Order:45
何でだ!
何でジゼルがここにいる……!
銃声。
襲撃犯たちの放った火線が走る。
飛び散る火花。えぐられる壁材。
そして。
目の前でジゼルが崩れ落ちる。
ああっ……!
「ジゼル!」
俺は襲撃犯たちの方に牽制射撃を加えながら、呆然とした表情のままゆっくりと倒れて行くジゼルに向かって手を伸ばした。
なおも放たれた襲撃犯たちの銃弾が、俺とジゼルの至近を通過する。
銃弾が擦過する、ぞっとするような風切り音。
しかし今は、それどころではない。
頭の中が真っ白になる。
絶える事無く放たれる襲撃犯の銃声が、どこか遠くで響いているような気がした。
俺はジゼルを抱き留める。
飛び込んだ勢いのままジゼルを抱きかかえた俺は、調理場の中へ転がるように倒れ込んだ。
銃弾が調理場の壁を撃ち貫く音が激しく響く。
俺は姿勢を低くしながらジゼルを引っ張ると、大きなシンクの影に隠した。
「……ウィル?」
ジゼルが小さく呟く。その声には、いつものような明るさも力もなかった。
「ジゼル! 大丈夫か!」
点滅する蛍光灯の下、俺は虚ろな目をしたジゼルの顔を覗き込んだ。
……くっ!
どうする。
どうすれば……。
俺は横たわるジゼルの全身を確認する。
メイド服の脇腹、お腹辺りに血が滲んでいた。黒のメイド服がどす黒く変色して行く。その範囲は、ゆっくりと広がっていた。
とりあえず止血して、いや、傷口の把握を……。
う。
うう……。
くっ、何で……。
視界が滲む。
こんな時に……!
……そうだ。
俺は目を拭ってキッと顔を上げた。
アオイを呼んで来よう。アオイなら、治癒術式でジゼルを治せる筈だ。
「ジゼル、今姉さんを呼んで来てやるからな!」
「……ウィル? 姉さんって?」
ジゼルが消え入る様に呟きながら、微かに笑みを浮かべた。
大丈夫だ。
大丈夫……。
今すぐアオイに治癒術式を掛けてもらえれば……!
さっと立ち上がった俺を、不意に眩い光が照らし出した。
俺は即座に両手でハンドガンを構えると、周囲を警戒する。
断続的に続く銃声の中、だんだんと聞こえて来る車のエンジン音。勝手口の向こう、外を窺うと、眩いヘッドライトを輝かせながら中型トラックが近付いて来るところだった。
酒業者のトラックだ。
唐突に、その運転席からも発砲炎が煌めいた。
この銃声は、45口径だ。
拳銃弾が旧講堂の外壁に突き刺さるのがわかった。
襲撃犯の仲間か!
奴ら、やはり出入り業者に紛れて侵入したのだ。
……くっ。
俺がもし今、アオイを呼びにここを離れてしまったら、ジゼルを危険に晒すことになる。奴らが再び侵入して来ないとも限らないからだ。しかし、不用意にジゼルを動かすことも出来ない。
……どうする。
考えろ、考えろ、考えろ。
俺は歯を食いしばりながら、ハンドガンを握る手にギュッと力を込めた。手が白くなる程に。
時間がない。
判断を……。
その時。
不意に、襲撃犯たちの銃撃が止んだ。
俺は、はっとして周囲を窺った。
「jpuulc xceei coxula」
硝煙の色濃く匂う夜気の中に、低く轟くような詠唱の声が響いた。
大気が軋む。
晩秋の空気とは明らかに違うぞくりとするような冷気が、微かに漂って来た。
「arsse」
完成する4言成句術式。
その刹那。
大気中の水分がギシッと悲鳴を上げて、酒業者に偽装したトラックとその周囲に集結しつつあった襲撃犯たちが、瞬時に凍結した。
人間を、そしてトラックをも飲み込んだ巨大な氷柱が一瞬にして生成される。さらにその周囲の地面までもが、広く鈍く輝く氷に飲み込まれてしまった。
広範囲の空間凍結術式……。
