(4)騒がしい昼食
〝塔〟を出たユウトたちはヤヒロとツトムと合流し、〝塔〟を右側において西に向かった。
時刻はお昼過ぎ。ヤヒロとツトムは午後の授業はゼミ活動なので、事前に申請をして遅れることは学園に承認されている。〝塔の儀礼〟中は、五年生は巡塔者の案内の役目を担えるようにと、多少の融通は利くようになっていた。
道の脇には等間隔にインテリア重視の街灯が並び、店先の街灯には意匠を凝らした看板がついている。
看板やその店先でウインドウショッピングを楽しみながら、ユウトたちは通りを進む。
「こっちです」
ツトムが指すのは商店街だ。左右には様々な店があり、雑然としたざわめきと活気に満ち溢れ、食欲をそそる香ばしい香りが漂っていた。頭上を覆うアーケードは曇りガラスになっていて、ぼやけた空と振り返れば〝塔〟のシルエットが見えた。
人が密集する商店街から路地に一つ入ったところに、目的の店があった。
〝コロッセオ〟内の建物は統一されていて代わり映えはないが、シズク亭と看板がある。
ヤヒロがドアを開けると、からん、とドアベルが鳴った。
「いらっしゃいませー」
香ばしく焼けたチーズやパンの香りが漂ってきた。
店内はテーブル席と奥にボックス席があり、半分ほど客で埋まっている。
「ヤヒロとツトムじゃない」
女性店員が気さくに二人に声をかけた。四十代ぐらいの女性で、栗色の髪を頭の上で一つにまとめ、少したれ目がちの赤い瞳が印象的だ。
「こんにちは。八人なんですけど奥のボックス席、あいてますか?」
「大丈夫よ。好きに座って。……キミ達は巡塔者かしら?」
「はい。そうです」
「ようこそ。〝束の塔〟へ――」
にっこり、と女性は笑って、奥を手のひらで指した。
「ゆっくりしていって。まけるからね」
「ありがとうございます」
壁際のボックス席に腰を下ろして、ヤヒロとツトムがメニューをテーブルに広げる。
「常連なんですか?」
ユウトが尋ねるとヤヒロは頷いた。
「ああ。よく訓練帰りに来るんだ」
「ランチなら、このセットがおススメだよ」
「パスタを選んで、ピザはおかわり自由なのね」
「はい。……三人前を二つ頼んで、パスタを四つにしましょうか? コレ、チーズの中で麺を混ぜるんですよ」
「これって、半月形のチーズの中で混ぜるんですよね? ヒサキさん。コレ、頼んでいいですか?」
「ああ。キキコはどれがいい?」
「えっ………えっと、トマトの……」
「………やっぱり、デザート付きか」
「甘いものは必須だろ。向こうで選べるんだ」
ヤヒロが指したのは、店内の中央にあるショーウインドウだ。その隣にはドリンクバーが併設されている。浮かない顔のリクにヤヒロが片眉を上げたので、
「リクは甘いのがちょっと……」
「甘党っぽい顔なのに?」
「……どんな顔ですか?」
「冗談だよ」
嫌そうな顔をするリクにヤヒロは苦笑した。
ユウトはショーウインドウにあるデザートに目を細めていると、近づいてくる男に気がついた。
二十代半ばぐらいの若い男で、ユウトと目が合うとボサボサの黒髪に手を突っ込んでかきむしった。
ユウトは顔は見たことがなかったが、一瞬誰かにその姿が重なった気がした。
「………あっ――」
ぽかん、とユウトは口を開けた。なんでココにいるのだろう。
「……どうした?」
ヤヒロは振り返って近づいてくる男に小首を傾げた。ツトムやリクたちも振り返り、すぐ近くで立ち止まった男を見上げる。ただ、ヒサキとユリナだけは驚いた様子はない。
「よぉ」と男は軽く右手をあげる。
「えっと……?」
ツトムは困惑したように男を見上げてユウトたち目を向けたが、知り合いがこの町には少ないことに気づいて、また男に視線を戻した。
ユウトは隣のユリナを盗み見て――微笑を口元に浮かべていることにため息をついた。
「来られたんですね……」
親しげなユリナに全員が振り返った。男はぴくり、と片眉を上げ、
「ああ。………せっかくの誘いだったからな」
「えっ……お知り合いなんですか?」
ユリナと男を交互に見やるヤヒロに、男はにっと意地の悪い笑みを見せる。
「なに言ってるんだ? ヤヒロ」
「えっ……なんで、俺のこと……?」
唖然とするヤヒロたちをよそに、男はイスを持ってきてテーブルの横――ユウトの斜め前に腰を下ろした。さっと店内を見渡したユリナが、
「お一人ですか?」
「ああ。君もわかるのか……」
「眼は別ですので」
黒い笑みを浮かべる二人に挟まれて、ユウトは頬を引きつらせた。
ヤヒロやリクたちは、未だに状況が理解できずに小首をかしげていた。
「すみません」と、ヒサキは平然と注文のために店員を呼んだ。
「はいはい。――いつのまに来てたの?」
「ご無沙汰してます」
