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Hexe Complex  作者:
16/85

Order:16

 街灯の照らし出す面積は、夜の闇に比べて圧倒的に小さい。

 街中にいれば、夜であっても必ずどこかに明かりがあるけれど、こんな郊外の人里離れた森の中では、本当の闇がただただ広がっている。

 アリスの運転する車のヘッドライトが、その夜闇を切り裂いて進む。

 昼間は厚く立ち込めていた雲も、夜になると切れ間が出来始めていた。時折、雲の合間から月が顔を覗かせるようになると、世界は朧に照らし出される。

 本当の闇に目が慣れていると、その淡い月の明かりですら眩いくらいだ。

 バートレットもアリスも喋らない。しんと静まり返った車内には、くぐもったエンジン音と石畳を踏み締めるタイヤの音だけが静かに響き渡っていた。

 車載無線から流れ出るノイズ。

 時折巡回警備をしている当直のチームから、異常なしの報が入る。

 こんな静かな夜には、魔術師どもも身を潜ませているのかも知れない。

 車はエーレルト伯爵邸の敷地に到着する。

 門の外。伯爵邸の外周壁沿いに止まる黒いバンとすれ違った。

 通り抜けざまにバートレットが助手席の窓を開けて手を上げると、向こうも窓を開けてこちらに敬礼する。

 俺が支部に出頭している間の代替警備要員だ。

 屋敷からずっと離れたこんなところに居ては、身辺警護の意味をなさないと思うのだが、どうやらアレクスさんに敷地内での警備を断られたらしい。

 俺たちの車は、門をくぐり抜け、伯爵邸の敷地に入る。

「そういえばウィルくん」

 バートレットが久しぶりに口を開いた。

「なんでしょう」

 車窓に目を向けていた俺は、助手席を見た。

「君の彼氏の市警の刑事、なんていったかな」

 彼……はっ……?

 沈黙。

 夜の森に響く虫の音や梟の声まで車内に聞こえて来そうだ。

 ……意味が良くわからないので、このまま無視してしまおうか。

「ほら、この前ウィルのスーツを買いに行った時の爽やか刑事さん」

 アリスがバックミラー越しに俺を一瞥した。

「彼に今日、会ったのよ」

「ロイド刑事ですか……?」

 俺はアリスの方を見た。

「はは、恥じらう乙女ってのは絵になるな。なぁ、アリス」

 おっさんは無視しよう。

 それはアリスも同意見だったみたいだ。

 俺が一時帰宅してソフィアに会っている間、バートレットたちはエーレルト伯爵邸襲撃犯たちの仲間の内偵を進めていたらしい。その現場、ゴロツキの溜まり場になっているスラムの一角で、市警の刑事と出会したようだった。

「彼らが何を追っているのかはわからないけど、ターゲットが同じなら、また出会うこともあるかもね」

 アリスの言葉に、俺はそうですかと短く答える。

 人の良さそうな刑事さんだ。いざ戦闘になったら、巻き込まれてしまうかもしれない。

 ……要領悪そうだし。

「ウィルくん。彼とは仲良くしておいた方がいい」

 ……まだ茶化すか、このオヤジ。

 俺はバートレットの後頭部を睨む。

 しかし、ミラー越しに俺を見る彼の目は鋭かった。

「作戦部だとどうだか知らないが、刑事部門じゃ市警と軍警が対立するなんてのはザラだ。特にターゲットが同じ場合にはな」

 バートレットが煙草を取り出して咥えた。

「どんな形であれ、市警とのパイプは大事にした方がいい。ここぞという時に役に立つ」

 ……そういうものか。

 俺は視線を逸らし、前方に見えてきた伯爵邸の明かりを見つめた。

 襲撃はあった。

 アオイを取り巻く状況は分からないが、その護衛任務に就く限り、もしかしたらまたロイド刑事と会うこともあるのかもしれない。それこそ、今度は任務の途中で。



 車を降りるのと屋敷の玄関ドアが開くのは同時だった。

 邸内から溢れる柔らかな光の中から、燕尾服をきちりと着こなした老紳士と銀髪のメイド少女が現れた。

 2人は並んで俺を待ち受けている。

「それじゃ、後はよろしく」

 助手席の窓から、バートレットが手を振った。

「了解です」

 俺が頷くと、車はゆっくりとバックし、方向転換して走り去る。そのテールランプを見送ってから俺は、改めてバックを背負い直し、アレクスさんとレーミアのもとに歩み寄った。