瞬く間に無力化されてしまった襲撃犯たち。
その一瞬の出来事に、俺はただ呆然とするしかなかった。
「何が……アオイか?」
ぽつりとそう呟いた俺の声は、氷塊から漂って来る冷気のせいで微かに白くなっていた。俺には、こんな強力な魔術を放てるのは、少なくともアオイぐらいしか知らない。
ギシリと氷った地面を踏み締める足音が聞こえる。
さっとハンドガンを構えた俺は、照準器越しにそちらに睨んだ。
「力の質は、その者の在り方を示すが……」
巨大な氷柱が乱立する異様な空間に、低い声が響いた。
夜闇の中から、燕尾服をまとった長身の人影が現れた。その顔は無表情に、ただ氷の様に鋭い視線で周囲を見回していた。
「ただ無暗やたらに銃器を振り回すだけの輩など、野犬のようなものだな」
微かに嘲笑の響きが含まれた声。
「ジーク先生……?」
ゆっくりとこちらにやって来るその姿を見て、俺はぽつりとそう呟いた。
俺はそっとハンドガンを下した。
俺と目が合うと、ジーク先生はふっと笑みを浮かべた。
「先ほどのホールでの話、聞かせてもらった。やはり君にこそ、魔術の担い手たる資格がある。あの老人たちより、よほどな」
笑みをたたえたジーク先生は俺の前に立つと、おもむろに上着を脱ぎ始めた。そしてその大きな上着を、そっと俺に掛けてくれる。ふわりと柑橘系の香水、ジーク先生の香がした。
「もしウィル君が良ければ、私が魔術の手ほどきをしてあげよう。君にはその資格がある。エーレルトの秘奥は無理だが、進んで困難に立ち向かう君の精神があれば……」
魔術……。
はたして、魔術の力があればこんな惨状を防ぐことが出来たのだろうか。
俺は一瞬目を伏せ、しかし直ぐにさっと顔を上げた。
そうだ。
今はそんな事を考えている場合ではない。
今は、ジゼルを!
「だからこそ私は君に魔術を……」
「ジーク先生!」
俺は先生の言葉を遮ると、ハンドガンをスカートの飾り布に引っかけた。そして、両手で先生の腕を掴むと、ぐいっと引っ張る。
「怪我人がいるんです! どうか、どうか治してあげて下さい!」
ジーク先生の治癒術式のおかげで、真っ白だったジゼルの顔もだんだんと血色が良くなり始めていた。
今はすやすやと寝息を立てているが、その息遣いも随分と穏やかになった気がする。
……よかった。本当に。
まだ安静にしていた方がいいというジーク先生の言葉に従い、俺たちはまだ半壊した調理場にいた。
ジゼルは今、スカートを広げて座り込んだ俺の膝の上に頭を置いて、ジーク先生の上着を布団代わりにして眠っていた。
俺はそのジゼルの頭をそっと撫でる。
「おいしい、おべんと……」
むにゃむにゃ言いながら俺の膝の上で寝返りを打つジゼル。
……もう大丈夫だろう。
銃弾は、ジゼルの脇腹を貫通していた。恐らく内部にもダメージがあった筈だ。
俺では、俺だけでは、手遅れになった可能性が高い。
俺の力では、ジゼルを救えなかった……。
体を丸めて赤ちゃんのようなポーズで眠るジゼルに、俺はジーク先生の上着をかけ直してやる。
何だかその寝顔が妙に可愛らしく、愛おしく見えて来てしまう。
……ダメだ。
ふと気を抜くと、安堵でじわりと視界が潤んでしまう。
そんな俺を、近くのシンクにもたれかかったジーク先生が腕組みをしながら見下ろしていた。
「ジーク先生」
俺は目元を拭ってからジーク先生を見上げた。折角助けてもらったのに、不甲斐ない姿は見せられない。
「ありがとうございました。本当に……」
俺は何度目かのお礼を告げる。やはり少し、目を潤ませながら。
ジーク先生は俺と目が合うと、少し視線を外し、困ったように眉をひそめた。
