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黒白の折り鶴  作者: 奥生由緒
第1章 帰郷
10/26

(9)コカミ家の問題児

 〝塔〟がある西側との間には、北から南へと川が流れていた。

 その川沿いの土手に一人の少年が腰を下ろしていた。後ろに手を伸ばして身体を支え、真っ直ぐに〝塔〟を見上げている。

 ぼぉっとした顔は日向ぼっこをしているようだが、三月に入ったばかりではまだ肌寒い。


「――……」


 何かに気づいて、少年は後ろを振り仰いだ。

 川沿いの道に三人の男女の姿があった。二十代半ばの男が二人と女性が一人、身体を小刻みに左右に揺らし、虚ろな瞳が少年を見下ろしていた。口はだらしなく半開きだ。


「――何か御用ですか?」


 軽い口調の少年に、虚ろな瞳にわずかに警戒の色が浮かぶ。

 少年は立ち上がると土手を上り、三人の男女と向き合った。


「……何だ? お前は」


 三人の声で同じ言葉が紡がれ、少年はわずかに眉をひそめた。


「初対面でヒドイですね」

「警察の犬か? わざわざ姿を変え、油断をつくつもりだったのか?」

「……?」


 そこで、少年は彼らが――彼らを操る誰かが勘違いをしていることに気づいたが、わざわざ訂正する気はなかった。


「そのようなものです」


 少年は肩をすくめ、


「その方たちを解放してください」

「――馬鹿が。聞くと思うか?」

「……ですよね」


 一つ頷き、――その姿が掻き消えた。


「!」


 術者の動揺か、彼らの動きが止まった。

 少年はその隙を見逃さず、一瞬で男たちの背後へと回り込んだ。紫色の紙片が刺さった白銀に輝く[何か]を女性の首元に当てた。

 すぅっ、と吸い込まれるように消え、


「――ぁ……」


小さなうめき声を上げ、女性は糸が切れた操り人形のように地面に倒れた。


「!」


 女性が倒れたことで、残りの二人が少年に気づいた。

 顔だけ振り返った彼らが視界の端にとらえたのは、白い輝きを纏う緑色の〝練紙(紙ヒコウキ)〟と白い〝練紙()〟を従えた少年だ。〝練紙(紙ヒコウキ)〟が消えると、意識を失ったはずの女性が何かに乗ったように少年の背後へと流れていく。〝練紙()〟が粒子となって少年の両手に集まった。

 男たちの胸元に向かって白銀の閃光が放たれる。

 ここまでが女性が倒れて数秒ほど。

 うめき声と何かが弾かれた音は同時だ。右側の男がどさり、と地面に倒れ、左側の男は振り上げた〝棍棒〟によって少年の一撃を防いでいた。


(防がれた?)


