(2)陽気な塔の覇者
〝束の塔〟の町を訪れて、三日目。
初日に到着し、昨日、カラスミ学園の施設案内を終えた巡塔者は思い思いに過ごしていた。
振り分けられた教室で課題に取り組む者、体育館や実技棟で授業見学をしている者、すでに混じって訓練を行う者もいる。
ユウトは教室の一つで、事前に学校から出された課題をこなしていた。
監視役でカラスミ学園の教員が一人、室内を回って手を挙げた生徒に教えている。生徒間でも相談しあいながら課題に取り組んでいるので、通常の授業とは少し変わった風景だった。
「――― !」
唐突に隣の教室から歓声が聞こえてきた。
「何だろ?」
ユウトは隣席のリクと顔を見合わせた。他の生徒たちも同じように顔を見合わせる。
ざわめく中で教室のドアが開き、一人の女性が顔をのぞかせた。
「先生、ちょっと……」
「はい。……すまないが、続けていてくれ」
監視役の教員が出て行くと、「どうしたんだろう?」と囁きあう生徒の声が大きくなる。
とんとん、と肩を叩かれて振り返ると、後ろに座るリンカが顔を寄せてきた。
「なにかあったのかな?」
「さぁ? ……歓声みたいだけど」
「なにか、話しているみたいだよ?」
「誰か来たとか?」
「……誰が?」
「うーん……」とリンカとキキコは小首を傾げた。
「戻ってきた」
リクの声で振り返ると、監督役の男性教員が入ってくるところだった。
不安げな声が消え、全員の視線が集まる。
「すまない。急遽、特別講師がみえた」
「特別講師、ですか?」
「ああ、もうすぐ来るだろう。少し待っていてくれ」
戸惑いながらも待っていると、突然拍手が聞こえてきた。教員は壇上から降りてドアに視線を向けたので、生徒全員の視線がドアに注がれた。
「こんにちは――」
現れたのは、まだ若い三十代ぐらいの男だった。金色の髪と同じ色の瞳が室内を見渡した。
男が入ってきた瞬間、ひしひしと周囲の気が集束していく気配にユウトは目を細めた。
男は壇上に立つと、静まり返った教室内を見渡し、
「俺はこの町の〝塔の覇者〟のウタカタだ。よろしく」
それが〝束の塔〟の〝塔の覇者〟――ホウ・ウタカタとの初の顔合わせだった。
〝塔の覇者〟の突然の来訪で午前中の授業は終り、ユウトたちは食堂に向かった。
「ビックリしたよね、あの人には」
「〝塔の覇者〟さんって、来るものなのかな?」
初めて会った〝塔の覇者〟に興奮が覚めやまないリンカとキキコ。
「この町の〝塔の覇者〟は、芸能人のような立ち位置だからな。……俺の時も来ていた」
「知ってたんですか?」
「言わないのが暗黙のルールだ」
眉をひそめたリクに、さらり、とヒサキは言った。
「………」
「芸能人……カリスマみたいな人なんですか?」
黙りこんだリクに代わって、小首を傾げたキキコにヒサキは頷いた。
「〝塔の覇者〟は周辺の環境の浄化・維持を担っているから発言力は強いだろう? 〝塔の覇者〟が市長を兼ねたり、宗教の教主のようだったり、独裁者的な町も少なくない」
ヒサキの説明は授業で教わったことなので、四年生全員が頷いた。
「だが、ここでは役所の一職員。あくまでも役職としての立場しかない。……確か、〝覇者〟になる前は有名なスポーツ選手だったはずだ」
へぇー、と感嘆の声を上げるリンカとリクに、ユリナは片眉を上げた。
「予習してないの?」
「え? ………えーと、まぁ、それなりにはしました」
「一通りは……」
ぎくりっ、と肩を震わせて、リンカとリクは答える。
「……ユ、ユウはあの人の精成回路って視えたの?」
「まさか。視えないよ」
「ふーん……」
疑わしげな目を向けられた。ユウトは耐え切れずに視線を逸らすと、近づいてくる二人の男子生徒が目に入った。二人ともカラスミ学園の生徒だ。
「すみません。一緒によろしいですか?」
二人のうち、橙色の髪の生徒が尋ねてきた。赤色の腕章――腕章の色はどの学園も共通だ――をつけているということは、ユウトよりも上級生の五年生だ。
「ああ。どうぞ」
ヒサキが頷いたので、二人分のスペースを作る。
「ありがとうございます」
