(10)本当の始まり
夜の帷が降りる中、かなり離れた場所の屋上にある人影に目を向けていた。
『ありきたりの答えだったな……』
どこからか、自分と同じ声が荒い言葉を紡いだ。
「ああ。けど、だからこそ強い」
単純だからこそ芯は強い。目的を忘れ、力に呑まれることもない。
それがあの人の強みだ。
『聞いたのは気まぐれ……まぁ、あのガキのためか。あまり気を回しすぎると、バレるぞ?』
「………」
からかう声に無言を貫くと、別のことを突いてきた。
『あの兄ちゃん、いい勘していたけどな。……痛いところをついてくる』
ぴくり、と眉が動く。
『誇りか。―――お前とは正反対の奴だったな』
軽い口調だが、その声は真剣だった。
《傀儡師》の自分を誇りに思うか――問われれば否だ。
《傀儡師》としての自分に誇りを持ったことはない。
むしろ、未熟な自分を憎悪していた。溢れ出す力を受け止められない精成回路に苛立ち、太い精成回路を叩き伸ばして極細にし、緻密に形成した。
だが、まだ足りていない。
まだ、姉は認めてくれなかった。
〝黒刀〟を握る右手を眼前に掲げ、じっと見つめていると、
「ユウト、終ったの?」
聞きなれた声にレイ――ユウトは、自分自身にかけていた〝仮〟を解いた。
二十歳ぐらいの金髪の青年の姿が風に吹き流されるように消え、元の姿――黒髪の十五歳の少年の姿に戻る。服装だけは変わらず、黒く動きやすさ重視のものだ。
振り返った先には、姉と姉を護衛しているヒサキがいた。
「うん。……やっと始まった」
そう答えると、姉は煌々と光る青い瞳を細めた。
「身体の方は問題ないようね」
『ああ。問題なく、機能しているぜ』
「そう。よかったわ」
ゼロの声――ユウトと同じ声にユリナは笑みを返した。
ユリナが自ら差し出した力が、ゼロの呪いを封じていることに対しての笑みだ。
「………」
それに対して何も言えず、ユウトは姉から視線を逸らした。
全ての始まりは、三年前――もうすぐ四年が経つ――のことだ。
〝塔〟の庇護下にいる以上、誰しも《傀儡師》の可能性があった。
《護の一族》は術式に覚醒する前――物心がつく前から体術を叩き込み、覚醒を促すために内面を鍛えていた。
姉は五つの段階に分かれた訓練を最年少でクリアし、体術でさえ大人顔負けの実力を身につけて〝序式・始〟に覚醒した。〝術具〟を嫌い、〝式陣〟に特化した術者だった。
たった一年の訓練を重ねただけで、一切の穢れのない純白の〝式陣〟を操り、まるで雪が降っているかのように無数の小さな〝式陣〟を操るほどに力を伸ばした。
鋼のように鍛えながら繊細に作られた精成回路と、儚げながらも強い〝式陣〟を操る姉がユウトの自慢だった。
ユウトも訓練をしていたが、姉より秀でてはいなかった。ただ一つ〝天眼通〟だけが《一族》の中でも一、二を争うほど視えていたことを除けば――。
姉はいつしか〝神童〟と呼ばれるようになり、《一族》の期待が一心に向けられていたとしても、彼女が誇りだったユウトは苦に思わなかった。
だが、その全てがなくなった。
ユウト自身が壊したのだ。
いつもと変わらなかった日常。
その頃、姉は同じく早期に術式に覚醒したヒサキと一緒に、人けのない公園で〝式陣〟の練習をすることが日課となっていて、毎回、それを見学することがユウトの楽しみだった。
あの日も姉とヒサキの〝式陣〟の訓練を見物しながら、持ち歩いている紙を手に取った。
まだ覚醒もしていない精成回路で〝練気〟を紙に織り込んでも意味はないが、覚醒を促すことにもなる。それに、ただの折り紙も好きだった。
一番好きな〝鶴〟に折りながら〝練気〟とも言えない未熟な気を織り込んだ瞬間、ユウトは術式に覚醒し――そして、術式に喰われた。
