Order:39
ふかふかと柔らかいシーツと枕。その感触に包まれ、ふっと漂うお日様の香に埋もれた俺は、ゆっくりと目を開く。
頭がぼうっとする。
全身を包み込む倦怠感は、未だに熱が完全に下がってない事を示していた。
しかし、昨日の辛さに比べれば、ずっと楽になった気がする。
俺は上半身を起こして髪を掻き上げた。
ベッドサイドの時計を見る。
もうすっかり学校が始まっている時間だった。
その時計の脇にメモが置いてあった。学校はお休みして、安静にしておくように。薬はきちんと飲むようにと綴られた滑らかな筆跡は、アオイのものだ。
俺はふっと息を吐く。
またアオイに迷惑を掛けたなと思う。
昨日。
俺がジーク先生に医務室に運び込まれると、案の定アオイに連絡が行った様だった。アオイはわざわざ転移術式で医務室に現れたのだ。
口では、「無理をするからだよ、ウィル」と冷たく言い放っていたアオイだったが、しばらくの間ペタペタと俺の体を触り、熱の具合を確かめるのを止めてくれなかった。
アオイもびっくりしていたのだろう。きっと俺が倒れたとか、大げさな連絡を受けたに違いない。
その後しばらく学校のベッドで休んだ俺は、マーベリックの車で屋敷に戻った筈だった。アオイが来てくれた後の事は、熱が酷くなったのと校医先生からもらった薬のせいで、あまり良く覚えていないのだ。
俺は自分の胸元を見る。
帰宅した時には制服だったけれど、いつの間にか淡いピンクの寝間着姿になっていた。
……フリルとかリボンとかが付いた奴だ。
アオイかレーミアが着替えさせてくれたのだろうが、正常な意識があれば絶対ご遠慮したいデザインだった。
……しかし、今はしょうがないか。
俺は再びぼすっと枕に頭を沈める。
風邪をひいてしまった自分が悪い。こんな女の子っぽい服を着ているのも、言わば自業自得……。
……女の子。
まるで少女のように、いや、見た目はそうなのだが、大きなジーク先生の腕に抱き抱えられた自分の姿が脳裏をよぎった。
む。
むむむ。
……なんという辱めだ、やはり。
俺は手近にあった猫の頭型ぬいぐるみを乱暴に引き寄せると、ぎゅっと抱き締める。そして、熱くなった顔をグリグリと押し付けた。
ああ……。
くうっ……。
しかし、あの破廉恥なジーク先生のお陰で、ディンドルフ男爵令嬢の事については知る事が出来たのも事実だ。気になる事の1つは、これで確認出来た。
俺は猫頭くんを隣に置いて、じっとベッドの天蓋を睨んだ。
……確かめなければいけない事は、まだある。
アオイが口にしたエオリアという名前。
俺の事を呼び間違った名前だ。
そして、あの甲冑の言葉。
俺の事を人形と呼んだその真意も、そのエオリアについても、俺にはさっぱり意味が分からない。それらが俺を指し示している事は確かだが、何か関連性はあるのだろか。
だから今日のお休みは、ある意味都合の良い状況だった。
俺を取り巻く状況について、1人でじっくりと考えたい。それに、可能ならば色々と調べてみたいと思っていた。あまり行ったことのない書庫とか、アレクスさんに直接話を聞いて見るとか……。
もしかしたら、エオリアなる者の手掛かりがあるかもしれない。
この問題は、ディンドルフ男爵令嬢の事以上に軍警や騎士団には関係ない俺自身の事だ。だから今まで確認を後回しにしていたが、やはり気にせずにはいられなかった。
人形……。
夜闇を背にして、屋敷の屋根に立つ甲冑の姿を思い出す。
得体の知れない不安に、胸の奥がざわざわとする。
俺はぎゅっと目を瞑った。
とりあえず、もう少し休もう……。
俺は大きく息を吐いた。
微熱でぼうっとした体がだるい。気を抜くと、直ぐに眠りに落ちてしまいそうだった。
……疑問解決に動くのは、一寝入りしてからにしよう。
ゆっくりと目を開ける。
目を擦りながら周囲を見回すと、時計が見えた。先ほど2度目の眠りに落ちてから、まだ30分程度しか経っていなかった。
「ん? 目が覚めたか、ウィル」
不意に凛とした声が響く。
そちらに目を向けると、制服姿のアオイが立っていた。袖をたくし上げ、片手に洗面器、片手にタオルを持っている。
あれ……。
アオイは学校に行ったのではなかったのか。
