Order:69
「クリスマスは、一族の方々が集まって来られるから大忙しね」
「普通はそうよねー。でもうちの旦那様はそんな甲斐性ないから。メイドとしては楽なもんよ」
聖フィーナのお昼休み。
俺たちはいつも通り食堂の片隅のテーブルに陣取りながら、紅茶のカップを手に、取り留めのない話をしていた。
話題は冬季休暇の過ごし方からエマとジゼルのメイドトークに移り変わり、年末の使用人の苦労話で盛り上がっていた。
「私のところは、年末年始のパーティーの方が大変ですね。その時だけは、臨時の使用人さんも雇いますし」
アリシアが柔らかな笑みを浮かべてそう言うと、隣のラミアがうんうんと頷く。
ジゼルたち使用人側にしても、アリシアたち貴族側にしても、一般市民な俺には縁遠い話ばかりだ。
クリスマス。それに年末年始か……。
俺は両手で包み込む様にして紅茶の入ったカップを持つ。
少し冷えてしまったが、掌を通して伝わってくるその暖かさをじっと感じながら、俺は少し俯き、じっと考える。
皆が楽しみにしている年末のイベントの、その前に控えている選挙。
何とかそれを乗り切る事が出来れば、俺もアオイと一緒に新しい年を迎えられるのだが……。
「ウィル、どうしたの? 顔が怖いよ」
俺がはっとして顔を上げると、ジゼルが心配そうな顔をしてこちらを覗き込んでいた。
「ははは……」
俺は苦笑を返す。
「悪い、ちょっと考え事をしてて」
ジゼルはぼーっとしてちゃダメだよと冗談めかして注意すると、再び皆との会話に戻っていった。話題は、今週末の予定へと移り変わっていった。
俺もそっと息を吐いてから、笑顔でその話題に加わった。
騎士団対策は、確かに重大懸念事項だ。
しかし、だからといって何の関係もないジゼルたちに心配を掛けてしまってはダメなのだ。
「でさ、今度あそこの百貨店で大売り出しあるでしょ。みんなで一緒に行こうよ」
「ケルルマルクトですね。ジゼルさん、何か欲しいものあるんですか?」
「どうやらジゼル、旦那様に新しい服をご用意したいらしいの」
「愛のプレゼント」
「ち、違うわよ、ラミアっ」
慌てるジゼルにみんなが突っ込む。
俺たちのテーブルに華やかな笑い声が広がった。俺も少し笑った。
その笑い声があまりに大きかったからか、他のテーブルの生徒たちがこちらを見るのがわかった。
「……もう」
ジゼルが恥ずかしそうに唇をとがらせる。
俺もアリシアたちも、今度は控え目に笑った。
その時、俺の制服の内ポケットで携帯が震えた。
確認すると、リーザさんからの着信だった。
最近アオイやソフィアから以上にリーザさんから連絡が来るが、今回は珍しくメールではなく電話の着信だった。
「みんな、ごめん」
俺はみんなに断ってから席を立つと、携帯を取り出しながら食堂の外に出た。
「もしもし」
『妹さん、こんにちわっ』
電話に出ると、勢いよく少し弾んだリーザさんの声が聞こえて来る。
『元気かしら。伯爵に嫌な事されてない? いつでも言って。助けに行くから』
勢い良くまくし立てるリーザさん、俺は思わず苦笑してしまう。そして、大丈夫ですと返事をしておく。
『そう』
リーザさんがいつものクールな調子に戻った。
『ところでこの間依頼されていたコートの件なんだけど』
そうだった。
ロイド刑事に借りたコートを早く返さなければならない。恐らくはゲオルグの湖畔の屋敷にある筈なので、リーザさんに調査をお願いしていたのだ。
『残念だけど、そのコートは捨てられたみたいよ』
「えっ!」
思わず叫んでしまう。
俺は電話を握り締めたまま固まってしまった。
『薄汚れてたから使用人が洗濯しようとしていみたいなの。そしたら侵入して来た魔術師の火球を受けて丸焦げに……』
あああ……。
俺はきゅっと眉をひそめた。
……なんて事だ。
ロイド刑事が好意で貸してくれた品なのに……。