ユウトが覚醒した術式は、二十三番目の術式――〝無式・零〟。
コカミ一族だけに受け継がれる呪われた術式。
全二十三種の術式の中でも数百年に一度しか現れず、覚醒すれば数年で命を落としてしまう最凶最悪の術者を喰らう術式だった。
〝無式〟の特性は二つ。
一つは他の二十二種の術式を自由自在に織れることで、もう一つは、その特性により、他の術式を相殺――無効化する力だ。
その強力な力は〝無式〟が持つ膨大な知識――〝零ノ式〟によるもので、術者はその力を受けきれず、身体を侵蝕されて若くして死に至っていった。
覚醒したユウトは、〝零ノ式〟に身体の三分の一を喰われ、昏倒した。
辛うじて覚えているのは、黒い何かが身体を覆ったことだけ。
気がつけば、全てが終っていた。
〝無式〟使いは、〝零ノ式〟を抑えながら未熟な精成回路を鍛えることが出来ず、徐々に〝零ノ式〟に呑まれて命を落とす。
そこで、コカミ一族は一計を図った。
それは〝無式〟使いと〝無の塔〟を〝龍脈〟を通じて繋げ、〝塔〟の庇護を得ることで〝零ノ式〟の膨大な知識を制御することだ。
その試みは成功し、〝塔〟が〝零ノ式〟の受け皿となることで術者が喰われるまでの時間は延びたが、決して最善の方法ではなかった。
〝零ノ式〟を解析しなければ〝無式〟使いは〝塔の覇者〟にはなれず、〝無の塔〟の庇護が大きくなっていくにつれて領域から出ることが難しくなり、《調整者》として〝塔〟の機能更新を行うのもままならなくなっていったからだ。
何より、〝核〟の機能更新が不完全なために〝無の塔〟の機能が低下し、術者は〝零ノ式〟を抑え切れずに覚醒から十数年で命を落としてしまうことに変わりはなかった。
それを承知の上で、祖父はユウトと〝無の塔〟を繋げようとした。
それが〝零ノ式〟に蝕まれる術者を救う――唯一、その命を少しでも長引かせることになる方法だからだ。
だが、姉はそれを良しとせずに別の手段をとった。
その結果、ユウトは〝序式・始〟の〝白刀〟と〝無式・零〟の〝黒刀〟の二種類の〝術具〟――つまり、二つの〝気〟を持つことになり、姉は力を失うことになった。
姉がとった方法は〝無の塔〟の力を使い、自らの術式――〝始〟の因子をユウトの未熟な精成回路の補強として与えることだ。
〝始〟の特性、その力の向きを変え、〝零ノ式〟が侵蝕する前の状態に戻すこと――抑えることに成功し、ユウトを守る壁として機能した。
ユウトが術式を使ってもなお、〝零ノ式〟に侵蝕されずに生きていられるのは、姉のおかけだった。
だが、術式の因子――核を失った姉は《傀儡師》としての力を失った。
〝神童〟と呼ばれた姉の将来を閉ざしたのは、ユウトだった。
「騒がしかったが……〝物見塔〟の件の奴らか?」
ヒサキは、ちらり、と〝塔〟の方へと目を向けた。
「はい。ウタカタさんたちが襲撃グループの捕縛に動いていたみたいで……ちょっと」
「鉢合わせたの?」
『トシアキという男に知られたな』
肩をすくめたユウトを無視して、ゼロがバラした。
ヒサキは眉を寄せた。
「……ユウト」
「ヤヒロ先輩が巻き込まれたので、つい」
「ヤヒロくん? ………何か、けしかけたの?」
いけしゃあしゃあと尋ねてくる姉にユウトはじと目を向けた。
ユウトにけしかけさせたのは、姉だ。
『自分ができねぇことを説教したからな』
「黙れ」
そう、と姉は特に気にした様子もなく流した。
「まだ、始まったばかりだから気を抜かないでね」
「……わかってる」
本来、本家の会議にて〝塔巡礼〟を行うのは二年後、六年時の〝塔の儀礼〟で行うことに決定していたが、ユウトは《調整者》として時期を早めることを提案した。