「……ああ。構わない」
そして重々しく頷いた。珍しく少し戸惑ったようなジーク先生の表情。いつも不敵な雰囲気のジーク先生にしては、珍しい顔だと思った。
「でも、先生はどうしてここにいるんですか?」
俺は首を小さく傾げながら、ふと浮かんだ疑問を口にした。
ジーク先生は俺の問いに答えず、ジゼルの脇にしゃがみ込む。そしてじっとその様子を窺った。
ジジジっと蛍光灯の鳴る音が聞こえた気がした。
俺は無口なジーク先生から視線を外し、周囲の様子を窺う。
銃声や戦闘音は聞こえない。襲撃はもう収束したみたいだ。
「老人たちは、大衆に迎合する事しか考えていない」
ぼそりとジーク先生が呟く。
俺が視線を戻すと、改めて氷の刃のような目をしたジーク先生がこちらを見据えていた。俺の直ぐ目の前で。
思わずドキリとしてしまう。
「先ほども言った通り、君は高貴なる者の義務を果たさんとした。それは、魔術の担い手として相応しい在り方だ」
魔術……。
「君には、この力は必要ないのかな?」
薄く笑ったジーク先生は、俺が脇に置いたハンドガンを一瞥した。
「他を攻めるだけでない。守る事にも癒やす事にも使えるこの力が、ウィル君。君には必要ないのか?」
……確かに、もし俺が魔術を使えれば、ジゼルに怪我をさせずに済んだのかもしれない。もっと早く、確実に襲撃犯を制圧出来たかもしれない。
しかし魔術は、やはり俺の家族を奪った憎むべきものであるのだから……。
そこで俺は、はっとした。
俺は眉をひそめ、目を伏せた。そして唇をきゅっと噛み締める。
先ほど、襲撃犯たちの暴挙を目の当たりにして思ったではないか。
……俺が憎むべきは、理不尽な暴力だ。
魔術はその手段に過ぎない。他人を傷つける行為は、魔術によってのみもたらされる訳ではない。今みたいに、ジゼルみたいに、銃でも他の武器でも起こり得る事なのだ。
方法や道具のせいではない。
それを扱う人間の意志が、悲しみを生み出す。
それを俺は、アオイや学院のみんなやその他の魔術師と接する事によって学ぶことが出来たのだ。
俺は、俺の太ももの上ですやすやと寝息を立てるジゼルをじっと見た。覚醒が近いのか、先ほどからもぞもぞ動いていて、少しくすぐったかった。
こんなジゼルを、みんなを守る為に、もし可能ならば、俺はより大きな力を得るべきなのだろうか。
魔術という力を……。
襲撃犯たちの銃撃でボロボロになってしまった調理場の勝手口の向こう、夜の闇の中から、微かにサイレンの音が聞こえて来た。
アオイたちが警察に通報してくれたのだろう。聞こえて来るのは、市警のパトカーのサイレンだった。
「彼女は、念のため医者に看てもらうといい」
ジーク先生がジゼルを一瞥すると、立ち上がろうとする。
膝の上にジゼルがいるために立ち上がれない俺は、とっさに手を伸ばしてジーク先生のシャツの袖をぎゅっと握りしめた。
ジーク先生が怪訝な顔をする。
「……先生」
「何か?」
「あの……」
俺は気を抜けば高ぶってしまいそうになる感情を沈めるように、小さく一息吐いた。
「本当に、ありがとうございました。本当に……」
俺はじっとジーク先生を見る。
その俺の顔を見て、ジーク先生は一瞬、何かを思い出すような遠い目をした。
「ふっ。構わないさ」
一瞬の間の後、ジーク先生は目を細め、少しだけ笑って短くそう答えてくれた。
俺も釣られてほっと微笑んだ。
その時不意に、膝の上でジゼルがうーんと寝返りを打った。完全にジーク先生に意識を向けていた俺は、思わずびくっとしてしまう。
目を丸くして、俺は目の前のジーク先生と顔を見合わせた。