『ごめんね、妹さん。代わりの品を買ってあげるから、お姉さんと一緒に……』
「だ、大丈夫です……」
俺は少し呆然としながら。何とかそう返事をした。
コートが焼失したのはリーザさんたちのせいではない。むしろあの魔術師たちに狙われたのは俺なのだから、俺のせいという事になる。
……こ、こうなっては弁償するしかない。
そういえば先ほど、ジゼルたちが百貨店でセールがあるとか言っていたっけ……。
今は騎士団対策に全力を注がなければならない時期だが、ロイド刑事には一晩の宿の恩もあるし、色々とお世話になってしまった。
出来る限り早く代わりを用意し、謝りたい……。
『妹さん。何か力になれる事があったら言ってね。ボスにしては珍しく、妹さんには協力するように言われてるから。大抵の物は用意してあげられる』
こちらを気遣う様なリーザさんの声に、俺はそっと深呼吸してから微笑んだ。
「……ありがとうございます」
ゲオルグもリーザさんも犯罪組織の一員の筈だが、妙に優しい。
ゲオルグは、俺の姿がエオリアの母であるアンリエットに似ているからなのだろうが、リーザさんは何故だろう。
ゲオルグもリーザさんも付き合ってみると基本的には良い人たちなのだ。それなのにマフィアの一員というのが、少し悲しかった。
俺はもう一度リーザさんにお礼を言うと、電話を切った。
さて、コートを買う為の計画を練らなければ。
俺が昔、ウィルバートの頃に買っていた様な安物なんかはダメだ。
昔から俺は、衣料品については着られればなんでもいいと安物しか買ってこなかった。良い品などどう選んでいいのかいまいちわからない。
紳士服にも詳しそうなソフィアにでも相談してみようか……?
オーリウェルの山の手に並ぶ高級住宅街。それぞれが広い敷地を持つ大きな屋敷がずらりと立ち並んでいる。
その一番奥。
一際大きな屋敷の裏庭を、俺はハンドガンを構えて素早く移動する。
既に日が落ちた今、周囲は真っ暗だった。
家々の間隔が広く、さらには庭木や街路樹が密集しているこの地区は、建物の灯りが道路まで届かない。単独では弱々しい街灯の灯りがぽつぽつと並ぶだけでは、十分な光源とはならないのだ。
しかし今は、その暗闇のおかげで敵に発見されるリスクを減らす事ができる。
俺は闇の中にそびえる大きな屋敷の壁に張り付き、そっと窓の中を窺った。
屋敷の中も外と同様に真っ暗で、誰かがいるような雰囲気ではなかった。
他にもぐるりと屋敷の周囲を回ってみるが、扉も窓も施錠され、しばらく人が出入りした形跡はなかった。
どうやら表に立っていた看板の通り、この屋敷は借り手の付いていない借家になっている様だ。
ここは、エオリア宛ての手紙に記されていたジーク先生の所在の1つだったが、どうやら空振りだったみたいだ。
俺はそっと小さく溜め息を吐いて、警戒態勢を解除する。そして安全装置を掛けたハンドガンを制服の内側にしまった。
手紙を手掛かりに突き止めた場所はここで2カ所目だが、やはりジーク先生にに辿り着けるような手掛かりはなかった。
……むう。
このままではダメだ。
何か新しい手を考えなくては……。
「ここには人の気配はないな」
ふわりと黒いマントを翻し、屋根から降りて来たアオイが俺の前に着地した。浮遊の術式を使い、屋敷の上方を確認してもらっていたのだ。
そう簡単にジーク先生が捕まるとは思っていないが、こうなったら、俺が囮になるか……。
ジーク先生が未だに俺を騎士団に引き入れるつもりがあるなら、あるいは食いついてくる可能性はあるかもしれない。
「ところでウィル」
今後の捜査について考え込んでいた俺は、アオイの声に顔を上げた。
尖り帽子の下から覗く鋭い眼光が、俺を捉えていた。
「何かこの姉に言う事はないか?」
アオイの声には厳しい響きがあった。
俺は首を傾げる。
……何だ?