「えっ……知り合いなんですか?」
驚いて店員を見るヤヒロたちに、彼女はため息をついた。
「なに言ってるの。………そうすると、気づいたのは三人だけ?」
ユウト、ユリナ、ヒサキと見て、そう言った。
「気づく……?」
小首をかしげたツトムに、さらり、とユリナが言った。
「その人はウタカタさんよ」
「!」
ぎょっとして、ヤヒロたちは身を引いた。
「ウ、ウタ兄……?」
「ウタさん?」
「……〝仮〟での変装、ですか?」
リクが恐る恐る尋ねた。
「ああ。トシに頼んで、ちょっとだけ抜けてきたんだ」
「……抜けてきたって」
「い、いいのかよ……?」
「あー……まぁ、三十分ぐらいだな」
「またそんなことして。……変装するにしても、金髪を黒髪は安直すぎない?」
店員の口ぶりではウタカタは時々変装をして店に来ているようだ。
「そうかな。結構、わかりにくいと思うけどな」
「注意しなさいよ?」
「分かってますよ」
はいはい、と男――ウタカタは軽く聞き流した。ふぅ、とこれ見よがしにため息をつく店員。
「……ご注文は?」
「このセットを――」
ヒサキが注文を述べる隣で、ヤヒロとツトムがマジマジとウタカタを視た。
「視すぎだ」
「う。……ごめん」
「で、でも、なんの用だよ。そんな格好までして」
「ヒサキくんにお前たちが〝隠過〟の練習をしていると聞いてさ。………久しぶりに視たら回路の形成率も上がっているし……ちょっと、〝練紙〟を視てみたいなぁと思って」
視線を逸らして、ウタカタは頬をかいた。ヤヒロたちは絶句し、固まってしまう。
「……ダメか?」
「あ………いや………その……」
「………」
ツトムは口を動かすものの、言葉にならない。ヤヒロは無言だ。
「珍しいね。最近はみていなかったのに」
「……忙しさにかまけてね」
店員の言葉に苦笑するウタカタは、どこか哀しげで緊張している気がした。
だが、ヤヒロとツトムがそんな彼の様子に気づいた様子はない。
「ヒサキくんが正確に二人の特長を言い当てたからな。………どんなものか気になったんだ」
「ヒサキさんが?」
全員の注目を浴びても、ヒサキは顔色一つ変えない。
「そうですか?」
「ああ。………それで、いいか?」
「……あ、うん」
「そういうことなら……」
ツトムに促されてヤヒロも〝練紙〟――淡い赤色の星だ――をホルスターから取り出してウタカタに渡した。店員はその手元を覗き込み、くすり、と笑った。
「RANK 4 ね。まだ、甘いけど」
「うっ……練習中なんです」
「ち、ちょっとはマシになったんですよ」
「あらそう?」
店員は、ちらり、とユウトに視線を向けてきた。
「君は〝隠過〟はできるわね?」
「えっ?……あ、はい」
確信した声に戸惑いつつも、ユウトは頷いた。
「どれぐらいまで出来る?」
「……織れる〝練紙〟なら」
「なるほど―――」
つと、その瞳が細められ、
(―――っ?!)
急激に高まった店員の〝気〟に反射しかけた身体を寸前で抑え込む。
店員の顔のすぐ横に灯ったオレンジ色の光が、紫色の閃光とともに消失したからだ。
「―――まぁまぁね」
その言葉は、店員がユウトに放とうとした〝式陣〟を同じく〝式陣〟で打ち落としたヒサキに対してのものだ。
「二人もがんばりなさいよ。……ごゆっくりどうぞ」
店員は何事もなかったかのように営業スマイルを浮かべて、仕事に戻っていった。
その背を見送るヤヒロとツトムは店員の行動に気づいていない。リクは背中を向けていて、リンカはウタカタに注目していたので、同じく気づいていなかった。
気づいたのはユウトの他にウタカタ、ヒサキ、ユリナ――そして、キキコだ。
人見知りのキキコはヤヒロたちといる時は、いつも以上に口数が少なく顔を俯かせているが、人見知りだからこそ周囲の人の気配――〝気〟の気配には敏感だ。
キキコは一瞬の攻防を目の当たりにして、店員の背に不安げな瞳を向けていた。
それにヒサキが安心させるように頷いたので、キキコはしぶしぶ視線を戻した。
「どうかな?」
少し緊張した声でツトムがウタカタに尋ねた。
「……ヒサキくんが言っていた通り、ツトムは構築が細かいが精錬度が少し低いな。反対にヤヒロは構築がいまひとつだが精錬度が高い」
「やっぱり……?」
「それは分かってるよ」
苦笑するツトムの隣で、ヤヒロはすねたようにそっぽを向いた。
「ツトムが〝練紙〟向きでヤヒロが〝式陣〟向きも?」
「うん。構築が細かいから、〝練紙〟で練習をすればRANKが上がりやすいって」
「俺は出力が高いから、多少、〝式陣〟の構築に手間取っても、感覚で覚えやすいらしいけど」
「そうだな。ツトムはRANKを下げて底上げをするのもいい手だ。……ヤヒロは〝式陣〟はどうなんだ?」
