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Hexe Complex  作者:
13/85

Order:13

 エーレルト伯爵家で過ごした衝撃的な夜の後。俺はそのまま、伯爵の屋敷に留まり続ける事になった。

 何度かは自宅にも帰らせてもらったが、あくまで代えの服や必要なものを取りに行くためだけの帰宅だった。

 久し振りに会ったソフィアは随分と俺の事を心配してくれていたが、俺は少しだけ苦笑いを浮かべて「大丈夫」と言うことしか出来なかった。

 辛くても、これは任務なのだ。

 今まで訓練してきた作戦部の任務とは完全にベクトルが違う、肉体を苛めるあちらの過酷さとは別種の辛さで満ち溢れていても……。

 しかしこれが今の俺に出来る事ならば、続けなければいけないのだ。

 弱音は吐けない。

 バートレットを通じて、ヘルガ部長からの話も聞いている。部長の命令は、バートレットの方針と同じで、当分は伯爵家の意向に従いつつ事態の把握に努めなさいというものだった。

 バートレットとアリスは、エーレルト伯爵家襲撃の件で色々と調べ回っているみたいだ。ここ数日はアオイの護衛を完全に俺に任せて、朝と夕方に顔を見せに来るだけだった。

 本職の捜査官である彼らなら、きっと何かしらの手掛かりは掴むだろう。

 ……俺も、ただ漫然と過ごしている訳にはいかなかった。

 伯爵邸の2階。与えられた部屋で昨日の業務報告を作り終えた俺は、部屋を出た。

 業務報告といっても、日記のようなものだ。何もしないのはいけないと思い、俺が自主的に始めたのだった。

 ……だって、誰も俺に報告すら求めないし。

 階段を下り、1階に向かう。この屋敷にも随分と慣れてきた。

 たたたっと階段を駆け下りる俺は、紺のズボンに淡いレモン色のチュニック姿だった。

 どちらも俺の私服だ。といっても、もちろん元から持っていたものではない。レインがくれた服だ。

 屋敷の主であるアオイには、堅苦しい格好で任務に当たらずとも構わないという承諾を得ている。

 俺としても、動き易い格好はありがたかったが、俺の服は全て伯爵家が用意すると言ってくれたアオイには従えなかった。

 スカート。

 赤いドレス。

 あの夜のことは、忘れられない。

 多分、ずっと……。

 豪華な食事も、機嫌よく話をしてくれたアオイの事もよく覚えていないのに、背後から銃口を突きつけられているような切迫感と背徳感だけが、今でも生々しく思い出される。

 きっとまたアオイやレーミアにコーディネートを依頼すれば、あんな事態に陥るに違いないのだ。

 下着みたいに隠れる部分と、ドレスやスカートみたいに見られる部分では、女性を装う覚悟が違う。

 俺は俺だ。

 女性になってしまった事への覚悟を公然と周りに示す事には、まだ抵抗があった。

 ……。

 ん?

 しかし、俺が男だと知っているのは、この屋敷では多分アオイだけ。そのアオイも元の俺のことは良く知らないのだから、俺がスカートを穿く事を特別だと思えるのは、俺自身だけ。

 あれ。

 ならば、別に問題ないのでは……。

 うーん……。

 玄関ホールに降り立った俺は、首を傾げながら、しかしそのまま正面玄関から外に出た。

 眩い日差しに目を細める。

 ……余計な事を考えるのはよそう。

 今は任務に集中しなければ。

 俺は腰の後ろに装着したホルスターとハンドガンにそっと触れた。

 ショルダータイプでは上着がないと目立つので、今はベルトに通せるホルスターを使用していた。

 上着の裾をキュッと引いて、銃を隠す。

 よし。

 準備はOKだ。

 今日もお屋敷周りの自主パトロールを始めよう。

 なんたって俺の任務は、魔術犯罪者からエーレルト伯爵を護衛することなのだから。

 俺はきゅっと唇を噛み締め、両の拳を握りしめた。



 パトロールといっても、エーレルト伯爵邸は広大な森林に包まれている。その全てに不審な点がないかを確かめるのは不可能なので、取り敢えずはお屋敷の直近を確認して回るのが、俺の日課になっていた。