……まさか。
「アオイ。アオイも休んだのか」
寝起きの声は、少し掠れてしまった。
アオイは少し申し訳なさそうに微笑むと、ベッドの隣まで歩み寄って来る。そしてベッドサイドのテーブルに洗面器を置くと、タオルを浸した。
ちろちろと響く水音。
アオイはそのタオルを堅く絞ると、俺の額に優しく乗せてくれた。
火照った体に塗れタオルが心地いい。
「もちろん、私はウィルの看病をしたかった。しかし、レーミアが許してくれなかったのだ。自分が看ているから、とな」
では、レーミアは学校を休んでくれたのか。
……申し訳ないな。
「休み時間の間だけでもこうして様子を見に来ているのだ。だから、残念ながらもうじき戻らなければいけない」
アオイは悲しそうに微笑んだ。
休み時間だけ……。
まさか、わざわざ転移術式で学院から戻って来ているのか。
俺は何だか気恥ずかしくなって、アオイから視線を逸らした。
ここまで心配してもらって申し訳ない気持ち半分。くすぐったいような気持ち半分だった。
だから俺は、照れ隠しに話を逸らすため、唇を尖らせた。
「転移術式か。魔術はあんまり大っぴらに使うべきではないってアオイも言っていたの……」
「ウィルが風邪を引いているという今使わないで、何時使うというのだ!」
しかし俺の台詞に被せるように、即座にアオイが反論する。
その勢いに、俺は目を丸くした。
驚く俺と真剣な表情のアオイがじっと見つめ合う。そして、どちらからともなく、ふふっと微笑んだ。
俺ははにかみ、アオイは優しげな眼差しで、俺たちは静かに笑い合う。
そこに、小さくノックの音が響いた。
「レーミアが来たな。では私は、退散する事にしよう」
アオイがすっとベッドから離れた。
「私が居ては、レーミアに怒られるしな」
そう言うとアオイは、静かに転移術式の詠唱を始めた。
「……アオイ」
俺は小さく呟く。
術式を唱えるその後ろ姿を見ていると、やはりあの疑問が浮かび上がってくる。
エオリアとは誰なのか?
エーレルトの人形、その意味を知っているのか?
しかしその問いが、こんな穏やかなアオイとの時間を壊してしまうのではないか。まるで家族と過ごしているみたいな、こんなに心地いい空気を奪ってしまうのではないか。
そんな恐れが、チクリと俺の胸を刺す。
……だから俺は、その質問をアオイにぶつけることが出来なかった。
アオイが俺を見て軽く手を上げる。
その姿がゆらりと消えて無くなる。それと同時に、レーミアが部屋に入って来た。
「ウィルさま。お目覚めですか?」
「ああ、レーミア。悪いな、迷惑を掛けて」
廊下から洗面器やタオルの乗ったカートを引き入れたレーミアが、ベッドの脇までやって来る。
「ウィルさま。ご病気なんですから、ゆっくりと……あれ。私、洗面器を出しっぱなしだったでしょうか。申し訳ありません」
レーミアがベッドサイドに置かれた洗面器を見て首を傾げる。そして慌てた様子で新しいものと交換し始めた。
俺は微笑みながら何も答えないでおいた。
メイド服姿の少女は疑問符を浮かべながらも、手早く俺の額のタオルを交換してくれた。
午後になると、体調も随分と良くなった。レーミアが作ってくれた温かいスープと薬が効いたのかもしれない。
そのため俺は、昼休みを利用して転移して来たアオイが学校に戻ると、いよいよ行動を開始する事にした。
ベッドをするりと抜け出し、カーディガンを羽織る。
びっくりしたのは、俺がいつの間にか身に付けていたピンクの寝間着が、フリフリリボンとレースというだけではなく、床につきそうなほどのロングスカートのワンピースだった事だ。
横になっている時には、気が付かなかったが……。
俺はそっと鏡の前に立ってみた。
誰の趣味なのか、いやに可愛らしいデザインのスカートをひるがえし、さらにストロベリーブロンドの髪を肩に流したままの俺の姿は、見慣れたいつもの姿よりもさらに幼く見えた。
……む。
こうして見ると、なんだか自分ではないみたいだ。
不意にノックが響く。
「うわっ!」
俺は思わず悲鳴を上げた。
「ウィルさま」
レーミアがひょこりと顔を出した。
俺はあたふたしながら、何事もなかったのかのように装う。決して自分の姿をじっと見ていた訳ではないのだ……。
