Order:70
首都オーヴァルの司法省爆発というニュースを受け、軍警オーリウェル支部では全隊員に対する非常呼集と部隊の緊急展開が行われていた。
市警と協力し、オーリウェル市内の主要公共施設に対して対魔術テロの防衛態勢を敷くためだ。
慌ただしくし職員が行き交い、ヘリや車両が飛び出していく。
そんな緊迫した雰囲気に包まれるオーリウェル支部に出頭した俺は、何とか状況把握をするために支部内を駆け回った。
ちなみに俺は、非常招集の対象にはなっていなかった。
まだ一部でしか報道されていないが、今回の爆発が魔術テロであるのは確定の様だった。
テロ発生当時、司法省は首都警察が警備していたが、突然押し寄せて来た魔術師と直接交戦したらしい。その首都警察の証言によると、今回の実行犯である敵魔術師たちは全員白い仮面を装着していたそうだ。
軍警オーリウェル支部襲撃犯と同じだ。
白い仮面の魔術師。
今回の事件は、やはり聖アフェリア騎士団が引き起こした魔術テロの様だ。
敵があの仮面の魔術師たちならば、ただ魔術が使えるだけのゴロツキを相手にする様にはいかない。数人の魔術師は仕留めた様だが、装備と対魔術戦で劣る一般警察ではそれが限界だった様だ。
首都の軍警も、オーリウェル支部襲撃事件以来警戒態勢を強めていたが、それは主に軍警関連施設や軍警を所管する内務省を対象にしたものだった。さらに、オーリウェル支部が襲撃されてから騎士団に何の動きもないまま約3週間が経過している。
……油断していたとは思いたくない。しかし、不意を突かれたのは確かだった。
聖アフェリア騎士団による魔術テロが、司法省襲撃の単発で終わる保証などない。次なる襲撃を警戒し、オーリウェル支部だけでなく全国の軍警に対し、臨戦態勢が発令されていた。
そして半ば予想していた通りに事態が動いたのは、司法省爆破から3時間後の事だった。
今度はヴォーナード国際空港のターミナルビルで大規模な爆発が発生した。
同時に、空港警備隊と襲撃犯である魔術師の間で激しい戦闘が発生したとの知らせが入った。
緊急展開していた近隣の軍警部隊も空港警備隊の援護に入り、今度は襲撃犯の大部分を制圧した様だ。しかし戦闘は苛烈を極め、味方部隊にも事実上の壊滅と言える様な大損害が発生したらしい。
騎士団の攻撃は、それで終わりではなかった。
第3の攻撃は、日が落ちた後。
北部の工業都市、ロードブルムの市警察襲撃という形で発生してしまった。
特定の地方やターゲットに偏りなどなく、1日の内に同時多発的に発生した無差別魔術テロ。
その被害と衝撃の大きさは、国内全てを揺り動かすのに十分なものだった。
ヘルガ部長の部屋で第3のテロ発生を聞いた俺は、呆然としてしまう。
これほど広域且つ大規模な魔術テロは、今まで聞いた事がない。
何かが動き出した。
俺だけでなく他の多くの人たちが、そんな只ならぬ空気を確かに感じ取っていたと思う。
続々と入電する被害状況に息吐く暇もなく動き回るヘルガ部長に無理やり面会した俺は、アオイと一緒に魔術テロへの対応に協力したい旨を訴えた。
しかしヘルガ部長は、無表情に俺の提案を一蹴した。
それどころかアオイが不用意に動かない様に、俺はさっさとエーレルト邸に戻る様にと言われてしまった。
それだけを命じると、またどこかへ電話を掛け始めたヘルガ部長。
俺は反論する機会もなく、敬礼して退室するしかなかった。
この非常事態に、作戦部や刑事部はもちろん、政務部の事務員たちもが総動員で事に当たっている。俺だけがじっとしている訳にはいかないし、このまま騎士団を放っておけないというのは、アオイも同じ考えなのだ。
人手は足りていない筈だし、俺たちに出来ることもある筈だ。
俺も、例え戦闘任務ではなくても、警備に出ている隊員や刑事部の捜査員のサポートなど、出来ることなら何でもするつもりだった。
俺はヘルガ部長のオフィスを後にして、作戦部の指揮所に向かう。本来の指揮所は支部襲撃で壊滅してしまったので、教練棟に作られた簡易指揮所の方だ。
そこでシュリーマン中佐にも話をしてみよう。
もしかしたら以前の様に、作戦部での任務に参加させてもらえるかもしれない。
ヘルガ部長の命令を無視する形になるが、今は非常事態なのだと俺は自分に言い聞かせた。
未だ復興作業中で雑然とした支部の廊下を、俺はスカートを揺らしながら足早に通り過ぎる。ケルルマルクト百貨店から支部まで直行して来たので、俺は私服のままだった。
先程から警報や緊急放送が鳴り止まない。行き交う隊員や捜査官も、無線機や携帯に向かって何かを叫びながら走っていた。
開け放たれた扉の向こうに真っ暗になった外が見えてくる。廊下を満たす熱気に夜風が混じり始め、俺はふっと息を吐いた。
そのまま食堂の前を通り過ぎようとした時、俺の目の前を横切って職員たちが慌ただしくし食堂に飛び込んで行った。
ぶつかりそうになった俺は、慌て急停止する。
職員たちの只ならぬ様子に、また何か起こったのかと思ってしまう。
……まさか、4回目のテロか?