 車寄せ周りを確認し、反時計回りに裏手の方へとお屋敷を回り込んでいく。

 茂みの中やちょっとした死角に不審なものがないか、丁寧にチェックしていく。

「やぁ、ウィルちゃん」

 膝に手をついて中腰で花壇の中を覗き込んでいた俺に、庭師のお爺さんが声を掛けてくれた。

 エーレルト伯爵邸には、アレクスさんとレーミアの他にも数人の使用人がいた。

 例えばこの庭師のお爺さんや、料理長のおじさん。それに掃除婦のおばさんだ。彼らは地元の村から通いでやって来ているらしい。

 彼らは、どうも俺の事を、オーリウェルからやって来たアオイのお友達と思っている様だ。恐らくアレクスさんがそのように説明しているのだろう。

 軍警が来ていると知り、不安がられるよりも、まぁその方が良いとは思うが……。

「都会のお嬢さんは、そんなに花壇が珍しいかの」

 ふぉふぉふぉと笑うお爺さん。

 顔を上げ、垂れてきた桜色の髪を掻き上げた俺は、苦笑を浮かべながら「そうですね」と返すしかなかった。

 庭師のお爺さんに頭を下げて別れると、今度は調理場の勝手口を通り過ぎて裏庭へと向かう。

 芝生の庭園を警戒しながら進んでいると、東屋の方に誰かがいるのに気が付いた。

「ウィル。こちらだ」

 近付くと声が掛かった。

 東屋の中にいたのは、白い着物に黒いカーディガンを羽織ったアオイだった。隣には、メイド服のレーミアが立っていた。

「ウィル。少しお茶を飲んで行くといい」

 アオイが涼しげな顔で微笑む。腰かけたベンチの自分の隣を叩いて、ここに座るようにと示した。

 即座にレーミアが、新しいお茶の準備を始める。

「アオイ、俺は巡回中なんだ」

 俺はそっと眉をひそめた。

 ここしばらく寝食を共にして、アオイとは随分と気安く話せるようになったと思う。

「まぁまぁ。そう急かなくとも良いだろう。少し話をしよう」

「……どうぞ、アーレンさま」

 レーミアがお茶を出してくれる。ついでにアオイにも新しいお茶を出していた。

 ……しょうがない。

 しんと静かに輝くアオイの黒い瞳。そんなに期待を込めた眼差しで見られては、無視する事は出来なかった。

「外に出ていて大丈夫なのか」

 問い掛けながら、俺はアオイの隣にすっと座った。

「ああ。もうすっかり良くなった。アレクスとレーミアが大げさなんだ」

 ふふっと笑うアオイ。

「無理は禁物です。お嬢さま」

 すかさず、ぼそりとレーミアが呟いた。

 また軽く笑ったアオイが、不意に俺に向かって手を伸ばして来た。

 ドキリとしてしまう。

 白く細い指が、硬直した俺の頬にそっと触れる。

 アオイの指は、ひんやりと冷たかった。

「ウィル。君も不調なところはないか?」

 真っ直ぐに俺を見つめるアオイ。

 俺はどぎまぎしながら目を逸らした。

「だ、大丈夫だけど……」

 アオイがふっと微笑んで手を引っ込めた。

「なら良い」

 カチャリと音がする。

 恐る恐るそちらに顔を向けると、あらゆる表情を通り越して完全に無表情になってしまったレーミアが、俺を見下ろしていた。

 その手にしたティーポットが、わなわなと震えている。

「……アオイ。やっぱり俺は警備に戻るよ」

「なんだ。まだ良いではないか。レーミアが焼いたマフィンもある。美味しいぞ」

 ふわりと微笑むアオイ。

「しかし俺には任務が……」

「アーレンさま……」

 俺の言葉を遮ったレーミアの声の冷ややかさに、先ほどとは違う意味でドキリとしてしまう。

「アオイお嬢さまの前では、そのような男のような口調はお控えくださいと申し上げましたが?」

 いや、控えろと言われても、これが地であるわけで……。

「くくくっ、はははは」

 アオイが耐えきれなくなったというように、笑い声を上げた。

 ……元気そうで何よりではあるが。

「……そうだな。女性らしくというのは、重要だ」

 笑顔のアオイが、思わせぶりな視線を俺に向ける。

「ふむ。そうだ。ウィルもレーミアにマフィンの焼き方を習ってみてはどうだ? お菓子ぐらい作れてもいいだろう。女性の嗜みとして、な」