 一撃が防がれたのは、偶然だろう。少年は〝練紙(紙ヒコウキ)〟を放ち、坂の下にずり落ちかけた男を女性と同じように背後に逃がす。

 男は〝棍棒〟を回し、少年の額を狙った。少年の周囲を漂っていた〝練紙(紙ヒコウキ)〟が消える。


「っ!」


 男の一撃は虚空を凪いだ。その頭上、少年は緑色の[道]に乗り、身をかがめていた。手には長さ数十センチほどの白銀の[針]。

 少年に気づいた男が上を振り仰げば、無防備な鎖骨に[針]が突き刺さった。




         ***




 通報を受けてムツキが班員たちと一緒に川沿いに駆けつけると、そこには一人の少年と倒れる数人の男女がいた。


「コカミ!」


 ムツキが車から飛び降りて名を呼べば、少年――ユウトは笑みを向けてきた。


「アズサガワさん。お疲れ様です」

「お疲れ様、じゃねぇ!」


 駆け寄った勢いのまま、ムツキはその頭をはたいた。


「っ! な、何するんですか!」


 ユウトは両手で叩かれた頭を押さえ、涙目で睨んできた。


「何やっているだ! 休みだろっ、ガキは遊んでいろ!」


 怒鳴りつけると、ぽかん、とユウトは口を開ける。侵入者を捕まえて怒られるとは思ってもいなかったようだ。


「えっ……で、でも、この人たち」

「あぁ?」

「……何でもありません」


 ぎろり、と睨みつけると、ユウトは首を縮めて口を閉ざした。


「班長。怒りすぎですよ」


 赤い髪の女性が「よしよし」とユウトの頭をなでる。


「ウエハラさん。それは止めてください」

「はいはい」


 コロコロと笑い、ミスズ・ウエハラは手を引っ込めた。第一班所属――ムツキの部下で、班での紅一点だ。


「班長が怒るのも無理ないなぁ。三回目だとさ」


 呆れながらユウトの頭を小突くのはリョウタ・エザキで、班内ではユウトの次に若い。ユウトが入ってきてからというもの、だいぶ口調が砕けてきた。


「だが、坊主、これはどういうことだ?」


 担架に乗せられて救急車に運ばれていく男女を見ていたノブナリ・マツシゲは、ユウトに振り返ると訝しげに眉をひそめた。

 彼は班内では一番の年長者で、班長のムツキよりも一回り近くは年上だ。年下のムツキの下につくことは承知しているのか嫌な顔もせず、ご意見番のような立ち位置をとっていた。