「明後日の土曜日。休日の事だ」
アオイは真っ直ぐに俺を見据えていた。
ああ、その事か。
「そうだ、悪い、アオイ。土曜の午後だけ捜査を一時中断して欲しいんだ。少し買い物に行きたくて」
俺はそっと苦笑する。
騎士団が本格的な動きを見せる前に、焼失してしまったロイド刑事のコートの代わりを買っておきたいのだ。
ソフィアに聞いたら何だか変な目で見られてしまったので、ジゼルとアリシアに相談したら、例のセールを開催している百貨店にみんなで行こうという事になったのだ。
「悪いな。ジーク先……ジークハルトを探さなくてはならない、こんな時期に……」
「いや、それは良いのだ。良いのだが……贈り物のコートを買いに行くそうじゃないか」
俺を睨むアオイの目が何だか怖い。
「何でそれを……」
俺は眉をひそめた。
贈り物というか、弁償しなければならない品物なのだが……。
「ソフィア先生に聞いたのだ。しかし、ウィル。男物のコートとはいったい……」
アオイがずいっと詰め寄って来た。
何故アオイとソフィアが情報共有を……。
いつも仲悪そうにしているのに。
俺はロイド刑事にコートを借りた旨と、それを弁償しなければならない旨を説明した。
「しかし何故ウィルがあの刑事にコートを借りなければならないのだ?」
ますます顔をしかめたアオイがさらに質問を重ねるが、俺は曖昧な笑いで誤魔化そうと試みる。
何といっても俺の家出騒動は、今思い返せば恥ずかしい出来事だった。感情に振り回されての行いだったのだ。それを今さらアオイに事細かに説明するのは、さすがに避けたかった。
半眼で俺を見据えるアオイ。
「か、帰ろう、アオイ。レーミアが待ってる」
俺はアオイの手を引いて歩き出した。
夜が深まるにつれ気温が下がって来ている。オーリウェルを満たす夜の空気は、ちくちくと肌を指すような冷たさになっていた。
「アオイ?」
不機嫌そうなアオイ。
「……姉さん?」
そう呼びかけると、不機嫌そうではあったが、アオイがピクリと反応した。
「……ああ、帰ろう」
アオイがギュッと俺の肩を抱き寄せると、転移術式の詠唱を始めた。
視界が揺らぎ、全身を包む浮遊感の後、俺とアオイはエーレルト邸のエントランスホールに立っていた。
「お帰りなさいませ」
すぐさま現れたアレクスさんとレーミアが、丁寧にお辞儀をして出迎えてくれる。
心地よく暖められた室温に、俺はほっと息を吐いて肩の力を抜いた。冷えて感覚の無くなっていた頬に温かさが戻ってくる気がした。
カツリと靴音を響かせて、アオイが一歩進み出た。そしてくるりと黒マントをひるがえして俺の方を向く。
「そうだ、ウィル。週末は、実は私も用事があったのだ。買い物の、な」
アオイはそう言うと、にっこりと笑った。
……何故こうなったのか。
プリーツの入った白黒のスカートにライトグレーのコートを羽織った俺は、アオイに借りた白の小さなバックを両手で持ちながら、そっと周囲を見回した。
休日の午後。
ケルルマルクト百貨店の一階ホールは、多くの客たちで賑わっていた。
賑やかな親子連れや、セールに向かうご婦人方。ウィンドウショッピングを楽しむカップルなど、様々な年代の沢山の人たちが、笑顔を浮かべてそれぞれの時間を楽しんでいた。
俺の右側には、彼らと同様に明るい表情で笑い合うジゼルたちが集まっていた。
そして左側には、何故か俺の姉たちも集まっていたのだ。
黒髪をまとめ、ロングスカートを穿いた大人っぽい格好のアオイ。とても学生には見えず、落ち着いた所作も相まって、艶やかな魅力に溢れている。通り過ぎる誰もが、目を奪われていると思う。