〝塔巡礼〟は〝無式〟使いの役目だが、その身に宿る呪いのために〝核〟の機能更新を充分に行えていなかった。
ユウトは近年の〝塔〟の機能状況とこれまでの不完全な機能更新による危険性を示唆し、そこに地下にいる父親からの報告も合わさって《一族》を説得することに成功した。
それは《調整者》としての義務からの提案だったが、ユウト個人のある目的も含んでいた。
ジュリは「実行可能だ」と言っていた。
術式の因子を抜き出された精成回路に、同じ因子ならば戻すことが出来ること――姉が失った術式を取り戻すことが出来る、と。
ユウトの目的は、姉に術式を取り戻させることだ。
姉の〝始〟で〝零ノ式〟が防がれている状況で、それを取り除けばどうなるかわかっている。
〝無式・零〟の〝塔〟の庇護を受ければ、今のこの身では町から出ることは叶わなくなるだろう。
だが、未熟な自分の失敗で、姉の〝始〟を奪った自分が許せなかった。
自分が過ちを犯したのなら、その代償は自分でとるべきだ。
ただ、姉がくれた時間は無駄には出来ない。未熟な精成回路を鍛え、術式の原形を解析して完璧な〝塔巡礼〟を行うことが、その覚悟に報いることだろう。
そして、《調整者》の役目を終えたら、姉に〝始〟を返すことだけを考えていた。
ユウトの力がまだ未熟で、姉が満足していなくても〝塔の儀礼〟で少しでも呪いを受け入れられる器をつけることが出来れば、姉も〝始〟を受け取ってくれる――例え、断られても戻す覚悟をしていた。
その決意がユウトをリクたちと旅をさせる最後の決め手になった。
残りわずかな時間と《調整者》としての役目を果たすための、最初で最後の旅。
「……あと、二十二」
ユウトは〝塔〟を見上げた。
まだ、旅は始まったばかりだ。
***
〝束の塔〟の町、出発の日。
巡塔者用の制服を着て、トランクを手にユウトは一階のロビーに向かった。
ロビーには同じく出発を控えた巡塔者や到着したばかりの生徒であふれ返っていた。
ソファーの一つにリンカ、キキコ、ユリナが腰を下ろし、傍にカラスミ学園の制服を着た二人の少年が立っていた。
「こんにちは」
「おう……」
あいさつをすると、ヤヒロとツトムは振り返った。二人の手には、それぞれ紙袋がある。
「……それは?」
「ああ。俺たちとウタ兄、トシ兄からの差し入れ」
リクにヤヒロは紙袋を掲げた。
「シズク亭のテイクアウトメニューだけどな」
「ありがとうございます!」
「昼は列車だろ? たぶん、そんなに匂いもしないと思う」
「すまないな……」
「いえ。あ、駅まで持って行きますんで」
ツトムがリクと先導として歩き出した。続くリンカのアイコンタクトに、ひくっ、とユウトは頬を引きつらせた。ヤヒロと並んで最後尾を歩いて、駅に向かう。
昨夜の一件。あの場にヤヒロがいた事情はわからないが、〝小塔〟で話したことが関係しているのは間違いないだろう。
(…………自分のことは棚に上げていたのは確かだし……気まずい……)
ずっしりとしたモノが、胃の底に落ちた。まだ間に合うと思い、口出ししてしまった。
あの場にいたことがヤヒロの覚悟を語っていて、ホウに理由を尋ねたのは、彼のためでもある。
「………昨日は―――た」
「えっ……?」
上手く聞き取れなかった。ヤヒロは顔を逸らし、
「昨日は、悪かった。その……色々と」
「………僕の方こそ、すみませんでした。生意気で……」
「まぁ、そうとも言えるな」
「うっ……」
がっくりと肩を落とすと、ヤヒロは可笑しそうに笑った。場を改めるように咳払いをして、
「実はトシ兄に弟子入りしたんだ」
「……フカミヤさんにですか?」
ヤヒロはウタカタとフカミヤに師事を仰いでいたはずだ。小首を傾げると、