 この班でムツキより年下なのは、エザキと手伝いのユウトだけだ。


「確か、君からの通報では別の場所の報告もあったよね?」


 片眉を上げてユウトを見るのは、ヨシタロウ・カジ。どこか呆れた様子だ。

 ウエハラ、エザキ、マツシゲ、カジ、そしてユウトを加えた五人がムツキの班員(部下)だ。

 ユウトから「町の中に複数――十数人近い侵入者がいる」と通報があったのは十数分ほど前のことだ。他の班も出動して、身柄確保に当たっている。

 川沿いにはムツキたち第一班の他にもう一班が来ていた。


「あ、はい。〝仮〟で操られているようだったので」

「それは聞いているわ。あいつら(・・・・)がいるはずだけど、何であなたが相手をしたの?」


 ウエハラの問いにユウトは〝塔〟を指し、


「向こうの森にもいたので、そっちに向かいました。僕はたまたま帰り道だったので」

「まだいるのか……」


 やれやれ、とカジが肩をすくめる。


「……厄介だな」

「はい。町の方は囮だと思いますけど……」

「気絶させただけなら、病院で犯人の〝気〟を破壊する必要があるか……」


 ムツキは救急隊員に伝えようと振り返り、


「大丈夫です。破壊しましたから」


ユウトの言葉に動きを止めた。ギチギチと軋む首を動かしてユウトを見る。


「何、だと?」

「精成回路に埋め込まれていた[核]は破壊してあります。影響下で行ったために反動で気絶してしまったんです」

「……どうやってしたんだ?」

「破壊というか……ヒサキさんの〝(おわり)〟で消しただけですが……?」


 ひくっ、とムツキは頬を引きつらせた。

 その周りでは呆れた顔をしたり、肩をすくめたりと班員たちがそれぞれに反応している。

 そんな彼らを見て、ユウトは小首を傾げた。


「それは……撃ち込んだということだな?」

「はい。そうですけど?」

「っ!」


 ムツキは反射的に叫びそうになり、寸前で思いとどまる。ひくひくと頬を引きつらせながら、


「マツシゲさんは他の班の状況確認、カジはこの件を報告してくれ。ウエハラとエザキは――」


 親指でユウトを指す。


「確保だ」

「了解!」


 ユウトは両側からウエムラとエザキに腕を掴まれた。


「え?」






 警察署内。班に振り当てられた部屋にムツキはユウトを連れ込んだ。

 ほどなくしてマツシゲとカジも戻り、犯人に操られていた被害者は全員を保護し、病院で検査を受けていると報告を受けた。

 ただ、未だに犯人逮捕には至っていないが、それもすぐに捕まるだろう。ユウトが犯人の〝気〟の欠片を手に入れていたので、それを使えば犯人の足はすぐにつく。

 事件が収束に向かいつつあることに一息つき、班員全員でユウトを囲んだ。


「あの……何か?」

「何か、じゃない!」


 恐る恐る尋ねてきたユウトに怒鳴ると、びくりっ、とユウトは肩を震わせた。


「さっき、精成回路にある犯人の[核]を消したと言ったな?〝式陣〟を使ったんだな?」


 犯人は、被害者の精成回路に直接〝仮〟を撃ち込んで催眠状態にして意識を奪い、自分の思う通りに町を徘徊させた。彼らは止めに入った警察に攻撃をしかけてきたが、操った人数が多くて操りきれなかったのか、攻撃は単調であっさりと捕まえることが出来た。

 だが、一度に約二十人をも操ることが出来るのは並みの使い手ではないということだ。


「はぁ……?」

「それは同じ箇所に撃ち込まなければ消えないよな?」

「そうですね」

「………」


 ムツキはあっさりと頷くユウトに黙りこんだ。マツシゲはそれを見てため息をつく。


「つまり、坊主は〝気〟を見分けられて、撃ち込めるってことだな?」

「はい。……知り合いが〝式陣〟を使って、よく精成回路に刺していたので」

「どんな知り合いだ!」


 思わず、ムツキはユウトの頭をはたいた。


「……ちょっと、班長の性格変わってない?」

「いや、アレが素じゃないか?」

「俺に対してはあんな感じですよ」


 こそこそと話す三人をひと睨みして黙らせ、ムツキはユウトを見下ろした。

 頭をさすりながら見上げてくるユウトに大きく息を吐き、怒りを抑える。


「コカミ。お前なら精成回路に〝式陣〟を撃ち込む危険性は分かっていると思う」


 見習いで精成回路に〝式陣〟を撃ち込める異常さは、この際おいておこう。ユウトの《傀儡師(パペット)》としての能力の高さは、ここ二ヶ月ほどの付き合いで身にしみて分かってきた。

 そして、〝式陣〟での[核]破壊が操られている者を傷つけずに倒す最善の方法だ。

 だが、一つだけ問題がある。


「ただ、まだ犯人は捕まっていない。この意味が分かるな?」

「はい。分かっています」


 ユウトは頭から手を退けると頷いた。

 班員たちから緊張した気配が漂う。

 聡い子だ。だからこそ、扱いにくい。


(コレだ……)


 ムツキはユウトを見下ろし、眉をひそめた。

 コレが部長が言っていたことだろう。

 その行動は一見は向こう見ずに思えても、全て打算した上で行動している。

 それが悪ガキ共との違いだ。


(………あいつらより、タチが悪いな)