 女性のという所にアクセントを置いてそう言ったアオイは、にこりと微笑む。そして優雅な手つきで白磁のティーカップを口に運んだ。

 魔女め。

 俺がもともと何であったか、知っているくせに……。

「……承知いたしました。お嬢さまの下命とあらば、必ずアーレンさまを教育させていただきます」

 強い光の宿った視線を向けて来るレーミア。

「しかし、俺には警備任……」

「ではキッチンに参りましょう」

 がしっと俺の腕を取るレーミア。

「ふふっ。頑張るといい。ウィル」

 ひらひらと手を振るアオイ。しかしレーミアは、今度はギロリとアオイの方を見た。

「お嬢さまもお部屋にお戻り下さるよう。病み上がりでございます。無理はされませんように」

 レーミアの忠言にむうっと眉をひそめるアオイ。銀髪のメイド少女の勢いに、反論出来ないようだった。

「では参りましょう、アーレンさま」

「あの、俺、任務……」

 まだお屋敷の周りを1周する事すら出来ていないのに……。



 お屋敷の1階にあるキッチンに俺を放り込むと、レーミアはキッチン隣の部屋に消えた。そちらにあるのは、使用人の待機室だ。

 お屋敷の間取りはもうだいたい把握している。

 俺は、ふうっと深く息を吐く。

 輝くように磨き上げられた食器類。鍋にフライパン、古いオーブンに巨大な冷蔵庫。レトロな品と真新しい家電製品が混在する広いキッチンには俺以外誰もいない。

 夕食に使うのだろうか。青々とした野菜と果物が盛られた籠を見ながら、俺はシンクにもたれ掛る。

 こんなキッチンで何をしているんだろう……。

 はぁと溜め息を吐く。

 そこに、カチャリと扉が開き、レーミアが戻って来た。

 手には白黒の布地を携えている。

「ではアーレンさま。こちらにお着替え下さい」

 汚れるといけませんからとレーミアが差し出したのは、彼女と同じクラシカルなデザインのメイド服と、エプロンだった。

 スカート……。

 しかも女中さんというものに馴染みのない俺からすれば、冗談のようなメイドの衣装。

「……、む、無理」

 俺はぶんぶんと頭を振った。

 レーミアが半眼で俺を見た後、はぁっと溜め息を吐いた。

「……ではこちらのエプロンだけでもお付け下さい」

 レーミアがしょうがないという風にメイド服を引っ込める。しかし、代わりに差し出されたエプロンも結構なフリフリだった。

 ……むむ。

 エプロンを受け取ったまま固まる俺。

「何をしているのですか。女の子なら、エプロンぐらいしたことがあるでしょう?」

 呆れたようなレーミアの声。

 ……生憎と今までの俺の人生では、エプロンなんてした事などないんだ、レーミア。

「お早くお願いいたします。アオイお嬢さまに美味しいお菓子を食べていただくのでしょう?」

 そう言いながらレーミアは、さっさとボールやら泡立て器やらを準備し始めている。

 俺の任務は、アオイの身辺警護であって、お菓子作りではない……。

 俺はこんな所で何を……。

 エプロンを握り締め、しかし俺は、ふと思った。

 こんな所に来ていなければ、俺は、何をしていた?

 恐らくはひたすら訓練を繰り返していた。ひたすら……。出撃して行く仲間たちを見送りながら、だ。

 それに比べれば、今の俺はどうだ。

 敵襲こそないが、こうして魔術犯罪者の襲来に備えている。

 魔術師に脅かされる人を守るために。

 敵がまだ来なくて、だからこうしてのんびりとお菓子作りなどしていられるというだけの事だ。

 待機も任務の内。

 その間にエーレルト伯爵の、アオイの要望に応えるのも任務だと、バートレットにもヘルガ部長にも言われたではないか。

 任務。

 マフィン作りも任務……。

 俺はぶつぶつとそんな呪文を繰り返し唱える。

 俺としたことが、任務に選り好みなど……。

 恥ずかしくなる。

 こんなことでは、Λ分隊のみんなに顔向けできない。

 たかがエプロン……!

