(3)閉ざされた世界
またまた間があいてしまいました…。
遥か昔――〝塔〟が建設される前世紀には六つの大陸がありましたが、汚染されて悪化し続ける環境に抗いきれず、半数の大陸が消え、三つの大陸だけが生き残りました。
それが〝カンダカラ〟、〝セイタイ〟――そして、この大陸〝ナカツクニ〟です。
三大陸のそれぞれに二十三の〝塔〟が建設され、〝塔〟が環境を浄化することで私たちが生きる環境が整えられました。
そして、〝塔〟より受ける恩恵であり、〝塔〟を維持する力となる〝術式〟――《傀儡師》を得ることになり、世界の環境を保っています。
また、海流が不安定な〝外海〟とそこに生息する前世紀の産物――突然変異を起こして現れた〝海獣〟から航海する船を守り、越えさせるため、大陸外には三つの〝結の塔〟が設置されました。それぞれの〝結晶〟で〝羅針盤〟や〝ブイ〟を作り出し、〝塔〟を示す〝羅針盤〟を交換することで各大陸に〝灯台〟を建設し、〝塔〟同士を[道標]で繋ぐと共に〝ブイ〟で〝海獣〟を遠ざけて安全な航路を確保し、貿易を可能としました。
ですが、現在、世界は閉ざされています。
それは何故か――皆様はご存知のことでしょう。
〝竜灯の落日〟。
世界が蹂躙された最悪の二日間のことです。
全ての〝塔〟が機能不全を起こすと共に〝黄霧〟が世界を覆い、地震や竜巻、轟風、豪雪などの異常気象――天災が世界各地で次々と引き起り、世界を激変させました。
〝塔〟の機能不全の原因は〝龍脈〟――〝塔〟を稼動する力の乱れだと云われています。
その余波によって[道標]を示す〝羅針盤〟の多くが自壊し、〝ブイ〟は海に呑み込まれ、〝黄霧〟が世界を分断させました。
天災と交流が絶たれることで混乱の渦に世界が呑み込まれる中、辛うじて〝ナカツクニ〟と〝セイタイ〟の繋がりは復活することが出来ましたが、〝カンダカラ〟とは取り戻すことは出来ませんでした。
それから〝黄霧〟に覆われている彼の国がどういう状況なのか、私たちは知る術を持ち合わせてはいません。
それが百二十年前のことです。
その後、度々〝黄霧〟が発生することはあっても〝カンダカラ〟のように二つの国の繋がりが消えることはありませんでした。
ですが、四十八年前の五月十日。
二度目の〝竜灯の落日〟が起こり、この世界は完全に閉ざされることになります。
私がこの島を――この国を訪れて三年後のことでした。
その日、私は〝ナカツクニ〟での仕事を終えて、迎えにきた家族と共に〝結の塔〟から故郷へ出航しました。そして、数時間が経った時――
穏やかな青い海から光が迸り、視界を〝黄霧〟が覆いつくしたのです。
〝黄霧〟で帆先に標された道が閉ざされ、光り輝く海面は大きく荒れ狂い、乗っていた大型船は木の葉のように無力にも深い海へと呑み込まれようとしていました。
船内ではテーブルやイスなどが舞い、悲鳴と怒声が飛び交って混沌と化した中、ふと顔を上げた私が見たのは、
―――ふっ、
と。故郷に繋がる[道標]の光が消えた瞬間でした。
その瞬間は、今もまだ、脳裏に深く刻み込まれています。
出航から間もないことが幸いしたのでしょう。
辛うじて〝ナカツクニ〟の[道標]は、その光を弱ませながらも〝灯台〟を示しており、それを手繰り寄せることで船は〝黄霧〟を抜け、〝ナカツクニ〟の〝結の島〟に戻ることが出来ました。