「いや。……本格的に叩き込んでくれることになったんだ」
「!」
「前から師事はしていたんだけど、トシ兄は口出しすることは少なくってさ。……ほとんど、ウタ兄が教えてくれていたんだ。でも、これからはビシビシ教えてくれることになって」
苦笑しながらも、ヤヒロの目は決意で固まっていた。
フカミヤが叩き込むというのは、《護の一族》としての技術を指すのだろう。
「使えないと判断したら、すぐに切り捨てるって言われたけどな」
「………本気なんですね」
「ああ。仕事のことは、トシ兄、妥協しないから……」
ヤヒロは肩をすくめた。
「昨日、ちょっと色々とあって………ウタ兄を追いかけることにした」
「………」
「お前が言ってたこと、少しだけ分かった気がするよ。……ウタ兄は約束を破ってなかった。自分だけ、守ろうとしたんだ。それを知ることが出来たのは、あの人と――」
ヤヒロは立ち止まると、頭を下げた。
「お前のおかげだ。………ありがとう」
ユウトはぎょっとして身を引いた。
「ヤヒロ先輩っ………僕は、別に」
「どうなるかはわからねぇけど、やるだけのことはやってみようと思う」
顔を上げたヤヒロは、すっきりとした顔で笑った。
「がんばってください」
「ああ!」
巡塔者用の列車に乗り込み、窓越しにホームにいる二人と最後のあいさつを交わした。
「また、そっちにも遊びに行くよ」
「けっこう、近いしな」
「はい!」
「その時は町を案内しますね。……何もない町ですけど」
「頼むよ。それまでにはもう少し〝隠過〟が使えるようにがんばります」
「ああ。……だが、適度に休憩もな」
ヤヒロはヒサキに頷いて、ユウトに手を差し出した。
「その時は、手合わせを頼むぜ」
「……はい」
ぎゅっとヤヒロの手を握った。
発車のベルが鳴り、ヤヒロとツトムは後ろに下がる。
「気をつけてください!」
「また、連絡くれよ!」
列車が動き出し、二人が見えなくなるまで手を振った。
ユウトは、ふっと息を吐いて正面を見ると、リンカと目が合う。
「話せたの?」
「うん。まぁ……」
ユウトの表情から何かを感じたのか、満足そうにリンカは笑う。
「話せたって、何が?」
小首を傾げたキキコに目を向けると、
「ヤヒロ先輩に生意気言ったってウジウジしていたから、話せば、って言っておいたの」
「ば、ばらさないでよ!」
「そうなんだ?」
「いつものことだろ……」
肩をすくめるリクはため息をつき、ユリナとヒサキはガイドブックから顔も上げない。
「でも、仲直りはしたんだよね?」
「ケンカしたわけじゃないから、仲直りとは少し違うけど……」
ぽりぽり、と頬をかき、
「うん。すっきりした、かな」
「……よかったね」
キキコに頷いて、ユウトは窓の外へと目を向けた。遠ざかる〝コロッセオ〟を見ていると、
「ユウー? また、変なことするなら、高いところに行くわよ?」
ガイドブックを広げるリンカたちに振り返り、
「変なことって……訓練も大事だよ?」
「また、そんなこと言って……」
やれやれ、とリンカは呆れ、
「よし! 高いところに行くわよ」
「さすがに島には、あまりないって……」
「えっ? ……崖よ、崖っ」
「………立ち入り禁止じゃないかな?」
キキコに言われて固まったリンカから、ユウトはガイドブックを抜き取った。
「あっ。ちょっと!」
「〝結の諸島〟なら海だよ。霧が出ていないなら、泳げるし」
「………それも、そうね」
広げたページを見て、リンカは楽しそうに笑った。
ユウトはその笑顔を見て、今だけは楽しもうと思った。
第2章 束の塔/英雄と約束 ~終了~
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