背筋に冷たい物が走り抜ける。
俺はその感覚を振り払うように、大きく息を吸い込んで食堂に飛び込んだ。
広い食堂の中心に据えられた大きなテレビ用のモニター。その前に、沢山の軍警職員たちが集まっていた。
『今日、この国を焼いたのは、新たな国家の始まりの炎である!』
職員たちのざわめきを吹き飛ばす様に、低い、しかし良く通る声が響き渡る。
俺はモニターを見上げた。
そこには、鷲と獅子の紋章を背景に、派手な装飾を施された甲冑が、拳を振り上げて叫んでいる画像が映し出されていた。
エーレクライトだ……。
モニターを睨みながら、俺はそう思ってしまった。
ジーク先生のエーレクライトではない。兜に獅子の意匠が施された新手のエーレクライトだ。
俺はモニターに近付こうとして、その前に集まる職員たちの後ろに、見知った後ろ姿を見付けた。
レインだ。
「レイン、あれは……」
俺はモニターを注視しながらレインの隣に並ぶ。
「あ、ウィルちゃん……」
こちらを見て声を上げるレインの表情は暗く曇っていた。いつも無駄に明るい彼女にしては、珍しい表情だった。
「あれ、騎士団の犯行声明みたい。さっき出されたらしくて、どこのテレビ局も一斉に放送しているの」
犯行声明……。
俺はキッとモニターを睨み付ける。
聖アフェリア、騎士団……!
『聞け、民たちよ! 自由と平等、そんな甘言に踊らされた結果がこれだっ! 我が国土は破廉恥な外国人どもに蹂躙されている。職は奪われ、犯罪が横行し、財産だけでなく、我らが愛する諸君の生命までもが奪われる始末! さらには、父祖より守り抜いて来た土地は外国資本に買われ、もはや我々の地ではなくなってしまっている! いかほどの者が、この惨憺たる現状を理解していようか。しかし、これがこの国を包む現状なのだ! 嘆くべき現状なのである! それにも関わらず、さらなる外国人誘致や海外資本の呼び込みという愚行を推し進めんとする現在の政権は、我らが父なる祖国に巣くった獅子身中の虫なのだ! これは、駆除しなければならない害悪である!』
モニターの中の鎧が、大仰な動作で腕を振り払った。まるで、何者かを切り捨ている様に。
『この危急の目的に対し、我らは起った! 我らは聖アフェリア騎士団! 我らの浄化の炎で、国を、民を腐らせる者を打ち滅ぼす! それが力ある者の責務であるからだ! 我らを前にし、尚も自らの行いを恥じる事のない売国奴共よ! それでも我らの前に立ちはだかるというのなら、我々は神から与えられたこの魔術の力を持って、貴様たちを打ち砕くだろう!』
獅子のエーレクライトが短く詠唱し、その左手にボッと赤黒い炎をまとわせたまとわせた。
鎧の手に揺らめく炎。
魔素の炎だ。
『まず手始めに、不遜にも我が同胞を捕らえる国権の犬を粉砕した! この救国の初撃を見ても、古より受け継がれし我らが尊き血脈の力が、僅かにも衰えていない事は明白であろう! 我々は、この力を持って民を、国を、この世界を、正しい方向に導く! これは、我々貴族に課せられた崇高なる義務なのだ! 我らは再び、この義務を、忠実に遂行する事をここに誓おう!』
獅子のエーレクライトは握り潰すように魔素の光を消すと、一拍の間を置いた。
『我が騎士団は、この国に蔓延る害悪を撃滅する用意がある。それは、我らが同胞が行った行動からも理解してもらえるだろう。しかし全面攻撃を始める前に最後の勧告を行うものとする。これは、か弱き民を守らんとする我らの慈悲である。告げる。1つは、現政権の即時退去。1つは、政府の権能を貴族院に全面委譲する事。1つは、不当に捕縛された貴族の解放だ。以上の条件を現首相名をもって48時間以内に受諾せよ。これが聖アフィリア騎士団からの最後通告である!』
俺は呆然とモニターを見上げていた。
周囲の職員たちも言葉を失い、じっとモニターを見つめていた。
状況証拠から推測しなくても、これで今回のテロが、聖アフェリア騎士団の犯行であるということに疑いはなくなった。
……しかし、これでは犯行声明というよりもまるで宣戦布告だ。
俺はギュッと手を握り締める。
奴らが示した条件など、到底呑めるものではない。テロに屈する訳にもいかない。恐らく政府は、この要求を一蹴する筈だ。
しかしそうなれば、さらなるテロが引き起こされるだろう。
騎士団の魔術師は強力だ。
軍警に、俺たちに防ぎきれるだろうか?