二人は近くのイスを持ってきて腰を下ろし、さっとユウトたちを見渡した。
「俺はカラスミ学園五年のヤヒロで――」
「同じく五年のツトムです。急にすみません」
赤い髪の少年は頭を下げた。
「いや。俺はユキシノ学園六年のヒサキだ」
「ユキシノ……〝無の塔〟の?」
「ええ。私も六年のユリナで――」
「弟で四年のユウトです」
ユリナに視線を向けられ、ユウトは名乗った。ヤヒロとツトムは目を丸くした。
「弟……姉弟で旅を? 珍しいですね」
「そう? 愚弟だから心配なのよ」
ユウトは肩をすくめたユリナを睨むが、無視された。呆れるリクとリンカ、初対面のヤヒロとツトムに身体を固くしたキキコがそれぞれに名乗る。
「よろしく。……君は四年だったんだ?」
マジマジとヤヒロに目を向けられ、「はい……?」とユウトは首を傾げた。
「昨日、〝隠過〟の練習をしていただろ?」
「あ、はい」
「君も教えていたからさ。てっきり、六年かと思った」
「それは……まぁ、いろいろとありまして」
どう説明しようかと悩んでいると、ヒサキが助け舟を出してくれた。
「〝隠過〟のことで、何か?」
「あ。はい………ちょっと、コツを教えてほしくて」
頬をかきながらヤヒロが言った。その隣でツトムが苦笑いを浮かべる。
「その、〝隠過〟のRANK 4の練習をしているんですけど、なかなか……」
「教えることは構わないが……」
「本当ですかっ。ありがとうございます!」
ほっと二人は息を吐いた。ヤヒロはユウトに目を向け、
「えっと、ユウトくんは――」
「ユウトでいいですよ」
「じゃあ、遠慮なく………ユウトは〝隠過〟が出来るってことは、〝特待生〟なのか?」
「はい。僕たちは四人ともそうです」
「四人ともっ?!」
「俺たちのほかに六人いるんで、全員で十人です」
リクの言葉に二人は目を見開いた。
「十人……」
「〝無の塔〟の町って、レベル高いんだ……」
感嘆の声に、リクは苦笑いを浮かべた。
「いえ、たまたまですよ」
「カラスミは、今年は六人なんだよなぁ……」
「でも、六人もすごいと思いますけど……?」
「いやぁ……」とヤヒロはリンカに顔をしかめた。
「さすがに〝隠過〟を練習している奴はいないからなー……」
「教えていたのなら、ユウトは出来るんだ?」
「……はい。織れるRANKなら」
「おぉ……」
ユウトは照れくさくなり、声を上げた二人から視線を逸らした。
「僕は学園に入る前に覚醒したので、制御するためには鍛えるしかなかったんです」
「なるほどな……」
「早期覚醒者か。……そういえば、ウタ兄もそうだったな」
頷く二人にヒサキが尋ねた。
「二人もRANK 4の〝隠過〟を練習しているのなら、〝特待生〟なのか?」
「はい。そうです」
「先輩たちに教わっているんですけど、せっかくの機会なんで教えていただけないかと……」
「ああ。俺でできることなら」
「よろしくお願いします」
ヒサキにヤヒロとツトムは頭を下げた。
「話は変わるけど、誰が〝束〟を選定したんだ?」
「いえ。俺たちは誰も〝束〟を選定はしていません」
リクにヤヒロは首を傾げた。
「全員、選定した術式はバラバラなんだ。それぞれの〝塔〟を巡りながら、通り道の〝塔〟も見て行こうと思っている」
ぎょっとして二人はヒサキを見つめた。
「俺たちは自分とチームメイトの〝塔〟しか見ませんでしたよ……」
「じゃあ、そんなに長くはいないんですね」
「ああ。明日、明後日と〝塔〟をみて、四日後の朝には出発する」
「すると、一週間ですか? ……なら、けっこう〝塔〟を巡るんですね」
「そうなるな。さっそくで悪いが、昼からか明日はどうだ?」
「えっと………それじゃ、お昼からお願いしてもよろしいですか?」
「ああ。大丈夫だ」
「お礼に明日のお昼はおススメの店を紹介させてください」
「明日の午前中は〝塔〟に行くからちょうどいいが……」
ヒサキはユウトたちに問いかけるように視線を投げた。「ぜひ」と全員が頷いたのを確認して、
「……じゃあ、お願いしようか」
「はい!」
「任せてください!」