その隣で、すらりとしたジーンズ姿に丈の短いコートを羽織っているのはソフィアだ。輝くような金髪をポニーテールにしているのも、見る者に与えるアクティブな印象を強めていると思う。
そしてさらには、ダークスーツを着こなしたリーザさんもいた。こちらはいつもの格好だが、すらりとした長身にスーツを着こなすリーザさんは格好よく、周囲の注目を集めてしまっていた。
今日の買い物についてリーザさんに漏らしてしまったのは俺だ。
ロイド刑事のコートを焼失させた事に申し訳ない、申し訳ないと繰り返すリーザさんに、大丈夫、買いに行きますからと言ってしまったのだ。
ジゼルたちと手早く買い物を済ませる筈が、いつの間にか俺の姉3人組も集まって、思わぬ大所帯にになってしまった。
「あの、偶然出会えたのもご縁ですし、エーレルトさまもソフィア先生も一緒に見て回りませんか?」
アリシアがにこりと微笑んで提案した。
ジゼルもうんうんと頷き、エマはアオイを見て嬉しそうに笑っている。
「そうだな」
「そうね」
アオイとソフィア先生も微笑みながら大きく頷く。
俺は二人を少し睨んでみるが、揃って笑顔を返されただけだった。
リーザさんはもともと俺に付いて来るつもりの様なので、特に何も言わない。今日は俺の護衛をしてくれるそうだ。
……一応お礼は言っておいたが。
「では行きましょう!」
ジゼルが元気良く手を上げ、先頭を切って歩き始めた。
「おー」
ラミアやアリシアたちもそれに続く。
俺もみんなと一緒に歩き出すと、アオイたちもぞろぞろと付いて来た。
俺は人混みの中、ジゼルたちとは少し距離を取ってアオイとソフィアに並んだ。
「何で今日は2人が一緒なんだ?」
左右を歩くアオイとソフィアを、俺は交互に見た。
「たまたま、ね」
ソフィアが笑う。
「偶然だ」
アオイもふわりと微笑んだ。
何故か息がぴったりだ……。
俺は少し肩を落としてふうっと息を吐いた。
まぁ、たまにはいいかなと思う。
この一週間、アオイとはジーク先生の痕跡を探す捜査で、随分とあちこちを飛び回った。結果を出す事は出来ていないが、休息も必要だろうと思う。
ソフィアもここしばらくはろくに話もしていないから、たまには一緒にお休みを過ごすのもいいかもしれない。
それにコートを選ぶなら、ソフィアやアオイにアドバイスしてもらうのも良いだろう。
リーザさんは、まぁ、心強い、かな。
チラリと窺うと、ひらひらと手を振ってくれるリーザさん。
「もう、何をしてるのよ、ウィル」
そこへズカズカとジゼルが戻って来た。
「折角の百貨店なんだから、みんなで色々と回るのよ!」
ジゼルが俺の手を取りぐいぐいと引っ張り始めた。
「エーレルトさまもソフィア先生もこちらに」
アリシアが振り返って微笑んでいる。
ラミアもエマも楽しそうだが、ジゼルは今にもスキップでも始めそうな勢いだった。
アオイと俺は目を合わせて少し苦笑しながら、そのジゼルの後について行った。
「ウィル、あそこ! あそこのカフェのアイス、凄く有名なんだよ」
「ジゼル、この季節にアイスというのは……」
「何言ってるのよ、アリシア。寒い時に食べるからいいんじゃない」
「私は温かいヌードルがいいわ」
ラミアがぼそりとそう言うと、エマが苦笑を浮かべた。
俺たちはそのままジゼルに引っ張られてカフェテラスに向かう。百貨店一階の通路やホールにまで広がったテーブルは、買い物の足を休めてコーヒーを飲むお客さんたちでほぼ満員だった。
「いきなり食事なの?」
ソフィアが驚いた様に目を丸くする。
「ジゼルさん。先に上の階を見てはどうかな」
アオイが柔らかな笑顔を浮かべる。
「そうですよ、ジゼル」
「うう、みんなして」
ジゼルが一歩後ずさった。
「じゃあ、また後でね。必ず寄ろうよ、アイスクリーム」