……いや。
何としても防がなくてはならないのだ。
俺はスカートを翻して踵を返した。
「ウィルちゃん?」
レインがこちらを向いてぽつりと呟いた。
俺はレインに軽く手を振ると、そのまま食堂を飛び出した。そして、一般棟も飛び出して外に出る。
白い息を吐きながら、腕を振って俺は走り始めた。
シュリーマン中佐のところに急ごう。
私服だった俺は、簡易指揮所前で一旦警備に止められてしまったが、軍警の身分証と警備が俺の顔を知っていた為にすんなりと中に入ることが出来た。
薄暗い簡易指揮の中は、ずらりと並ぶモニターが淡い光を放っていた。その輝きに照らされたオペレーター達が、ヘッドセットを押さえながら矢継ぎ早に報告と指示を繰り返し、キーボードを叩いている。
次々と舞い込む様々な無線が、現在も展開を続けているオーリウェル支部の部隊の動きを克明に伝えていた。
指揮所正面に並ぶモニターの中には、他支部の展開状況を示しているものもある。
現在も動いているのはオーリウェル支部だけではない。国内の軍警全てが、非常事態に備えているのだ。
俺はオペレーターさんたちの邪魔にならない様にそっと周囲を見回す。指揮所内にミルバーグ隊長かハーミット隊長がいないか探してみるが、見つからない。
正面の大モニターに目をやると、オーリウェルの地図上に2人のコールサインが表示されている。どうやら両隊長は、現場指揮に出ている様だった。
シュリーマン中佐に話す前に隊長にも相談しようと思ったが、しょうがない。
俺は再びキョロキョロと周囲を見回し、指揮所奥のデスクで資料をめくるシュリーマン中佐の姿を見つけた。
小走りにそちらに駆け寄った俺は、中佐の前で姿勢を正した。
「失礼致します、中佐」
俺はさっと敬礼する。
ヒラヒラのスカートで軍警式の敬礼をしても、似合わないだろうが……。
中佐は顔を上げて俺の姿を認めると、僅かに目を細めた。
「何用か」
ぽつりとそう言って、再び書類に目を落とすシュリーマン中佐。
忙しい中、迷惑なのは百も承知の上でのお願いだ。俺は臆さずにさらに一歩進み出た。
「シュリーマン中佐。自分にも隊のお手伝いをさせていただきたいのです」
俺は声を弾ませ、勢い良くそう言ってみたが、中佐の反応はなかった。
……やはり突然無礼だっただろうか。
不安になる程間が空いた後、シュリーマン中佐はギロリと俺を見た。その目は、ドキリとする程鋭く、冷ややかだった。
「アーレン君もあの犯行声明は見たかね」
「え……はい。先ほど」
俺はこくりと頷いた。
「やはり魔術師などは傲慢で身勝手なものだ」
普段は穏やかな好々爺然としたシュリーマン中佐が、憤怒に顔を歪ませていた。その怒りの目は、真っ直ぐに俺を射抜いている。
「アーレン。お前は、その魔術師の力に手を出したそうだな」
今度は感情の感じ取れない平板な声で、シュリーマン中佐はそう言い放った。
俺は全身が凍り付くのを感じながら、大きく息を吸い込み、姿勢を正した。鳩尾あたりがキュッとなり、背筋に冷たいものが走る。
ドクンッと胸の鼓動が大きく響く。
「魔術師を殲滅しなければならない我々が、奴らの力に手を出すなど恥ずべき事だ。アーレン。お前の戦闘経験は買っていたが、やはり長く魔術師と共にあったのが良くなかったな」
シュリーマン中佐は眉をひそめた。
「魔術師もどきと成り下がったお前を、私の隊で使う訳にはいかん。以上だ。下がれ」
ふんっと吐き捨ているようにそう告げたシュリーマン中佐は、再び手元の書類に目を落とした。
俺は目を見開いたままシュリーマン中佐を見つめる。
そのまま呆然としていると、グラグラと世界が揺れているような感覚に包まれる。
どれほどそうしていただろう。
実際は一瞬の事だったか、それとも数分はそうしていたのか。
はっとした俺は、踵を合わせて姿勢を正す。そしてシュリーマン中佐に向かってばっと頭を下げて一礼すると、踵を返した。
そのまま俺は、スカートを翻して足早に指揮所を後にする。
……わかっていた。
……わかっていた筈だ。
ミルバーグ隊長にも言われたではないか。