 あいつらは全てを自分たちでやり遂げようとしていた。

 だが、ユウトは違う。

 ある事を守り通そうとして、それをやり遂げるまでは止まらない。守ろうとするのは町であり、家族であり、友達。

 そして、巻き込まれるのはムツキたちだ。それは信頼してくれているのだと分かる。だからこそ、巻き込むことに容赦はしない。

 ユウトの実力なら、彼らと接触した時点で逃げることも可能だったはず。あえて自分で捕らえたのは、そうすることで犯人の意識を自分自身に向けて短期終結を狙ったからだ。

 〝仮〟で波状攻撃をしかけられれば、被害者も増えて町が混乱に陥る。ユウトが最も避けたいのはそこだ。

 〝覇者〟になるには、〝塔〟が宿す術式と同じでなければならないのでそちら(・・・)の心配はないが、《護の一族》にとって〝塔〟による町への被害は看過できない。

 だからこそ、あえて目立つことで犯人の足をつくようにしたのだろう。


「なら、犯人を捕まえるまでは保護する。いいな?」


 はい、とユウトは素直に頷くが、


「……ただ、一つだけ気になることがあります」

「気になること?」

「何だ?」

「それは……捕まらないことにはなんとも」


 ウエハラとマツシゲにユウトは言葉を濁した。その様子から、おおよその見当はついているのだとは思う。ただ、ムツキたちに説明して納得させる材料がない。

 変なところで遠慮が出る奴だ。


「いい。話してみろ」

「え?」


 ユウトは目を瞬かせた。


「俺たちが同僚(・・)のことを信じないとでも思っているのか?」

「……アズサガワさん」

「それに判断は俺たちがする。だから話せ」


 ユウトは迷ったように目を泳がせたが、


「分かりました。これはただの違和感なんですが―――」


 ユウトの説明を聞いて、ムツキは眉をひそめた。


「犯人……いや、お前が採取した〝気〟で見つけた奴を調べれば分かるのか?」

「はい。分かります」

「けど、それって無理があるんじゃ……」

「そうですよ。〝覇者〟がいないココだと」


 ウエハラとエザキが疑問の声を上げた。マツシゲとカジも難しい顔をして黙り込んでいる。

 ムツキもウエハラたちの意見に賛成だった。

 〝覇者〟がいないこの町では、ユウトの提案――広範囲の捜索には無理がある。


「……何か手はあるのか?」

「はい――」


 ユウトは悪戯を思いついた子どものように笑った。




         ***




(……何だ? あいつは)


 〝白い刀〟の〝術具〟を操る一人の《傀儡師(パペット)》。

 まだ十五、六歳ぐらいの子どもなら、《傀儡師(パペット)》見習いだ。

 だが、精成回路の形成率は見習いレベルを超えていた。警察が〝仮〟で子どもの姿をとっているのかとも疑ったが、使用した術式は〝仮〟ではない。〝仮〟を選定した身としてもその匂い(・・・・)は感じなかった。


(見たまま……学生なのか?)


 〝特待生〟制度があるとはいえ、精成回路に撃ち込んでいた[核]を破壊される技量があるかと考えれば、否だ。例えプロ並みの形成率を得ていたとしても、その技量はない。


(あれが噂の……?)


 《護の一族》の本家の帰還。

 その噂を聞きつけて探りに来たのだが、当たりを引いた、ということだ。《護の一族》を知らない者はいないが、個々の一族名までは有名ではない。下調べをしたかぎりでは、子どもが二人いたはずだ。

 複数の〝術式〟を同時に操えるほどの技量と〝術具〟を扱えるという事実。

 これが熟練した《傀儡師(パペット)》なら、なんら不思議はないが、相手はまだ見習いともなれば《護の一族》の可能性はゼロではないだろう。


(……子供とはいえ、甘く見れば危ないな)


 それならば、手は一つだ。意識をそちらに向けて、



―――ぞわりっ、



と。悪寒が走った。


「っ!」


 本能が警鐘を鳴らし、反射的に身体が動く。手に〝練気〟を集め、右腕を振り上げた。

 一瞬で出現した細長い〝棍棒〟を背後に放つ。

 


―――バチンッ、



 と。〝棍棒〟が何かに弾かれ、足元に戻ってきた。それを蹴り上げて手に収める。弾かれたのは予想外だったが、その数秒のうちに完全に意識を戻し、日が傾いて薄暗くなった森の中に目を凝らした。

 少し離れた木の下に一人の男が立っていた。三十代半ばの男で、三白眼気味の目でこちらを見つめている。町の警察だろう。意識を飛ばしていたとはいえ、ここまで近づかせたのは失態だ。


「………女か」


 ぽつり、と気だるげな声が聞こえた。

 どこかやる気のない男の様子に眉をひそめ、周囲の気配を窺う。


「ああ、他にはいない。俺だけだ」


 あっさりと男は一人だと告げるが、それを真に受ける馬鹿はいないだろう。


「まぁ、視ている奴はいるけどな」


 皮肉げに笑みを浮かべる。


「人使いが荒い……」

「アレだけでは足りないの?」


 男の独白を無視して、微笑を向ける。

 相棒は捕まったはずだ。なかなか利用できたが、致し方ない。この情報に対しては安い代償だろう。

 男は片眉を上げ、


「いや、尋ねてくるまでもないだろ」

「……そうね」


 〝棍棒〟を回し、背後に跳んだ。相手にする気は毛頭なく、この情報を持ち帰ることが先決だが、どうやら一筋縄ではいかないようだ。

 〝練紙〟で自分の幻影――[影武者]を周囲に放ち、四方八方へ散らした。半数は男へ、残り半数は逃げるように動かす。自分は逃げるように見せかけて、回り込むように男に近づいた。


「甘いな――」


 その声は背後から聞こえた。睨んでいた男の姿が霞んで消える。


(騙されたっ?!)