「ウィルさま。寝ていないといけません。まだ……」
「大丈夫だ、レーミア。もう熱も引いたから」
俺は必死で微笑みを作り上げる。
「ちょっと気分転換に、屋敷の中を歩いて来る」
「ウィルさま……」
「大丈夫、外には出ないから」
俺はレーミアに手を振ると、さささっと逃げるように部屋を出た。
姿形は変わっても、やはり俺にはこんな可愛らしい格好は似合わない。女性として客観的には似合っているかもしれないが、それを認める事が心情的には出来ないのだ。
いや、認められない、か。
やはり俺には、プレートキャリアとかチェストリグとか、タクティカルベストなんかがお似合いなのだ。
……うぐぐ。
今は、目の前の調べ物に集中しよう。
まずは、アオイが口走ったエオリアという名前についてだ。
不意に名前が出るということは、アオイの知り合いか近しい人物の筈……。
とりあえず俺は、パタパタとスリッパを鳴らしながら一階にあるエーレルト伯爵の執務室に向かった。
午後の柔らかな日差しが差し込む執務室は、静謐な空気に包まれていた。
丁寧に整理整頓された室内。どしりとした面構えのアンティークな家具たち。本棚に詰まった分厚い本に、応接机の机上、上品に生けられた生花の彩り。微かに漂う紙の匂いと、インクの香。
不在である筈のアオイが、すぐそこにいるかのように錯覚してしまう。厳格で、しかし優雅なアオイの雰囲気を色濃く感じる事が出来る部屋だった。
息を呑む音すら大きく響いてしまいそうな静けさの中、俺はとりあえず壁際の本を眺めて歩く。
オーリウェル市政史や、歴史書。様々な統計資料など、分厚く難しい本が沢山並んでいる。
その一番奥。
ガラス戸の付いた本棚に、俺はエーレルト伯爵家関連の本を見つけた。
何か手掛かりはないか……。
そっとガラス戸に手を掛けるが、開かない。戸には鍵など付いていないから、もしかしたら何らかの術式で施錠されているのかもしれない。
カタカタと何度か開けようと試してみるが、結果は同じだった。
……ダメか。
俺は本棚から離れると、アオイの執務机を見る。
さすがに、机の中を勝手にあさる訳にはいかない。
ふと、その机上に伏せられた写真立てが目に留まった。
アオイがいる時には、大量の書類や資料が山盛りになっている机だ。今までこんなものがあるなんて気がつかなかったが……。
俺は何気なくそれに手を伸ばした。
少し、ドキドキする。
しかし、その写真立てには何も挟まっていなかった。
「ふう……」
俺は肩を落として息を吐いた。
少し期待したのだが……。
まぁ、そうあっさりと手掛かりが見つかるわけがないか。しかしアオイは、どうして写真のない写真立てなんかを置いているのだろう。
俺はカタリと写真立てを元に戻すと、腰に手を当てて室内を眺めた。
部屋の中をうろうろしながら俺は考える。
アオイは俺をエオリアと呼んだ。つまりそれは、アオイの中では、エオリアという存在と俺という存在が似通ったものだということだ。
やはり見た目が似ているのだろうか。
今の俺のこの姿が。
アオイは以前、俺を蘇生させた術式には長い準備期間が必要だと言っていた。俺が以前の男の姿に戻る為には、やはり相応の準備が必要だとも言っていた。
つまりアオイは、エオリアと見間違う少女の姿、今の俺の姿を、その長い間をかけて構築しようとしていたということではないか。
何のために?
俺にしてみせた様に、誰かを助ける為に?
……もしかして、それがエオリアなのだろうか。
さらに疑問なのは、ディンドルフ男爵制圧戦で現れたあの甲冑だ。
エーレルトの人形。
俺を指し示したその言葉は、つまり俺という存在が、アオイの術式で作り上げられたものであるという事を見抜いている証拠なのではないのか。
エーレクライトを身に付けているという事は、奴も貴族級魔術師なのだ。もしかしたらその正体は、アオイの知り合いなのかもしれない。
アオイとエオリアと甲冑と……。
果たしてその三者の間に、どんな関係があるというのだろう。
「けほっ、けほっ」
俺は口に手を当てて咳をする。
人形。
……作られた存在、か。
しかし……。
……ん?