少しの沈黙の後、俺はまた、ははっと微笑んだ。何だか、照れくさくなってしまって……。
自分でも、少し顔が赤くなってしまったのがわかった。
サイレンの音がだんだんと近付いて来る。
「ウィル君」
ジーク先生が照れ笑いを浮かべている俺をじっと見た。
「そろそろ手を離してくれると有り難いが」
先生はちらりと自分の腕を一瞥する。袖を摘まむ様に掴んだままの俺の手を。
「あ、す、すみません……」
俺は慌てて手を離した。
む。
俺とした事が。
何だか増々気恥ずかしくなって、さらに顔が赤くなってしまう。
そんな俺を少し笑いながら目を細めて見たジーク先生は、さっと立ち上がった。
何かを探すように周囲を見回したジーク先生は、近くの調理台に向かう。料理のレシピだろうか、そこに乱雑に散らばったメモ紙の切れ端に何かを書き付けると、再び俺の前にしゃがみ込んだ。
「ウィル君」
「は、はい」
真剣な様子のジーク先生に、俺も思わずその顔を正面から見つめ返した。
「君が真剣に魔術を会得したいのなら、ここに連絡するといい。私の連絡先だ」
ジーク先生が折り畳んだメモ紙を差し出して来る。
どれくらいの間があっただろう。
数秒か、数分か。
先生の大きな手をじっと見つめてしまった俺は、しかし最後にはゆっくりと自分の手を差し出していた。
メモ紙を受け取る。
ジーク先生が再び立ち上がった。
そして風を切るように颯爽と踵を返すと、俺に背を向ける。そそしてのまま、もう俺の方には振り向かず、勝手口から調理場を出て行ってしまった。
俺はその後ろ姿を、ただ見送る事しか出来なかった。
ジーク先生と魔術。
手の中のメモ紙。
……色々と考えなくてはいけない事が出来てしまった。
遠くから駆け寄って来るような足音が聞こえて来る。
ホールの方からだ。
微かだが、俺の名を呼ぶような声が聞こえた気がした。
「こっちだ!」
……今は考えるのはよそう。
静かに寝息を立てているジゼルだが、まずは病院に連れて行かなくてはいけない。
「アオイ! ここだ!」
俺は精一杯声を張り上げた。
旧講堂周辺は、集まって来たパトカーや救急車の回転灯で眩く照らし出されていた。サイレンの音と市警の警官たち、それに何事かと集まって来た生徒たちや学園祭の来場者で、現場は騒然とした状態になってしまっていた。
「じゃあ、ジゼル。後で見舞いに行くから」
俺は救急車の中、ストレッチャーに横になっているジゼルの顔を覗き込んだ。
「うん。でもこっちは気にしなくても大丈夫だよー」
呑気な声で、ジゼルがニカっと笑った。
「後は任せなさい、アーレン」
ジゼルと一緒に救急車に乗り込んだヒュリツ先生が俺を見た。先生も夜会の参加者だ。今は救急車には似つかわしくないシックな濃紺のイブニングドレス姿だった。
俺はよろしくお願いしますと頭を下げ、救急車を降りた。
後部ドアがバタンと閉じられ、サイレンが鳴り響く。ジゼルを乗せた救急車は、人混みを掻き分けるようにして走り去って行く。
それを見送る俺の肩に、ぽんっと手が置かれた。
隣を見ると、黒のドレスの上に暖かそうなショールを羽織ったアオイが立っていた。
「レーミアが用意してくれた」
アオイが俺にも同じショールを差し出してくれる。
季節はもう晩秋。
夜も遅くなり空気が冷えると、微かに息が白くなる程に寒い筈だ。しかし、戦闘の興奮のせいだろうか。肩を剥き出しのドレス姿なのに、俺はあまり寒いとは感じていなかった。
「ジゼルさんが無事でよかったな、ウィル」
「うん。本当に……」
アオイが呟くような声に、俺も囁くように返事をした。
そっと盗み見すると、アオイは沈痛な表情で救急車の走り去った方向を見つめていた。
