していたと思われるエーレクライトを撃破。なおもジーク先生……ジークハルト・フォン・ファーレンクロイツと交戦中です」
俺はミルバーグ隊長に報告を送りながら、目の前で繰り広げられているアオイとジーク先生の戦闘に目を向けた。
アオイとジーク先生。
2人の力は拮抗していた。
ぶつかる魔素。
激しく瞬く閃光。
出力で勝るアオイの魔術。
技術と戦闘経験で勝るジーク先生。
2人の激突は、個人と個人の戦いには見えなかった。
重力を制御しているのか、別の理屈で飛んでいるのか。空中を舞う鷲のエーレクライトとアオイの黒マント。
交錯したかと思うと、距離を取って互いの魔術をぶつけ合う。
膨れ上がる青の光。
降り注ぐ氷柱。
太い柱が簡単に砕かれ、床や天井、壁にも破壊の跡が刻まれてゆく。
この戦いを見ていると、古の人々が魔術師を操る人間を特別な存在に思ったのも納得出来るような気がした。
……しかし。
俺にはわかっている。
アオイもジーク先生も、どれだけ強大な力を操ったところで只の人間に過ぎないという事を。
俺たちみたいな、一般人と何も変わらない只の人間なのだ。
背負わなくていいものまで背負ってしまう強い責任感を持っているアオイ。美人で冷静沈着で何でも出来る様に思われているけど、本当は妹大好きな寂しがり屋なのだ。
む。
その妹とは俺の事、なのだが。
むむ……。
ジーク先生だって、本当は優しい人なのだ。俺にも優しくしてくれたし、今でもエオリアを想い続けている一途な人だ。
ただ少し考えが偏狭で、過去の想いに捕らわれてしまっているところがある。
何かが違えば、こんな戦いは起こらなかったかもしれない。
2人が憎しみ合い、こんな魔術テロが起こる事もなかったのかもしれない。
しかしジーク先生は、1人の人間として罪を償わなければならない。
どんな原因があったとしても、ジーク先生がして来た事は、そして今しようとしている事は、許される事ではないのだから。
『ウィル、良くやってくれた。今すぐ増援を送るから、もう少し保たせろ』
心なしか安堵を滲ませるミルバーグ隊長。
確かに、遠隔起爆を防げればこれ以上の被害の拡大は防げる。
しかし。
「ミルバーグ隊長。それよりもこの貯水路に注水して下さい。Ε隊を援護して、他のみんなはこの施設から退避を」
『……どういう事だ』
ミルバーグ隊長が声を低くした。
俺はさっと周囲を見回した。
「この場所、貯水路全体に自爆術式陣が仕掛けられています。今まで見た中で一番大きなものです。被害範囲は予測も出来ません。だから、万が一に備えて、です。水を入れれば、いくらか爆発の威力を抑えられるかもしれません。それと、付近の住民の避難もお願いします」
『何だと……』
無線の向こうのミルバーグ隊長が絶句するのがわかった。
床一面に刻まれた自爆術式陣は、アオイとジーク先生の魔術によって大きく損傷していた。しかし、最悪の場合の想定しておくべきだ。
『ウィルちゃん』
「ブフナー分隊長。中央制御室の方はどうですか?」
『こちらは制圧に成功した。CPとの通信は傍受していたが……』
「では注水をお願いします。それと脱出を」
アオイの魔術が貫通した柱が崩れ、俺の横に土煙を上げて倒れた。
俺は片目を瞑むるが、アオイたちの戦いからは目を逸らさない。
『しかし、ウィルちゃんたちがまだ……!』
『……わかった。注水を開始しろ、ブフナー』
ブフナー分隊長の声をミルバーグ隊長が遮った。
『しかし……!』
『ウィル。そちらは大丈夫なのだな』
俺はアオイとジーク先生を見上げながらコクリと頷いた。
「はい。もう、大丈夫です」
戦いは決する筈だ。
もう間もなく。
「貴様が、貴様さえいなければぁっ! この魔女がっ!」
ジーク先生が吠える。
その鎧は傷つき、焼け焦げ、先ほどよりも損傷が拡大していた。
「……くっ」
ジーク先生の言葉に一瞬押し黙るアオイ。こちらはボロボロになった黒マントが痛々しかった。
しかしアオイはキッと顔を上げてジーク先生を睨んだ。
「……こんな私でも、ウィルは家族になってくれると言ったのだ。姉と呼んでくれるのだっ!」
アオイはマントをひるがえし、両手をかざした。
3つにまで数を減らしていた青の球体から一斉に光線が放たれる。
ジーク先生は空中でそれを躱そうと体を捻ったが、とうとうその一撃を受けて落下した。
金属鎧が床に叩きつけられる音が響き渡った。
「私は、これからの為に戦う。ウィルと、家族とのこれからの為にっ!」
アオイが両手を大きく開いた。
ジーク先生の直上に集結した青の球体が1つになる。
光を増す球体。
透き通る青の美しい光が、ギュッとその一点に収束した。
そして放たれる一筋の青い光。