俺はきゅっと眉をひそめた。
そういえば、この姿になる前の俺の顔が、よく思い出せない。
男だった頃の顔……。
俺はじっと床の一点を見つめながら必死に考える。
普通に生活していれば、自分の顔をマジマジと見る機会なんてほとんどないだろう。ましてや男なら尚更だ。
朝起きて顔を洗う時。トイレに行った時。窓に映った自分の姿をふと見た時。
自分の顔を認識している時間というのは、案外短い。
逆に今の姿になった俺は、毎朝ドレッサーに向かって髪をまとめたり、アオイにお化粧されて笑われたり、自分の顔を見る機会が増えたと思う。以前より。
……そのせいだろうか。
俺にとって自分の顔とは、既に少女であるウィルの顔しかイメージ出来なくなっているのだ。
なんという事だ。
俺はブンブンと頭を振った。
くっ。
……俺は俺だ。
人形でもエオリアでもない……!
俺はパタパタと駆けてアオイの執務室を出た。
今度はアレクスさんに話を聞いてみよう。
あちこちを探し回り、やっとエーレルト伯爵家の執事であるアレクスさんを見つけたのは、屋敷の一階南側にある温室の中だった。
客間となっている談話室と繋がったその場所は、屋敷から裏庭に張り出すように設置されたガラス張りの部屋だった。
さんさんと降り注ぐ秋の陽光を受けてポカポカと温まった室内には、中央に白い丸テーブルと椅子が4脚置かれている。それを取り囲むように所狭しと配置された草花は、今の季節には似つかわしくない極彩色のものばかりだ。
濃厚な花の香と草木の匂い。
まるでここにだけ、賑やかな初夏の景色が残っているかの様な光景だった。
そんな植物にアンティークなジョウロで水をやる老紳士の図。あまりにも絵になりすぎているその光景に、俺は一瞬見入ってしまう。
しかし気を取り直して。
エオリアの事を聞いてみよう。
「アレクスさん」
俺はスカートを揺らしながら、小走りに老執事さんに駆け寄った。
「はい、なんでしょ……」
アレクスさんが俺を見る。
その瞬間、アレクスさんは目を見開き、言葉を詰まらせて固まってしまった。
「ウィル、お嬢さま……」
「どうしたんですか、アレクスさん」
俺はきょとんとしてアレクスさんを見上げた。
アレクスさんも最近は、運転手のマーベリックと同様に、俺の事をお嬢さまと呼ぶ。特に困る事ではないので、あえて訂正はしていないのだが。
「……いえ。その御髪、そのお召し物。知っているお方に良く似てらっしゃるので」
はははっと申し訳なさそうに微笑むアレクスさん。
それは……。
胸がトクンと高鳴った。
「それは、エオリアという人にですか」
俺は、思い切ってそう切り出してみた。真っ直ぐ目をそらさず、キッとアレクスさんを見つめて。
幾つもシワが刻まれたアレクスさんの顔。その奥で光る鋭い目が、すっと細まり、俺を射抜く。
「その名をどちらでお聞きになられましたか」
「アオイが口走っていました」
「……なるほど」
アレクスさんはそう言うと、あちらへと俺を丸テーブルの方へ誘った。
「お座り下さい。無理をなさってはいけません。まだお加減がよろしくない様ですから」
「アレクスさん」
スカートを折って椅子に腰掛けながらも、俺は声を上げる。じっと彼の顔を見つめながら。
「教えて下さい。自分とそのエオリアの関係は、どういったものなのでしょうか」
アレクスさんがジョウロを両手で持つ。そして大きく息を吐きながらゆっくりと目を閉じた。
しばしの沈黙。
「ウィルお嬢さま」
アレクスさんが再び俺を見た。
俺はじっと身構え、アレクスさんの次の言葉を待った。
「少々お待ちいただけますか。お茶を入れて差し上げます」
「……え」
肩透かしを食らった俺は、小さく声を上げる。
アレクスさんがにこりと微笑んだ。
「良い蜂蜜が手に入ったのです。蜂蜜たっぷりのお茶を飲んでいただければ、きっと風邪も良くなる事でしょう」
「アレクスさん!」
俺の抗議も虚しく、アレクスさんはさっと頭を下げると、真っ直ぐに背筋を伸ばした姿勢のまま温室を出て行った。
俺は膝の上できゅっと手を握り締める。
ストレートに尋ね過ぎたのか。
しかし、エオリアの事を尋ねる絶好の機会だったのだ。
誤魔化される訳にはいかない。ここは諦めず、しつこく食い下がるしかない。
よし……。
俺はそっと頷いた。
アレクスさんは直ぐに戻って来た。茶器の乗ったお盆を持って。
「お待たせ致しました、ウィルお嬢さま」