そして、私たちは〝結の島〟の先にある大陸――〝ナカツクニ〟が〝黄霧〟に覆われている光景を目にすることになりました。
〝結の島〟にたどり着いた私たちが聞いたのは〝塔〟の機能が低下し、大陸全土を〝黄霧〟が覆いつくしたことと、〝セイタイ〟に繋がった〝羅針盤〟が自壊したということでした。
大陸を覆う〝黄霧〟は二日を過ぎても晴れることはなく、完全にそれが晴れたのは異変が起こってから四日後のことでした。
それから、幾度も〝黄霧〟の先にある〝セイタイ〟に向けて調査団が派遣されていますが、今もなお、〝セイタイ〟との繋がりは失われたままとなっています。
百二十年前に繋がりを絶たれた〝カンダカラ〟と同じように――。
外の世界が――〝黄霧〟の先にある私の故郷や〝カンダカラ〟が、現在はどのような状態であるのか、私たちには――この国の方々にも知る術はありません。
二つの国を故郷とする者たちは、新たな故郷として〝結の諸島〟を中心に各地に散らばり、生活を営んでいます。
それでも、いつの日か閉ざされたこの世界が開かれ、故郷へ帰れることを祈ってやみません。
***
メルギ学園の大講義堂。
薄暗い中に、数十人ほどの生徒――巡塔者たちがイスに座り、壇上を一心に見つめていた。
壇上のスクリーンには三つの大陸しかない世界地図と、そこから少し離れた海上から生まれた線が三角形を描いていた。
地図にある大陸は、それぞれにカンダカラ、セイタイ、ナカツクニと表示されている。
「この世界を再び開くには、皆様の若い力が必要不可欠となるでしょう。どうか、そのお力をお貸しくださいますようお願いいたします」
壇上に立つ女性が講演を終え、ゆっくりと頭を下げる姿に拍手が沸き起こった。顔を上げた六十代半ばの女性は、穏やかな緑色の目で話を聞く巡塔者たちを見渡し、再度頭を下げると袖へと歩いていく。
室内に光が灯り、ざわめきを取り出した中で、
「……ふぅ」
キキコは知らずと詰めていた息を吐き出した。
講演が終わり、感想を言い合う声は出ても立ち上がる生徒はいなかった。
「外の世界か……」
「改めてきくと、ね……」
リクの呟きにリンカは神妙な顔をして息を吐いた。キキコがリクの隣にいるユウトに目を向けると、ユウトは真っ直ぐに女性が消えた舞台袖を見ていた。
(……ユウくん?)
じっ、と感情の窺えない目にキキコは内心で小首を傾げた。
「呆けていないの」
パンパンパン、とユリナが手を叩いた。その音にキキコたちの視線が集まる。
「〝島〟の図書館に行って、外海についてのレポートを書くんでしょ?」
大きく息を吐いて、ユリナは言った。
〝塔の儀礼〟中に出された課題の中に、必ず訪れた〝塔〟の町に関するレポートの提出があった。
「あ。はい……」
キキコたちは我に返り、慌ててカバンを手に立ち上がった。
第二区画東にある〝島〟の図書館は、三階建ての四角い建物だ。
三階にある〝歴史・社会〟に分類されている棚で歴史や術式関連の書籍を集め、キキコたちは一つのテーブルに陣取った。他のテーブルにも巡塔者の姿があり、レポートを書いている。
「レポートは〝外海〟について――その中でも〝黄霧〟の特性についてだったな」
それぞれに持ってきた本を広げたところで、ヒサキが口を開いた。
「要点だけまとめよう――」
視線を向けられ、キキコたちは頷いた。