「お帰りなさいませ。アーレンさま」

 機械仕掛けのような正確さで腰を折り、頭を下げるアレクスさん。その隣でレーミアも頭を下げている。

 む。

 すこし気恥ずかしくなる。

「……ただ今戻りました」

 俺も2人に頭を下げた。

 俺はこの家の住民ではないけれど、お帰りと言われたらただいまと返すしかない。

 家族がいなくなってもう随分たつ。こうして、お帰りと誰かに出迎えられるのは久し振りだった。

 アレクスさんが玄関扉を開けてくれる。

 俺はまた、エーレルト伯爵邸に戻ってきた。

「お帰り」

 玄関ホールの正面。上階に上がる階段にもたれかかっていたアオイが、ふわりと身を起こした。

 アオイは、白いロングスカートのワンピースに身を包み、長い黒髪をポニーテールにまとめていた。夏らしい涼やかな装いだ。長い裾と艶やかな黒髪が、その歩みに合わせてふわりと揺れる。

 ツカツカと歩み寄って来たアオイが、俺にすっと手を伸ばす。

 俺は少し体の重心をずらして、その白い手から逃れた。そっと、ごく自然に。

 ……そうそう何度も抱き締められてはたまらない。

 アオイは少し驚いたような顔をして、手を止めた。一瞬残念そうな表情を浮かべたが、しかし直ぐにふわりと微笑み手を戻した。

「よく戻って来てくれた」

 その笑顔に、俺はドキリとしてしまう。

 本当に安堵したかのようなアオイの表情。

 ……俺が、もう戻って来ないと思っていたのだろうか。

 ……偉そうに俺に説教したから。

 しかし彼女の身辺警護は俺の任務だ。例え俺がどう思い、何を感じても、任務は果たさなければならないのだ。

 俺はアオイに、ただいまと小さく返して頷いた。

「それでは、お食事にされますか、お嬢さま」

 戸締まりを終えたアレクスさんとレーミアがこちらにやって来る。アレクスさんを見ると、老執事はにこりと笑った。

「お嬢さまはアーレンさまが戻られるまで、ご夕食をお待ちだったのです」

 ……たかが護衛に、そこまで気を使って。

 もしかしてアオイも、俺に踏み込んだ事を言い過ぎたと気にしていたのかも知れない。

 俺は苦笑を浮かべながら、再びアオイを見た。

「ふむ。しかし、まずは入浴にするか」

 腰に手を当てたアオイが俺を見た。

 その顔には、俺が思ったような殊勝な事を考えている雰囲気はなく、何かを企んでいるかのような不敵な笑みが浮かんでいた。

「今日はジメジメと蒸し暑かったからな。ウィルも汗をかいて不快だろう」

 確かに。結局、雨は降らなかったけれど。

「アレクス。お風呂にする。ウィルと一緒にな。ふふ、そうだ。レーミアも一緒に入ろう。ウィルの背中を流してやるといい」

 ふふっと笑うエーレルト伯爵。

 はっ……。

 アオイは何を言って……。

 思わず一歩後退る。

 え、えっと……。

 そんな事、出来る訳がない。

 俺は男だからと紳士ぶっているからだけではない。

 アオイは、俺の事情を知っているのだ。

 ……その彼女の前で、そんな事、出来るわけがない。

「どうした、ウィル。顔が青いぞ」

 ま、魔女め。

 もしかして先ほど差し出された手を回避した事への、これは意趣返しか。

 困惑する俺の袖が、そっと引かれる。

 はっとしてそちらを向くと、レーミアが真っ直ぐにこちらを見ていた。

「ウィルさま。入浴の準備を」

 レーミアの真面目な顔。

「いや、お、ワタシは大丈夫だから……」

 ゆっくりと首を振る俺。

 襲撃のあった夜以来、レーミアは俺の事をウィルと呼んでくれるようになっていた。

「ははは、仲良くしてやって下さい、アーレンさま」

 アレクスさんが笑っていた。

 アオイも楽しそうに笑っていた。

 広い屋敷に和やかな空気が満ちる。

 任務再開直後、いきなりの危機に遭遇している俺を除いては。



 自宅のベッドとは比べものにならないふかふかの天蓋付きベッドで目が覚めると、俺は顔を洗い、歯を磨いて朝の身支度をする。

 その頃には必ずレーミアがやって来て、俺の髪を梳かし、整えてくれる。

 最初はもちろん遠慮していたが、これが伯爵邸に滞在する上での礼儀ですと押し通されては、もう諦めて従うしかなかった。

 以前と変わらない伯爵邸での朝。

 今朝もレーミアは、優しい手つきで俺の髪を梳いてくれる。

 今日は、サイドの髪を取って緩く編み込むと、それを後ろに持っていって留めるという複雑な髪型だった。

 もうレーミアのされるがままだが、鏡の中でみるみるうちに整えられて行く自分を見ながら、俺はそっと溜め息を吐いた。

 女は大変だなぁと思う。

 この任務が終わってまた1人になった時、俺はこんなにちゃんと髪を整えられるのだろうか。

 レーミアは服も準備してくれるが、さすがにそれは辞退する。

 何せレーミアの用意してくれる服は、ふわりと広がったロングスカートとか、フリフリの付いたブラウスとか、とても恥ずかしくて着れないものばかりなのだから。

「ではウィルさま。朝食の準備は出来ておりますので、食堂へどうぞ」

 頭を下げて出て行くレーミア。

 それから俺は、やっと自分の仕事の準備に取り掛かるのだ。

 ハンドガンを点検し、腰のホルスターに収める。続いて真新しいブルパップカービンも点検すると、弾層とセットでケースに収め、施錠する。そしてそれを、ベッドの下にそっと隠した。