未練がましくカフェテラスを振り返るジゼルを引っ張って、俺たちはエレベーターに乗った。
最初に辿り着いた売り場は、何故か女性服売り場だった。
「あ、これいいな」
「安くなってるね、やっぱり」
「ふむ」
みんな勝手に売り場の中に散りながら、あれこれと品物を手に取る。お互いに批評し合いながら、別れたり集まったりと縦横無尽に売り場を探索し始めた。
ケルルマルクトの売り場だけでなく、ここには様々な専門店も入っていた。商品の量は膨大だ。
独り取り残された俺は眉をひそめる。
む。
今日の主目標はロイド刑事のコートだから、紳士服売り場に……。
「ウィル、何をしているのだ。こちらへ来るのだ」
アオイまでもが笑顔で手招きして来る。
「はぁ……」
俺は声を出して溜め息を吐くと、肩を落とした。そしてとぼとぼとアオイのもとへ向かった。
手早く買い物は済ませ、ジゼルたちには悪いが途中で抜け出し、その後は対ジーク先生の捜査をするつもりだったのだが、そう簡単にはいかない雰囲気になってしまった。
アオイもここにいるし……。
今の俺の戦力では、騎士団に対するには厳しい。アオイに頼らざるを得ないのだ。
俺は小さく溜め息を吐く。
「ふふ、ウィル。この服などどうだ。良ければこの姉が買ってあげよう」
そんな俺の憂いなど知ってか知らずか、アオイがピンクのカーディガンを俺に当てて来る。
「どうですか、ソフィア先生。可愛いでしょう」
ふんっとどこか勝ち誇った顔でソフィアを見るアオイ。
……フリフリヒラヒラは止めて欲しい。
アオイの選ぶ服は女の子らしいものばかりだった。しかしどうも可愛らし過ぎて、少し子供っぽく思えてしまう。
「何言ってるのよ、エーレルトさん。ウィルにはこっちの方が……似合うわよ」
大人気なく対抗心を燃やしたのか、ソフィアもどこからか大量に服を持ってくる。
「やっぱりウィルはボーイッシュな格好がいいと思うの」
ソフィアの用意した服はフォーマルな感じのパリっとした服が多かった。
「うん、やっぱりウィルはウィルバートなんだからこっちよね」
満足そうなソフィアだったが、結局それらの服もみんな女の子向けなわけで……。
俺はじりじりと撤退の態勢に入る。
ここにいては、状況が好転する兆しが見えない。
援護を求めようと周囲を見回すと、人と商品の山の向こう、少し離れた場所にいたジゼルとラミアが、ニヤニヤとしながらこちらを覗き見ていた。
……あれは、絶対俺の状況を楽しんでいるに違いない。
俺は全力で睨んでみるが、ジゼルはますます楽しそうにヒラヒラと手を振って来た。
くっ……。
こうなったら1人で紳士服売り場に……。
そう考え、俺がさっと商品とマネキンに紛れようとした瞬間、ぽすっと頭の上に何かが乗せられた。
「む」
頭に手をやりながら振り返ると、いつの間にか俺の後ろにはリーザさんが立っていた。
そして俺の頭の上には、ちょこんと帽子が乗せられていた。
手に取ると、鍔のない丸くて小さな白い帽子だった。ワンポイントに小さなリボンが付いている。俺の髪の色合いと良く似た色合いのピンクのリボンだった。
「良く似合うわ。妹さんにプレゼント」
既に買ってしまったのか……。
俺にはやはり可愛らし過ぎる品だったが、折角リーザさんが買ってくれたものを無碍には出来ない。
俺は少しだけ目を泳がせてから、長身のリーザさんを上目遣いに見上げた。
「えっと、その、ありがとうございます……」
リーザさんが微笑む。
その笑顔は、普段のクールなリーザさんのイメージが崩れそうな程とろけた笑顔だった。
「ウィル、どこに行ったのだ?」
「ウィル、ちょっと来なさい……って、いた!」
背後でアオイとソフィアの声がする。そして、見つかってしまった!