ジーク先生のもとへと降り注ぐ。
辛うじて防御場を展開したジーク先生。
しかし膨大な魔素を、恐らくはアオイに残された全ての力を一筋に凝縮した光を防ぐ事は、今のジーク先生には出来なかった。
一瞬の抵抗の後、防御場が突き破られる。
「ぐうっ!」
ジーク先生のくぐもったうめき声が聞こえた。
青の球体が消滅する。
墜落する様に着地したアオイが、膝を突いて崩れ落ちた。
……決着だ。
未来に向かって進み始めたアオイと過去に捕らわれ続けるジーク先生。
勝ったのはアオイ。
俺の姉さんだ。
俺はハンドガンを握り締めながら、2人に向かってゆっくりと歩き出す。
それと同時に、調整貯水路内に警報が響き渡った。
注水開始の警告音だ。
戦闘が終わり静かになった調整貯水路内に、微かに水音が聞こ始める。
あっという間に水はくるぶし程まで入って来た。ブーツ越しにでもわかるほど冷たい真冬のルーベル川の水だ。
その水が、仰向けに倒れたジーク先生の周りだけ赤く染まっていた。
ハンドガンを片手に持った俺はジーク先生の脇に立つと、半分が黒く焼け焦げた無機質な兜を見下ろした。
鷲の意匠が施されたその鎧の腹部には、青の光線に貫かれた穴が空いていた。
「エオリア、か……」
ジーク先生が俺を見上げて呟いた。
兜の置くから聞こえるその声は、くぐもっていて聞き聞き取りづらかった。
「違います、ジーク先生。俺はウィル・アーレンです」
ジーク先生の状態は、一目でで手遅れだとわかった。
しかし俺は、エオリアのフリなどしない。きっぱりと事実を突きつける。
「ジーク先生。あなたを逮捕します」
訳もなくきゅっと胸が締められた。
全ての元凶がこのジーク先生。
そのジーク先生を倒したというのに、高揚感も安堵感も湧いてこない。
ただ胸が痛いだけだった。
ふっとジーク先生は笑った様だった。
「そうだったな。ウィル。ウィル・アーレンか。お前に会ったのが間違いだったな。私の計画も、エオリアの悲願も全てお前に……」
ジーク先生がゆっくりと手を動かし、兜を取った。
ジーク先生……。
その下から現れた未だ鋭い眼光を湛える目が、真っ直ぐに俺を見上げていた。
「しかし、な」
ジーク先生は、血が流れる口元を歪めてニヤリと笑った。
「我々の行動は民衆の記憶に刻まれる。魔術師への、貴族への畏怖が、人々の心に深く刻まれる。それで良いのだ。わが身を礎にして国を想うのが、貴族。エオリアも……かはっ」
まだそんな事を……。
俺は唇を噛み締め、眉をひそめる。
「ジーク先生……」
そんな事、きっとエオリアは望んでいない。
そう言おうとした時。
「ウィル、術式陣が!」
膝を突き、うずくまっていたアオイが叫んだ。
俺ははっとして顔を上げた。
慌てて周囲を見回すと、術式陣が光を増し始めていた。周囲が、いや、調整貯水路全体の床が輝いている様だった。
「これはっ!」
陣が起動したのか?
俺は驚愕に目を見開きながら、足元のジーク先生を見た。
倒れたジーク先生が何かをした様子はない。
しかし術式陣の光は、見る見る内に強くなっていく。
最早眩しくて目を開けていられない程に。
愕然とする。
すっと背筋が冷たくなる。
今ここで術式陣が起爆したら……。
ここにはアオイがいる。Ω分隊やΕ隊のみんなだってまだ退避出来ていない筈だ。施設周辺の住民だって……。
「これを止めて下さい、ジーク先生!」
俺はさっとジーク先生にハンドガンを向けた。
「ふっ無駄だ、ウィル・アーレン。ここの術式陣は私とそこの魔女の魔素を吸収していたのだ。吸収量が臨界に達した今、陣は自動的に起動する」
ジークは微笑みながら、すっと目を瞑った。
「私の、勝ち……だ……」
そうか……。
ジーク先生が切り札である巨大自爆術式の上を戦場にしたのは、例えアオイと戦って敗北したとしても、こうして陣を起動させる事ができるから。
そして、アオイをも巻き込み、この巨大術式陣が何もかも破壊してしまう。
くっ……。
俺はぎゅむっと唇を噛み締めた。
「こんな、こんな事までしてっ! どうして!」
足元の光はさらに強くなっていく。
俺にもわかる。
足の下で今にも炸裂せんとしている強大な魔素の胎動が。
息が乱れる。
頭の中が真っ白になる。
どうする。
どうすれば……!
未だ注水量も十分ではない。
これでは爆発を弱める事は不可能だろう。
せめて、アオイだけでも……。
それも無理だ。
力を使い果たしたアオイでは、転移も出来ない筈だ。
どうする、どうする、どうする……!
握った手が震える。
……いや。
どうするかなんて、そんな事は明白だ。
……守らなくては。
平和に暮らす人々を。
大切な仲間たちを。
そして。
大事な、大事な俺の家族をっ!