「現在、この大陸の周囲は〝黄霧〟が覆っている。それはこの国にある〝塔〟の効果範囲が目に見えているということだ。その原因は〝竜灯の落日〟――〝龍脈〟の乱れだが、あと二つ原因があることは覚えているな?」
「〝龍の髭〟の変化、ですよね。……それに〝ブイ〟もないから……」
キキコは少し詰まりながらも言った。
海は〝塔〟の領域に含まれていないが、その影響は大きく受けていた。
〝塔〟によって大陸から漏れ出した〝龍脈〟の力は、海に溶け込んである海流を発生させていた。
それが〝龍の髭〟だ。
その流れによって海の生命は助けられ、さらに〝ブイ〟――〝結晶〟が使われている――を設置することで安定させるとともに〝海獣〟を掃討とまではいかないが、その行動範囲を限定させていたのだ。
「ああ。〝龍の髭〟は三つの大陸にある〝龍脈〟の影響を大きく受ける。二度の〝竜灯の落日〟でその流れが大きく狂わされたまま、未だに元に戻す術は発見されていない。その上、〝灯台〟の補助と〝龍の髭〟を安定させる役目を持っていた〝ブイ〟が消失したことで、〝外海〟は生命には溢れているものの荒れ狂う状態は前世紀に近いと云われている」
ヒサキは頷きつつ、キキコたちを見渡した。
「現在、調査団は〝セイタイ〟を中心に〝ブイ〟を設置しながら進んでいるが、荒れ狂う海流で移動距離の実測が不可能に近く、〝黄霧〟の拡大によって活動範囲が広くなった〝海獣〟の問題があるために一進一退を繰り返している状態だ」
「〝海獣〟……」
前世紀の環境によって体が変異し、凶暴性を増した海の生物――〝海獣〟。また、大陸にも〝魔獣〟と呼ばれる生き物がいたが、〝塔〟が建設されてからはその影響で絶滅していた。
〝海獣〟は〝塔〟が発するものを恐れ、大陸には近づくことはないが、〝黄霧〟内では幾度も目撃されている。
「遊覧船は……大丈夫ですよね?」
少しだけ表情を固くしたリンカが尋ねた。
〝黄霧〟から現れることはないと分かっていても、講演で見た写真や本に書かれているものを見ると不安になってきた。
キキコも息を詰めてユリナを見つめた。
「大丈夫よ。現れるといっても〝黄霧〟が深いところだから」
「………」
ほっと息を吐いたところで、
「あ。でも、たまにハグレが出没するかしら?」
「!!」
キキコは頬を引きつらせた。その隣でリンカも絶句している。
「……ユー姉」
クスクスと笑う姉にユウトはじと目を向けた。
やれやれ、とリクは肩をすくめ、ヒサキに尋ねた。
「百二十年前は〝セイタイ〟と交流を取り戻せたのに、どうして、〝カンダカラ〟とはできなかったんでしょうか?」
「〝セイタイ〟の〝羅針盤〟とわずかに〝ブイ〟が残っていたからと記録にあるが……三大陸の中でも〝カンダカラ〟の〝龍脈〟の乱れが他よりも大きかったのではないか、という見解が有力だな」
「〝灯台〟の維持には〝龍脈〟も使われているから、余波の影響が大きいのよ」
「……四十八年前の〝竜灯の落日〟では、〝セイタイ〟の方が大きかったんですか?」
「いや、講演で言われていたように〝黄霧〟が大陸を覆っていたのなら、双方の〝龍脈〟の乱れは同程度と考えてもいいだろう」
やっと動揺が収まったリンカはヒサキに目を向け、
「……四十八年前の〝龍脈〟の乱れは、ほぼ全ての〝灯台〟が使用不可能になるほどのモノだということですか?」
一瞬、ヒサキは言葉に詰まり、
「……そうだな」
と。頷いた。
(………?)