昼食を取りながら〝隠過〟について話し合っていると、ざわり、と食堂内がざわめいた。
食堂の入り口付近に人だかりができ、誰かを取り囲んでいる。
「……〝覇者〟の人?」
リンカが呆然と呟いた。
つい数十分ほど前、教室に乱入してきたこの町の〝塔の覇者〟――ホウ・ウタカタだ。
ウタカタは集まってきた生徒の声援に答え、握手やサインを書いている。周りには数人の教員と昨日、事情聴取をした警官――フカミヤがいた。
フカミヤがユウトたちに気づいて、ウタカタに声をかけた。ウタカタは顔を上げると人ごみを掻きわけて近づいてくる。
テーブルに座るメンバーを見渡し、ヤヒロとツトムに目を留めた。
「や。久しぶり」
「ウタ兄……」
明るいウタカタに対して、ヤヒロは表情を固くした。
ツトムはヤヒロに視線を投げてから、親しげに口を開いた。
「相変わらず、忙しそうだね」
「なにかとな」
「……こんなところで油を売っていていいのか?」
「授業ついでに会いたかった子がいたんだ」
ヤヒロに苦笑を返して、ウタカタはユウトに目を向けた。金色の瞳に青い光が灯る。
「君が一昨日、助けてくれた少年だよな? フカミヤから話を聞いたんだ」
「はい。ユウト・コカミです」
立ち上がってユウトは会釈をした。
「さっきも言ったけど、ホウ・ウタカタだ」
手を差し出され、ユウトは慌てて握り返した。
「せっかく来てくれたのに、すまなかった」
「いえ。そんなことは……」
「ウタさん。一昨日って……?」
「ああ。ちょっとな」
多くを語らないウタカタに、ヤヒロとツトムは眉を寄せた。
「……一昨日の事故に居合わせて、人助けの手伝いをしただけですよ」
ユウトに二人は目を見開いた。
「その時にフカミヤさんに事情聴取を受けて……」
「それが俺の仕事だ。……少しいいか?」
有無を言わせないフカミヤにユウトは小さく頷いた。
ウタカタとフカミヤに連れられ、ユウトは食堂の奥にあるボックス席に向かった。
「先日はあいさつもせず、失礼いたしました。サイコクより〝束の塔〟を預からせていただいてます、サイコク家補佐フカミヤの次子、トシアキ・フカミヤです。……お気づきかと思いますが、現在、護衛をつけさせていただいています」
突然、フカミヤは一礼し、形式ばった口調で言った。
その代わりようにユウトはぎょっとして身を引いた。
「け、敬語はいいですから!」
「……そうか。なら、普通に話そう」
フカミヤは表情を変えずに言った。からかわれたようだ。
ユウトが唖然としていると、
「真顔で冗談を言う奴なんだ。流してくれ」
くくっと喉の奥でウタカタが笑い、どこかむっとしたように眉を寄せてフカミヤは言葉を続けた。
「恥ずかしい話だが、現在、この町は厄介事が起きている」
「一昨日のテロですか?」
「そうだ。狙いはいくつか予想がつくが……確信がなかったから、念のために護衛をつけた」
《傀儡師》見習い――それも術式を選定したばかりの四年生が助けたとなれば、注目を集めるだろう。
「犯人からのアクションがない以上、護衛を続ければヘタに勘ぐられてしまう。今日で外すが気をつけてほしい」
はい、とフカミヤに頷き、ユウトはウタカタへ目を向けた。
「………それで、ウタカタさんが会いたかった、とおっしゃったのは?」
「ん? ……いや、本家と会うのは初めてだったからな」
じっと瞳を覗き込んでくるウタカタに、ユウトは内心でひやりとした。
「コイツの本家とは〝覇者〟になった時に顔合わせをしているが、他の本家のことは知らないんだ。あと、崩落した〝物見塔〟から落ちた人を助けるために飛び降りた、って聞いたらな」
「たいしたことでは………それに助けることができたので、鍛えられた意味がありました」
そうか、とウタカタは笑った。
「聞けば複数の術式を使ったらしいが……選定は〝序式〟?」
「はい。〝序式〟使いです」
「……〝練紙〟を見せてもらってもいいかな?」
〝練紙〟の確認は、《傀儡師》の技量を測るにはもっとも確実な方法だ。
「これは……RANK 7の〝隠過〟か」
〝鶴〟を渡すと、二人は眉をひそめた。少しして、ウタカタが顔を上げ、