 鏡の前で服の裾をチェックしてから、俺は廊下に出る。

 昨夜屋敷に戻ってから、アオイとはまだあの話をしていなかった。

 俺をこの屋敷に呼び寄せた目的とか、俺が成さなければならない戦いについて、そしてその戦いを否定したアオイの言葉について……。

 一緒に風呂に入ろうだとか、一緒に寝ようだとかからかわれて昨日は終わってしまったのだ。もちろん俺は、お風呂の件同様、全て断固拒否したわけだが……。

 アオイと朝食を取りながら、アレクスさんに今日のアオイの予定を確認する。それを聞きながら、いつかちゃんとあの事について、話しておかないといけないのかなと思う。

 体調を崩していたアオイは、もう完全に復調したようだった。

 そうすると今度は、伯爵家当主としての仕事がアオイを待ち受けていた。

 書類仕事や来客への対応など、アオイはなかなかに多忙の様子だった。

 まだ学生の筈なのに……。

 夏期休暇が終われば、仕事と学校を両立しなければいけないのだから、尚忙しくなるだろう。

 警護のため、俺はそんなアオイの後をついて回る。

 屋敷の外周を回って警戒し、それ以外の時間はアオイの執務室の中かその隣で待機する。襲撃があるまでは、そうしてじっと待機だ。

 ずっと何かの書類を書いているアオイ。

 俺は彼女の執務室の応接セットで、適当に借りたオーリウェル正史という分厚い本を読んでいた。

 時計の音と、アオイのペンが走る音。そして時たま、俺のページを捲る音だけが微かに響く。

 なんでもない夏の日。

 レーミアが淹れてくれた紅茶の匂いが、微かに執務室に満ちていた。

 静かな時間。

 軍警にはない時間だ。

 軍警に入る前の俺にも、なかった時間だった。

 居心地はいい。

 しかしそれ以上に、じわじわとした焦燥感が胸を締め付ける。

 俺は、こんなところでじっとしていてはいけない。

 俺は、戦わなくてはいけないのだから。

「ウィル」

 不意に響くアオイの声。

 俺ははっと顔を上げた。

「暇か?」

 いつの間にかアオイが、こちらを見て微笑んでいた。

「少し休憩にする。ウィル。良かったらまた君の話をして欲しいな。お姉さんがいて、ソフィアという子と良く一緒に遊んでいたのだろう?」

 アオイは肩に手を置いてグリグリと首を回していた。

 こんな風に、アオイは時折俺の事を話させようとする。

 しょうがない。

 そんな時俺は、出来るだけ淡々と家族の話をした。

 ちらちらとアオイを窺いながら。

 魔術テロで家族を失った俺。

 同情して欲しいと思ったわけじゃない。

 魔術師であるアオイに怒りをぶつけようと思ったわけでもない。

 ただ、戦いは悲しいと語ったアオイに、少しでも分かってもらえるかなという期待は、あったのかもしれない。

 俺が戦う理由。

 戦わなければいけない理由。

 しかしアオイは、じっと俺を見つめて、耳を傾けているだけだった。

 その瞳に俺は、妙な居心地の悪さを覚えてしまう。

 昔、姉貴に怒られた事があった。

 何をしたからなのか、今となってはもう思い出せないけれど。

 その時も姉貴は、怒鳴ったり叩いたりするのではなく、こんな風にじっとただ俺を見ていたっけ。

 ソフィアをお姉ちゃんと呼んだり、アオイの雰囲気が姉貴に似ているなと感じたり、最近色々と姉貴の事を思い出していたから、そんな事も思い出してしまったのかもしれない。

 午後になっても、俺のする事は変わらなかった。