軍警と魔術は相容れない。
魔術を行使した俺が軍警から拒絶されるのは、当然の事なのだ。
俺は歯を食いしばり、床を睨み付けながら足早に廊下を歩く。
胸の内側からこみ上げてくるものを必死に抑えつけようとするが、視界がじんわりと滲んでしまう。
握り締めた拳が、プルプルと震えていた。
軍警の中には、魔術師や魔術自体を憎んでいる者も少なくない。それが軍警に在籍する理由だという者も多い。
俺もそうだった。
力が悪いのではない。魔術は人を助ける事も出来る。魔術自体を憎むのは間違っていると叫ぶ事は出来る。しかし、ただ叫ぶだけこの憎しみや偏見を消すことが出来る程、これは根の浅い問題ではない。
だからこそミルバーグ隊長やブフナー分隊長がわざわざ忠告してくれたのに、それでも俺は魔術を行使してしまった。
もちろんそれを後悔はしていない。
しかし、その後俺色な事があって、さらにはアリスや作戦部の仲間たちみたいに俺に普通に接してくれる人も多くて、現実を直視する機会がなかった。
それを今、ここで目の当たりにしただけの事なのだ。
……こうなる事は、十分にわかっていた筈だ。十分覚悟しておかなければならない筈だったのだ。
それなのに。
それなのに……。
悔しくて悲しくて、そして寂しくて寂しくて、胸が苦しくてどうしょうもなかった。
早足だった俺は、教練棟の出口に近付く頃にはほとんど小走りになっていた。
危うくぶつかりそうになった職員が、怪訝な顔で俺を見る。しかし俺はそのまま、教練棟を飛び出した。
引き結んだ唇が微かに震える。
「うう……」
外に出て、冷たい夜気に包まれ、周囲に人がいなくなった途端、俺の口から微かな嗚咽が漏れだしてしまう。
くっ……。
ダメだ。
もう、ダメなんだ……!
もうそれ以上情けない声を出さない様に、俺は必死にぎゅむっと唇を噛み締めた。
家出した時みたいに、もうめそめそしたくはない。
今は、泣いている場合じゃない。
でも。
どうしても、胸が震える。
震えて、しまう……。
そっと夜空を見上げる。
今日の夜空は、あの日アオイと一緒に見た空とは違い、全く星が見えなかった。
空から周囲に視線を戻す。
暗闇の中のオーリウェル支部。
煌々と明かりがともり、今も支部が稼働しているのがよく分かった。
その見慣れた筈の軍警オーリウェル支部が、今の俺には何だか知らない場所の様に思えてしまった。
俺は大きく息を吸い込むと、ゆっくりと時間を掛けて吐いた。胸の奥から溢れ出して来る感情も、息と一緒に吐き出そうと試みる。
……よし。
今は、悲しんでいる時でも落ち込んでいる時でもない。
俺はそっと目を瞑り、しかし直ぐにキッと前方を睨み付けた。そしてスカートを揺らしながら大股で歩き出した。
刑事部もダメだった。シュリーマン中佐の作戦部もダメだった。ならば、俺にはもう1つ考えている事があった。
それを試してみよう。
忙しなく捜査官が行き来し、けたたましく電話が鳴り響く刑事部の仮設オフィスの中を、俺は足早に進んでいく。
顔見知りの捜査官たちが挨拶してくれる。
彼らに挨拶を返しながら俺が目指すのは、バートレットのデスクだった。
高く積み上げられた捜査資料と灰皿に積み上がった山盛りの吸い殻に囲まれたバートレットは、いつもより濃い無精ひげの生えた顎を突き出して腕組みをしながら、何かを考え込んでいる様子だった。
「バートレット」
そんなデスクの脇に立つと、俺はバートレット捜査官の顔を覗き込む。
「ああ、ウィルちゃんか」
バートレットがギロリとこちらを見た。
「そろそろ来る頃だと思ってた。また捜査に参加したいという話だな。ん? 何だか目が赤いが」
机の上に転がったタバコの箱から最後の一本を取り出すバートレット。
俺は慌てて目をごしごし擦る。一応、花粉症ですと言い訳してみる。
「ふむ。しかし、ダメだぞ、ウィルちゃん。何回も言うが、ウィルちゃんを正規の捜査に使う訳にはいかん。ヘルガ部長にも言われているしな」
半眼で俺を見るバートレットに、俺は微笑みながらこくりと頷いた。
「わかっています」