「……明日、〝塔〟に来るんだろう?」
「はい。あと、明後日にも窺おうかと思っています」
「そうか。どれぐらい滞在予定なんだ?」
「一週間です。四日後には〝結の塔〟に近い港に出発しようかと」
「〝結の塔〟にも? ………まさか、けっこう巡る予定なのか?」
「はい。同時使用が特性の一つなので、原形を視ておくのも勉強になると思いまして……」
「俺はココだったからな。上半分ぐらいで止めたんだが……」
ホウはどこか感嘆したように目を瞬き、呟いた。
ユウトは苦笑を浮かべ、
「……自分の町とは違いますか?」
「……ん?」
「〝無の塔〟と首都しか知らないので……」
ユウトは小さく息を吐き、真っ直ぐにウタカタを見つめた。
「原形は違いますか?」
《護の一族》とは違う――〝塔の覇者〟の〝天眼通〟。
ウタカタの精成回路から感じる、溢れ出さんばかりに満ちている気の流れは、形成率の高さを語っている。
彼なら視えるだろう。
《護の一族》は守護する〝塔〟の領域から離れることはほとんどなく、他家が守る〝塔〟に入ることも稀だ。
《護の一族》以外に〝塔〟について聞いたことはほとんどないので、少し興味があった。
(……あの人たちには聞けなかったし)
〝序の塔〟の〝塔の覇者〟や《傀儡師》の知り合いには聞いたことはない。
ウタカタは少し驚いたように片眉を上げ、
「ああ。違うよ」
ユウトがウタカタたちとテーブルに戻ると、食堂にいる全員の注目を浴びた。
(……目立つなぁ)
ちらり、前を歩くウタカタとフカミヤを見やると、二人は平然としている。
身を小さくしながら、ユウトは席に戻った。
「あ。帰ってきた」
ツトムにウタカタが手を挙げた。
「食事中に悪かったな……」
「いえ……」
「何の用だったんだ?」
「仕事のことさ……」
ツトムに軽く答えて、ウタカタは改めてユウトたちを見た。
「そういえば、その校章はユキシノ学園だよな?」
「はい。そうですが、それがなにか?」
「いや……」とユリナに答えてヒサキに目を向けた。
「君らの上の学年に……確か二年ほど上に【白澤】っていなかったか?」
「!」
さっと顔を強張らせたリクとリンカを見て、ウタカタは笑った。
「知ってるか。……それじゃあ、君は四年の時にも来ていたよな?」
「はい。……【白澤】は私の案内役でした」
「やっぱり。さっき、そうじゃないかと思ったんだ」
「……失礼ですが、どうして【白澤】の名を?」
嫌な予感がしたのか、恐る恐るリクが尋ねた。四年前のユキシノ学園の〝特待生〟――〝三王〟の一角を担っていた【白澤】は、あくまでも学園内の呼び名だ。
ウタカタが知っている理由――その予想はつくが、当たってほしくないものだ。
「アレは二年前だから、俺が〝覇者〟になって一年そこそこの頃か。一本勝負をしたんだ」
「えっ?」
「〝塔〟に挑戦でもない勝負は、久々だったな」
「〝覇者〟に勝負……」
頬を引きつらせたリクとリンカに、ウタカタは苦笑した。
「同じ学校だったんなら、知り合いか」
「知り合いといいますか……」
リンカは言葉を濁してリクを見た。ユウトたちの視線を集めた先でリクは肩を落とし、
「……すみません。兄です」
「兄? 君は【白澤】の弟くんかっ?」
ウタカタは目を丸くした。フカミヤもその名を知っているのか、わずかに目を細めた。
「はい。……すみませんでした。破天荒といいますか……常識知らずな兄で」
「いや、楽しかったよ。………とても学生とは思えない技量だった。今は大学生かな?」
「はい。相変わらず、やっていると思います」
「そうか。また会いたいな……」
楽しそうにウタカタは笑う。
ぴりりっ、とフカミヤから携帯の音が聞こえた。携帯を取り出して二言、三言会話をして、
「……ホウ。仕事だ」
「ああ。じゃあ、明日、〝塔〟で会おう」
ウタカタはツトムとヤヒロに目を向けて、
「二人もまたな」
嵐のように現れて去っていくウタカタとフカミヤの背中を見送っていると、
「……すごかったね」
ポツリと呟いたキキコの言葉が、テーブルにいる全員の心の声を代弁していた。