キキコはユウトに目を向けた。
ヒサキが見せた顔が、講演を聴いた後に見たユウトと同じだったからだ。
「………」
ユウトは伏せ気味の目で手元のレポート用紙を見つめ、カリカリとシャーペンを動かしていた。
***
キキコたちは昼食をとるために学園の食堂に向かった。
年少組(三、四年生)と年長組(五、六年)に分かれて席につく。年少組はキキコ、リンカ、ユウト、リクの四人にハルノ、コウタにタキとトモハルも加わった八人だ。
男女別で向かい合うように座り、キキコは日替わり定食の魚フライを口に運んだ。
「講演、どうだった?」
ハルノの問いにリンカは手を止めて、
「うーん……何と言うか、授業では知っていたけど、実際に他国から来たって聞くと本当に世界って広いんだなぁーって」
「何、その感想……」
「だって、実感がわかなくて……〝黄霧〟だって初めて見たし……」
ハルノに呆れた目を向けられて、リンカは唇を尖らせた。
「わ、私も……何て言ったらいいのか……」
「えぇー……」
「――って、お前もそうだっただろ、ハルノ」
コウタにじと目を向けられ「あはは」とハルノは空笑いを浮かべた。
「こちらにいる人は、確か一ヶ島と二ヶ島に住んでいるんだよな?」
「はい。一ヶ島が〝カンダカラ〟、二ヶ島が〝セイタイ〟から来た人たちの滞在用の島です」
リクにトモハルが答えた。
「ただ、〝カンダカラ〟の第一世代……あの天災から流れ着いた人たちはもう亡くなられていますので、子孫の方々といった方が正しいですね。〝セイタイ〟の方は、外の世界のことを知ってもらおうと、皆さんがお聞きになったように巡塔者に講演を開いてくれているんです」
「一ヶ島や二ヶ島では、それぞれの国の料理が有名ですよ」
「他の国の料理……お菓子とかは食べたことあるけど、ぜひ、食べてみたいな」
トモハルにユウトが笑みを浮かべながら言うと、「あの」とタキが声を上げた。
「料理なら、この島でも食べられます……友達の家がそうで」
「そうなの? 何ていうお店?」
「〝ミサキ屋〟です」
「そういえば、ヒサキさんが言っていたような……」
「私も食べてみたいなぁ……ね。キキ」
「……う、うん!」
急に話を振られて、キキコはドキッ、としながらも頷いた。
「よかったら、どうですか?」
「行きたいけど……明日は無理よね?」
「ユー姉たちにも聞いてみないと……」
「なら、明後日か?」
「うん。そうだね」
リクにキキコは、コクコク、と頷いた。
「私も行きたい!」
「俺も俺も。みんなを誘っていこうぜ!」
「合わせて十人以上になるけど、大丈夫かな?」
ハルノやコウタもノリ気だ。ユウトは苦笑しながらタキ尋ねた。
「はい。大丈夫だと思いますが、確認して夕方にでも連絡します」
「ありがとう」
「そういえば、ハルノたちはもう遊覧船は乗ったの?」
昼食を終えて、水を飲みながらリンカは尋ねた。
「ううん。明日に乗る予定」
「中途半端な時に乗るのね」
「ホントはもっと早めに行きたかったんだけど、〝黄霧〟でダメだったの」
「それは……仕方ないわね」
肩をすくめるハルノにリンカは苦笑した。
「明日ってことは、俺たちと一緒か」
「お前たちも明日なのか?」
リクにコウタは小首を傾げた。
「俺たちは明日の十時の便だ」
「なんだ、俺たちもそうだよ」
「一緒にしたんじゃないかな?」
ユウトに「それもそうか」とコウタは頷いた。
「じゃあ、〝塔〟はいつ行くんだ? 一週間しかいないんだろ?」
「明後日だよ。その後にも一回だけ行くつもりだけど」
「でも、自分以外の〝塔〟も回るなんて物好きだな」
「会う人みんなに言われるよ……」
コウタにユウトは苦笑した。
「あーと……悪い」
「あ、ごめん。気にしているわけじゃないよ」
「そうか? なら、よかった」
「気持ちは分かるけどね……最近だと、〝全塔巡り〟をしたのはライヤさんたちぐらいだからね」
「ライヤさん?」
リクの兄を知らないトモハルとタキは小首を傾げた。
「リクのお兄さんなんだ」