 俺は、思い切ってエプロンを装着した。

 レーミアの教え方はスパルタだったが、作業工程自体は簡単だった。

 卵を溶いて、ふるいに掛けた小麦粉とベーキングパウダーと良く混ぜ合わせる。生地が出来たら型に流し込み、小さな角切りにしたフルーツを落とし込んで行く。

 アサルトカービンの組み立て工程よりは簡単だ。

「良いですね」

 オーブンの準備をしていたレーミアが俺を一瞥した。

 このオーブンは、電気式ではない。今時珍しい薪のオーブンだった。

 その薪に向けて、レーミアがさっと手をかざす。

「fraou」

 術式詠唱……!

 ぼっと火が灯る。

 やはりレーミアも、魔術師だったか。

 俺は火掻き棒でオーブンの具合を確かめているレーミアの後ろ姿をそっと見た。

 魔術師。

 わかってはいても、目の前で実際に術式が展開されるのを目にすれば少し緊張してしまう。

「後は焼きあがるのを待てば……何でしょう、アーレンさま」

 振り向いたレーミアと目が合ってしまった。睨むような厳しい視線を向けていた俺に、レーミアが眉をひそめた。

「はは、何でもない」

 俺は笑って誤魔化した。

 こんな真面目な少女の何を警戒しているんだ、俺は。

 焼き上がりを待つ間、俺とレーミアは使用した道具の片付けを始める。洗い物をしながら、何となくレーミアと雑談を交した。

 一緒に作業をこなして、レーミアとも幾分気安く話せるようになったと思う。もっともレーミアの話題は、いかにアオイお嬢さまが素晴らしいかという事ばかりだったけれど。

 その他には、俺はもっと上品に振る舞わなければならないという話をとくとくとされてしまった。

 一時的な護衛とはいえ、アオイ・フォン・エーレルト伯爵と行動を共にするのだから、相応の優雅な振る舞いを身に付けなければいけないというのだ。

 歩く姿勢。

 座った時の足の置き方。

 微笑み方。

「言葉遣いはもちろん、アーレンさまはちょっとした所作が荒いのです。殿方ならそれでも良いでしょうが、アーレンさまもレディなのですから……」

 俺を睨むように見上げるレーミアから、そっと視線を逸らす。

 ……貴族というのも大変なんだなと思う。

「アーレンさま。いらっしゃいますか」

 そこへ不意にノックの音が響いたかと思うと、アレクスさんが現れた。

「はい、何でしょうか?」

 俺はキュッと蛇口を締めて水を止めた。

「バートレット捜査官らがお見えになっております。アーレンさまをお呼びですが」

「あ、はい。今行きます」

 俺はエプロンで手を拭い、アレクスさんに駆け寄った。

 そうだ。

 その途中で俺はレーミアを振り返った。

「レーミア。教えてくれてありがとう。今度自分でも作ってみるよ」

 俺はふっと微笑む。

「……どういたしまして」

 銀髪の少女は、ぶっきらぼうに頷くだけだった。

「はは。しかしこうして並んでおられると、姉妹に見えますな。失礼ながら」

 糸目をさらに細めて、アレクスさんが微笑んだ。

「お、おじいちゃん!」

 レーミアが声を上げる。

 その顔はいつもの澄ましたメイドさんではなく、恥ずかしそうに真っ赤になる少女の顔だった。

「ははは。火の番は気をつけてな」

 アレクスさんが笑いながら、俺を廊下へと促した。

 バートレット達の部屋に向かいながら、後ろを歩く俺をアレクスさんは一瞥した。

「あの子の両親は、先代の伯爵さまと一緒に亡くなりましてな」

 そういえば、アレクスさん以外の家族を見かけないなと思っていた。

「年近く同性で、さらにアオイお嬢さまにお仕えするという自分と似たような立場のアーレンさまがいらっしゃって、嬉しいのですよ、あれは」

 姉妹、か。

 心が痛む。

 本当の俺は年も上だし、同性でもない。

 ……レーミアやアレクスさんには本当の事を話した方がいいだろうか。

 しかしいくら親しみを覚えても、彼らは貴族派に属する人間。おいそれと軍警の話は出来ないし、彼らの主であるアオイの思惑もある。

 ふうっと溜め息を吐く。

 いろんなしがらみがあって、いろんな事が複雑に絡み合って、頭が痛くなりそうだった。

「こちらです」

