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5-10 ウーダベー

「じゃあ、私はこれを片付けて、ちょっとやることがあるから別のところで仕事を済ませてますね。」


 アンは、問診が始まる時にエンリから外させた情報ゴーグルやその他の小物を持って部屋を出た。ベティ、オレ、それからエンリがルームCに残っている。


「エンリ、ネゲイで暮らして行くにあたって、エンリに聞いてみたいと思っていたことが幾つかあるんだ。」

「何ですか?」

「まだ谷にいた頃、エンリは枯れ枝に火を点けて見せてくれたことがあったよね。その話だよ。」


 エンリは少し緊張した表情を浮かべた。紳士淑女が社交的に話題にしていいのは天候と健康のことだけ、というのは、カースンでも共通しているルールだと思う。「スペインでは、雨は主に広野に降りますのよ。オホホホホ。」というヤツだ。古典は、正しいが故に古典となる。だがエンリにとっては、今まで健康のことを話していたところで急に「神様に叱られる」話題に変えられては、身構えもするだろう。


「自分にできる範囲のことしかわからないですが、答えられることは、お話しさせていただきましょう。」


 エンリが答えた。


「まだ谷にいた頃に『火』を見せてもらって、自分でもそんなことは考えたことがなかったけど、やってみたら私にも『火』ができたんだ。だから、同じ『火』が出来ることがわかってるエンリに聞いてみたいことがある。」

「マコト様も、『火』が使えるようになったんですか。それは誰かに言ってますか?」

「いや。ベティ達は知ってるけど、ゴール殿とか、元々カースンに住んでる人に話すのは今日が初めてだよ。エンリだけだ。あの時ルーナから聞いた『神様に叱られる』っていう言い方も気になったから、人には言わないようにしてたんだ。」

「よくわかりませんが、人に言ってない、というのは正しいと思います。私も、マコト殿に『火』を見せるまでは、妹のルーナを含めて誰にも言ってませんでしたし。」

「やっぱり、これはあまり人に言っていい話じゃあないんだね。」

「そう思ってます。誰も、口に出してその話はしませんし。けど、私だけじゃなくて、『火』だけじゃなくて、似たことができる人はいるみたいです。」

「似たこと?。」

「谷でゴール様、いや、義父が、言ってた『汚れを取る』とかです。」


 ゴールが谷で言ったことはオレも覚えていた。ヤダでも、ネゲイでも、床はともかく、掃除するにも手や道具が届きにくそうな場所まできれいになっている建物がある。その事も含め、エンリから色々聞き出して箇条書きにしてゆく。


・誰にでも使えるものではない。エンリの妹のルーナは、できない。これは素質がないのか、「ダメ」と教えられているから抑制している(無意識に?)のか、そこまではわからない。

・エンリは「火」が使えるが、何かを温めることはできない。

・谷の街道補修で見たがヒーチャンは「温める」ことができる可能性がある(虫の粘液を固める補助で使っていた?)。

・同じく虫を扱っていたクートも?

・ヤダには「汚れを取る」ことができる人間がいる。ヤダの建物には鍵もなく、誰でもいつでもどこの建物にも入れるから、誰がやっているかはわからない。

・汚れを取るのは、領主館の誰かにもできるようだ。

・「火」「汚れを取る」以外の能力をエンリは知らない。できる人がいても人目につかないようにするからかもしれない。

・「火」を使う時は頭の中に情景を浮かべて、過去形で「火」という。

・ベンジーは、ベンジーが認めたもの以外がこの能力を使うことを推奨していない(認めていない、または禁じている?)。だからあまり人前で使うことはしないし、できる人も、何ができるかも言わない。

・ベンジーが使っている聖典に「神は言葉で御業を示す」といいう一節があり、ウーダベーの現象はそれに通じる。これによりベンジーはその力を持つ者を囲い込もうとするが、自発的にそれに従う者は少ない。

・このことで人々がベンジーに従うのをためらうのは、昔のベンジーが人攫いのようなことをやってまでウーダベーを集めていたことがあり、それに対する反発で暴動まで起きたこともあったから。

・今のネゲイのベンジーは、そこまで強権的にウーダベーを集めようとはしていないが、人々もこのことで積極的にはベンジーに関わろうとはしていない。

・ベンジーでもマコトがここに来た理由にウーダベーが関与しているとは思っているだろうが、それについて何をどうすべきと感じているかはわからない。


 意識して避けてはいたが、ベンジーでこのことについての話題を振らなくてよかったと思う。もしも「誰かがそれを使うところを見たか?」とか、「マコト殿にはできるか?。」などの流れに入ってしまったら、誰に迷惑をかけるかわからない。未開社会で宗教的タブーに触れたために命を喪う羽目になった話は地球人類史に山ほど例がある。オレは自分の生首でポロをやって欲しいとは思っていない。やはり、研究や実験は続けても、ベンジーに知恵を求めるのは、少なくとも今はやめておくのが正解だろう。


「エンリは『火』だけができる。誰かは知らないが『汚れを取る』ことのできる人がいる。でも、汚れを取ることができるなら、私がわざわざ石鹸を作らなくても、体の汚れを取ることができてなかったのは?。」