いつもと違い、捜査に加えて欲しいと食い下がってこない俺に、バートレットは怪訝そうな顔をした。
「わかっています。だから俺は、軍警とは別に、独自で動こうと思います」
……このまま軍警と一緒に行く事は、難しそうだから。
そう思うと、また胸がきゅっとして来てしまう……。
「伯爵さまと一緒にか」
バートレットが横目でこちらを見る。
俺はコクリと頷いた。
ただアオイと一緒に捜査をするだけなら、今までと変わらない。バートレットもそう思っているだろう。
俺は今まで、少しでも軍警の助けになるようにアオイに協力してもらい、助けてもらいながら捜査してきた。あくまでも、軍警の一員として、だ。
しかしここからは、俺自身の意志で動こうと思う。
アオイに出会い、アオイを見ていて、軍警の中にいる事だけが騎士団や魔術テロと戦う方法ではない事を知った。それでも今までは、軍警の一員でありたいという思いがあったからこそ、その事から目を背けてきた。
しかし、今日の事で踏ん切りがついた。
アオイが一緒にいてくれれば、俺も戦える。
戦力的な意味ではない。
軍警という組織にいなくても、アオイという家族がいてくれるなら……。
……もう、独りではないなら。
俺は、ジーク先生に追いついて、アオイと俺の過去にケリをつける。そして、これ以上の魔術テロを防ぎ、もうこれ以上家族を失う人を無くすのだ。
アオイも、俺のこの考えを受け入れてくれた。
「だからバートレット。良ければ、俺とアオイを使って欲しいんです」
俺はバートレットを見据え、そう提案してみる。
バートレットが目で続き促してくる。
「バートレットは、騎士団がこのまま散発的な政府機関への攻撃に始終すると思いますか?」
俺には、先ほど食堂で騎士団の犯行声明を聞いて思い至った事があった。
それは、あの自爆術式陣のテロから今に至るまで、騎士団の動きが活発化するにつれて何となく感じていた事だった。
奴らは焦っている。
いや、追い詰められていると言えるだろう。
今までも騎士団は、長い間様々なテロを仕掛けて来たが、ここまで頻繁に、大規模な攻勢に出るという事はなかった。しかし今、動いたということは……。
「……口では威勢の良いことを言っているが、貴族派の中でも武闘派としての騎士団は崖っぷちだ。今回の事にしても、ここまで大っぴらに事を構えては、もう後には引けないだろうにな」
バートレットは目を細めながら顎を撫でた。
俺はコクリと頷いた。
俺の考えと同じだ。
奴らが掲げる政府の政策や経済状況などへの反発は、表向きの理由でしかないと俺は感じていた。
それよりも騎士団がここに来て行動を起こしたのは、その母体たる貴族派が強硬路線から軍警との協調をも含めた融和路線へ転換している事に大きな原因があるのだと思う。
夜のルヘルム宮殿でヴァイツゼッカー公爵とヘルガ部長が言っていた様に。
そして貴族派が騎士団を完全に見限れば、奴らは後ろ盾を失い、ただのテロリスト集団になり果てる。
「上院に全権委譲って条件を出したのもその証拠だな。騎士団は上院の貴族さまたちを舞台に引きずり出したいのさ」
俺は皮肉げに口元を歪めるバートレットに、同意を示した。
「だから、そこまで追い詰められている騎士団だから、このままでは終わらないと思うんです」
俺は自然と拳に力が入ってしまう。
「まだ奴らには切り札がある、か」
確かめる様にゆっくりとそう言ったバートレットに、俺は頷いて見せた。
バートレットには驚きはない様だった。ただ単に事実を確認している様な雰囲気だ。
やはりバートレットも俺と同じ意見なのだと思うと、少し心強くなる。
「今回の攻撃は、まだ手始めなんだと思います。そして奴らが最終手段に出るまで、あまり猶予はない筈です。その最終手段、絶対に止めなくてはならない。きっと今以上に大変な事になるから。だから、俺たちもなりふり構っていられない」
俺はそうでしょうと同意を求めるように、バートレットを睨み付けた。