魔術師と一般人。
貴族と平民。
現代の世の中でも、古来から永遠と続くこの対立軸は、犠牲者を生み出し続ける。今日のこの事件の様に。
それはまるで、この夜の闇のように先の見通せない戦いなのだ。
何をすれば解決するのか。
どうすればなくなるのか。
先の見えない戦い……。
魔術で人が悲しむところを見たくないと考えるアオイには、心の痛い事だろう。俺にはそんなアオイの気持ちが、手に取る様にわかった。
俺はそっと近くにあるアオイの白い手を握った。
外気で冷やされた手の表面は冷たかったけど、芯の部分にはほっとするような温かさが感じられた。
「アオイ。大丈夫か?」
俺は横目でアオイを見た。
「……何を言っている。ウィルの方こそ、本当に怪我はないのだろうな?」
一瞬驚いた様に俺を見たアオイは、しかし直ぐに俺の手を握り返し、ニヤリといつもの不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫だ」
俺はアオイに微笑み返しながら、コクリと頷いた。
確かに銃弾が足をかすり、負傷はしていたが、やはり戦闘の興奮のせいか、今はあまり痛みを感じていなかった。問題ない。
「しかし、ジゼルさんに治癒術式を施した者は、手練れだな。術式に綻びがなかった」
俺とジゼルのもとに駆けつけてくれたアオイは、改めてジゼルに治癒術式を施してくれたのだ。
アオイは俺たちのいる場所から少し離れた所にある氷の塊を一瞥した。
「それに、あの質量を広範囲に凍結させる術式。ただ者ではないな」
ジーク先生によって氷漬けにされてしまった襲撃犯とそのトラックは、市警の鑑識や解氷を試みる協力者の魔術師たちによってに取り囲まれていた。
「ウィル。あれは誰の仕業なのかな」
手を繋いだまま旧講堂へ向かって歩きながら、アオイが質問して来る。
「うん、あれは学院の先生の……」
「ウィル・アーレン!」
その時突然、俺は背後から呼び止められた。
振り返ると、ダークスーツ姿の眼鏡の刑事がこちらに歩み寄って来るところだった。
鋭い眼光が俺を射抜くように睨み付けている。
知っている顔だ。確かロイド刑事の相方の先輩刑事さんだ。
俺は眼鏡の刑事さんにそっと頭を下げた。同時にちらりと周囲を窺うが、ロイド刑事の姿はなかった。
「ウィル・アーレン。また君か。最近魔術師絡みの騒ぎには、必ず君がいるな」
眼鏡刑事は、目を細めながらクイッと眼鏡を押し上げた。
俺は苦笑いを返すしかない。
「悪いが、事情聴取に付き合ってもらいたい。同行願う」
「……了解です」
俺はふうっと溜め息を吐きつつ、コクリと頷いた。
これだけ大立ち回りを演じてはしょうがない事だが、また裏でヘルガ部長あたりに手を回してもらわないとと思うと少し気が重たかった。
また軍警にも出頭して事情説明をしなければいけない。
「アオイ」
「ああ。待っている……いや、私も同行しよう」
アオイが握ったままの俺の手をぎゅっと引き寄せた。
「わぷっ」
急な動きでバランスを崩してしまった俺は、思わずアオイの胸の中に飛び込む形になってしまった。
「……事情聴取は1人ずつお願いしたい」
眼鏡の刑事が声を低くする。
「私はウィルの姉のような者だ。いや、姉だ。姉としては、この様な悲惨な目にあった妹を1人には出来ない」
「……1人でテロリストに刃向かうような少女に付き添いが必要なのか?」
む。
むむ。
俺をぎゅっと抱き締め、頭を撫で出すアオイ。
俺はもぞもぞ抵抗するが、離してくれない。
「失礼な物言いだな。ダリル・グレイワース刑事。西ハウプト署の署長ならば、そんな失礼は言うまい」
