27:説得
重苦しい気持ちで羊毛工房に戻った。
改めて見てみれば、確かに糸車は誰も使っていない。
お母さんが時々使って手入れもしているから、埃をかぶっていないだけだった。
「ねえ、みんな。あの糸車、邪魔になってしまった?」
羊毛工房の人たちを捕まえて、思い切って言ってみた。
私は小さい頃からここに出入りしている。職人は皆昔なじみだ。
変に気を遣って遠慮するよりも、率直に話をしてみようと思ったのだ。
「邪魔っていうわけじゃないけど。やっぱり慣れたスピンドルの方が使いやすくて」
「そうそう。あれはスピードが早すぎてかえってよくないのよ」
そんな答えが帰って来る。
当たり障りないような言い方をしているけれど、糸車を面白く思っていないのは伝わってきた。
「私、みんなに嫌な思いをさせてしまった?」
うつむいて言えば、どこか慌てたような気配が漂ってくる。
「そんなのじゃないわよ。リディアとセウェラが使う分にはいいんじゃない?」
「そうよ、どうしたの、リディア」
ネルヴァの事業については口外できない。
だから話せる範囲で言葉を選びながら私は続けた。
「この糸車、フルウィウスさんが気に入ったみたいで。これを使えば糸が素早くたくさん作れるから、布もたくさん作って売上を伸ばしたいんだって。
それで、この糸車のスピードを前提に納期を組むと、スピンドルでは苦しくなると思う。みんなはそれでもスピンドルを使う?」
「え……」
職人たちが絶句している。
「私ね、みんなのこと尊敬してるの。私は見習い職人で、糸紡ぎは下手くそだし機織りは一人じゃできない。でもみんながどれだけ高い技術を持って、仕事に誇りがあるか知っている。一緒に働けて嬉しいと思ってる。
私が糸車を作ったのは、もっと細い糸が欲しかったから。私のわがままのせいで糸車ができてしまって、結果としてみんなを追い詰めるかもしれない。どうしたらいいか分からない……」
「リディア……」
沈黙が流れる。
長いこと静まり返った場に一石を投じたのは、あるベテランの職人だった。
「正直に言わせてもらうわね。その糸車、あたしは嫌い。だって今まで苦労して身につけたスピンドルの技術が、ほとんど無駄になってしまうから」
「ちょっと、言い過ぎじゃない?」
他の職人がヒソヒソと言うが、彼女は首を振った。
「みんな大なり小なり同じ気持ちでしょ。セウェラは親だから使っているだけで」
視線を向けられたお母さんは、ふと微笑んだ。
「親だから。それもあるけど、それだけじゃないわ」
皆がお母さんに注目する。
「リディアは『絹みたいに薄くてしなやかな布が欲しい』だなんて無茶を言い出して、私は到底無理だと思ったのよ。けどこの子は、糸車なんていう道具を作ってまで新しい布を追い求めた。私は純粋にすごいと思ったわ。
糸車はスピンドルとずいぶん使い心地が違うけど、それでも出来上がるのは糸だもの。私たち羊毛職人の仕事の範囲内よ。
リディアが作り上げた糸車を、私たちが利用していい糸を作る。いい糸で布を織る。道具が違うだけで今までと何も変わらないと、私は思っている」
皆、黙った。
「あたしは、本当は糸車を使いたかった」
まだ若い職人がぼそりと言った。
「でも先輩方が糸車を嫌うから、言い出せなくて。あれはいい道具だと思う。だから、もっと使ってもいいんじゃないかって」
「そうね。あれはリディアが頑張って作った道具だから。私は気に入っているわ」
お母さんが頷いた。
「でも同時に、スピンドルと比べてしまう気持ちも分かる。私も最初は今までの経験が否定されたようで、悔しかったもの。
けど、やってみると面白いのよ。ペダルを踏んで糸車をぐんぐん回したら、どんどん糸によりがかかるところとか。スピンドルとは違ったやりがいがあるわ。
リディアは糸車を作ってしまった。これはもう変えられない。だったら私たちは職人として、道具を使いこなすだけ」
「道具を使いこなす、か……」
中堅の職人がため息をつく。
「子どもの頃に羊毛工房に入って、雑用から始まってスピンドルを覚えて。やっと機織りで一人前になったのに、また新しいことを覚えるのは大変」
「本当に。セウェラみたいに好奇心旺盛で、すぐ覚えちゃう人ばかりじゃないのよ」
「手に馴染んだ道具を変えるだけで、どれだけ違和感があるか分かる?」
職人たちはわいわいと喋り始めた。ほとんどが愚痴のように聞こえるけれど、それはどこか諦めとか苦笑とか、そういったものを連想させた。
「フルウィウスさんは商人だから、職人の気持ちなんて分かんないのよねー!」
「ほんと、ほんと。いくらいい道具だって使いこなすのに時間がかかるのに」
「まあ仕方ないから、糸車の練習も始めましょうか」
「そうねえ。実はセウェラの糸が気になってたんだよね。ああいう細い糸の布、大変そうだけど質がよくて」
みんな愚痴を言いながら、それでも前を向こうとしている。
私一人では説得の方法は思いつけなかった。
お母さんが助け舟を出してくれて、それで職人たちの気持ちが変わった。
熟練の職人であるお母さんの言葉だから、みんな聞いてくれたのだと思う。ただの見習いの私では駄目だったんだ。
「お母さん、ありがとう」
お礼を言うと、にっこり笑っている。
「私は私の気持ちを言っただけよ。頑張っているリディアの姿を、みんなちゃんと見ていたのよ。……それとね、機織り機の改良も考えているんでしょう? 早めに伝えておいた方がいいわよ」
「え、バレてた?」
「当たり前でしょ。機織り機の前で書字板にメモを取って、私にあれこれ質問するんだもの。ああこの子、次は機織り機を変えるつもりだなってすぐ分かったわ」
お母さんにはとてもかなわない。
私は声を張り上げた。
「みんな、ちょっとごめん! 実は私、糸車の次は新しい機織り機を考えていて」
「はぁ?」
「冗談でしょ?」
私の宣言はブーイングに迎えられた。でも本気の悪態じゃないと分かってるから、気にしないで続けた。
「必ず、すごくいい機織り機を作るから! 職人のみんなでいい布を織って、機織り機がすごいって宣伝して!」
「図々しい!」
「リディアらしい!」
ブーイングなのか応援なのか分からない声援が飛び交う。
「仕方ないから使ってあげる。機織り機が出来上がったら見せなさい」
「あーあ、この年で新しいことを覚えるのはしんどいわぁ」
ちょっと面倒くさそうにしながらも、もう誰も「新しい道具は嫌だ」とは言っていない。
これならきっと職人たちは、ネルヴァとフルウィウスの新事業で解雇はされないだろう。
新しい道具を使えば効率は上がるが、熟練した技術が不要なわけではない。ある方がいいに決まっている。
明日にでもフルウィウスに会って、とりあえず糸車をもう何台か設置してもらおう。
そして職人たちの意気込みを伝えておこう。
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ここまで1日3話ペースで投稿してきましたが、この量だと読む方も大変かな?と思い、1~2話程度に頻度を下げようと思います。
書き溜めストック自体はまだけっこうありますので、お付き合いいただけると幸いです。