「ムラカワ先輩のお兄さんも〝全塔巡り〟を?」
タキは目を丸くして尋ねた。
「ああ……」
「そ、そうなんですか……」
どこか遠い目をしている周りの様子――リク、リンカ、ハルノの三人――に、タキは少し引き気味に言った。
キキコたちの中で一番接点のなかったコウタは、にやり、と笑い、
「《傀儡師》としてはすごいんだぜ?」
「としては――って……」
リクはじと目を向けるが、否定はしなかった。
***
第三訓練場。
昨日と同じように練習着に着替え、準備運動を終えたキキコたちは第一コーナーに向かった。
メンバーはキキコたちのチーム六人にハルノとコウタ、フジモリ、そしてマキが加わった十人だ。
「見ても面白くないと思うよ?」
九人の期待の目にさらされて、ユウトはどこかげんなりとしながら言った。
「はいはい。わかったからさっさとやってよ」
「がんばれよー」
ヒラヒラとハルノが手を振り、気のない応援をするコウタ。
「そんなに落としたい?」
はぁ、と大きくため息をつき、ユウトは海上に浮かぶ円盤に目を向けた。
じっと揺れる円盤を見つめ、つま先で揺れを確かめるように円盤を踏むと、ふわり、と、その周囲を白い〝鶴〟が舞った。
「!」
キキコたちに緊張が走る。
ユウトは、一歩目は普通に足を円盤ボードに下ろした。僅かに身体が沈み、〝鶴〟が消えた瞬間、その姿が掻き消える。
―――パシャッ、パシャッ、パシャッ、
と。円盤が揺れる度にその上にユウトが現れるが、すぐに姿を消してしまう。
「えっ……あ」
白い光を纏い、沖の方へと駆けていく後姿をキキコは見つめた。
「……おいおい」
隣でコウタが呆れた声を出している。
ユウトは百メートルほど進んだところで桟橋に降り、歩いて帰ってきた。
「リクの[道]より、やりやすかった――かな?」
あっさりと〝島渡り〟を行ったユウトに唖然とするのはコウタとフジモリ、マキの三人で、他の者は呆れたようにユウトを見ていた。
「あっさりとするよな……」
「学年末の決勝戦は見たけど……ちょっとねぇ」
「………」
コウタとフジモリに対して、マキは目を丸くして絶句していた。
「次が本番だから」
「まだやるの?」
にこにこと笑うリンカにユウトは顔をしかめた。
「〝海走り〟が出来るかどうか見に来たんだから。円盤は前座よ、前座」
「そうそう!」
「………」
ハルノとリンカに目を細めるユウト。
「……ハルノちゃん、リンちゃん」
キキコは三人の間で目を泳がせた。
「やれば気も治まるだろ」
「……リク」
ニヤニヤと笑うリクにユウトはため息をつき、
「……早々に出来ないよ?」
「出来たら困るわ」
「あ。すみません……」
マキにじと目を向けられてユウトは苦笑した。
「ユリナ先輩といい……どういうことなの?」
「気にしたらダメよ。マキちゃん」
フジモリは苦笑しながらマキの肩を叩く。
「無理だって言ってるのに……」
「ユウト」
愚痴るユウトにユリナが声をかける。
「……わかったよ」
しぶしぶ頷いて海に向き直ると、ユウトは目を閉じた。
(……っ!)
ユウトの気の高まりに、ぞわっ、と両腕に鳥肌が立った。
リクやリンカたちも口を閉ざし、ユウトの一挙一動を見つめている。
「………」
目を開けたユウトは〝鶴〟を舞わせ、ふっとその姿が消えた。
円盤の上に現れると、とんっ、と円盤を蹴って沖の方へと身を傾ける。
ざざざっ、と足元で水しぶきを立てながら、何もない海上を駆けていく。
「――っ!」
キキコたちはその光景に息を呑んだ瞬間、唐突にユウトの身体は大きく前に倒れ――
―――どぼんっ、
と。水柱が上がった。
「ユウくんっ!」
「――ぷはっ」
水を飛ばしながら、ユウトが海中から顔を出した。
「ユウト。大丈夫かー?」
コウタに力なく手を振り、ユウトはこちらに泳いできた。桟橋に上がり、大きくため息をつく。
「お疲れ」
「………ほんとだよ」
にこやかに笑うリクに、ユウトは肩を落とした。
「やっぱり、ダメなのね……」
「うーん……行けると思ったんだけど」