「何だ、その帽子は」
「またそんな可愛いい格好に!」
俺はあっという間にアオイたちに取り囲まれる。
……脱出、失敗だ。
その後何とか紳士服売り場に移動出来たのは、女性服売り場でたっぷりと時間を消費した後だった。
ジゼルたちはもちろんアオイやソフィアの勢いに終始圧倒され続けた俺は、いざロイド刑事のコートを選ぶ時には既にヘトヘトになってしまっていた。
今日の主目標であるコート選びは、しかしあっという間に終わってしまった。買いもしない女性服を見ていた時間に比べれば、一瞬と言ってもいい。
コートを選んでいる間は、それまで大騒ぎしていたアオイとソフィアは急に静かになり、厳しい顔でじっと俺を睨むだけになってしまった。
ジゼルたちは、コートよりもロイド刑事の事について興味津々といった様子だった。根ほり葉ほりと色々な事を聞いてきた。
しかしそれでもすんなりと良い物を選び出す事が出来たのは、アリシアが見立ててくれたおかげだった。
俺から見ても、シンプルでありながらなかなか格好いいデザインの品物が選べたと思う。
プレゼント包装もしてもらったし。
会計が終わると、俺はコートの入った紙袋を握り締めながら満足の笑みを浮かべ、ほっと息を吐いた。
「ウィル。それを渡す時は私も立ち会うからな」
ムスッとしたアオイが俺の前に仁王立ちになる。
「宅急便にしなさいよ。会う必要なんてないじゃない」
露骨に顔をしかめるソフィア。
……やっぱりロイド刑事は嫌われているのか?
「うーん、ロイド刑事の家は行った事あるけど、正確な住所は知らないんだよな」
俺は、はははと苦笑を浮かべてそんな言い訳をしてみる。
しかしその瞬間、アオイとソフィアの表情が凍り付いた。
「家……」
「行った……」
……む。
地雷を踏んでしまったのか?
……嫌な予感がする。
俺はささっとその場を離脱し、ジゼルたちに合流する。
「ジゼル、アイスに行こう!」
そう宣言すると、今度は俺がみんなを引っ張って歩き出した。
そこから一階のカフェテラスに向かうのにも、なかなか時間が掛かってしまった。ジゼルたちが珍しい品物を見つける度に歓声を上げ、立ち止まってしまうからだ。
そんなときは少し離れてジゼルたちを待つ俺だったが、結局はみんなに呼ばれて一緒になってあちこちを見て回るはめになってしまった。
まぁ、それでアオイやソフィアの追及を逃れられたのだから、良しとしよう。
そうして何とかカフェテラスに到着した俺は、そこでやっとほっと息を吐く事が出来た。
やはり客は多かったが、ジゼルたちと俺が一つの丸テーブルにつき、少し離れたところにアオイたち姉組が陣取った。
ジゼルが念願のアイスを注文し、俺たちもそれに倣う。
運ばれて来たのは、小さなカップの上に異なる味が三層に盛り付けられたカラフルなアイスクリームだった。
ぱくっと一口食べてみると、爽やかな甘味が口に広がり、溶けて行く。
「美味しい……」
最初はこんな季節にアイスだなんてと思っていたが、百貨店巡りをして火照った体にアイスの冷たさが心地よかった。
「あまり食べるとお腹こわすよ」
ソフィアが俺たちのテーブルにやって来る。
「ソフィ、これ美味いぞ」
俺はぱっと微笑みながらソフィアを見上げた。
「一口食べてみるか」
俺はストロベリー味の部分を掬ったスプーンをソフィアに差し出した。
「ちょ、ちょっとウィル! こんな人前で何やってんのよ!」
ソフィアが一瞬にして真っ赤になった。
「ではいただきます」
ソフィアが狼狽えている間に、横から現れたリーザさんがパクリとそのアイスを食べてしまった。
「あ、ああ……」
「美味しいよ、妹さん」
「あ、あなたは何なんですか……!」
ソフィアがキッとリーザさんを睨みつける。
気を回したアリシアが自分のアイスをソフィアに勧めてくれる。ジゼルとラミアは面白がりながら、エマはおどおどしながら、その光景を眺めていた。
笑い声が広がる。
いつの間にかリーザさんも、ジゼルたちと打ち解けてしまった様だ。
そうだ、アオイにも食べてもらおう。
俺は騒いでいるソフィアたちを置いて、とととっとアオイのテーブルに向かった。
アオイはコーヒーカップを片手に、目を細めてみんなの方をじっと見ていた。