 決まった経路を巡回して、アレクスさんや使用人の人たちと話をして、最後にはアオイの部屋のソファーに落ち着く。

 黙々と資料に目を落とすアオイを横目に本を読んでいると、俺は少しうつらうつらしてしまった。

 昼下がり。

 静かな部屋と厚い本。

 居眠りはダメだと分かっていても、ソファーにこてっともたれかかり、オーリウェル正史を抱きかかえるようにして、俺は少し寝てしまった。



 家族の夢を見たと思う。

 みんなと過ごした夏休みの夢だ。

 ソフィアもいて、どこか海沿いの避暑地に行った時の事だったと思う。

 遠く波の音が聞こえる森の小径を、ソフィアに手を引かれて歩く俺。まだ小さかった俺は、疲れたのか、ぐずり始めていた。

 ソフィアも俺に釣られて同じようにしゃがみこんだ所に、少し先を歩いていた姉貴が戻って来た。

「大丈夫?」

 俺たちを抱き締めてくれる姉貴。

 温かくて、ふわりといい匂いがして……。

「お姉ちゃん……」

 俺は小さく、そう呟いていた。

 そこで、ふと目を開く。

 少し暗くなったアオイの執務室。

 目が合う。

 俺の目の前に立つアオイと。

 ブランケットを広げて、今まさに俺にかけようとしてくれていたアオイが、少し驚いたように目を大きくしていた。

 あ。

 アオイが微笑む。

 少し、はにかんだように。

「ウィルが望むなら、もちろん私の事はお姉ちゃんと呼んでくれて構わないぞ」

 ふふっと微笑むアオイ。

 それは魔女でも、多忙な伯爵でもなく、恥ずかしそうに頬を染める少女の顔。

 ……あ。

 俺は、一瞬にして自分の顔が真っ赤になってしまうのがわかった。

 お、俺は一体何てことを……。

 昔からの馴染みであるソフィアを姉と呼ぶのとは、訳が違う。

 雰囲気が似ているとは言え、他人であり、護衛対象であるアオイに何を口走ってしまって……。

 ううう……。

 俺は顔を伏せる。

 は、恥ずかしい……。

 アオイがふふっと笑った。

 アオイには、これでまた俺の恥ずかしい秘密を握られてしまったのか……。

 しゅんと肩を落とす。

 そこに、アオイがすっと手を伸ばして来た。

 その細い指が、そっと俺の頬に触れる。

「ウィルさえ良ければ、私は……」

 先ほどまでの茶化すような声ではない。

 か細い呟き。

 それは、アオイにしては珍しく、何かを乞うかのような響きがあった。

 思わず顔を上げる。

 微笑むアオイの顔が、真っ直ぐに俺を見ていた。

 少しギクリとした。

 その目はしかし、俺を見てはいないように思えたからだ。

 俺じゃない、どこか遠くを見ているような……。

 俺がアオイに姉貴の影を見たように、アオイも俺に誰かを重ねているのだろうか。

 夕刻の柔らかな日差しが差し込む部屋の中。

 見つめ合う俺たち。

 そこに、ノックの音が小さく響いた。

「お嬢さま。お客さまがお見えで……」

 ドアが開いて、銀色の髪の上にヘッドレストを乗せた頭がひょっこりと覗く。

 アオイがゆっくりと身を離した。

「ああ。今行く」

 何事もなかったかのように、廊下へ向かうアオイ。俺も慌てて身を起こした。

「アオイ。俺も行こう」

 服の裾を引っ張って整えながら、俺はアオイの後を追った。

 来客時には一応俺も立ち会う事になっていた。現に伯爵邸は襲われているのだ。もしもということがあってはいけない。

 アオイについて執務室を出る。そこには、来客を告げに来てくれたレーミアが立っていた。何故か大きな目を剥いて硬直したまま。