「署長?」
「彼とは懇意でね。エーレルトのお願いならば、無碍にはすまい」
渋面のダリル刑事と酷薄そうな薄い笑みを浮かべるアオイ。
そんなやり取りがしばらく続き、うーんと俺が口を挟みあぐねている間に、俺はアオイと一緒に事情聴取を受ける事となった。
市警が徴用した旧講堂の部屋に向かって歩きながら、俺は疲れたような表情のダリル刑事にそっと話し掛けた。
「あの、今日はロイド刑事はいらっしゃらないんですか?」
ロイド刑事がいれば話しやすいし、上手くすれば市警が掴んだ情報なんかも得られるかもしれない。
ギロリと俺を睨むダリル刑事。不機嫌そうな顔だった。
しかし俺も負けじと真剣な顔でじっと見返していると、とうとうダリル刑事は根負けしたようにため息を吐いた。
「……あいつなら、非番だよ。確か、ここの学園祭に顔を出すと言っていたが、会わなかったか?」
なるほど。
昼間ちらりと見かけたのは、プライベートだったのか。
接触は出来なかったけど。
「しかしまぁ、非番でよかったよ」
ぼそりとそう続けたダリル刑事に、俺はきょとんとした顔を返した。
「君のそんな可憐な姿を見たら、あいつは仕事どころではなくなるだろうからな」
俺は改めて自分の姿を見た。
真紅のドレスはあちこちが汚れ、スカートは一部が銃弾で破けていた。体へのダメージは比較的浅いが、満身創痍と言ってもいい状態だ。
確かにこんな姿、人には見せられない。ドレスを着た直後ならまだしも。
俺は肩を落として、そっと溜め息を吐いた。
しかし、このままではいけない気がした。
俺は、もっと……。
俺は、アオイと繋いだ方とは反対側の手の中にずっと握り締めたままのメモ紙を、改めて意識する。
市警の事情聴取が終わり、一旦帰宅が許されたのは、日付が変わった後の事だった。
そこからも軍警やバートレットたちに電話したりと色々しているうちに、朝と呼べるような時間になってしまった。
ドレスから聖フィーナの制服に着替えた俺は、そのままアオイの車で軍警オーリウェル支部に出頭する事になった。
ちなみに、俺の携帯にはロイド刑事から複数の着信やメールがあったが、どれも襲撃がある前の時間のものだった。夜会の準備で気が付かなかったみたいだ。
さらに市警の事情聴取の後、俺の安否を気遣う連絡が来た。襲撃があった頃には、既にロイド刑事は学院から帰った後で、事件の事も自宅のテレビで知ったそうだ。
襲撃に巻き込まれずに幸いだったというべきか、肝心な時にいないと言うべきか。
ロイド刑事の代わりにダリル刑事から引き出せた情報によれば、やはり今回の襲撃は左翼の武装過激派の犯行だったらしい。
幸いにも襲撃犯の人数は小規模で、旧講堂以外に対しては襲撃はなかった様だ。
しかし、旧講堂内部には、警備やジゼル、調理スタッフなどに少なくない犠牲者が出ていた。
騎士団を始めとする武闘派の魔術師たち。エストヴァルト駅での魔術テロに代表されるように、その活動はここ最近は活発化して来ている。
それに対応するように、今回のような反魔術師、左翼過激派の事件も増えて来ているのだ。
秋巡りの収穫祭が終われば、本格的な冬がやって来る。
そして年末には、近年では珍しい地方統一国政選挙が予定されている。
……また何が起こるかわからない。
いや、きっと何かが起こる筈だ。
軍警オーリウェル支部に向かうエーレルト家の車の後席。
隣でアオイが、俺の肩に頭を預けて静かに目を閉じていた。
俺はその顔を見つめ、そっと息を吐いてから車窓に目を向ける。
白くなり始めた空。
祭の後の朝がやって来る。
読んでいただき、ありがとうございました!