「アオイもどうだ、アイス」
俺はアオイの隣の椅子に、ぽすっと腰掛ける。
「ああ、いただこうかな」
アオイは俺の顔を見てふっと微笑んだ。
「楽しそうだな、ウィル」
アイスを一口食べながら、アオイが俺を見た。
俺は一瞬きょとんとしてからアオイに微笑み返した。
「……ああ、そうだな。楽しい、かな」
俺はふっと照れ笑いを浮かべる。
「ジゼルたちとかアオイとかソフィアまでいて、まぁ、みんなでの買い物も楽しいな」
俺は一瞬みんなの方を見てから、再びアオイを見て少し苦笑を浮かべた。
「まぁ、慣れなくて少し疲れたけど」
俺をじっと見つめるアオイが、そうだなと頷きながらそっと目を細めた。
今日は、アオイ自身もなかなか楽しんでいた様に思う。
俺はジゼルたちやそれぞれに買い物を楽しんでいる他の客たちに目をやった。
色々な人たちが、この休日の一時を笑顔で過ごしている。
走り回る子供たち。ベビーカーを押す若い夫婦。じっと商品を眺める老紳士に、両手一杯の荷物抱えるおばさんたち。俺たちみたいな学生の姿もあるし、カフェでノートパソコンを叩くビジネスマンもいる。
その光景をみて、ふと思った。
10年前。
あの日のショッピングモールも、こんな光景が広がっていたのだろうか。
多くの人たちが巻き込まれたあの事件。
こうして穏やかに休日を過ごしていたのであろう彼らに、いったい何の罪があったというのだろうか。
「……何でだろうな」
俺は胸の下で腕を組ながら、自分を抱きしめる様に腕を回しながら、思わずそう小さく呟いていた。
視界の隅で、アオイがこちらを向くのがわかった。
俺の家族の事もアオイの家族の事も、どうしてこんなに悲しい事になってしまったのだろうか。
ジーク先生の顔が思い浮かぶ。
ジーク先生とエオリアだって、休日の買い物を楽しむ普通の恋人たちであっても良かった筈なに……。
単純に、魔術という力が悪いのではない。
事がそう単純でない事は良くわかっている。
貴族と平民。
魔術師とそれ以外の者。
俺たちの社会と今まで歩んで来た歴史みたいなものが複雑に絡まりあっている。
時にそれは個人の運命など容易く歪め、人の命を奪うのだ。
俺は眉をひそめて俯いた。
俺には、これからの軍警の展望を考えているヘルガ部長みたいに大局的な視野はない。
騎士団とテロの問題を、俺たちの社会が抱えるこの構造的な問題を、どう解決して行けば良いかは、残念ながらわからない。
でも。
それでも。
今目の前で笑い合っている家族や友だちや、せめてこの場にいる人たちみたいに俺の手が届きそうな人たちくらいは、理不尽な暴力や破壊から守りたいと思う。
例えジーク先生にどんな思惑があったとしても、家族を失う悲しみを味わう人を1人でも減らせるのならば、俺は戦わなければならないのだ。
それが、今の俺の、ウィルとしての在り方なのだと思う。
……よし。
俺はそっと深呼吸する。
「ウィル?」
すぐ近くでアオイの声がして、俺は顔を上げた。
「難しい顔をしてどうしたんだ?」
アオイが俺の顔を覗き込むように見ていた。
「む、何でもない。大丈夫だ」
俺は軽く笑うと、ジェラードのカップに手を伸ばした。
そしてパクリと一口、冷たくて甘い塊を口に入れる。
「ウィル」
アオイがジェラードを持つ俺の手にそっと触れた。
「あまり気負うな。ウィルだけの頑張りで事態がどうなるわけでもない。私も協力するから、じっくりと進んでい行こう」
アオイが俺の目を見ながら、微かに笑った。
……そうだな。
でも……。
アオイの目を見つめ返しながら、俺はそっと小さく頷いた。
「あ、ウィル!」
そこにソフィアの声が響いた。
「またエーレルトさんとくっ付いて!」
いつの間にかこちらのテーブルに戻って来たソフィアが、腰に手を当てて俺を見下ろしていた。
しばらくメールの返信をしなかったからだろおうか、今日のソフィアは何だか怒りっぽい気がする。
何とか機嫌を直してもらおうと、俺は精一杯微笑みながらソフィアにジェラードを進めようとした。
少し溶けてきたな。
そう思った時、不意にソフィアの向こう側、イベントなどを行う広場の壁に埋め込まれた大型モニターに、気になる文字を見た気がした。
俺は目を凝らしてそちらを注視する。
……爆発?