 声に出てしまった。


「私も『汚れを取る』をやったことがないのでよくわかりません。壁や床と、人の体では違うのかも。固いものは残して柔らかいものは取ってしまうとか、間違えて皮ごと、うわぁ、イヤなこと考えちゃいました。」


 オレも思い出した。ゴールから「汚れを取る」の話を聞いたときに考えてしまった事故例だ。でも、そんなに厳密なコントロールが必要なものだろうか?。オレの場合は「水」とか「砂」とかを思い浮かべて……。


『マコトの場合は私の補助もあって、場合によっては分子構造まで考えながらやってるわ。水とか砂鉄ならイメージだけでなんとかなるかもしれないけど、セメントの粉は無理でしょ?。ここの人達は、なにをやるにしても私達に比べたら、このあたりの基準は曖昧だと思う。そうなると、事故を起こさないようにするには、力を使わない、制限する、というのは正しいやりかたよね。』


 αの意見はオレも感じていたことだ。セメントの粉、ガラス繊維、生石灰。実験のついでに得られたこういう素材は、AIがインプラント経由でウーダベーの能力を使った結果だ。原子とか分子の正確な構造の知識なしでの到達は、なかなかできないだろうと思う。


「エンリ、私も『火』ができるようになってから、『火』以外に何かできないか試したりしてみた。」

「何かできましたか?」

「エンリ、誰かに話してもらうのも困るし、船の中では試さないでくれよ。試すなら外だ。『火』の次に、実は『水』もできてしまった。ここで試すなよ。」

「『水』ですか。」


 ここでやるな、といのは重要だ。こんな室内で「水」能力が暴発したら、オレとエンリの二人ともミイラになりかねない。


「エンリも何種類か試して、『火』だけしかダメだ、って考えたんだろう?。例えば、『水』も試した?。」

「ええ。『火』で何か変なものを燃やしてしまったときに欲しいのは『水』だと思ったので。ダメでしたけど。」


 マーリン7を墜落させた「手」の仕組みはわからないが、オレに使えるウーダベーの働きはマクスウェルの悪魔のようなものではないかと、αと以前に話したことがある。「火」については、エンリの実演とオレの実験のどちらも風が吹いて枯れ枝が燃えた。エンリが実演した時には測定できなかったが、オレがやってみたときには確かに集まった空気が断熱圧縮を起こしていた。これは周辺の空気分子の中で、運動ベクトルがオレが点火しようとした枯れ枝の先の方向を向いていたものだけが集められた、または、向いていなかったものが排除されたので枯れ枝の先にエネルギーが集中した、と考えている。では、エンリが「水」を集めることができなかったのは、周辺に水源がなかったとか、湿度が低かったので水分子を集められなかったとか、そういった事情もあったのかもしれない。エンリに対してヒントは与えられそうだが、今ここで実験されても困るし、船上にでたとしてもヨークの目がある。今日、エンリに試させるのはむつかしそうだ。


「もしかしたら、エンリに『水』を教えられるかもしれない。今ここではダメだし、外に出てもまだ昼だから人目がある。だから今日は無理だと思うが。もし、試してみたいなら、手伝うよ。『火』と『水』以外にも、何かできるかもしれないし。」

「そうですね。将来のネゲイ漁業組合長としては、『水』が使えたら仕事によさそうです。」


 学術調査も兼ねているオレはウーダベーの仕組みを調べ、できることの一覧表を作るようなことも考えている。だが実業に関わることになるエンリは、オレの「何に使えるか」というベクトルとは異なって、「どう使うか」を考えているようだ。



 一一一〇M。話題が少し途切れたところで休憩だ。ベティが二人分のカリガンを用意してくれた。ルームCに戻って来たアンがネリの状況を伝えてくれる。前回のエンリとほぼ同じペースで進んでいると。もう切開部は閉じられ、ネリはタンクの中に入っている。


「まだ三の鐘になってないけど、ショー殿が目覚めるのは四の鐘の頃ね。まだ時間があるから話を続けてもらっていいし、前回見せられなかった船の中の案内をしていいし、このまま昼休憩に入って何か軽いものを食べてもらってもいいし、マコトには部屋を出てもらってエンリを私とベティで前回に負けないくらい磨き上げる、というのも案の一つよ。ショー殿担当のダイアナ、エリス組とエンリ担当の私、アンとベティ組の勝負よ。エンリ、どれがいい?。」


 船内案内とかはオレも考えてはいたが、磨き上げ勝負という発想は、オレにはなかったな。エンリが聞く。


「その『磨き上げ』はどのくらい時間がかかりますか?。」

「勝負ですから、ショー殿と時間は揃えます。三十分ね。」


 アンは「鐘の六分の一」というような発音をしているのだが、オレには「三十分」で伝えられた。


「船の中も見せていただきたいですけど、そのくらいなら、大丈夫ですね。ええと、ネリ様が起きる頃には私もお迎えしたいですから、今からその『磨き上げ』をお願いして、そのあとは軽食とか案内いただくとか、話の続き、ということで、どうでしょう?。ちょっと、ゆっくり考えてみたいようなお話もでてきましたし。」


 カリガンで少しリフレッシュもしたつもりだったが、そうだな、今日は少し頭を使いすぎているところもあるから、エンリの選択のとおり、頭を使わない時間を挟もう。


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