アレクスさんは微笑むと、俺の目の前で手早くお茶の準備を始める。
ふわりと漂う紅茶の香り。金色に輝く蜂蜜と、焼きたてのスコーンまで準備されている。
おお……。
俺は思わずアレクスさんの手元に目を奪われる。
暖かな日差しと茶器が鳴る音だけが満ちる静かな午後のティータイム。
俺には似合わない穏やかで静かな雰囲気。
しかし何だか、ほっと落ち着いてしまう。まるでここにいることが、俺にとって当たり前であるかのように。
「どうぞ、ウィルお嬢さま」
アレクスさんがカップを差し出してくれる。金彩細工の施された煌びやかなカップに、蜂蜜の溶けた紅茶が揺れる。
「ありがとうございます」
俺はカップを手に取ると、そっと口を付けて見た。
「おいしい」
思わず一言、そう呟いてしまう。
蜂蜜の甘味が、じわっと体に染みていく。
俺は両手でカップを持ったまま、その余韻に浸っていた。
「ウィルお嬢さま」
アレクスさんが静かに口を開いた。
「エオリアという名についでは、どうか深く詮索しないで頂きたいのです」
俺は顔を上げてアレクスさんを見た。
「時が来れば、アオイお嬢さまからきっとお話があろうかと思います。疑問に思われるのも、不快に思われるのもごもっともです。しかし、どうか、アオイお嬢さまを思っていただけるなら、今しばらく待っていただけないでしょうか」
俺を見詰めるアレクスさんの目には、アオイを思いやる優しい光だけではない。もっと複雑な、憂い。あるいは、悲しみみたいなものも感じられた。
もちろんそれは俺の感覚にしか過ぎないけれど、エオリアという人物を取り巻く状況がそう簡単なものでない事だけは、良くわかった。
アレクスさんは事情を知っている。
しかしそれは、アオイから語られるべきものだとアレクスさんは言う。
俺はアオイの笑顔を思い浮かべ、そっと息を吐いた。
……やはりアオイ、か。
そこへノックの音が響いた。
振り向くと、温室の入り口からレーミアが銀髪を揺らして現れた。
「ウィルさま。アオイお嬢さまがお帰りですが、ご一緒にお友達もいらっしゃってます」
お友達?
「ここに来ていただいてはどうですかな。お友達の分のお茶も、ご用意致しましょう」
アレクスさんがレーミアを一瞥してから、俺ににこりと微笑みかけた。
俺はこくりと頷いた。
もしかしたら、ジゼルあたりがお見舞いに来てくれたのだろうか。
アオイも事前に教えてくれればいいのにと思ったが、そういえば携帯を寝室に置きっぱなしだった。
それよりも俺は今の自分の姿を思い出す。
未だに俺は、寝間着用のピンクのワンピースにカーディガンを羽織っただけだ。こんな姿でジゼルたちに会うのは、失礼ではないのだろうか。
着替えるべきかアレクスさんに尋ねようとした時には既に、ガヤガヤと賑やかな話し声がそこまで迫って来ていた。
温室のドアがガチャリと開いた。
「ウィル。起きていて良いのか」
アオイが黒髪をなびかせて駆け寄って来る。
「ウィル、大丈夫?」
「お見舞いに参りました」
その後ろから現れたのは、制服姿のジゼルとアリシアだった。
「すまないな、2人とも」
俺は苦笑を浮かべながら2人を迎える。
「もう、ウィルったら。またお腹だして寝てたんでしょうって、ウィル……」
その後ろからもう1人。
すらりとした金髪の女性が現れた。こちらは濃紺のパンツスーツ姿で、腰に手を当ててこちらを見ている。
「ソフィ!」
俺は思わず立ち上がった。
ソフィアまで来てくれたのか!
「どうしてここに!」
「どうしてって、風邪だって聞いたから……。でも、ウィル」
ソフィアは俺を見て怒ったように顔をしかめている。そして何故か、目を合わせようとしてくれない。
「でも、ウィル、何よ、その格好。その、可愛いけと、似合っているけど、あなたはウィルなのよね……」
ごにょごにょと呟くソフィア。
あ。
俺は、ぼんっと顔が真っ赤になってしまった。
あがががが……。
ソフィアに見られた。見られてしまった。
こんなヒラヒラを着ているところを……。
「どうした、ウィル。顔が赤いではないか。無理はダメだ。きちんとベッドで寝ているんだ」
アオイが足早に近付いて来ると、ぎゅっと俺の肩を抱き寄せる。そして俺は、結局そのまま自室に連行されてしまったのだった。
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