「……どうって?」
「〝式陣〟を主体とすることさ」
「は?」とヤヒロは目を点にした。
「なんだ、そこまでは考えてなかったのか……」
ピンとこないのか、ヤヒロは口を閉ざした。
「《傀儡師》で〝式陣〟使いは珍しくはないわよ?」
「それは、そうですけど……」
「〝第拾肆式・加〟なら、〝式陣〟の方が使い勝手はいいぞ。精錬度もまだまだ上がるからな。あとは細かさだけだ」
「でも、〝練紙〟は必要だろ?」
「ああ。でも、とっさのことなら――」
ウタカタは指先でテーブルに広がったままのメニューを弾くような仕草を見せた。指先で薄い水色の光がはじけ、メニューがひとりでに集まる。〝束〟の力だ。
「〝式陣〟が有効だ。〝域〟は高等技術だから、まだ使いこなせないだろう?」
「それは……そうだけど」
「〝練紙〟を使う時、いちいち触れるのが面倒だから〝式陣〟で〝気〟を注入して使うことも便利だぞ」
「………」
ポッ、とウタカタの左肩に薄い水色の光が灯った。指先を鳴らすとその光は掻き消える。
「〝隠過〟の訓練で〝式陣〟を使うんだ。試してみるのもいいさ」
頷いたヤヒロにウタカタは笑みを見せ、二人の〝練紙〟と伝票を持って立ち上がった。
「じゃ、そろそろ戻るよ。ココは俺が払うから、ゆっくりしていってくれ」
ユリナに目礼して、ウタカタは去っていく。
その背をヤヒロが真剣な眼差しで見送っていた。
***
昼食後、ユウトたちは学園に戻り、体育館横にある実技棟の一室にいた。
実技棟は三年生以上の生徒なら申請をすれば自由に使え、教室の二倍近い広さがある部屋には、他に二つのグループがいた。今日はカラスミ学園の生徒たちばかりだ。
ユウトは部屋の隅に設置されているテーブルの一つにツトム、リクと腰を下ろし、〝隠過〟の練習をしていた。
上級生に教えることに緊張するユウトとは違い、ツトムの方は気にした様子がない。すでに練習を重ねているためか、ツトムは少しのアドバイスで〝式陣〟のコツを掴んで構築に繊細さが増していく。
「ツトム先輩。一つ、聞きたいことがあるんですけど」
「………なにを?」
手の中にある〝風車〟の〝式陣〟に眉をひそめ、握り潰してからツトムは顔を上げた。
ユウトは部屋の中央付近で手合いをしているヤヒロに目を向けた。
ヤヒロは〝式陣〟の練習ではなくヒサキと組み手を始め、他のカラスミ学園の生徒――ヤヒロとツトムと同じゼミ生だ――も数人ほど入って、熱心に話している。
ユリナ、リンカ、キキコの三人は、少し離れた場所のテーブルで〝隠過〟の練習をしている。
どうやら二人はリクに対抗心を燃やしているようで、あまり一緒には練習をしない。初日でもユウトは三人に捕まり、リクはヒサキと二人で練習をしていた。
「僕、ヤヒロ先輩が怒ることをなにかしましたか……?」
昨日の練習や昼食の時にヤヒロと会話をしていると、距離を置かれているような気がしていた。
言葉の端々にどこか一線を引いている気がしたのだ。
ヤヒロに向けた視線を戻すと、彼もヤヒロを見ていた。
「………」
その無言が勘違いと思っていたユウトを確信させる。ツトムは視線をこちらに向け、
「君が悪いんじゃないよ。………ちょっと、すねているだけさ」
「え? どういうことですか?」
リクは眉をひそめる。「いや……」と困ったようにツトムは頬をかき、
「………ヤヒロはウタさんを兄のように慕っているんだ」
ツトムはヤヒロに目を向けた。
「ウタさんには、よく練習にも付き合ってもらっててさ。〝覇者〟になってからかな? ヤヒロもその忙しさは分かってたんだけど………でも、ちょっとケンカになって」
「……ケンカ?」
「原因は俺も知らないんだ。それから、二人はどこかぎこちなくなってな……」
やれやれ、とツトムはため息をついた。
「ただ、わざわざ忙しい仕事の合間に君に会いに来た、って言うから嫉妬したのかな」
「………僕に、ですか?」
「ケンカをするまでは、本当の兄弟みたいに仲が良かったんだ。気にはなるさ」
そこまで言うと、ツトムは「しまった」という顔をした。
「あー………気を悪くしないでくれ。あいつの問題なんだ」
申し訳なさそうに言うツトムに、ユウトは慌てて首を横に振った。
「気持ちはわかります。尊敬する人が誰かを気にかけるのは、僕もちょっとムッとしますから」
ツトムは驚いたように目を丸くしたが、にっこり、と笑った。
「………そうか。ありがとう」
「ヤヒロ先輩は、本当にウタカタさんを慕っているんですね」
「子どもっぽいのさ。感情がすぐ態度に出る」
「………ツトム先輩も、尊敬してますよね?」
虚をつかれたようにツトムは口を閉ざし、苦笑いを浮かべた。
「……まぁ、そうだな」