 ……どうしたんだ?

「ん、レーミア、ご苦労」

 アオイに肩を叩かれてはっとするメイド少女。

 慌ててひょこりと頭を下げると、アオイの後ろに付いて歩き出す。俺もその隣に並んでアオイについて行く。

 む。

 うなじがチリチリする。

 これは、敵意か……。

 俺は銃を確かめて周囲を警戒する。

「ところで、来客とは誰かな」

 アオイがちらりとレーミアを振り返った。

「は、はい、ルーフェラー子爵閣下です」

 瞬間。

 アオイが立ち止まった。

 彼女の顔から、表情が消えていた。

 人形のように整ったその顔は、人形そのもののように生気が感じられなかった。

 これは、魔女の顔……。

 アオイは再びツカツカと歩き出した。

「……アオイ。敵か」

 その只ならぬ様子に、思わず俺はそう尋ねていた。

「いや、ただの知り合いだ」

 そうは、思えなかった。アオイの尋常ならざる様子がそれを物語っている。

 応接室の前では、アレクスさんが待ちかまえていた。

「お嬢さま」

「ああ」

 アオイが振り向く。

「レーミアとウィルは遠慮してくれ。大丈夫だ、ウィル。あれは私に危害は加えない。今はな。レーミア。茶は不要だ。すぐに終わる」

 そう告げると、アオイはさっと踵を返した。アレクスさんが扉を開き、2人は部屋の中に消えていく。

 廊下に取り残された俺とレーミアは、顔を見合わせた。

「レーミア。知っている客なのか?」

「以前来られたお客さまではありますが……」

 ルーフェラー子爵。

 どこかで聞いた事があるような……。

 俺は、その場で待機する事にしていた。レーミアも俺の隣でじっとしていた。

 ルーフェラー……。

 子爵、貴族。

 最近見た名前だ。

 資料だ。

 そう、名簿……。

 貴族派か。

 そうだ。

 最近勢力を拡大中の要注意貴族のリストだ。

 上院にも議席を持ちながら、騎士団や他の過激派組織との繋がりが噂される人物たちのリストに、その名があった気がする。

 そんな人物が、何故アオイを訪ねて……。

 俺は胸の下で腕を組むと、片足に体重を乗せて扉を睨み付けた。

 ……アオイは大丈夫だと言っていたが、警戒するに越した事はない。

 しかし思ったより待つ事なく、応接室の扉が開いた。

「では、エーレルト伯爵。よろしくね」

 明るくそう言い放ちながら、部屋の中から青年が現れた。

 歳は20代前半か。

 輝くような金髪を長く伸ばし、切れ長の瞳は深い青。薄い笑みが張り付いた顔は綺麗に整っていて、一瞬女かと思ってしまった。

 背が高く、仕立ての良さそうなグレーのスーツに身を包んだその姿は、まさに絵に描いたような貴公子という感じだった。

 俺と目が合う。

「ふむ」

 値踏みをするような視線が俺の全身に絡みつく。思わず冷たいものが背筋を駆け抜けた。

 その若い貴族はニコリと微笑んで、しかし俺ではなく部屋の中のアオイに話し掛けた。

「美しいじゃないか、伯爵の新しい下僕は。なかなか良い趣味だよ」

 ……下僕。

 何だ、こいつは。

 俺はぎりっとその男を睨み付ける。

 ルーフェラー子爵は、俺に流し目を送ると、そのまま歩き始めた。

 あれが貴族。

 その姿が見えなくなるまで、俺はじっとその背を睨み続けていた。

 ……何か、嫌な感じがした。

ご一読、ありがとうございました!

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