ガタリと椅子を鳴らして、俺は立ち上がった。そしてスカートを揺らし、小走りにモニターに向かった。
「ウィル?」
ソフィアが驚いたような声を上げる。
モニターには、オーリウェル市の広報映が流れていた。地元ケーブルテレビの画像だ。
俺はそのモニター上に流れるテロップを必死に追った。
首都、司法省で大規模な爆発、死傷者発生多数……。
さっと顔から血が引くのがわかった。
全身がカタカタと震え始め、奥歯がカチカチと鳴った。
事故、か……?
いや。
今のこの時期に政府機関での爆発……。
恐らくは、事故なんかではない。
胸の鼓動がさらに早まって行く。
俺はぎゅっと手を握り締めた。爪が食い込むのもお構いなしに力を込める。
……始まった。
そんな言葉が自然と思い浮かんでしまった。
何の確証もないが、そう思ってしまったのだ。
動き出したのだ、騎士団が。
大モニターは、和やかな映像からニュースキャスターの構えるスタジオの映像に切り替わった。
『ここで緊急のニュースをお伝えします。先ほど首都ウォーヴァルの司法省ビルで大規模な爆発が起こりました。現在も司法省からは黒煙が立ち上っています。司法省職員を含め、多数の死傷者が発生している模様です。原因は今のところ不明ですが、軍警の部隊が動員されているとの情報も入っております。首都警察では、総監の会見が予定されており……』
ニュースに気が付いた周囲の人々も足を止め、モニターを見上げ始めていた。
先ほどまで笑顔に溢れていた彼らの顔が不安に曇っていく。
俺はさっと踵を返した。そして、唇を噛み締めながら足早にみんなのもとに戻る。
以前の自爆術式陣を用いたテロの時もそうだったが、首都はオーリウェルと同様、騎士団の活動の活発な場所でもある。
そんな首都で事件が起こったという事は、オーリウェルでもテロが起こる可能性が高まっているという事だ。
ジゼルたちやソフィアには悪いが、俺はこれから軍警に出頭して即座に情報収集をしなければならない。
そしてその上で、俺に出来る事を考えなければ。
しかし。
俺はきゅっと眉をひそめた。
ヘルガ部長は、恐らく俺を任務には加えてくれないだろう。
シュリーマン中佐やミルバーグ隊長に直談判してみるつもりではあるが、それでもダメなら……。
「ウィル、どうしたの?」
「妹さん。大丈夫?」
ソフィアとリーザさんが心配そうに俺を見る。
……そうだ。
俺はリーザさんの顔を見てふと思いついた事があった。
「リーザさん」
「ん?」
「あの、お願いがありまして……」
俺はリーザさんの手を引いてみんなから少し離れた。ソフィアが「何よ、もう」とむくれているが、今はしょうがない。
「……リーザさん。実は用意して欲しいものがあるんです」
「ふふ、妹さんが欲しいものなら、お姉さんに任せない」
声をひそめる俺に胸を張るリーザさんだったが、俺が要望を伝えると、少し不満そうな顔になってしまった。
「……そんなの、危ないわよ」
「代金は払います。無理ですか?」
「いえ、うちの組織なら用意は出来るけど……」
俺は司法省のニュースを流し続けるモニターをちらりと一瞥した。
「是非、お願いします」
そして再びリーザさんを見た俺は、まっすぐにその目を見つめて頷いた。
俺がリーザさんにお願いしたのは、アサルトライフルや弾薬を含めた戦闘装備の一式だ。
きっとそれらが、必要になる。
ジーク先生と対峙するためには。
みんなを、守るためには。
俺はリーザさんに頭を下げて、アオイのもとに駆け寄った。
「ウィル」
「うん」
ニュースに気がついいたアオイも、既に笑みを消し、レディ・ヘクセの顔になっていた。
俺とアオイは、互いの目を見ながら頷き合う。
魔素と硝煙の入り乱れる嵐が、直ぐそこまで迫って来ている。
日常と平穏を脅かす激しい戦いの予感が、俺の胸を締め付けていた。
俺は、ぎゅっと手を握りしめた。
読んでいただき、ありがとうございました!