 背筋に悪寒が走った。

 後ろを振り返れば、数メートルほど離れた場所に佇んだ男が一人、目に入った。その手には薄い茶色に輝く細身の刃を持つ〝剣〟が握られている。


「―――このっ……!」


 小さく毒づき、牽制するために〝式陣〟を放つ。

 だが、男は気だるげな雰囲気を纏ったまま、あっさりと〝式陣〟を避け、間合いを詰めてきた。時折、攻撃に[幻影]を混ぜ合わせているが、薄茶色の〝剣〟は後ろへ流したまま一度も使っていない。

 その余裕に奥歯を噛みしめ、〝加〟で加速してこちらから距離を縮めた。

 ぴくり、と男は眉を動かす。

 〝棍棒〟を振るい、身を回して連続で攻撃するも男は苦もなく捌いていく。


(この〝天眼通(ルガルデ)〟っ! まさかコイツがココを?)


 その上、周囲に張った結界は破られていない。状況は不利だ。

 内心で舌打ちして〝仮〟を纏った。

 〝黒子〟――二重に身体がブレ、視界が二つに分かれる。


「……!」


 初めて、男から気だるげな気配が消えた。

 男を左右――それぞれ別の角度から睨み、踏み込む。腰をひねり、上段と下段、挟むように〝棍棒〟を振った。

 わずかに男は身を沈める。

 ガギィンッ、と〝剣〟の腹が〝棍棒〟を受け止めた。


「っ!」


 〝黒子〟は効力を失って姿を消した。

 見破れず、完全だと自負する分身――〝黒子〟があっさりと見破られ、動きが鈍った。

 その隙を男は見逃さず、〝棍棒〟を押し返してきた。

 ぎりっ、と噛みしめた奥歯が鳴る。押された勢いのままに〝棍棒〟を回し、その頭に振り下ろした。

その軌道は十数にも分かれ、男を押しつぶそうとする。

 だが、男は動揺の一つも見せずに目を細めるだけだ。一瞬、その手元が白く光り、その額に〝棍棒〟が打ち込まれるよりも早く、男の手が動く。下段から〝剣〟が振り上げられた。



―――ひらり、



と。視界を紫色の何かが通り過ぎた。


「え?」


 ソレが〝棍棒〟のに触れた途端に、〝棍棒〟が弾けて消えた。

 強制的に〝棍棒〟の〝練気〟が発散させられたのだ・・・・・・・・・


(消し―――止められた?)


 唖然として目を見開く下で、男が〝剣〟を振るった。


「―――終わりだ」


 そこで意識が途絶えた。






 男は〝剣〟を握る手に手ごたえを感じながら、女の横を通り過ぎた。どさり、と背後で女が倒れる。

 振り仰げば、術者が気絶したことで周囲に張られていた結界も消えていくところだった。


「やれやれ……」


 大きく息を吐き、男は倒れた女に目を向けた。

 薄い赤髪をショートカットにした三十代過ぎぐらいの女――今回の騒ぎの黒幕だ。

 さすがに二人に分裂したときは肝を冷やした。


(……なんて女だ)