そのための力が、俺にはあるではないか。
そのために、ジーク先生に教えてもらったのだ。
銃では救えないものを守るための力。
俺が憎んだ魔術ではない。
俺が憧れた魔術の力が……!
俺は大きく息を吸い込む。
そしてキッと足元を睨み付けると、ハンドガンを投げ捨てた。
頭の中に描くのは防御場の術式。
目を瞑り、自分の内側に沈み込んで行く様に集中し、俺の体内に眠るアオイの魔素を注ぎ込んでいく。
「結節、防壁……」
術式成句を口にする。
同時に、体内の魔素を術式に乗せて外部へと放出。防御場を形成してゆく。
冷静に、正確に、緻密に、破れなく術式を編み上げていく。
「ウィル、まさか……!」
アオイが叫ぶのが聞こえた。
俺に走り寄ろうとして、上手く足が動かなかったのだろう。アオイが転んでしまった水音が聞こえた。
もちろん、魔術が俺にとって危険なのはわかっている。
しかし、今使わなくてどうするのだ。
今使わなければならないのだ。
俺は深く息を吐く。
俺如きの防御場で、この巨大な術式陣を押さえられるだろうか。
そんな不安が脳裏を過ってしまう。
しかし、今はそんな事は考えない。
今の俺の全てを掛けて、押さえてみせる!
俺はすっと目を開き、足元に向かって手をかざした。
自爆術式陣の光が周囲を満たしている。真っ暗だった地下調整貯水路内は、完全に光に満たされていた。
「盾を、みんなを守る盾を、家族を守る盾を!」
間に合え……!
間に合え……!
間に合って!
「広く、広がれ、光を包め!」
即興の術式成句に力を乗せて、俺は今俺に出来る最大限の防御場を展開した。
体からごそりと何かが抜け落ちて行く感覚に、膝を突きそうになってしまう。
しかし耐える。
耐えなければっ!
足元に広がった不可視の盾が、自爆術式陣から溢れる光を押さえ込む。
魔素と魔素がぶつかる衝撃で、スカートが、俺の髪が大きくはためいた。
そして次の瞬間。
自爆術式陣が炸裂した。
閃光。
そして爆音。
防御場の届かなかった範囲が、眩い光の中へ消えて行く。太い柱もコンクリートの壁も、一瞬で消滅する。
「ぐぐぐぐっ、あああああああっ!」
いつの間にか俺は叫んでいた。
少女の声で。
俺の防御場は、圧倒的な破壊の力に吹き飛ばされそうになる。
それでも!
一部でも、少しでもその威力を押さえられるのならばっ!
俺は両手を術式陣へと向けて必死に耐える。
さらに防御場に魔素を注ぎ込む。
視界はもはや白い閃光に埋め尽くされ、何も見えない。
歯を食いしばる。
全身に力を込める。
「ウィル!」
アオイの悲鳴が微かに聞こえる。
大丈夫。
俺が、守る……から!
俺の全てを防御場に注ぎ込む。
意識が吹き飛びそうだった。
「まだ……」
すっと手足の感覚が消えていく。
「まだっ……!」
諦めない。
俺は、諦めないっ!
体の芯から、何かが抜けてゆく。
ミルバーグ隊長やブフナー分隊長。
バートレットに、軍警のみんな。
ジゼルたち学校の友達。
そしてソフィアの顔が脳裏を過った。
みんな……!
「止めるんだ、ウィル!それ以上はっ! ダメだ、戻れなくなる! 消えてしまう! ああ、嫌だ、行かないで、ウィル! ダメだ、力使っては! ウィル!」
術式陣の破壊エネルギーと俺の防御場がぶつかる衝撃音の向こうから、アオイの避けびが聞こえた。
「……そういう、事か」
微かにジーク先生の声も聞こえた気がした。
既に体の感覚はなかった。
防御場を、維持出来ているかどうかもわからなかった……。
でも。
全てが白に塗りつぶされて行く中で、一瞬こちらに手を差し伸べるアオイの顔が見えた気がした。
涙を流しながら手を差し伸べるアオイ。
アオイが無事なら、まだ俺は術式陣の爆発を押さえられている筈だ。
そうか。
そこで俺は、唐突に理解する。
俺がウィルになったのは、この時、この瞬間に、アオイを、俺の大切な姉さんを守るためだったんだ。
俺はふわりと微笑む。
もうきちんと笑えているかはわからなかったけれど。
それでも精一杯微笑んだ。
アオイを、家族を守る事。
それが俺の、俺がウィルとし成すべき事だったんだ。
「ウィル! 嫌だ、ああっ、ウィル!」
最後の欠片を防御場に注ぎ込む。
これが俺の全て。
光が迫る。
アオイの手が迫る。
……ありがとう、アオイ。
ふとそんな言葉が思い浮かんだ。
そして俺の意識は、すうっと閉じていく。
純白の眩い閃光の向こうへと。
俺は、守る事が出来ただろうか、姉さん……。