「むしろ、私は安心したわ」
「……私も」
残念そうなリンカとハルノに対して、フジモリとマキはほっとしたように言った。
「だから嫌だったのに……」
目を逸らすユウトの頬が僅かに赤いのは、落ちたことに照れているのだろう。
キキコは近づいて「大丈夫?」と声をかけると、ユウトは「ありがと」と小さく笑った。
「じゃあ、もう普通に練習に――」
「ユウト、手を抜くな」
「え?」
ヒサキの言葉に全員が――ユリナとユウト以外が――驚きの声を上げた。
視線を集めながら、ヒサキはユウトを見つめたままだ。
「ど、どういうことですか?」
少し動揺した声でマキは尋ねた。
「〝序式〟だけは難しいが、他の〝術式〟を合わせたのならできるだろう?」
「!」
ヒサキとユリナ以外の全員が勢いよくユウトに振り返った。
「っ……」
「ユウトー?」
リンカに詰め寄られ、ユウトは目をそらした。
「いや……だって、結構練習しないと……」
「練習あるのみよ!」
「よし、何がいるんだ?」
「落ちるぐらい問題ないだろ!」
「マキ先輩は何持ってます?」
「え? えーと――」
リンカたちがワイワイと騒ぎながらケースを漁りだした。
「えっ……あっ――」
キキコは暴走するリンカたちを止めようとするが、声が出ない。
その輪を離れて見ているヒサキとユリナに駆け寄り、
「ヒ、ヒサキさんっ、ユリナさん!」
「大丈夫だ」
「楽しそうね」
「………」
落ち着け、と目で伝えてくるヒサキの隣で、ユリナはクスクスと笑っていた。
二人とも止める気はないようだ。
(ど、どうしよう……?)
「ちょっ――な、何でそんなにノリノリなの?!」
ユウトの叫びに、ぐるり、とリンカ、ハルノ、リク、コウタは振り返り、
「〝海走り〟が見たい!!」
四人の声がはもった。
ひくっ、とユウトの頬が引きつる。
「無理だって、無理無理!」
「ヒサキさんは出来るって言ってるぞ?」
「数時間で出来るわけがないだろ!」
「ちょっとでいいんだよ、ちょっとで」
「さっき、見たじゃないか!」
「あれはノーカンよ。ノーカン」
「え……っ?」
言い合う四年生組にマキはフジモリを見た。
「……いいんですか?」
「大丈夫よ。姉弟揃ってタフさが売りだから」
「やるわよ!」
「おぉー!」
リンカの号令で挙を振り上げるリク、コウタ、ハルノ。
「やるのは僕だよね?!」
ユウトは叫んだ。
その後、トモハルやタキも合流し、十一人が見守る中、ユウトは五メートルほどの〝海走り〟を成功させた。
***
「これを預かってきました」
珍しく書斎を訪れたかと思えば、差し出されたのは一通の手紙。
「ん?――悪いな」
礼を言って手紙を受け取ると、用はないと言わんばかりにさっさと部屋から出て行った。
(……全く。誰に似たのか)
中身に興味はないのか、それとも割り切っているのか――素っ気無い態度に口元に苦笑が浮かぶ。
連絡役として使う方も使う方か、と思いながら、便箋を取り出して目を通す。
「……?」
その内容に眉をひそめた。
(何故、あそこに……?)
しばらくの間、思案に暮れ、仲間に連絡を取るために立ち上がった。
***
それほど広くない部屋。左右の壁は本棚で埋まり、部屋の中央にある円卓の上には敷物のように置かれた海図に本が積まれて、紙が散らばっていた。
テーブルを挟んだ部屋の奥には一つのデスクが置かれていて、そこに四十代後半ほどの男が座っていた。
男の背後にある壁には、七つの〝島〟が描かれた海図が張ってある。手元の書類に視線を落としていた男は、ドアがノックされたので顔を上げた。
「――いいぞ」
仲間の一人が顔を覗かせ、
「〝影〟より連絡です。明日、予定通り出航するとのことです」
「わかった。全員に通達し各班長をここに呼べ、最終確認を行う」
「はいっ」
ドアが再び閉められ、部屋には男だけが残された。
「さて。久しぶりに始めるか」
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