「俺とアオイも騎士団を止めるために、ジーク先生に追い付くために全力を尽くします。だから、刑事部からは情報提供をしてもらいたいんです。その代り、刑事部で対応できない非正規な情報や懸念事項は、俺たちで確認します」
俺とバートレットはじっと視線を交える。
刑事部が裏付けや人員の関係で手を割けない案件や、正規の捜査手続きを踏んでいては機を逃がしそうな案件に俺とアオイが即応すれば、あるいは騎士団の尻尾を抑えられるかもしれない。
軍警とは関係ない俺たちなら、即座に動ける。
もちろんそれは、相応の危険と問題を孕んではいるけれど……。
「……どうしてそこまでするんだ、ウィルちゃん」
バートレットは根負けしたように俺から視線を逸らし、手に持ったままになっていたタバコに火を付けた。
紫煙が立ち登る。
俺から顔を背けたバートレットは、ゆっくりと煙を吐き出した。
「ヘルガ部長に命じられた通り、伯爵さまと大人しくしていればいいだろう。なんなら、そのまま本物の女学生になったっていいと思うな、俺は。部長も反対はしないだろう」
疲れがたまっているのか、バートレットは大きく首を回した。
俺がこのまま聖フィーナの学生になって、アオイの妹になる、か。
確かにそうなれば、平穏な生活が待っているだろう。
しかし。
それは、有り得ない事だ。
俺の中身が男だからとか、そういう問題ではない。俺が軍警隊員のウィルバートだからとか、そういう問題でもない。
目の前で発生する魔術テロから目を逸らすという事が、俺にとっては有り得ない事なのだ。
例えジーク先生が関わっていなくても、多分アオイも、魔術を悪用する者を見過ごす事はしないだろう。
だから俺たちは、2人で戦うのだ。
俺はふっと小さく息を吐き、ふわりと微笑んだ。
「ありがとうございます、バートレット。でも、俺にも譲れないものがありますから」
例え、軍警の中にいられなかったとしても……。
「それに、個人的な理由もあるので」
俺とアオイには、俺たちの運命を変えた10年前の魔術テロ。その関係者であるジーク先生の捕縛という目的がある。
俺が微笑みながらじっと見つめていると、バートレットがふうっとため息を吐いた。
「……刑事部も作戦部も人手が足りていない。軍警だけでなく、今日の襲撃で各公共機関も警備しなければならなくなったからな。48時間の内に防衛態勢を敷き、さらに騎士団の切り札を突き止めなければならん」
「はい」
俺は笑みを消してコクリと頷いた。
しばらくの沈黙の後、バートレットは携帯を取り出した。
「アリスに無線を用意させる。情報提供くらいはしてやる。その代わり、伯爵が掴んだ事は、こちら側にも流して欲しい」
目を細めながら俺を見上げるバートレット。
「はい!」
俺は大きく頷いた。
バートレットがアリスに連絡し、アリスと支部の外で落ち合う事が決まると、俺はバートレットに一礼してさっと踵を返した。
これから忙しくなる。
またしばらくは学校を休まなくてはいけない。
捜査と学生生活の両立というものは、なかなか難しいものだ。
歩き出しながら、俺はそっと苦笑を浮かべた。
「ウィルちゃん」
その俺の背中に、バートレットが声を掛けてきた。
振り返ると、捜査資料の山の向こうからバートレットが顔を出していた。
「さっき言ってた個人的な理由ってのは、ちなみに何なんだ?」
取り調べを受けた時にジーク先生の事はちゃんと報告していたが、俺の個人的な考えまでは言っていなかったと思う。
俺はふっと微笑んで、そっと人差し指を口の前に掲げて見せる。
「秘密です」
そのままバートレットに微笑みかけ、そして前を向いた俺は、駆けるように刑事部の部屋を出た。
お屋敷に帰り、まずはアオイと話をしよう。そして、リーザさんと連絡をとらなければ。
ロイド刑事にコートを渡すのは、少し先になってしまうかな。
翌日のテレビは、すべてのチャンネルが昨日発生した魔術テロと騎士団の犯行声明についての報道で埋まっていた。特別番組が組まれ、朝早くから繰り返し繰り返し同じことが報じられている。
一夜明けて、3つのテロ事件の被害状況も明らかになってきていた。