 このお屋敷を訪れた初日と同じ応接室に到着する。アレクスさんに扉を開けてもらい、俺はその部屋に入った。

「ウィル・アーレン。参りました」

 俺はソファーに腰かけるバートレットたちの前で姿勢を正した。

「わっ、可愛いじゃない!」

 アリスがこちらを見て声を上げた。

「何をやっとるんだ、ウィル君。まぁ、似合ってはいるがね」

 煙草を手にしたバートレットがニヤリと口を歪めた。

 何って、何が……。

 俺は眉をひそめる。

「可愛らしいエプロンね」

 アリスが微笑む。

 俺は視線を落とした。

 恐る恐る……。

「わぁあああっ!」

 し、しまった!

 エプロン付けっぱなし……!

 俺は慌ててフリフリエプロンを取り払うと、丸めて背中に隠した。

「ち、違うんです、これはっ!自分はっ!」

「くくくっ」

 バートレットが喉を鳴らした。

「君んところのミルバーグ隊長にはちゃんと報告しておくよ。心配してたからね。ウィルはエプロン姿で頑張っていました、とね」

 あああ……。

 顔面が真っ赤になってしまっているのが分かった。

 ミルバーグ隊長、これも任務なんです。

 任務で、仕方なく……。

「イーサン。あまりウィルちゃんを苛めないでよね」

 アリスがフォローしてくれるが、その声にも笑みが含まれていた。

 次にオーリウェル支部に戻った時、果たして俺の居場所はあるのだろうか……。



 夕食が終わった後。

 真っ暗な自室で、俺はベッドに横になっていた。

 明かりも付けず、カーテンも開けっ放しのまま、ぼんやりと天蓋を見詰める。

 昼間、散々俺のエプロンを茶化した後、バートレットたちが報告してくれたのは、アレクスさんが言っていた伯爵邸襲撃事件の裏付け捜査の結果報告だった。

 付近の住民の証言。

 地元警察への調査。

 当時、この辺り一帯の魔素観測ネットの情報。

 それらを総合すると、伯爵邸が魔術攻撃に晒されていたのは間違い無いとのことだった。

 しかし問題なのは、アレクスさんが言っていたものよりも遥かに激しい攻撃に晒されていたのではないかという疑いがあることだ。

 近隣の村には、襲撃があったという時間に、伯爵邸の方から煙が立ち上っているのを見た者がいるらしい。

 アレクスさんが言っていたみたいに地剣の術式を打ち込まれただけでは、土煙が上がる事はあっても、遠く離れた村から目撃されるような煙が出ることなどないだろう。

 もっと大規模な魔術攻撃があったのか?

 地剣よりも攻撃性の高い術式が使用されたのか?

 そうならば、それはもう明確な害意を持った攻撃だ。穏健派のエーレルト伯爵を脅すだけの嫌がらせではすまないレベルの攻撃だろう。

 そしてそれを、アレクスさんやアオイは俺たちに明かしていない。

 何が起こっているんだろう。

 昼間のマフィンの味とお茶の香り。アオイの笑顔を思い出す。

 何が起こっているんだろう……。

 ……ずんっと、何かが聞こえた気がした。

 いつの間にか微睡みの淵に落ちかけていた俺の意識に、不快な音が割り込んで来る。

 ずん。

 ずんっ。

 連続する響き。

 地震か……。

 俺は眠い目を擦って、ゆっくりと身を起こした。

 今度は、どんっと屋敷が揺れる。

「……何だ」

 さらに高まる音に、完全に意識が覚醒した。

 俺は隣に転がしておいたホルスターとマガジンポーチを掴むと、窓際に駆け寄った。

 ガラス窓を押し開け、勢い良くベランダに飛び出す。

 その瞬間。

 夜闇を切り裂く紅蓮の炎が高速で飛来すると、屋敷近くの花壇に直撃した。

 駆け抜ける衝撃。

 膨れ上がる爆炎。

 それだけではない。

 次々に飛来する火球。

 重い響きを上げて、屋敷に直撃する炎の塊。

 俺はベランダの手すりを握りしめた。

 これは、火球の汎用術式……!

 魔術師の、襲撃だ!

 俺は大きく息を吸い込む。そして勢い良く踵を返すと走り出した。

 守るんだ。

 アオイを守らなければ。

 それが俺の任務……!

 読んでいただき、ありがとうございました!

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