28.終焉で、問いかけるもの
ついに砕けた──目前で指の隙間からこぼれ落ちる光片。
絶望の予感と共にエルバイトのうなじから背まで、汗が冷たく流れていく。
「国王陛下!!」
「まだだ! まだ僕の魔力で……保つ! だから……もう少し一緒に頼む!!」
望みのない状況なのに、意識を保っている者たちは「おう!!」と力強く返答してきた。
かすみがかりそうな意識を持ち直す。
魔法士たちへ檄を飛ばすエルバイトの視界に、淡い撫子色が入ってきた。
あれは──
「ティロル!?」
「エル様!!」
魔法士の列が割れ、ティロルを通す。
近くまできた彼女は、さっき別れたばかりというのに雰囲気が違った。
撫子色のまま長く腰まで伸びたまっすぐな髪と、純白の絹のドレス。
「ティロル……? 君は?」
「エル様、ごめんなさい。貴方が大切にし続けたロジンカに入ってしまいました。そしたら……色がこうなって。いやですよね、エル様が求めるロジンカは純白の、穢れない聖女なのに」
申し訳ないと視線を落とすティロルに、そんなことないと言いかける。
でも口にできるほど自分の中で気持ちを固めることができない。
告げる資格がない……。
思い直したエルバイトは、言葉を諦め、ティロルを強く抱きしめた。
「……っ、エル様」
片手で魔法の制御を保ちつつ、ティロルの額に頬寄せる。
魔力は空っけつ寸前なのに、温かな彼女に触れて勇気づけられる。
「エル様、私が来たのは少しでも力になりたくて」
「ロジンカひとつになってから来たということは、聖魔力があるの?」
「自分のうちに感じられます。だから、お力添えを!」
上空の雷光へ向けている手に、ティロルの手が当てられた。
清廉な魔力が伝っていく。
幽鬼を籠めた雷の檻に白い光が伸び、籠状になった。
これまで留めるのがせいぜいだった攻防が、人側有利になる。
徐々に籠を縮まらせていく。
これで幽鬼を滅ぼせるのか。
ところが。
パリパリと高い破砕音が忍び寄り、直後に大爆音が轟いた。
「きゃ!!」
「ぐあっ」
エルバイトの張り巡らせていた雷が、力負けして押し返された。
引きちぎられた雷と魔力の塊が、地に落ちる。
溜め込んでいた大量の落雷による轟音が過ぎ、稲光が収まった。
後に残ったのは──先ほどまでいた幽鬼や邪霊を足し合わせたような、巨大な幽鬼だった。
ただ大きくなっただけの幽鬼ではない。
形相には禍々しさが増し、纏う装束の表面は邪霊の顔が蠢いている。
そして、手には……エルバイトが胸から抜き取られた鎌に似た、不吉な黒い長物が凝集しつつある。
腕の中のティロルに触れ、負傷のないことを確認しながら上体を起こした。
魔法が弾けたと同時に反動で飛ばされて、城壁の縁に打ち付けられたのだ。
とっさにかばってクッションになったから、ティロルにはぶつけたところがなさそうだ。その点にほっとする。
しかし、あの上にいる異常な大きさの幽鬼はなんなのだろう。
エルバイトから鎌の形で抜かれた、業、狂気。
それらを喰って、新たな進化をした、ということだろうか。
(いくらティロルが聖魔力を備えやってきたからといって、あんなものと対峙できるのか?)
以前の状態でも力足らず跳ね返された。
(僕にはもう魔力がほぼ無い。先程と同じだけの雷を束ねられない……)
手詰まりに近い。
ティロルは、幽鬼はおろか邪霊とも戦ったりしたことがないのだ。
戦いというものに馴染みがない存在。
それをあんな何を起こすとも知れない化け物に向かわせられない。
頼りない雛鳥であるティロルに、胸元から飛び立ってほしくなくて、エルバイトはティロルを抱きしめる腕を交差させた。
◇◇
エルバイトがしがみつくような抱きしめ方をしてくる。
身動きができず、ティロルは彼を制した。
「エル様、離してください。あの大きな化け物、柄がまだできてないから留まってるだけで、完全になったら動き出すと思うんです。そうしたら街の人たちが……早くなんとかしないと」
「できるの? ティロル。さっき失敗したじゃないか。僕、もうほとんど魔力が残ってなくて、さっきほどの支援ができないんだ……」
エルバイトの声には諦めが浮き出ていて、錆じみたそれがティロルの気持ちにも影響する。
ふるふると、頭を振った。
邪霊が寄らないようにロジンカの時に聖魔力をつかったことがある。
できる。
ただ……祓うことは、邪霊相手にもしたことがない。
先ほどの失敗は幽鬼の巨大化が原因だ。だが、ティロルも聖魔力の出力不足を実感していた。
ロジンカと重なった存在になった。
なのに、聖女の認識に欠ける。
一体でなく、分離している。力を己のものとしきれない不足感。
(やっぱり私がティロルのままだから、聖女になりきれてないから、だめなの? 力を扱えきれない。祓えない?)
「私が、ちゃんとした聖女じゃないから。完全なロジンカでは……ないから」
胸の前で交差するエルバイトの腕がぎゅっと縮まる。
ティロルの首筋に顔を寄せるから、吐息が首元を撫でていく。
「君は……っく……君を励ましてやりたいのに。……僕はやっぱり狂ったままだ……わからないんだ。僕が愛する人って? 僕が愛する彼女はどう定義して、どう判断すればいいのか。僕は指針を失ったまま……だから、君を力づけて飛び立たせてやれない。ごめん」
(エル様──まだ貴方はロジンカを探し続けていて、わからなくて、もがいてるのね)
ティロルは空を仰ぎ見て、巨大幽鬼が動き出すまであとどのくらいか見繕う。
それが、終わりの時になる。
(今のままでは結局何も救えなかった、駆けつけたけどまだ不足なの。聖女なら邪なる者を祓えると思ったのに)
エルバイトの腕からすら逃げ出せない。
非力だ。
ロジンカに還ってまで足掻いた。
けれど、結局ティロルでできることなんてたかが知れていて、ここが限界だったのだ。
聖女としても、エルバイトを愛する女としても、中途半端。
だから何も救いきれずこのまま……終わってしまうのかもしれない。
(また、死ぬことになりそう。でも今度はエル様の腕の中なら)
後ろを向いて、エルバイトを見る。
悔しそうにすがめた眼が、ティロルを映して詫びるように伏せられた。
(……ああ、私、エル様だけは救いたかった。そのために聖女にでもなんにでも、なろうって思えたのに)
うつむくティロルの胸元が、紅く輝く。
まだ夜中なのに、ティロルとエルバイトの二人は仮初の朝焼けに染まった。
──エルバイトを救いたい?
守りを失って、むごい痛みを背負っても?
聞き覚えがある。
聖堂の上階では聞き間違いか幻聴と思った声に問われている。
(救えるものなら、救いたい。エル様を愛している。これはずっと、たぶん何をされようと変わらないの!)
──やれやれ。どうやったって、君は君なんだから。
ため息をつかれた。その抑揚のつけ方に、既視感が強まる。
幼いロジンカはよく隣で聞かされた、間違いない。
(これは、幼い頃のエル様の声だわ、懐かしい──)