司法省と三番目のターゲットになった警察署では多数の職員が犠牲になったが、空港のテロでは民間人や外国人にも被害者が出ていた。
騎士団が空港を狙ったのは、外国人排斥という目的を強調するためだろうとテレビの解説者は語っていた。
俺はその報道を見ながら唇を噛み締める。
どんなに大層な目的があっても、何の関係もない罪のない人たちを傷つけて良い道理があるはずがない。
さらに、次に大きな動きがあったのは、昼過ぎになってからだ。
今回の同時多発魔術テロの対策本部を設置した政府が、騎士団との関係を調査する為に一部の上院議員に事情聴取をすると発表したのだ。
これに対し、上院の貴族議員から猛烈な反発が巻き起こった。
上院下院の議員による舌戦は過熱し、一部報道もそれに便乗したことから、今回のテロが貴族社会全体の反乱である様な意見も飛び出すようになってしまった。
これこそまさに、騎士団の狙い通りといったところだろうか。過激なテロを行う騎士団を切り離したがっていた貴族派を、再び騎士団の側に引き込むための狡猾な策略だ。
国中が騒然となっている中、俺とアオイは今後の方針について話し合った。
俺が騎士団と戦うということに、アオイは簡単には頷いてくれなかった。
それは、俺の身の安全を案じてくれた故の反対だった。
しかし現在の状況が見過ごせるものではない事はアオイも重々承知していたし、俺たち2人がジーク先生を止めなければならないという思いは一緒だったから、最後には俺とアオイ、2人で一緒に戦う事を認めてくれた。
決して無茶はするな。決して魔術は使うなと、何度も繰り返し繰り返し念を押されてしまったが……。
そして夕方近くになると、黒いバンに乗ってリーザさんがエーレルト邸に来てくれた。
俺のお願いしていた品を届けに来てくれたのだ。
人相の悪いリーザさんの手下にレーミアが顔をしかめ、対面したリーザさんとアオイの間に険悪な空気が漂ってしまったが、しょうがない。リーザさんにお願いしていたのは、どうしても必要な物だったから。
リーザさんの部下が荷降ろしいしている間、俺は何とか2人をなだめようと間に入ったが、リーザさんとアオイに挟まれてしまった。
2人が両側から容赦なく俺を抱きしめようとする。
む。
むむ……。
2人の柔らかな感触に挟まれ、俺は身動きが取れなくなる。
今は非常事態だから、こんな事をしている場合ではないのだが……。
何とかその場から脱出した俺は、アオイとリーザさんの仲裁を諦め、部屋に搬入してもらった荷物を確認する事にした。
リーザさんも後からやって来て、一緒に中身を確認してくれた。
リーザさんにお願いしていたのは、俺が戦うための戦闘装備一式だ。
「服は最新の防弾繊維製よ。急ぎだったから、仕立て直すのがギリギリだったわ。もっと時間があれば、妹さん用に可愛く出来たのに」
リーザさんは少し不満そうだった。
戦闘装備を可愛くしても意味はないと思うのだが、俺は取りあえず苦笑を返しておく事にする。
その他の荷物は、タクティカルベストやニーパットなどの防具類。それにマガジンポーチや暗視ゴーグルなんかもあった。ベストは防弾プレートが入っているが、相当軽い作りだった。もしかしたら軍警の装備品よりも高級品かもしれない。
そしてリーザさんは、黒いアタッシュケースを取り出した。
カチャリと鍵を外してケースを開くと、艶消しされた黒い銃が納められていた。
「妹さんの要望通り、ブルハップカービンを用意したわ。アメリカ製の最新型。MPDR-Mよ。まだこちらの国では流通していないわね」
リーザさんの説明を聞きながら、俺はそっとそのライフルに触れてみた。
冷たい……。
型式からして、以前俺が使っていたブルハップカービンの系列発展型の様だ。形状は以前のライフルよりもソリッドになっているが、グリップ周りとかストックの辺りはあまり変わっていない。
銃身長も変わらないが、持ち上げてみたら意外なほど軽かった。少し頼りなさを覚えるほどだ。
しかし全長の短いブルパップカービンは、小柄な俺には相性がいい。それは、俺が今までの戦闘から学んだ事だ。
