水牢姫
「水牢姫?」
ファーラが口した言葉に、俺は眉根を寄せた。
聞き慣れないと言うのもあるが、水牢と言う不穏当な単語が含まれる故でもある。
そんな俺に、ファーラは小さく頷いて見せる。
「うん、そう。この国の建国記の一部でもあるんだけど、公になってる限りだと月夜の巫女お話で一番古いなの」
そう答えるファーラは、珍しく俺の対面のソファーに腰掛けている。
この時点で解るが、真面目な話と言う事の証左であろう。
「…それを話ておけ、と?」
宿に寄せられた言伝てには、面会の刻限以外にも一つ付け加えがあった。
それが『水牢姫』に関してである。
ファーラの姉からだと言うそれは『水牢姫の伝承に関して確認し、知らない様であれば伝えておく事』とあった。
故に、風呂と夕食を終え、普段であれば他愛もない会話に終始する眠る前の一時をそれに当てる事になった訳だ。
温かい茶を用意して始まったファーラの話は、お伽噺と言うには重い内容であった。
曰く―
かつてある村に美しい狐人の少女が産まれた。
その少女は珍しい‘銀色の
髪’と‘金色の瞳’を持ち、その美しい容姿と穏やかで優しい人柄から村人から『姫』 と呼び慕われていたそうだ。
湖の畔に位置するその村は、賢く美しい『姫』を中心に豊かでこそなかったが、笑顔に満ちた日々が続いていたと言う。
そんなある時、その穏やかは日々に暗雲が忍び寄って来た。
近くの国を治める暴虐の王が、噂を聞きつけて姫『姫』を見定めに来たのだ。
そして噂に違わねその美貌に心奪われ、室へと欲した。
と、此処までで終われば、何処にでもあるだろう権力に翻弄された少女の話で終わるのが、この話は此処からが特殊であった。
室入りを拒む『姫』に対し、王は無理矢理にでも連れ去ろうとするのだが、不可思議な光に阻まれて触れる事すら叶わない。
村を盾にとれば王宮へ連れて行く事自体は可能なのだろうが、王にとって触れる事すら出来ぬのでは意味がない。
故に、王は『姫』を牢へと閉じ込め、湖へと沈めた。
「お伽噺だと省かれちゃうんだけど…この後、この王はしばらく村に留まって居たみたい。そして時折牢を引き上げては、自分を受け入れろと迫った。だけど、姫からすれば自分の感情以外にも、王を阻む光の事がある限り、王を受け入れる事は出来ない。だから、王更に暴虐に走った」
王は村人を集め、こう持ち掛けた。
『あの女を苦しみから救いたくば、命を差し出せ。一人につき一日。それだけの時を湖より引き上げておいてやろう』と。
その言葉を受けて、村人達は一人、また一人と命を差し出した。
老いた者、病で先の見えぬ者達が『せめて一日であろうと、寒さに震え溺れる苦しみを味会わぬ時間を』と命を差し出して行く。
そして遂に老人や病人が居なくなった時、その事が『姫』へと伝わった。
未だ自分を受け入れぬ『姫』を苦しめる為に、王が伝えたのだ。
それを知った『姫』は、寒さと苦しみに疲れ果てた身体に鞭を打ち、声を張り上げて叫んだ。
『私の為を思うのなら、お願いです! 生きて下さい! 熱を奪う水の冷たさよりも、息が出来ない苦しさよりも、私の為にと命を投げ出すその優しさが辛いのです! だから、どうか死なないで!』
そう言って、『姫』は自ら牢を吊り上げる鎖を魔法で断ち切った。
それを見た王は、最後まで自分を受け入れなかった女に怒り狂いながら村を後にしたと言う。
そして、それより三年の時を経て、一人の旅人が村を訪れた事で、『姫』を巡る物語が再び動き出した。
簡素な皮鎧と背負った槍、腰に下げた一振りの剣。
そして僅かな旅荷だけが、旅人の持ち物の全て。
自らが駆る馬を友として、世界を気ままに旅してきた青年は、偶然に立ち寄ったその村で、運命に出会った。
それが―
「水牢に囚われた『姫』、か…」
「うん、そう。そして村人から話を聞いた青年は、抜き放った剣を手にして凍てつく湖に潜り、牢を壊して『姫』を救い出した。この時、青年は自分の胸から伸びる不思議な光に導かれて、その村に来たんだって」
「胸から伸びる光、となると…」
「うん。『導きの灯火』だと思うよ。私とデュランを繋いだ、あの銀色の光」
そう言って笑ってから、ファーラは再び話始めた。
青年に助け出された『姫』ではあったが、長い間呼吸の出来ない水牢の中に居た事でひどく衰弱していた。
三年もの間無呼吸で死んでいない時点でまず有り得なくはあるが、それ以外にも常に全身を水に晒された事で奪われ続けた体温、当然ながら食事とて取れた筈もない。
やせ衰え、身体を動かす事すら儘ならない『姫』を、青年は献身的に看病し、支えた。
その経緯故か、健康を取り戻した『姫』は青年と結ばれる事になる。
旅の間、あちこちの村や街で、王の暴虐を目にして来た青年は、結ばれた『姫』と共に王都を目指し旅立つ。
その先で起きた戦いが、『月夜の巫女と番』の存在を世界に示す事になる。
『銀夜の聖戦』と銘打たれ、歴史に記されたその戦いは、非道の限りを尽くすが故に、飢餓王と呼ばれた暴虐の王が治め、怨鎖の都と呼ばれた王都を舞台に幕を上げた。
飢餓王と飢餓王率いる王軍、貴族軍を相手に青年と『姫』は青年の友であった一頭の馬―二人と一頭のみで挑み、飢餓王、そして飢餓王と共に暴利を貪ってきた貴族達の首級を上げた。
そうして建国されたのが、この国『グランディルク』である。
「…と、これが『水牢姫』のお話で、最初の『月夜の巫女』フィアナ様とその『番』であり、グランディルク初代王になったランディ・グランディルク様のお話の一部なの」
一部、と言うのは恐らく建国に当たりまだなにがしかの出来事があった故、なのだろう。
暴君一人倒したからと言って、建国が容易い筈もなく、取り巻きの貴族共も倒しているにせよ、相当の混乱があったのは想像に難くない。
まぁ、そうした偉業の積み重ね故に、ランディの名を元にしたグランディルクの国名が出来たのだと言うのだから、英雄の名に偽りなし、と言う事だろう。
いずれにせよ、こうして『水牢姫』の伝承を知った事で、ファーラの姉が伝えたい事の一部には、大体の察しが付いた部分もある。
それも踏まえて明日の面会に臨むとしようか。
だが、まずはその前に―
「ん~…やっぱりこっちの方が落ち着くね」
そう言って、何時もの様に膝上の指定席に付く我が姫君の相手こそが先決の様だ。