 二十人以上の被害者を出した騒ぎの犯人として捕まった男が別の術者に操られていると分かり、その黒幕探しにかりだされた。

 黒幕――倒した女は気づかれていないと思っていたのか、町からそれほど離れていない場所で結界を張って町を監視していたのには驚いたが。

 男はポケットから携帯を取り出し、電話をかけた。呼び出し音が数回鳴り、


『もしもし?』


 若い声が出た。最近、聞きなれた声だ。


「終わったぞ。後輩らに伝えてくれ」

『すみません。ありがとうございました』

「俺をアゴで使うとは、いい度胸じゃないか?」

『信頼しているんですよ。先生・・の他に頼れる人がいないので』


 苦笑まじりに言われ、ふんっ、と鼻を鳴らす。


「いい迷惑だ……」

『頼りがいがあり過ぎるんですよ』

「おだてても何もでないぞ?」

『手伝ってくれた御礼です』

「………」


 世辞かっ、と思ったが、口には出さなかった。教え子相手に怒るのも大人げない。


「後片付けはしないからな」

『はい。本当にありがとうございました。助かりました』

「……さっさと《一族》のことを話したらどうだ?」


 つい愚痴を漏らしてしまった。

 一瞬、奇妙な間が生まれた。


『……無理ですよ』


 感情のない声に、ぞわり、と背筋が震えた。知らずと携帯を握る手に力がこもる。


「……分かってる」


 少し当たりすぎたか、と内心で舌打ちした。職場でもないので、素で話してしまった。


「今度からは先輩たち・・・・を呼んでくれ」

『そっちの方が問題になりますから無理です』


 呆れた声を無視して、男は通話を切った。




         ***




「ただいまー」

「おかえり」


 キッチンで夕食の準備をしていたユリナはリビングに入ってきたユウトに目を向けた。

 時刻は十八時過ぎ。ふらり、と出かけたわりには遅い帰宅だ。


「あー……お腹すいた」

「手は洗って」

「はいはい」


 ユウトはキッチンで手早く手を洗うと、リビングのイスに座った。母親は今日は遅くなると言っていたので、夕食は二人だけだ。

 ユリナとユウトは「いただきます」と手を合わせた。

 しばらくの間、黙々と食事を進め、


「それにしても遅かったわね」

「うん。一騒動あって」


 〝仮〟で他者を操り、情報収集を行おうとした者がいたらしい。


「ふぅん……犯人は?」

「捕まえたよ。最初に捕まえた人も暗示みたいなのにかかっていて、真犯人を探すのに苦労したんだ」


 「――で、この時間になって」とユウトは締めくくった。


「……あなたが?」

「ううん。アズサガワさんに捕まってたから頼んだ」

「へぇ? 誰に?」

「先生」


 あっさりと大人を使ったというユウト。

 それにはさすがにユリナも口を閉ざした。

 事件に首をつっこむことは〝序の塔(首都)〟でも度々あったことだ。〝無の塔〟では感度が違う・・・・・ので、無理もないだろう。

 ただ、おおっぴらには動けなので「それなら任せよう」と考えたのだと予想がつくが、彼らはもう違うのだ・・・・・。その役目は解任されている。


「………怒られるわよ?」

「もう遅いよ」


 ユウトは肩をすくめた。

 それほど気にした様子がないのは、彼らとは幼い頃からの知り合いなのでアズサガワたちよりは気の置けない仲だからだろう。何より、その実力を知っている。


(手伝ったってことは、あの人も了承したってことだけど……)


 彼ら――元〝陽炎(カゲロウ)〟のメンバー。

 三年前の一件で、当時のメンバーはその責任を問われて全員がその任を解雇された。世間では警察から選ばれていることになっているが、重視されるのは《傀儡師(パペット)》の実力だけだ。一般からもメンバーに誘われることも多い。

 解雇されても、さすがに〝塔〟や《護の一族》のことを知りすぎているので町を出ることは許されず、一般人として町で暮らしていた。本来、彼らの素性を知るのは《護の一族》と行政の上層部のみ。警察でもメンバーが変わったことを知る者はごく一部しかいない。

 アズサガワたちも元〝陽炎(カゲロウ)〟メンバーとはいえ、今はただの一般人が捕まえたとは思ってもいないだろう。


(でも、その理由って――)


 弟に目を向けると、「何?」と小首を傾げてきた。

 ユリナは内心でため息をつき、


「成績、落ちても知らないから」


 じと目を向けると、ユウトは目を逸らした。


「仕事に公私混合はマズイって」

「……どの口が言うのかしら?」


 相変わらず、問題児には変わりないようだ。

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