セレクター周りも変わらないし、使用する弾丸も5.56ミリ弾だ。問題なく扱えるだろう。
「こんなの、よく用意できましたね」
思わず俺がそう呟くと、リーザさんは不敵に微笑んだ。
「それが私の会社の商品でもあるしね」
銃器売買は、グリンデマン・ゲゼルシャフトの専売特許ということだろうか。ロイド刑事あたりが聞いたら、ぞっとする話かもしれないが。
「当然各種オプションと弾も用意したわ」
リーザさんが別のケースを取り出した。
ホロサイトやダットサイトなどの各種サイトシステム。フラッシュライト、レーザーポインタやアンダーバレルグレネードランチャーまであった。
グレネードランチャーは、このライフルの形状に合うように設計された専用品の様だ。
もちろん弾丸も各種取り揃えられている。十分な量があった。
これだけあれば、戦闘に不安はないだろう。
「ありがとうございました、リーザさん」
俺はリーザさんを見て微笑んだ。しかし、少しだけ眉をひそめる。
「では、代金なんですけど……」
俺にもそこそこの蓄えはあったが、これだけ最新の装備が揃うと、なかなかの金額になるというのは想像に難くない。
しかしリーザさんが提示した価格は、意外にも予算の範囲内だった。
「お友達価格」
リーザさんが微笑む。
反論しようとした俺の言葉は、しかしリーザさんに遮られてしまった。
「その代り、怪我しないでね。妹さんが何をしようとしているのかはわからないけど、貴女が無事でいてくれる事をボスは望んでいるわ。もちろん、私も」
微笑むリーザさん。
一拍の間を置いて、俺はリーザさんに微笑み返し、頷いた。
もちろん俺も、怪我をするつもりも倒れるつもりもない。騎士団のテロ計画を潰し、ジーク先生を捕え、今まで通りアオイと一緒にこのお屋敷に帰ってくるのだ。
ゲオルグは俺にアンリエットの面影を見ているからだろうが、リーザさんがどうして俺に優しくしてくれるのかはわからない。
でも、俺の身を案じてくれているのは良くわかったし、それは素直に嬉しかった。
俺は少し照れくさくなって、他の品物の確認に戻る。
いつバートレットから連絡が来るかわからない。戦闘準備は直ぐにしておかなくては……。
「あの、リーザさん。これは……」
少し確認したい事があって振り返ると、先ほどまでいた場所にリーザさんの姿がなかった。
部屋の中を見回すと、何故かリーザさんが俺のベッドにうつ伏せで寝ていた。
「妹さんの匂いがする。甘い、良い匂い……。ふふふふ……」
……笑っている。
スーツで寝転ぶと、シワになると思うのだが……。
その時、扉の方からガタリと音がした。
はっとしてそちらを見ると、少しだけ開いた扉の隙間からアオイがこちらをじっと見ていた。
む……?
アオイと目が合う。
しばらくじっと見つめ合った後、咳払いをしたアオイが改めて扉を開いて部屋に入って来た。
「ウィル。要件がすんだら、お客さんには帰ってもらいなさい」
アオイがベッドを睨む。
「まだ終わっていませんから、帰りません」
ベッドから身を起こしたリーザさんがアオイを睨む。
衝突する視線。
また空気が緊迫したものに……。
その時。
机の上に置いてあった俺の携帯が鳴った。
足早に机に歩み寄った俺は、電話を取る。
バートレットからだ。
「はい、ウィルです」
すぐに電話に出る。
『バートレットだ』
低い声が聞こえてくる。背後の音が喧しかった。
『ガナリーアの町で魔術師集団がいるという情報を得た。騎士団かは不明だ。しかし仮面の魔術師を見たという情報もある。不確定だが』
「了解」
この時期。このタイミングで徒党を組む魔術師の集団。
騎士団か。
例えそうでなくても、それに呼応した魔術師である可能性は高い。
「アオイ」
俺はアオイと視線を交わす。
厳しい表情をしたアオイがコクリと頷いた。
もう、俺たちに立ち止まっている猶予はない。
あとは、前に進むだけだ。
俺は戦闘準備を開始する。
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次話は日曜日の夜更新になりそうです。




